闘士学園の闘争生活

ぎんぺい

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 早朝。日課のトレーニングを終えた鬼守桜花おにかみおうかは、軽くジョギングしながら自身の住む【鬼灯荘】ほおずきそうへと向かっていた。
 鬼灯荘は閑静な住宅街に建つ、築半世紀を超える木造二階建てアパートである。その姿は過ぎ去りし古き日本を感じさせるものがあり、一言で表すならボロかった。周りを小奇麗な住宅に囲まれているため、更にボロさが目立つ。風が吹くと鬼灯荘全体がガタガタと音を立てる有様は、まるで歴史の流れからポツンと一人取り残された鬼灯荘が嘆いているようにも見えた。「そろそろ改装してくれ」と。
 桜花が鬼灯荘の手前に差し掛かると、門の前でエプロン姿の少女が箒を掃いているのが見えた。彼女は桜花に気付くと笑顔を見せ、箒を掃く手を止めて小さく手を振ってきた。
 それに答えるように桜花は走りながら軽く手を上げた。彼は少女との距離が間近になると足を止めた。
「おはようございます鬼守先輩」少女が一つ結びの三つ編みを揺らしながら、桜花へ丁寧にお辞儀をする。「朝からのお修行、頑張ってますね」

「よお、大弥さん。いや、こりゃあ頑張ってるなんて上等なもんじゃなくて、ただの癖みたいなもんでな。大弥さんこそ毎朝掃除して大変じゃねえか?」 
「私の方こそ癖みたいなものです。それに朝から箒を掃くと、今日一日、なんだか良い事がいっぱい起こりそうな、そんな気がしてくるんです」

 少女がまたニコリと笑った。
 相変わらず春の陽気のような少女だと桜花は思う。

「あと先輩、私のことはさん付けで呼ばなくても大丈夫ですよ。なんだか恐れ多いです」

 そう少女――大弥澄澪おおやすみれはおずおずと言った。
 桜花は自身の後ろ頭へ手を当てた。

「すまんすまん、どうも大弥が大家さんてことに引っ張られてな。つい口が滑っちまう」

 大弥澄澪。彼女は桜花と同じ学園に通う後輩である。それに加えて鬼灯荘の大家でもあった。

「なんでしたら下の名前で呼んでもらっても構いませんけれど」

 大弥の提案に、桜花はすかさず首を横に降った。

「いやダメだ、年頃の男女が名前で呼び合うなど変な噂が立ちかねん。ましてや先輩後輩ならなお質が悪い」

 桜花はできるだけ彼女には平穏な学園生活を送ってほしいと願っていた。自分と必要以上に関わると、更に付け加えるなら自分の周囲にいる人間と関わると、きっとろくな目に会わないからである。それは桜花自身、一番身にしみて知っていた。

「だからこのままで良い、な?」

 桜花が大弥の両肩を掴む。
 彼のなんだか妙な迫力に圧倒された大弥は、
「は、はい」と頷くしかなかった。
 桜花もコクリと頷く。

「分かってくれたようで何より。じゃあ俺は部屋に帰るから、大弥さんも掃除のやり過ぎで学園に遅刻しないようにな」

 桜花は大弥の脇を抜け、自分の部屋へ向かおうとする。

「あ、待ってください先輩」

 すると大弥が呼び止めた。
「ん?」と桜花が振り向く。

「さきほど郵便屋さんがいらしたのですけれど、その際に先輩の部屋にも寄っていかれましたから、ポストの中、確認した方が良いかもしれません」
「郵便屋……おう、分かった。教えてくれてありがとな」
「あと先輩、朝ご飯まだですよね? 作り過ぎてしまった煮物があるのですけれど、良かったら貰っていただけませんか?」
「ホントか、そりゃあ助かる。朝飯どうするか決めてなかったし是非とも頂きてえな」
「はいっ、それじゃあ後で持っていきますね」
「おう、楽しみにしてる」

