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第7章 それぞれのサイカイ

第53話ー⑦ 風向き

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『ASTER』の緊急会見から数日。のネットの悪い噂が少しずつ収まっていった。そして、

『『はちみつとジンジャー』の曲いいよね!』
『わかる~! なんか心にしみるよね!! すごく刺さるもん!』

 SNSにはそう言ったポジティブな書き込みが増えていった。

 それからしおんと真一もあの会見を見た後からまたやる気の炎がついたようで、授業後はずっと練習に明け暮れているようだった。



 ――夕食後、暁の自室にて。

 暁はスマホで『はちみつとジンジャー』のネットニュースをなんとなく検索していた。

「こういうのって、本当は見るべきじゃないってわかっているのに、なんで見たくなっちゃうんだろうな」

 そして暁はあるコメントを見つける。


『よくよく考えたらさ、悪いのって真一君じゃなくない? そんな境遇になっても何もフォローしない親戚たちは何してんのさ』

『確かに。被害者面だけして、助ける気もなくて。そんなのひどすぎるよね』

『ねー。でもさ、そんなことがあったから、真一君はあんなに素敵な歌を歌えるんだと思うとうちらは感謝しかないよね』

『ほんと、それな!! 私、いつも元気もらってるもん! 本当にありがとうだよね!』


 そこには真一への憐みのコメントではなく、歌を歌うことへの感謝がつづられていた。

「よかった。『ASTER』に感謝しないとだな」

 そんなことを思い、暁は微笑んだのだった。

 そういえば最近はネットのコメントだけじゃなくて、マスコミからの煽るような記事も減ったように思う。……いや、そういえば最近見ていない――?

 先日まであんなに炎上していたはずの真一のネタを見なくなり、暁は首をかしげた。

「これも『ASTER』の会見の効果なのか?」

 しかし『ASTER』はまだそんなに大御所ではなく、マスコミに対してそこまでの効力もないと暁もわかっていた。

 暁がそんなことを考えていると、急に着信が入る。

「奏多……? 何かあったのかな。……はい」
『こんばんは、暁さん』

 奏多は穏やかな声でそう言った。

 暁には奏多のその声がなんとなく嬉しそうに聞こえていた。

「なんだかご機嫌みたいだな! 何か良いことがあったのか?」
『ふふふ。ええ、とても』
「教えてくれって言ったら、教えてくれるものなのか?」

 笑いながら暁がそう言うと、

『……好きなミュージシャンの未来が守れたので』

 奏多は嬉しそうにそう言った。

 それを聞いた暁はその言葉の意味を初めは理解できなかった。しかしはっとして、以前真一たちのスキャンダルのことを奏多に相談していたことを思い出した。

 もしかしてあれから奏多がマスコミに何かをしてくれたのか――?

 そう思った暁は、「奏多、お疲れ様。そしてありがとう」とそう伝えた。

『あら、何のことでしょう?? でも……ありがとうございます、暁さん』

 はぐらかしつつも、嬉しそうに返答をする奏多。

『それでは今夜はこの辺で。おやすみなさい』
「おやすみ」

 そう言ってから暁たちは通話を終えた。

 そして暁はベッドに寝転んだ。

「また奏多に借りを作ってしまったな……そろそろお礼をしないと、割に合わないよ」

 また東京デートでも行こうかな。俺もそろそろ行きたいしな――!

 そう思った暁は身体を起こす。

「よしっ! 雑誌、どこにあったっけ」

 そして暁は奏多とのデートの計画を立てるのだった。


 * * *


 ――しおんの個室。

 いつものようにしおんと真一が歌の練習をしていた。

「ふう」

 歌い終えて一息ついた真一は、その場に座り込んだ。

「最近また歌がうまくなったんじゃないか?」

 しおんが嬉しそうに真一にそう告げる。

「もしそうだとしたら、それはしおんやライバルの『ASTER』、そして僕たちの音楽が好きで応援してくれる人がいるからかな」

 真一は笑いながらそう言った。

「ははっ。そうか」
「誰かのために生きるってのも、悪くはないのかもね」

 そう言って真一は、はちみつジンジャードリンクを飲んだ。


 * * *


 風が吹いている。

 その風は方向が定まらないまま、どこに向かっているのか誰にもわからない。とても孤独で不安で寂しい風だった。
 
 しかし方向が定まらないまま孤独だったその風は、ようやく向かう場所が決まると、穏やかに優しく吹き抜けていった。

 いろんな風と混ざり合い、素敵な音を奏でながら――。
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