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お彼岸

〈1〉

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「……今日はいい天気だな」
叶夜は秋晴れの空を見上げ、感動の息を漏らした。
どこまでも続く、雲一つない快晴の空だ。吸い込まれそうなほど青く高い空の下、叶夜はその空をつかむように手を突き出しながら大きく背伸びをした。
車に乗り込み、墓前用の花と線香が助手席に乗っているのを確かめてから発車措置をとる。そして、ゆっくりと車を発車させた。
シルバーウィーク真只中の今は、普段よりも出かけている人が多いようで、車の往来も激しい。
よく通る見慣れた横断歩道まで来て、叶夜は歩行者を見つけて車を止めた。
ここの交差点は昼間そこそこ車通りがあるというのに信号がない。そのため、横断歩道があるというのに止まらない車がほとんどで、中々歩行者は渡れずにいた。
今も、叶夜が止まっているというのに対向車線の車は全く止まる気配がなかった。
(普段から止まらない車は多いけど、今日はちょっと横着な車が多いな……)
いくら止まらない車が多いと言っても、片方の車線が止まれば大体の車は止まる。それだというのに、今日はいくら待っても対向車は一向に止まる気配がしなかった。
後続車もイライラし始める頃だろう。どうしようと叶夜が考えていると、車が途切れていないのにも関わらず歩行者がゆっくりと横断し始めた。そのまま止まる気配のない車の前をゆっくりと横断していく。
(危ない!)
叶夜がそう声をあげようとしたとき、車が急ブレーキをかけたようで、前のめりになりながら歩行者の目前で止まった。歩行者がその車の前で足を止める。
(あ、危なかった……。もう少し速度が出ていたら轢かれていたぞ)
叶夜がドキドキしながらその歩行者を見る。
彼はタクシー運転手のようで、制帽を深くかぶっているため目元は見えなかった。すぐ近くで止まった車の前で、何か口を動かし、呟いているようだ。
その彼の左腕に腕章を見つけて、叶夜は目を凝らした。同時に朝陽の言葉を思い出す。
(あれってナンバープレートの書かれた腕章……もしかして車の人型!?)
そう思い目を丸くした瞬間、後ろからクラクションが鳴った。流石に後続車も我慢が切れたらしい。
叶夜は後から来た歩行者たちが渡り終えたのを確認したあと、車を発車させた。

