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メルダー

〈10〉

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「何を買うんですか?」
メルダーは野菜売り場に並べられたトマトを見ながら尋ねる。
「夕飯の材料だ」
朝陽はそうつっけんどんに言うとトマトの近くにあったキャベツに手を伸ばした。
変わった色の髪と瞳をもっているメルダーを、回りの人間がちらちらと見ていく。そこで気づいたが、メルダーはどうやら他の人間にも見えるようだ。
「人型は他人にも見えるのか?」
朝陽の質問にメルダーはこくりと頷く。
「はい。人型として発している言葉は全ての人間に聞こえます。車の人型は人間と同じだと考えてもらってかまいません」
(人間と同じように、ねえ)と朝陽は心の中で反芻する。
ふとカレールーが残っているのを思い出して、キャベツに伸ばした手をひっこめる。
(今日はカレーにするか)
朝陽は冷蔵庫の中を思い出しながら歩き出した。

メルダーは辺りをきょろきょろ見回しながら朝陽の後ろをついていく。
朝陽はちらちらとメルダーの様子を伺っていたが、彼女は人型では人間に害を及ぼすことはないようだ。
それ所か、
「運転手さんとお出掛けって楽しいですね!」
とまるで子供のようにはしゃいでいる。
とりあえずその事実に朝陽は安心していた。
朝陽は買い物かごに豚肉やにんじん、じゃがいもを放り込むと、体の向きを変えた。
その目に『お菓子売り場』の文字が映る。
(スナック菓子でも買っていくか)とそちらの方に歩みを進めた。

棚に並ぶカラフルなパッケージのお菓子に、メルダーはたいそう興味を惹かれたようだ。
色々なお菓子を手に取ると振ってみたり逆さにしてみたりする。
端から見れば、メルダーは他の人間と全く変わりがない。
チョコレート菓子をまじまじ見つめているメルダーに、朝陽が声を掛けた。
「それが気になるのか?」
メルダーがこくりと頷く。彼女の視線でチョコレート菓子が溶けてしまいそうだ。
「……買ってやってもいいぞ」
そう言うとメルダーが首を振って、品物を棚に戻し立ち上がった。
「私が食べるのはガソリンだけです。他のものはいりません」
「へー、ガソリンって食べるものだったのか。じゃあガソリンがなくなったら腹が減るのか?」
朝陽が尋ねると
「はい。お腹が減って動けなくなってしまいます」とメルダーが答えた。
ふうん、と朝陽は相づちを打つ。
朝陽が子供の時に母親が、車のガソリンがなくなったのを『空腹状態』と呼んでいたが、まさにその通りだったらしい。
朝陽は美味しそうなお菓子を適当に見繕うと、買い物かごの中に放り込んだ。

(後は何を買おうか)と思考を巡らせていると、メルダーが
「朝陽さん!危ないです!」と叫んだのが聞こえた。
何事かと辺りを見回すと、子供がショッピングカートを押しながら走ってくるのが見えた。もう一人の子供とふざけているようで、前を見ていないようだ。
朝陽は自分に衝突しないように少し横にずれたあと、ショッピングカートを手で受け止めた。
前に進まなくなったことに不思議に思った子供が前を見る。そして、朝陽を見て目を丸くした。
「危ないぞ。店内で走るんじゃない」
そう諭すように言うと子供はとたんに大人しくなり、ショッピングカートをもって母親のいるところへ戻っていった。
朝陽の後ろにいたメルダーが、ゆっくり前にやって来る。そして、朝陽の顔を心配そうに見つめた。
「……大丈夫ですか?」
「ああ」と朝陽が頷く。
「そうですか、それなら良かった……」
メルダーはそう言ってほっとしたような顔をした。
その顔を見て、朝陽は違和感を抱く。その違和感の理由を探り当てて、メルダーに尋ねた。
「お前、人を轢くのが好きなのに、カートにぶつかりそうになる俺を心配するのはおかしくないか?」
朝陽がそう言うと「おかしくないですよ!」とメルダーが言い返す。
「人は人でも、あなたは大切なんです。だって、私の運転手さんですから」
そう主張するメルダーに朝陽は首をかしげた。運転手だって人間であることには代わりないはずだ。
そのようなことを言うとメルダーが、ちっちっと指を振った。
「車にとって普通の人間と運転手さんは違うのです。運転手さんは大切なパートナーなんですよ」
そう熱く語るメルダーを見て、朝陽は
「だったら、そのパートナーを不安にさせないような運転をしてくれ」と言った。
それを聞いてメルダーがとぼけたように「考えておきまーす」と言う。
(この様子ではなにも変わらないだろうな)と朝陽はため息をついた。
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