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第五章
閑話休題 作り物の笑顔①(唯奈視点)
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「お母さん」
「なぁに、唯奈」
「夏休み、どーする?」
「そうねぇ、やっぱり今年は海の見える旅館で温泉に入りながらゆっくりしましょう」
母はいつもわたしのことを気にかけてくれた。
双子のうちのわたし一人だけ。
母は元々とても不器用な人だった。
そして双子のわたしたちを産み、家庭を省みない父の代わりに一人で育てるうちに、母は心に病を抱えてしまっていた。
「唯奈はいつまで経っても甘えん坊ね。母さんがいないと、全然ダメじゃない」
これが母の口癖だ。
でもわたしは母の腕に自分の腕をからめ、甘える。
違う……甘えたフリをする。
母が望む子どもを演じていれば、わたしだけは愛してくれるから。
「だって、母さんが大好きなんだもーん。でも、ホントにいいの? 唯花は誘わなくて」
「あの子はいいのよ。自分で何でも出来るから」
「ま、そーだね」
これは本当のことだ。
いつも唯花は、なんでも器用にこなすことが出来る。
わたしが何度も何度も努力してやっと出来ることでも、すんなり出来てしまうのだ。
そして何より、この関心を示さない父と母の元でも、唯花は誰よりも強く輝いて見える。
「さあさあ、遅刻するわよ。お弁当持った? 忘れ物ない?」
「……いってきます」
じゃれつくわたしたちの脇を小声で挨拶をした唯花が、空気のように通り過ぎていった。
「唯奈聞いているの?」
母は唯花と朝の挨拶を交わすことも、こんな風にいつまでも子ども扱いすることもない。
ただ唯花にとって、これがどれだけ残酷でどれだけ苦痛なのかも少し分かる。
「ハンカチは? 今日は雨が降るかもしれないから傘も持たないと」
ただそんな唯花の分までも、母にとってわたしはいつまでも小さな子どもで、いつまでも母の望む良い子でなければいけない。
そうこれがわたしの役目。
「大丈夫よ、母さん。雨がもし降ってきたら誰かに入れてもらうから。今日、こんなにいい天気なのよ。どうせ降ってもすぐ止むよ」
「それもそうだけど……。今日はピアノのレッスンだから、早く帰ってくるのよ」
「はーい。いってきまーす」
「はい、いってらっしゃい。車に気を付けてね。変な人に付いて行っちゃダメよ」
「何かあったら、すぐ電話するね」
「ええ、そうして」
玄関を出て、大きく手を振る。
母の瞳はわたしを見ているようでその実、わたしを見てはいない。
母の母である、祖母と母との関係は、ちょうど唯花と今の母の関係だった。
祖母は長女である姉だけ溺愛し、妹である母をないがしろにしていた。
そして事あるごとに、母にだけは冷たく当たっていたのだ。
まるでその仕返しを実の子にしているように思える。
双子とはいえ、妹である自分の分身だけを愛し、自分にして欲しかったことをわたしを通して叶えようとしている。
わたしは、わたしなのに。
わたしに、せめて唯花の様な強さがあればよかった……。
◇ ◇ ◇
頬杖を付きながら、教室の窓から校庭を眺める。
ちょうど唯花のクラスは外で何かの授業だったのか、日差しを避けるように顔に手を当てながら校舎を見上げる唯花と、視線がぶつかる。
しかしわたしに気付いたのか、唯花はすぐに視線を外した。
「ねえ、唯奈、夏休み唯花ちゃんって何してるって言ってた?」
授業は終わっていたのか、隣の席の子が声をかけてきた。
そしてわたしを囲むように数名の女子たちが集まってくる。
「ん、唯花? どうして? たぶんいつも通り、町立の図書館にいると思うけど」
「そーなんだ。じゃ、そこに行けば会えるね。勉強教えてもらおうと思って」
「えー、一人だけ抜け駆けなんてずるいよ。私も教えてもらいたーい」
どうやらこの子たちは明日からの夏休みの過ごし方についての話をしているようだ。
わたしたちは今高校二年の夏であり、受験勉強が始まり出したことろだった。
「え、でもなんで唯花なの? あれだったら、わたしが教えるよー」
「いいよ、いいよ。だって唯奈、夏休みは部活とかもあるでしょ。秋で部活も卒業だもんね。邪魔しちゃ悪いし」
