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ナハトシュロス

幾千もの夜が明ける時(ナハトシュロスおまけ話)

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「………フィン…?」

暗い室内。
窓から見える細く消えそうな月を見ていると、音のない室内にそんな小さな声が微かに響いた。
フィンは直ぐ様、ベッドに駆け寄った。
そしてその弱りきった手を握る。

「アーサー……。」

この部屋には誰もいない。
こんなに弱っている人間に、付き人一人、ついていない。
フィンは悔しさで唇を噛んだ。

「フィン……いい夜だね………。」

「そうですね、私の城主様。お加減はいかがですか?」

「ふ……だいぶいい……そなたが痛みや苦痛は取り除いてくれるからな……。」

「その程度、お安い御用ですよ、城主様。」

「お陰でよく眠れた。例を言う。フィン。」

「それは良かったです。」

力なく笑う自分の主に、フィンは精一杯、明るく微笑んだ。
だが感じていた。
もうこの方の命の灯火は、消えかかっている。
なのにどうする事もできない。

「………誰か、呼びますか??」

フィンの呼びかけに、主であるアーサーはフッと淋しげに天井を見上げた。
今、ここに人を呼ぶとしたら、フィンの新たな主として自分が推薦する者になる。
もちろん、それを選ぶか否かは、フィン次第なのだが。

アーサーは自分の状況をわかっていた。
だからあえてこう言った。

「いや、誰も呼ばなくて良い。フィン、お前がいるだけで………。それでいいのだ……。」

「………そうですね。それがよろしいかと思います。」

そしてくたびれた様に、アーサーは目を閉じた。
フィンは何も言わずに手を握り、それに寄り添った。

「私は少し疲れた。」

「そうですね、私の城主様。」

「起きたばかりだが、もう少し眠っても構わぬか?」

「もちろんです。城主様。他の事は何もお気になさらず、ゆっくりお休み下さい。」

「そうだな……ありがとう…フィン………。」

閉じられたアーサーの目から、涙が一雫、流れた。
フィンはじっとそれを見つめていた。


どれぐらいの時間がたったたろう?


フィンはそっと握り続けていた手に口付けた。
その手はもう、どんな微かな力でもフィンの手を握り返してはくれない。


「………さようなら、私の城主様。」


夜明かりを背に立ち上がったフィンのシルエットは、ただ黒かった。
その顔にある輝びやかな仮面だけが、謎喚いた光を放っている。

こんな状況のこの人を、ずっと一人にした。
そして、息絶えてからしばらく待ったが、誰も様子を見に来なかった。


「貴方が私の最後の主です。アーサー……。」


フィンは誰もいない部屋で、そう小さく呟いた。
自分という守護をこの家長が失えば、どうなるかなど目に見えている。

守りたいから護ってきた。
だが、それは長い年月を経て、ただ自分の力に甘んじる怠惰も育ててしまった。


「ここにはもう、僕が守るべきものは何もない……。」


その言葉を最後に、その影はフッと夜の中に消えた。















幾千もの夜が来た。

でもまだ僕は朽ちる事なく、寂れた古城と共にここに居る。
たくさん眠ってたまに目覚めても、それは変わらなかった。

「ちょっと飽きてきたなぁ~。朽ちるのにこんなに時間がかかるなんて思わなかったよ、アーサー……。」

人間はあんなにあっさり直ぐに死んでしまうのに。
精霊って面倒くさいなぁ、なんて思った。
でもそろそろ、この無駄に頑丈な石造りの城も崩れてくれそうだ。
風化していく石積みを見つめながら、フィンは思った。

フィンは主を失った。
そして新しい主を選ばなかった。

だがフィンの魂に刻まれた契約は、この城とその主を守る事だ。
だから主を失っても、城が残っている以上、消える事ができずにいた。
だから城が朽ちてその形と役割を失わない限り、本当の意味で消える事ができない。

