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夏のある日

〈3〉

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「……そうでしたか、わかりました」
叶夜の話を最後まで聞き終わると愛昼は頭を下げた。
「事故の続発防止をしていただき助かりました」
「いえ……。勝手に色々とやってしまい、すみません」
叶夜もそう頭を下げると愛昼は首を振った。
「謝ることはありません。……とっさにあんなに色々なことが出来るなんて、すごいですね」
愛昼が微笑んだ。叶夜が恥ずかしそうに頭を掻く。
「あはは、いつも生徒に教えているからですかね?体に染み付いていて……」
それを聞いて愛昼が「教師なんですか?」と尋ねた。
「あ、えーっと……。一応、自動車学校の教官をやっています」
「そうなんですか」と愛昼が少し驚いたような顔をする。
そのとき、後ろから「凪」と声がした。
愛昼が振り返ると笹木が立っている。
「自家用車の運転手の聞きこみは終わった。俺は彼女を本部に連れていく。お前はどうする?」
愛昼は車の方を見る。
「私はもう少し聞き込みをするわ」
「分かった」と笹木が頷いた。そして女性の方に近づくと、連れだってパトカーの方へ歩いていった。
愛昼は叶夜を見ると
「ご協力ありがとうございました」と頭を下げた。
「どういたしまして。……もういいですか?」
愛昼が頷く。
「ええ。お忙しいところすみませんでした」
「いえ。お役に立てたのなら良かったです」
叶夜が爽やかに笑って首を振った。愛昼はそれを見てほっとする。
叶夜は愛昼に背を向けると歩き出した。そして放っておいた自転車に乗る。それから自動車学校に向けてこぎ始めた。

愛昼は車達と少し話をし、彼らが警察本部に運ばれるのを見届けてからパトカーに戻った。スイが運転席に座った愛昼の顔を見る。
「どうでしたか?」
「事故の一部始終を見ている人がいて助かったわ」
愛昼の言葉に「良かったですね」とスイが微笑む。
「ええ。それにその人は自動車学校の教官だったそうだから、事故の続発防止も特にためらわずにやってくれたみたいなのよ。ありがたかったわ」
それを聞いてスイが興味深げな顔をする。
「へえ……。自動車学校って、人間が車の免許を取るために行くところ、ですよね?」
「ええ」と愛昼が頷く。そして、食いついてきたスイを不思議に思い
「どうしてそんなことを聞くの?」と尋ねた。
「いえ、言葉だけは聞いたことがあったのですが、本当にあるとは知らなかったもので」
スイがそう恥ずかしそうに笑う。
「ふうん、そうなの。まあ、確かにあなたには縁のない場所だものね」
「……ええ」
スイはそう言ってから複雑な顔をし、考えこんだ。愛昼はそれに気づかず、シートベルトをつける。
「本部に帰るわよ。自家用車とバイクが到着してから本格的な聞きこみをするわ」
愛昼の言葉に「了解です」とスイは微笑んだ。

「お前が進行方向を邪魔したから悪いんだろ!」
「いいや、お前が突っ込んできたから悪いんだ!」
目の前で繰り広げられる喧嘩を見て、愛昼はため息をついた。スイは苦笑いをする。
自家用車とバイクが屋内駐車場に運び込まれたのを聞き、愛昼とスイはさっそく聞きこみに向かった。
バイクの方は運転手が救急車に運ばれて、不安そうな顔をするかと思ったら大間違いであった。体は自家用車より小さいが態度は大きく、自家用車につっかかってどちらが悪いかの喧嘩を始めたのだ。
(バイクと一言で言っても性格は様々なのね)と愛昼はティーのことを思い出しながら考える。
愛昼はとりあえず二台を別々に離した。そしてバイクの方を愛昼が、自家用車の方をスイが担当して聞き込みを行った。
叶夜の言ったことと寸分違わず、二台の証言は一致していた。
愛昼は二台にお礼を言うと、判決が出るまで待つように伝えた。愛昼はまだぎゃあぎゃあと言い合う二台をスイに任せ、屋内駐車場を後にした。

バイクの運転手は全身を打撲したが、一命をとりとめた。
自家用車の運転手とバイクの運転手の双方の話を聞き、またドライブレコーダーを見て、警察による捜査は終わった。
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