51 / 140
格下の姫様(15)
しおりを挟む
それから幾日かが過ぎた。
旗本の放蕩息子は何も見つけることが出来なかったのか、千代の見立て通り、あれ以来姿を見せることはなかった。千代の周りはすっかり静けさを取り戻し、再びのんびりとした日々を送っていた。
そんなある日のこと。
でっぷりとした腹を揺らしながら、男が騒がしく井上家へやって来た。旗本の吉岡家現当主である。面会の約束など無い。仮に会う約束があったとしても、気位の高い旗本の当主が格下の者の家にやって来るなど、通常では考えられないことだった。
突然屋敷へ現れた吉岡は、挨拶などもちろんするはずもなく、ズカズカと屋敷へ上がり込んで来た。井上家の一同は驚きつつも、その無礼な振る舞いを咎めることができない。相手は格上。それでなくても、既に興奮しているので下手に刺激をしてさらに騒がれては面倒である。誰もが伏し目がちに吉岡を迎え入れた。
千代は居間の片隅から、こっそりとその様子を覗き見る。襖の隙間から見える父の表情は厳しく、母の志乃も心配そうだ。
正道は、只ならぬ様子の吉岡を渋々客間へ通す。すると、吉岡は遠慮も何もなく上座にドカリと音を立てて座った。そんな無礼な振る舞いを咎めることなく、正道は深々と頭を下げる。
「これは吉岡様。本日は当家まで足を運んでいただき誠に有難う御座います。して、本日は何用でこちらへ?」
しかし、正道の礼にも何ら応える事なく、吉岡は顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら、吠えた。
「一体どういう事だっ!」
「は?」
思わず間の抜けた声を出す正道を尻目に、吉岡は怒りに任せて机を拳で叩きつける。その勢いで茶がこぼれた。そんなことにも構わず、吉岡は鼻息荒く息巻く。
「倅が山で落馬したと、今朝、早馬で連絡が来た」
正道も志乃も事態が分からず困惑した顔を見合わせる。
「はぁ……。それはお気の毒に。大事ありませんでしたかな?」
正道がそう問いかけると、吉岡はますます興奮して唾を飛ばした。
「大事はないかだと!? 聞けば、あいつは貴様の娘に誑かされて、山へ出かけたそうではないか!」
正道はやっと事態を把握して、大きく目を見開いた。そして、慌てて問い返す。
「なんと! 御子息はまだお戻りになられていなかったのですか? 山で落馬とはまさか……」
「打ち所が悪く、寝たきりになるやもしれぬ! 女の言う事など真に受けて、水やら何やらを取りに行ったせいで……。女と言うのは、お前のところの娘であろう? 娘を出せ!! 今すぐにだっ!」
旗本の放蕩息子は何も見つけることが出来なかったのか、千代の見立て通り、あれ以来姿を見せることはなかった。千代の周りはすっかり静けさを取り戻し、再びのんびりとした日々を送っていた。
そんなある日のこと。
でっぷりとした腹を揺らしながら、男が騒がしく井上家へやって来た。旗本の吉岡家現当主である。面会の約束など無い。仮に会う約束があったとしても、気位の高い旗本の当主が格下の者の家にやって来るなど、通常では考えられないことだった。
突然屋敷へ現れた吉岡は、挨拶などもちろんするはずもなく、ズカズカと屋敷へ上がり込んで来た。井上家の一同は驚きつつも、その無礼な振る舞いを咎めることができない。相手は格上。それでなくても、既に興奮しているので下手に刺激をしてさらに騒がれては面倒である。誰もが伏し目がちに吉岡を迎え入れた。
千代は居間の片隅から、こっそりとその様子を覗き見る。襖の隙間から見える父の表情は厳しく、母の志乃も心配そうだ。
正道は、只ならぬ様子の吉岡を渋々客間へ通す。すると、吉岡は遠慮も何もなく上座にドカリと音を立てて座った。そんな無礼な振る舞いを咎めることなく、正道は深々と頭を下げる。
「これは吉岡様。本日は当家まで足を運んでいただき誠に有難う御座います。して、本日は何用でこちらへ?」
しかし、正道の礼にも何ら応える事なく、吉岡は顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら、吠えた。
「一体どういう事だっ!」
「は?」
思わず間の抜けた声を出す正道を尻目に、吉岡は怒りに任せて机を拳で叩きつける。その勢いで茶がこぼれた。そんなことにも構わず、吉岡は鼻息荒く息巻く。
「倅が山で落馬したと、今朝、早馬で連絡が来た」
正道も志乃も事態が分からず困惑した顔を見合わせる。
「はぁ……。それはお気の毒に。大事ありませんでしたかな?」
正道がそう問いかけると、吉岡はますます興奮して唾を飛ばした。
「大事はないかだと!? 聞けば、あいつは貴様の娘に誑かされて、山へ出かけたそうではないか!」
正道はやっと事態を把握して、大きく目を見開いた。そして、慌てて問い返す。
「なんと! 御子息はまだお戻りになられていなかったのですか? 山で落馬とはまさか……」
「打ち所が悪く、寝たきりになるやもしれぬ! 女の言う事など真に受けて、水やら何やらを取りに行ったせいで……。女と言うのは、お前のところの娘であろう? 娘を出せ!! 今すぐにだっ!」
1
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
『お兄ちゃんのオタクを卒業させてみせるんだからね❤ ~ブラコン妹と幼馴染オタク姫の果てしなき戦い~』
本能寺から始める常陸之介寛浩
青春
「大好きなはずなのに……! 兄の『推し活』が止まらない!?」
かつて、私は信じていた。
優しくて、頼もしくて、ちょっと恥ずかしがり屋な──
そんな普通のお兄ちゃんを。
でも──
中学卒業の春、
帰ってきた幼馴染みの“オタク姫”に染められて、
私のお兄ちゃんは**「推し活命」**な存在になってしまった!
家では「戦利品だー!」と絶叫し、
年末には「聖戦(コミケ)」に旅立ち、
さらには幼馴染みと「同人誌合宿」まで!?
……ちがう。
こんなの、私の知ってるお兄ちゃんじゃない!
たとえ、世界中がオタクを称えたって、
私は、絶対に──
お兄ちゃんを“元に戻して”みせる!
これは、
ブラコン妹と
中二病オタク姫が、
一人の「兄」をめぐって
全力でぶつかり合う、果てしなき戦いの物語──!
そしていつしか、
誰も予想できなかった
本当の「大好き」のカタチを探す、
壮大な青春ストーリーへと変わっていく──。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる