上 下
116 / 142
リュー

〈17〉

しおりを挟む
「どうしたんですか?」
車に戻ってからというものの、ずっと眉間に皺を寄せて携帯電話の画面を見ている磯部に朝陽が尋ねる。
「……いや、ちょっとな」
磯部が顔を上げ苦い顔で笑った。朝陽が不思議そうな顔をする。
ちらりと見えた携帯電話の画面はメール画面だった。宛先には聞き覚えのある名前が書いてある。
(ああ、なるほど)と朝陽は納得した。
どうやら磯部は彼の妻にメールを送っているらしい。先ほど撮った夕日の写真も添付しているようだ。あまりにも綺麗な光景だったため、妻にも見せてやりたくなったのだろう。
(やはり仲はいいんだな)と朝陽はこっそり微笑んだ。

「……そうだ」
宿へ帰る途中、朝陽がふと思い付いたように口を開いた。助手席では磯部がこっくりと船をこいでいる。
「お土産屋で、みんさー柄にこめられた意味を知ったよ」
「……それは、俺に話しかけてるのか?」としばらく経ってからリューが尋ねた。
朝陽が頷く。
「ああ。お前の体にもみんさー柄が描いてあるだろう。あれの意味を、お前は知ってるか?」
リューが黙った。そして車体ががたんと大きく揺れてから
「いいや」と答えた。
「『いつの世までも末長く』という意味らしい。お前の持ち主が、そう願って描いたんじゃないか?」
そう言うとリューが鼻で笑った。
「まさか。あのババアがそんなことを考えるとは到底思えねえよ。沖縄っぽいからとかいう理由で描いただけさ」
朝陽が首を振った。
「そうとも言い切れないぞ。あの人には今お前しか家族がいないし、お前にはあの人しか頼れる人間がいないじゃないか」
朝陽の言葉に「ふん」とつまらなさそうにリューが鼻をならした。
老婦人はリューのことを必要としている。リューは老婦人のことを必要としている。お互いがお互いに支えあっているのだ。
リューも老婦人もどちらも素直でない故に、それを認められないだけだ。
朝陽が表情を曇らせた。そして口を開く。
「失う前に、大切なものに気づいて守っておくべきだ。でないと後悔することになるぞ」
真剣な顔の朝陽が言った言葉を聞いて、リューがつまらなさそうな顔をした。
「そうかあ?」
朝陽はこくりと頷いた。リューはあまり信じていない顔をしていたが、
「まあ、そんなもんなのかもな」とそっぽを向いて呟いた。

朝陽は乾いた水着や衣服などを畳むとスーツケースに押し込んだ。
「風呂場と冷蔵庫の中に忘れ物はなかったぞ」
さんぴん茶の入ったペットボトルを朝陽に手渡しながら磯部が言う。
お礼を言って朝陽はそれを受けとった。
「先に郵便局に行って、重い荷物とおさらばしよう。それからやり残したことをしようぜ」
磯部の提案に朝陽は同意する。そしてスーツケースを閉じると外に出た。

トランクに二つのスーツケースを押し込むと「うっ」とリューが苦しそうな声をあげた。朝陽がぎょっとして、スーツケースを押す手をゆるめる。
「おい、リュー。大丈夫か?」
「……ああ。心配すんな」
リューが小さな声で言う。
「リュー、お前、かなり無理をしているんじゃないか?」
朝陽が心配そうに言うと、リューは嘲るように笑い、
「無理なんてもっと前からしてる」と答えた。
「とりあえず早くトランクの中にしまってくれよ。フレームの部分が痛くて仕方ない」
朝陽は「悪い」と言いながらスーツケースを慎重に入れた。そして心配そうにリューを見ながらゆっくりと扉を閉めた。

郵便局でスーツケースを送ると、一気に身軽になった。リューのエンジンの音も、心なしか軽くなっているように感じる。
「あとはガソリンを満タンにしてレンタカーを返すだけだな。……最後にどこか行っておくか?」
朝陽はちらりと腕時計を見る。日に焼けて少し赤くなってしまった手首を擦りながらどこに行こうか考えた。
「……東平安名崎なんてどうだ?」
リューの言葉に朝陽ははっと顔をあげた。
「……東平安名崎はどうですか?」
朝陽がそう尋ねると、磯部は目を丸くしたあと目を細めた。
「東と西を制覇するってことか?いいぜ。行こう」
磯部はスーパーマーケットの駐車場に車を入れるとカーナビを操作した。そして目的地を登録すると再び車を発進させた。

「あそこまでなら目をつぶってでも走れる」
東平安名崎へ向かう道中、ぽつりとリューが言った。
磯部がいるため返事が出来なかったものの、話を聞いていることを分からせるために朝陽は頷いて見せた。
「あそこはな、あのババアとその旦那と息子とよく行ったところなんだよ」
リューが静かに続ける。
「息子が運転免許を取ったあと、運転の練習もかねて何度もな。まあ、いわゆる『思い出の場所』ってヤツだ」
柄にもない言葉を使った自分を滑稽に思ったのか、言い終わった後リューが鼻で笑った。
「……」
朝陽は黙ってリューの言葉を聞いていた。
しおりを挟む

処理中です...