 そうして大弥と別れた桜花は、今度こそ自分の部屋に向うため、アパートの本館に取り付けられた外階段へと足をかけた。


    ◇


 桜花は鬼灯荘の二階へと続く外階段をカンカンと音を立てながら登っていく。その最中、彼は自身の履くジャージのポケットヘ手を突っ込み、中から鍵を取り出した。キーホルダーも何もついていない質素な鍵で、鍵頭には203と彫られていた。
 桜花は二階の廊下へたどり着くと、そのまま奥へと進んでいき、201、202と表記されたドアを通り過ぎていく。一番奥の203と表記されたドアの前まで来て、そこで彼は立ち止まった。そこが彼の部屋であった。
 桜花はドアを開ける前に、そういえばと、すぐ横に付いている郵便受けの蓋を開けた。
 中を見ると一枚の封筒が入っていた。彼はダイレクトメールあたりだろうと思いながら、封筒を郵便受けから取り出した。
 明るい場所に出された封筒は白地の洋形封筒で、四隅には金色の花の装飾がされており、真ん中には桜花の住所と名前が書かれていた。てっきりダイレクトメールの類だと思っていたが、どうもそのようには見えない。
 差出人を確認するため桜花が封筒を裏返すと、ダイヤ貼りの下には『馬郷晶まごうあきら』という名前があった。
 はて、と桜花は首を傾げた。
 彼は封筒へ視線を留めながらドアノブの鍵穴に鍵を挿した。そのまま捻るとガチャリと鍵の開く音がした。
 彼は鍵を鍵穴からひき抜くとドアノブを握り、手前へ引いた。キーと蝶番が軋む音がする。ドアを開くと、見慣れた玄関があった。
 薄暗く、靴を一、二足置いただけでいっぱいになってしまうほどの狭い玄関。もちろん靴箱などというものは無い。あるものといえば、ちょこんと並べられた女性用の黒い草履下駄くらいである。
 その玄関のすぐ先は、リビングであり、ダイニングであり、ゲストルームであり、ベッドルームである四畳半へと繋がっていた。
 部屋の中央には卓袱台ちゃぶだいが鎮座され、左右に一枚ずつ座布団が敷かれている。その内の一枚、桜花側から見て右の座布団には少女が座っていた。
 下の畳に着くほどの長い黒髪を持つ少女は、部屋の隅に置いてあるテレビを点けて見ている。彼女の奥にある窓のカーテンが翻った。
 バタンと桜花がドアを閉めると少女が振り返る。「おお、帰ったか」
 黒髪の少女――伊吹無枯いぶきながれは座布団から立ち上がると、トタトタと足音を立てて桜花を出迎えた。

「のおのお桜花。実は我、凄いもの発見してしまったんだが」

 身長が桜花の腰ほどの少女は、彼を見上げながらニヤニヤと口元を歪めた。
 そんな無枯に桜花は何と返事するでもなく、ジッと封筒を見つめたまま踵を返し、サンダルを脱ぐと部屋へ上がった。

「なあおい貴様、我の話し聞いてる? 凄いものを発見したと言うてるだろ」

 無枯は一反木綿のような黒髪を揺らめかせながら、桜花の周りを衛星の如く回る。
 しかし彼は無枯が眼中に無いかのようにスタスタと畳を進み、無枯の座っていた座布団とは反対の座布団へ腰を下ろし、胡座をかいた。
 即座に無枯は桜花の胡座の上に頭を滑り込ませた。

「しかめっ面して何を見ている? そんなものより我を見ろ、そして聞け。というか返事くらいしろ」

 桜花は口を開かず、ジーと封筒を見続ける。

「……こやつ、どこまで我を無視するつもりだ。なに、我なんか悪いことした?」

 無枯は細い眉をひそめると、桜花から離れて自分の座布団に座り直した。

「ふんっ、いいもんいいもん、そんな態度を取るようなら我だって教えてやらんもん。あーあ、凄い発見なのになー、天地がひっくり返るような大発見なのになー」

 彼女はそう言ってテレビに顔を向けた。しかし時折、ちらちらと横目で桜花を見ていた。
 桜花はうーんと首を捻った。
『馬郷 晶』。桜花はこの名前に聞き覚えがある。あるのだが誰だったか思い出せない。鉛を喉元に注がれたかのような気持ち悪さを感じながら、彼は額に手を当てた。
 部屋の中がテレビから流れる音に包まれる。