護ってきた家の事はよく知らない。
もう随分と関わっていないからだ。
ただ、城の事はわかる。
この城の持ち主は、アーサーの子孫のままだ。
売りに出してくれれば絆が弱まって消えやすかったというのに、アーサーの子孫はそれをしていない。
だからフィンは、主を選んでいないだけで、アーサーの子孫に今も縛られている。
その血筋が滅亡するなりすればまた状況が変わるが、どうもしぶとく生き抜いているようだ。

「こんな城、このご時世に意地になって所有してなくったっていいのになぁ~。」

何故、アーサーの子孫はこの城を手放さないのだろう??
おそらく自分が守護をやめてしばらくは、家計はひどい有様になったはずだ。
何しろ自分の守護に頼りきりで、アーサー以外は何の努力もしなかった。
それどころか、長年続く何不自由無い生活を当然と思い込み、他者に対する思いやりさえ忘れてしまった。

他の者が何もしない分、必死に家長として家を護ってきたアーサーが老衰しても、誰も感謝も労いもしなかった。
たった一人、暗い部屋のベッドに寝かされ、必要最低限の面倒を見にメイドが来るくらいで、家を守る為に尽力したアーサーの最期を、見守る事すらしなかった。

「それでも……この城を手放さずに今でも子孫がいるって事は、僕が居なくなった後、頑張った奴がいたんだろうなぁ。」

何の守護もなく、崩壊しかけた家を立て直した人物がいたのだろう。
おそらくそれは一人ではない。
数代続けて、厳しい状況を何とか持ちこたえさせたのだ。

「さすがはゲイブルの子孫だよなぁ。一度腐っても、その魂はどこかで受け継がれていたんだろうなぁ。」

フィンは懐かしく思って笑った。
自分が初めて主とした城を気づいた城主。

この森と山に囲まれた地を戦火から守り、苦心の末に一帯をまとめ上げ、戦い抜いた男。
この地の豪族だったのか、地方貴族だったのかはよく覚えていない。
ゲイブルを主とする前の事は、とても不確かで不確実なのだ。
何故ならしっかりした姿形を持つ精霊以前の存在だったからだ。

フィンはこの地の森であり山であった。
草木を濡らす露であり、川であった。

それをゲイブルがこの地を守る為に一つに凝縮させた。
それがフィンの元になったものだ。

やがて戦火が治まると、ゲイブルはこの地を治めるものになった。
そしてフィンの元になったそれにあやかる為に、それを集める神殿にしていた湖畔に城を建てたのだ。

そして、城そのものにそれをつけるのではなく、戦場や交渉の場にも持ち歩けるようにと、仮面にそれを宿したのだ。

約束は2つ。
この城とその主を守る事。

そしてフィンは生まれた。

初めは簡素だった仮面も、その生活様式と戦場が変わった事で輝びやかなものとなった。
社交の場で行われる戦にフィンは連れて行かれた。
そしてそれを見続けたせいなのか、気づいたら今の姿形を持っていた。

姿が表せるようになってからは、何もかもが真新しく、新鮮だった。
自分という力の事がわかってきたし、何をどうするとどうなるのかもわかってきた。
それまでのただ存在するエネルギーというものではなく、どうやって主を守れば良いのか、どうやって主を優位にさせれば良いのか、自分の力でどの様に主の力になればいいのかわかってきたのだ。

姿形を表せるようになって良かった事は他にもある。
主と対話し、その存在を確かめ合う事で交流できるようになった。

ただ見守るものではなく、話をし、笑い合い、時には喧嘩をして過ごすうちに、フィンは主をとても大切な存在だと認識するようになった。
愛着を持つようになり、情が湧くようになった。