お墓の前で手を合わせていた愛昼は、こちらに近づいてくる足音を聞いて顔を上げ振り向いた。そしてその足音の主と目が合うと、驚いた顔をした。
「……要さん」
「わ、凪さん。ここでも会うなんて奇遇ですね」
叶夜が無邪気な笑顔を見せる。
「本当ですね」
そう言って愛昼も微笑む。見るからにわかる彼の人の良さは、あまり他人に心を許さない愛昼でさえも警戒を解くほどであった。
「要さんはこれからお墓参りですか?」
手に持っている仏花と線香を見つけて、愛昼が尋ねる。
「はい。凪さんは、もうお帰りですか?」
「はい」と愛昼が頷く。
「そうですか。お気をつけて帰ってくださいね。今日は車通りが激しいですから」
叶夜の言葉に「ありがとうございます」と愛昼が頭を下げた。
それを見届けてから叶夜はゆっくり愛昼の横を通り過ぎ、墓の前にしゃがみ込む。
てきぱきと仏花を変え、ろうそくに火をつけながら叶夜が独り言を言うように呟いた。
「ここ、僕くらいしか墓参りに来る人がいなくて。だから僕が毎回ここの掃除をしているんです」
愛昼が帰ろうと歩き出していた足を止め黙って彼の話を聞く。叶夜は一旦口をつぐんだあと再び静かに話し出した。
「……ここには、僕以外の家族が皆で入っているんです」
それを聞いて愛昼は目を丸くする。
「要さん以外の、ご家族が全員……?」
信じられないといったような愛昼の言葉に、叶夜が悲しそうに笑いながら頷いた。
「はい。父さんと、母さんと、兄です。……僕だけがこうやって、生きているんです」
そう言いながら墓石を見上げる。背が高く立派なその墓石は叶夜を見下ろしていて、まるで父たちが上からこちらを見守ってくれているようだった。
「……子供の頃は、どうして僕だけ生き残っちゃったんだろうって悩んだり、どうして僕を置いて行っちゃったんだって亡くなった父さんたちを責めたりもしたんですけどね」
叶夜が昔のことを思い出して笑う。
「でも、段々、僕が生き残ったのには何か理由があるんだって思い始めたんです」
(これから自動車に乗る人たちに自動車の安全な乗り方を教えるために、事故を起こして大切な人を失わないように。そのために僕は一人生き残って、自動車学校の教官になったんだ)と叶夜は心の中で付け加えた。
一通り自分のことを話し終えてから叶夜ははっとした。聞かれてもいないのに随分といらない話をしてしまったものだ。
「す、すいません。変な話をしてしまって」
「いえ」と愛昼が首を振った。そして少し逡巡してから意を決したように口を開いた。
「あの、要さんのお父様ってもしかして……」
そこまで言って愛昼は言葉を切った。いくら可能性があると言えども当てずっぽうで言うには良くない話だと思い直したからである。
「はい?なんでしょう?」
叶夜が人のいい笑みを浮かべて首を傾げる。愛昼はちらりとそれを見たあと首を振った。
「……いえ、なんでもないです。忘れてください」
そう言って愛昼は首を振った。そして不思議そうな顔でこちらを見つめる叶夜に何か言おうと口を再び開いた。
「……寂しくないんですか?」
そう尋ねてから随分と馬鹿な質問をしてしまったと愛昼は自分を責めた。
叶夜が明るく笑う。それが心からの笑いではないことに愛昼は気づいていた。
「全く寂しくないといえば嘘になりますが……。今は周りに素敵な人たちが沢山いますし、自動車学校での仕事も充実しているので、そこまででもないんです」
そう言って墓石を優しくなでた。ほんのりと暖かい石に触れながら、親しい数人の顔を脳内で思い浮かべる。きっと、永谷を含む自動車学校の教官たちや笹木のような教習生、そして朝陽や愛昼たちのような素敵な人達に会えたのは父達のおかげに違いない。そう叶夜は思っていた。
そんな叶夜を見ながら愛昼はほっとしたように笑った。
「そうなんですね。それなら、良かったです」
そう言ってから今度は自分の方の墓石を見あげる。こちらを照らす太陽にかすかに目を細めながら愛昼が口を開いた。
「……私の方のお墓には、父が眠っているんです」
叶夜が顔を上げ、愛昼の方を振り返る。
「この髪留めは、小さい頃父が誕生日のプレゼントで買ってくれたもので。ずっと使っているので少し色が剥げちゃったんですけど。……でも、とても大切なものなんです」
前髪についた髪留めに触れる。それを見て、叶夜は微笑んだ。
「素敵な髪留めですね。あなたによく似合っています」
そうまっすぐに見つめられて、愛昼は少し恥ずかしそうに目線をずらした。
「あ、ありがとうございます……」
柄にもなく嬉しいと素直に思う。ここにスイがいて、少し赤くなった頬を彼に見られたら、「愛昼にしては珍しいですね」ときっと笑われるに違いない。
そう思いながらふと視線を下に落としたら、いつの間にか叶夜が愛昼の隣で墓に向かって手を合わせているのが見えた。
「あ、あの、要さん……?」
(何故父の墓に要さんが手を合わせているのだろう)と不思議に思いながら声をかける。
「あ、すみません」と叶夜が顔を上げ、恥ずかしそうに笑った。
「凪さんのお父さんに、『凪さんは交通部の警察官としてとても活躍されていますよ』って僕からも伝えたくて……」
そう恥ずかしそうに言う叶夜を見て、愛昼は驚いたように目を丸くした後微笑んだ。
「ありがとうございます。……では、私も要さんのご家族の方に手を合わせてもいいでしょうか?」
「え?ええ、構いませんよ」
愛昼は叶夜の隣にしゃがみ込むと手を合わせ、目を閉じた。
叶夜も隣で慌てて手を合わせる。そして、自分が元気にやっていること、自動車学校のこと、自動車に関する新しい発見のことを朝陽のことを交えて話した。
(車が話せるなんてことを言ったら、きっと、皆目を丸くするだろうな……)
彼等と離れてしまったのは自分が幼い頃であるため、家族がどんな反応をするかは正しくは分からないが、写真立ての彼らの顔から叶夜は父たちの驚いた顔を想像した。
(……もし、父さんが車と話せたら、あんな事故は起きなかったのかもしれないな)
そう思うと気分が沈む。今更そんなことを考えても無駄なことだと分かっていたけれど、叶夜はそう考えざるをえなかった。
隣にいた愛昼が立ち上がった気配に、叶夜が目を開ける。
「あの……。父達に何を伝えていたんですか?」
まっすぐ墓石を見つめる愛昼に、ためらったあとに聞いてみる。愛昼は叶夜を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「……要さんが、素敵な自動車学校の教官になって安全運転の意識向上に貢献し、事故に遭ってしまった人に優しく手をさしのべていることをお伝えしました」
それを聞いて叶夜は顔を真っ赤にした。そしてそんな顔を隠すようにうつむくと、
「あ、ありがとうございます……」と消え入るような声で言った。
愛昼はそんな彼を見て笑みを作ったあと、口を開いた。
「そういえばきちんとした自己紹介がまだでしたね。私は凪愛昼と言います」
「愛昼さんですね。僕は要叶夜と言います」
愛昼の自己紹介を受けて叶夜も慌てて返す。手を伸ばして握手をして、二人は顔を見合わせた。
「なんだか、あなたとは長い付き合いになりそうですね。よろしくお願いします、愛昼さん」
そう言って叶夜が笑う。愛昼もかすかな笑みを浮かべて「こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げた。
涼しい風が二人の間を通り過ぎて行った。二人はお互いの顔を見合わせたまま、くすりと微笑んだ。
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