『――でした。次のニュースです。昨夜未明、七難八苦しちなんはっく学園の敷地に建てられた学園長のブロンズ像が何者かに盗まれるという事件が発生しました』

「ほー、なんと珍事。あんな者を盗む輩がいるとは」無枯がテレビに向かって相槌を打つ。
「風紀委員もさぞ面倒くさ「分かったあッ!」ひぅッ!?」
 彼女の言葉を遮るように、突然叫んだ桜花は自身の膝をポンと叩いた。

「やっと思い出したぞ馬郷晶、確かコイツは風紀委員の隊長の一人だったはずだ」

 桜花は馬郷晶の顔と名前を何度か学園新聞で見かけた事を思い出した。
 記憶にある記事には、甘いマスクと確かな実力で女生徒から人気があり、その容姿と青を基調とする風紀委員の制服から《青の王子》の二つ名で呼ばれている、と書かれていた。
「ああ、スッキリした」と桜花は、ふっと無枯のいる方へ視線を向けた。
 そこにいた彼女は異様な格好をしていた。顔面から壁にベタァと張り付いているのである。その姿はまるで壁にぶちまけた墨汁であった。

「何やってんだ無枯?」

 桜花が聞くと、彼女はそこからゆっくりと立ち上がった。どこか痛いのか手で顔を押さえている。

「おい、大丈夫か?」

 彼女は何も答えない。
 すると彼女は顔を押さえまま、身軽にぴょんっと跳ぶと、

「いきなり大声を出すな阿呆ッ!」

 桜花めがけてローリングソバットを放った。
 彼女の小さな踵が桜花の顔面にめり込む。「グボッ!」彼はウシガエルのような呻き声を上げ、畳にひっくり返った。手から離された封筒がポーンと天井に飛ぶ。
 桜花へ蹴りを見舞った無枯は、スタンと体勢を崩すことなく卓袱台の上に着地した。

「まったく、びっくりするではないか」

 腰に手を当てた無枯は卓袱台から鋭い目で桜花を見下ろす。その目には若干、涙が溜まっているように見え、彼女の額は薄く赤に染まっていた。
 見下ろされた桜花は倒れたままの姿勢で彼女を見上げた。

「驚かせたのは悪かったけどよ、だからってなにも人の鼻っ柱に蹴り叩き込むこたあないだろ」

 桜花は鼻を押さえながら言う。

「その程度がなんだ。我が【闘気】を帯びさせなかっただけでも感謝するがいい。というかせい」

 確かに彼女が本気を出せば、桜花の頭はカニの身を剥くように脊椎ごとポーンと飛んでいっているであろう。

「だからといって感謝なんぞできるかッ」

 桜花は畳から身を起こした。

「ふんっ、なんだなんだ、そんなにこの封書が大切か。我のことを無視してまでも」

 そう言う無枯の手には、例の封筒があった。

「お前、いつの間に。返せ。まだ俺は中身を見ておらんのだ」
「さあて、どうしようかな。貴様、我のこと散々無視したし、我も桜花のこと無視しようかなあ」

 無枯はニンマリと口で三日月を作りながら、桜花からそっぽを向いた。

「返せっちゅうに」

 桜花は封筒を取り返すために、無枯に向かって腕を伸ばした。彼女は桜花の手を避けながら、跳ねるように卓袱台の後ろへ降りた。
 卓袱台を介して桜花と無枯が睨み合う。お互いの身長差はゆうに五〇センチ以上ある。まさに大人と子供である。
 しかし無枯は「ククク」と喉を鳴らし、ヒラヒラと見せびらかすように封筒を扇ぐ。

「返してほしければ力づくで奪ってみせよ」
「言ったなコイツ」

 二人の頭の中でゴングがカーンと鳴った。
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