その為、単に家長となり自分を利用しようとする者には嫌悪感を抱き、力とは関係なく自分を必要としてくれる者には献身的な気持ちを抱いた。

それにより、仮面は人を選ぶという話になったのだ。

でもそれは仕方のない事だ。
人間だって単に自分を利用しようとする奴には仕えたくないのと同じだ。

「………なのに…仕えたいと思える人間すらいなくなってしまったんだ……あの家には……。」

フィンの守護により、家は栄えた。
危険からは守られ、幸運が引き寄せられる。

けれど、それが長い間続くとそれを当たり前と思い込み、何の努力もしない者が増えていった。
そして仮面の力を利用する為に、その主を利用しようとする様になった。
ある程度はフィン自身がそれを防ぐ事ができた。
だが、人の心は迷いやすく移ろいやすい。
何より、恋をしてしまうと、それまでできていた判断すら危うくなってしまうのだ。
だから全てを防ぐ事はできなかった。

その負の連鎖はゆっくりと繰り返され、最後にはアーサーに寂しい最期を迎えさせる事になってしまった。

だからフィンは誰も選ばなかった。
新たな主を選ばなかった。

それによって家は衰退しただろうが、元々は1からこの地を守る為に、外とも内とも戦いながら一帯を治めたゲイブルの子孫。
そのどこかに残っていた彼の魂は、ハングリーさでギリギリ落ちずに繋ぎ止め、この城をまだ保有した状態を今までキープしているのだ。

「ちょっと根性あるよな~。」

フィンは石積みの窓から外を眺めながらそう呟いた。
今のゲイブル並びにアーサーの子孫なら、ちょっとぐらいなら会ってやっても良いかもしれない。
だが、今更こんな朽ちかけた古城に、彼らの子孫が来るなんて事はないだろう。

夜空に見える月は、満月には少しかけている。
そう言えば、頭はいいがお腹があんな風にポヨンと出っ張った城主様もいたなぁ……確か名前はマックスで………。

そんな事を思っていたフィンの目の隅に、見慣れないものが残った。
何だろうとそちらに目を向ける。

それは子供だった。

子供が森の中を歩いてこちらに来ている。
こんな時間に何故、子供が人気のない場所に??
幽霊だろうか??
フィンはじっとその子を見ていた。

その瞬間、ゾワゾワゾワッと自分の存在がざわめいた。


「アーサー……っ!!」


何故かその名を読んでいた。
いや、アーサーは死んだ。
幾千もの夜よりも前にアーサーは死んだ。
でもその子を凝視した途端、幼い日の彼をはっきりと思い出した。
だが見ればわかる。
あの子はアーサーではない。
似ていない訳でもないが、似ている訳でもない。


「………あの子は……っ!!」


気づいたら体が動いていた。
フィンの中に刻まれた本能だった。














音もなく近づいてしばらく観察する。
古城に驚いたのか、その子供は固まって城を見ていた。

その顔は幼いのに、苦労を知っている様に見えた。
服装はまあまあ裕福そうだ。
だが整った服装の割に、荷物がおかしい。
カバンではなく、布を丸めたものに何か詰め込んで持っている。

どういう事だろう??
よく状況がわからない。

だが、ビリビリと肌で感じる。


この子は…アーサーの……ゲイブルの子孫だ……。


何故か目頭が熱くなって泣きそうになった。
アーサーをあの様な寂しい最期を迎えさせたあの家を憎んでいるのに、彼らの子孫である目の前の子供が愛おしくて仕方がない。

少しだけ……。

少しだけ、関わっても良いだろうか?
今日この夜、この子がここに来たのはとんでもない確率の偶然だ。

彼らの子孫がここを訪れる事などそうそうある事ではないだろう。
そしてその殆どを眠ったまま朽ちるのを待っている自分が目覚めている夜も殆どないのだ。

だったら今宵一晩くらい、たくさんの思い出の一つとして彼らの子孫と過ごしてもいいのではないだろうか??
何よりこの気持ちを鎮める方法を自分は知らない。



「君、こんな夜更けに何をしているんだい?」 


声を出した。
どれほど振りの声だっただろう?
その声が震えていなかったか、ちゃんと音としておかしくなかったのか、緊張してしまう。

フィンの声に反応したその子供がビクッと大げさに驚いて振り返った。
その反応がおかしくてフィンは笑いそうになった。
可愛い反応に、ちょっと意地悪をしたくなってしまった。