「そーそー。それに秋の合唱コンクールも伴奏するんでしょ。忙しいだろうから、いいよ」
どこ本心があるのだろうかと、わたしはみんなの顔を眺めた。
ただみんなにこやかに笑っていて、その中心にいるのに、距離はどこか遠い。
「うん、そうだね」
わたしが望む答えを返すと、みんなは満足げだ。
「唯花ちゃん、教えるの上手いから隣のクラスの子が順位一桁になったらしいし」
「それ、すごいねー。てことは、唯花ちゃんも一桁ってことでしょ」
唯花は確か、学年順位はだいたいいつも2位だった気がする。
それに比べてわたしはいつも二桁だ。
全学年で五百人ほどいるので、決して順位は低いわけではない。
だけど、このままではみんなが唯花に取られてしまう。
「ねぇ、じゃあ今度みんなでうち来ない?」
「え、いいの、唯奈」
「大丈夫、大丈夫。みんなで勉強しようよ。もちろん、唯花も捕まえておくし。ほら、唯花引っ込み思案なとこあるから一対一とかだと嫌がるかもしれないけど、わたしからみんなにって言っておくからさ」
「さっすが、唯奈ー。じゃ、そーしよー」
「それならうちも行くー」
「じゃ、また帰ったら連絡するねー」
「うん、よろしくー」
そう言いながら、わたしを囲んでいた輪が離れていく。
帰ったら、母と唯花に頼み込まないといけない。
母はわたしの我儘を気に留めることはないと思うが、唯花はまたとても怒るだろう。
でも仕方ないじゃない。
こんなことでこの輪の中心としての立場を失うわけにはいかないから。
例え、これが見せかけだけのものだとしても。
「唯奈、大丈夫?」
後ろの席に座っていた子に声をかけられた。
この子は幼稚園からずっと一緒のいわゆる幼馴染だ。
とはいっても、ただ一緒だったというだけで取り分け仲がいいというわけではない。
もちろん悪いわけでもないのだが、ずっと一緒なだけに逆に、距離感はつかめない。
「ん? なんで? もちろん大丈夫だよ」
「……それなら、いいんだけど……。何かあったら……」
「……」
「ううん、なんでもない。また、夏休み明けね」
「うん、また休み明けねー。ばいばーい」
作り笑いで全てを覆いつくす。
ああ、疲れた。
家も、教室も。
いつだって、わたしは求められる誰かを演じているだけ。
これはこの苦痛はいつまで続くのだろう。
「なぁに、唯奈」
「夏休み、どーする?」
「そうねぇ、やっぱり今年は海の見える旅館で温泉に入りながらゆっくりしましょう」
母はいつもわたしのことを気にかけてくれた。
双子のうちのわたし一人だけ。
母は元々とても不器用な人だった。
そして双子のわたしたちを産み、家庭を省みない父の代わりに一人で育てるうちに、母は心に病を抱えてしまっていた。
「唯奈はいつまで経っても甘えん坊ね。母さんがいないと、全然ダメじゃない」
これが母の口癖だ。
でもわたしは母の腕に自分の腕をからめ、甘える。
違う……甘えたフリをする。
母が望む子どもを演じていれば、わたしだけは愛してくれるから。
「だって、母さんが大好きなんだもーん。でも、ホントにいいの? 唯花は誘わなくて」
「あの子はいいのよ。自分で何でも出来るから」
「ま、そーだね」
これは本当のことだ。
いつも唯花は、なんでも器用にこなすことが出来る。
わたしが何度も何度も努力してやっと出来ることでも、すんなり出来てしまうのだ。
そして何より、この関心を示さない父と母の元でも、唯花は誰よりも強く輝いて見える。
「さあさあ、遅刻するわよ。お弁当持った? 忘れ物ない?」
「……いってきます」
じゃれつくわたしたちの脇を小声で挨拶をした唯花が、空気のように通り過ぎていった。
「唯奈聞いているの?」
母は唯花と朝の挨拶を交わすことも、こんな風にいつまでも子ども扱いすることもない。
ただ唯花にとって、これがどれだけ残酷でどれだけ苦痛なのかも少し分かる。
「ハンカチは? 今日は雨が降るかもしれないから傘も持たないと」
ただそんな唯花の分までも、母にとってわたしはいつまでも小さな子どもで、いつまでも母の望む良い子でなければいけない。
そうこれがわたしの役目。
「大丈夫よ、母さん。雨がもし降ってきたら誰かに入れてもらうから。今日、こんなにいい天気なのよ。どうせ降ってもすぐ止むよ」
「それもそうだけど……。今日はピアノのレッスンだから、早く帰ってくるのよ」
「はーい。いってきまーす」
