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王都への道中編

絶望という名の首輪

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 隣の檻に入れられていたエルフの女の子は、名前をミエーラと言っていた。たどたどしい話し方やその容姿から、ミエーラは10歳にもなっていないのかもしれない。

声が出せないから何も聞き返すことは出来なかったけれど、彼女の住んでいた村が何者かに襲われ、両親は捕まってしまったようだ。ミエーラはその後、知らない人たちに無理やりに連れられ、コルストンに引き渡されたらしい。

 ミエーラは涙こそ流さなかったものの、その目は赤く充血していて、これまでに泣いて泣いて泣き尽くしたのだと分かった。

 ――ミエーラだけじゃない。他にもまだ、幼い子どもたちが大勢いる。どうして、こんなに小さな子どもまで……。 一体、私たちはどこに連れていかれるの……。

 私の目には涙が溢れ、視界は滲んでいく。

 その時、コルストンが口ずさむメロディーが前方から聞こえてきた。

童謡のようにゆったりとしたどこか懐かしいその曲調は、私の胸をざわつかせ、不愉快にさせる。そして、こみ上げてきた怒りは私の眉や長い耳をぴりぴりと震わせ、無意識のうちに、歯がギシギシと音を立てるほど、力強く食いしばらせていた。

 怒りと悲しみがごちゃ混ぜになった私の表情は、みにくく歪んでいるかもしれいない。けれど、今の私には表情をコントロールするほどの冷静さはなかった。唯一、私に出来たのは憎悪に満ちたこの醜い顔を、子どもたちに見せないために、顔を荷台の床板にへばりつかせ泣くことだ。

 泣き声も出ず、ただただ音もなくこぼれ出る涙は、私のこめかみを伝って落ちると、古びた床板に吸い込まれるように消えていった。

 ――もう、死にたい。


 * * * 


 どれだけの時間が経ったのか分からないけれど、私が目を覚ますと荷台の中は茜色に染まり、夜の訪れを告げているようだった。
 
 --泣いているうちに、眠ってしまったんだ……。

 快適とは程遠く、常に身体を突き上げるように揺れていた野猪車やちょしゃは静止しているからなのか、私と同じように荷台にせられた子どもたちや、ミエーラも「すぅ……すぅ……」と、寝息を立てている。

 後ろで手を縛られていては寝返りも出来ず、私の身体は岩のように強張っていた。姿勢を変えようと身体を動かすと固まっていた関節がグッ、グッ、と鈍く軋むような音がし、その後に後頭部から首、両肩にかけて激痛が走る……。

 私はあまりの痛みに我慢ができず、顔を歪ませてしまった。

 指先を動かそうとして見たが、私の両腕にはすでに感覚がなく指一本動かすこともできない。まるで、長い時間正座をした後に訪れる、あの感覚だ。無理な姿勢に加え、長い時間後ろに手をまわしているせいで、脇の血管が圧迫されていたのかもしれない。

 その時、荷台を覆っている布を開けようと、誰かが固く結ばれた紐を解こうとしている音が聞こえはじめる。

 私は身体の痛みをこらえながら出せる力を振り絞り、床板に接している右肩と右頬を擦るようにして、上半身をくの字にぐっと曲げることで、かろうじて荷台の後方を見ることができた。

「おいっ、リータ! 時間だ、こいつらを起こせっ」

 湖で私に声をかけた時とは全く違う声のトーンだったが、その声は紛れもなくコルストンのものだ。

「はい、ご主人様」

 コルストンの荒々しい声に対して荷台の前方から、か細い成人女性のような声で返事があり、続いて檻の開く音した。
 そして、ギシッ……、ギシッ……と、ゆっくりと床板を鳴らしながら歩く音が近づいてくる。

 もう、身体を動かす力は残っていない。

 眼球だけを動かし、少しだけ見上げることができた私の視界に入ってきたのは、裸足で指の皮がヒビ割れ、黒くうす汚れた女性の細い足だった。女性は私の檻の前で止まり、着ていた服から何かを取り出し床に落とした。重みのあるいくつもの小さい金属がぶつかり合う音から、鍵の入った袋だと分かった。袋から鍵を取り出すと彼女は私の檻を開け、その身体を檻の中に入れ私を抱きかかえるようにして起こそうとしている。

 その瞬間、私の後頭部に意識が遠のくほどの激痛が走った!

 大声で悲鳴をあげるほど痛いはずのに、私はただ顔を引きつらせ口を開けることしかできず、彼女から見れば奇妙で間抜けな姿だったのかもしれない。

 彼女は私の両脇に手を差し込み、引きずるようにして檻の外に出した。それから、荷台の前方へ行き、木箱の中からガチャガチャと金属音を立てながら何かを物色していたが、その時、微かに鈴の音が聞こえる。

 私はその音に覚えがあり、不吉な予感しか抱けなかった。
 この激しい痛みがなければ、私は暴れてでもこの場所から逃げ出そうとしていたのかもしれない。

 戻ってきた彼女は私の頭頂部に膝をくっつけるように座り込み、私の頭を持ち上げると自分の膝を頭と床との間に差し込んだ。ちょうど、膝枕をするような状態だ。そして、私の首に鉄製の首輪をかけ、両サイドを彼女が力いっぱい押し合わせる。

 首の後ろで、何かがロックするような「カチッ」という音がした時、言葉にはできないほどの絶望感が私を襲いはじめた。

 人としてではな、私への扱いと、置かれた立場。

 突然、私の身体の一部となった固くずっしりとした重みは、さっきまで「痛みがなければ逃げ出せたかもしれない」と考えていた私の甘い考えをあっさりと断ち切っていった。
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