「君みたいな子供が出歩いていい時間じゃないと思うんだけどなぁ。」 

そう言うと、子供はあからさまに警戒してきた。
こんな時間に出歩いている子供も子供だが、こんな時間にこの様な場所で声をかけてくる大人も不審極まりない事は確かだ。
あまり怖がらせては駄目だと慌て、フィンは言った。

「……よくわからないけれど、危害を加える気はないよ?僕はあそこに住んでいるものだ。誰だって自分の家の周りをこんな夜更けにうろうろしている人影があったら、見に来るだろ?」 

「……あの城に??」 

「うん。そうだよ?」 

城のものだと伝えると、幾分、警戒を解いてくれた。
ひとまず何とかなりそうだ。

「……あれ、うちの家の城なんだけど……。」

 「君の家の??」 

うん、その事はとてもよく知ってる。
内心そう思いながら、フィンは不思議そうなフリをした。
そしてじっとその子を見つめる。

こうしてみると、髪の色が同じなだけでアーサーにはそこまで似てないなぁ。
どちらかと言うと、目つきがゲイブルに似てる。
ゲイブルの子供の頃は知らないけど、こんな感じだったのかなぁ??
鼻は……あの子!ジョーに似てる!!
フィンはそんな風に、子供の中に歴代の城主の面影を見つけた。

「ふ~ん?なるほど。でも僕の質問には答えてないよね?なんでこんな時間に君みたいな子供が出歩いてこんなところにいるんだい??」 

「それは……。そう!城があるって言うから見に来たんだ!!うちのものだし、見に来たら悪いって言うのか?!」

この子がアーサー達の子孫なのは確実だが、何でこんな時間にこんな所にいるのかはわからなかった。
だから聞いてみたのだが、その途端、びっくりするぐらい偉そうにそう言ってきた。

さっきまで怖がってたよね??この子??

突然の強気な態度にきょとんとしてしまう。
舐められまいと精一杯虚勢を張るその姿が可愛くて、思わず吹き出してしまった。

「何で笑うんだ!失礼だぞ!お前っ!!」 

「これは失礼、当城のお坊ちゃん。」 

「お坊ちゃんとか言うな!俺は将来の当主だ!あの城もいずれは俺のものになるんだぞ!!」 

そう言われ、一瞬、時が止まった。
この子が…次のこの城の城主なのか……。
おそらく仮面の継承とは別に、家長としてこの城を代々引き継いで来たのだろう。
一度は堕落した家だが、ずっとこの城を手放さず、守り続けた。
そしてそれを家長が受け継いできた。

遠い遠い昔に交した約束。
それがフィンの胸に鈴の音のように響いている。

「………ふふふ、それは失礼しました、小さな未来の城主様。お城を見に来られたのですよね?では私がご案内しますよ。」 

「う、うん……頼む。」 

ならば今夜は、この方を私の小さな城主様としよう。
一礼し手を差し伸べると、私の小さな城主様はそれに手を重ねた。

その瞬間、リンッと自分の中に力が巡るのがわかった。

守護精霊は、護るべき対象あってはじめて真の力を動かせる。
長く忘れていたその感覚に、フィンの存在の全てが震えた。


 「……冷たっ?!」 


その小さな声にハッとする。
いけない。
長いこと人との関わりを持たず忘れていた。
人間には体温がある。
とても温かい生き物なのだ。
それは他の動物も同じだが、毛皮を持たない彼らが冷たさに敏感なのはよくわかっていたのに。

「これは失礼、城主様。貴方を探してしばらく外にいたせいか、冷えてしまったようです。」 

「……別に…びっくりしただけだし……。」 

「では参りましょうか?小さな未来の城主様。」 

城主様と呼びかける事が胸の中を熱くした。

バレない様に少しずつ手の温度を上げながら、フィンは小さな自分の城主を、未来に彼の物になる城に招き入れたのだった。 
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