「はい、いってらっしゃい。車に気を付けてね。変な人に付いて行っちゃダメよ」
「何かあったら、すぐ電話するね」
「ええ、そうして」
玄関を出て、大きく手を振る。
母の瞳はわたしを見ているようでその実、わたしを見てはいない。
母の母である、祖母と母との関係は、ちょうど唯花と今の母の関係だった。
祖母は長女である姉だけ溺愛し、妹である母をないがしろにしていた。
そして事あるごとに、母にだけは冷たく当たっていたのだ。
まるでその仕返しを実の子にしているように思える。
双子とはいえ、妹である自分の分身だけを愛し、自分にして欲しかったことをわたしを通して叶えようとしている。
わたしは、わたしなのに。
わたしに、せめて唯花の様な強さがあればよかった……。
◇ ◇ ◇
頬杖を付きながら、教室の窓から校庭を眺める。
ちょうど唯花のクラスは外で何かの授業だったのか、日差しを避けるように顔に手を当てながら校舎を見上げる唯花と、視線がぶつかる。
しかしわたしに気付いたのか、唯花はすぐに視線を外した。
「ねえ、唯奈、夏休み唯花ちゃんって何してるって言ってた?」
授業は終わっていたのか、隣の席の子が声をかけてきた。
そしてわたしを囲むように数名の女子たちが集まってくる。
「ん、唯花? どうして? たぶんいつも通り、町立の図書館にいると思うけど」
「そーなんだ。じゃ、そこに行けば会えるね。勉強教えてもらおうと思って」
「えー、一人だけ抜け駆けなんてずるいよ。私も教えてもらいたーい」
どうやらこの子たちは明日からの夏休みの過ごし方についての話をしているようだ。
わたしたちは今高校二年の夏であり、受験勉強が始まり出したことろだった。
「え、でもなんで唯花なの? あれだったら、わたしが教えるよー」
「いいよ、いいよ。だって唯奈、夏休みは部活とかもあるでしょ。秋で部活も卒業だもんね。邪魔しちゃ悪いし」
「そーそー。それに秋の合唱コンクールも伴奏するんでしょ。忙しいだろうから、いいよ」
どこ本心があるのだろうかと、わたしはみんなの顔を眺めた。
ただみんなにこやかに笑っていて、その中心にいるのに、距離はどこか遠い。
「うん、そうだね」
わたしが望む答えを返すと、みんなは満足げだ。
「唯花ちゃん、教えるの上手いから隣のクラスの子が順位一桁になったらしいし」
「それ、すごいねー。てことは、唯花ちゃんも一桁ってことでしょ」
唯花は確か、学年順位はだいたいいつも2位だった気がする。
それに比べてわたしはいつも二桁だ。
全学年で五百人ほどいるので、決して順位は低いわけではない。
だけど、このままではみんなが唯花に取られてしまう。
「ねぇ、じゃあ今度みんなでうち来ない?」
「え、いいの、唯奈」
「大丈夫、大丈夫。みんなで勉強しようよ。もちろん、唯花も捕まえておくし。ほら、唯花引っ込み思案なとこあるから一対一とかだと嫌がるかもしれないけど、わたしからみんなにって言っておくからさ」
「さっすが、唯奈ー。じゃ、そーしよー」
「それならうちも行くー」
「じゃ、また帰ったら連絡するねー」
「うん、よろしくー」
そう言いながら、わたしを囲んでいた輪が離れていく。
帰ったら、母と唯花に頼み込まないといけない。
母はわたしの我儘を気に留めることはないと思うが、唯花はまたとても怒るだろう。
でも仕方ないじゃない。
こんなことでこの輪の中心としての立場を失うわけにはいかないから。
例え、これが見せかけだけのものだとしても。
「唯奈、大丈夫?」
後ろの席に座っていた子に声をかけられた。
この子は幼稚園からずっと一緒のいわゆる幼馴染だ。
とはいっても、ただ一緒だったというだけで取り分け仲がいいというわけではない。
もちろん悪いわけでもないのだが、ずっと一緒なだけに逆に、距離感はつかめない。
「ん? なんで? もちろん大丈夫だよ」
「……それなら、いいんだけど……。何かあったら……」
「……」
「ううん、なんでもない。また、夏休み明けね」
「うん、また休み明けねー。ばいばーい」
作り笑いで全てを覆いつくす。
ああ、疲れた。
家も、教室も。
いつだって、わたしは求められる誰かを演じているだけ。
これはこの苦痛はいつまで続くのだろう。
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