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短編(1話完結)

りえかお ※

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通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


明るくハイトーンの童話。
でも、子供心に思ったのだ。

「帰りが怖い」って、何なのだろうと。

明るい歌声の中、そこから妙に音がズレる。
その事がじりじりと不気味に足元に絡みついていた。









唐突に足がすくんだ。

いつもの帰り道。
遅くなって帰路を急ぐ足が止まった。
時間も時間なので住宅街はゴーストタウンのように静まり返っている。
2階などにぽつぽつと明かりは見えるもののカーテンは締め切られ、聞こえても良さそうな生活音も今はもうどこからも聞こえない。

広くも狭くもない道。
無機質に格子状に区切られた道が今夜はやけに機械的で味気ない。
なのに、頼りなく薄明るい街灯の生み出す影の中に、目に見えない無意味なリアリティーが蠢いていた。

現実味のない無機質な道。
その影という影に潜む理解不能なリアリティー。

それに気づいた瞬間、足がすくんだ。
なぜだかわからない。
ただ、迂闊に進んではいけないと本能的に察したのだ。

帰らなきゃ……。

心の中で焦りが生まれる。
早く帰らなきゃ。

帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ……。

恐怖も相まって、早く帰りたいと心が悲鳴を上げる。
早くここから逃げ出して安全な家に帰りたい。

その為には、このよくわからない恐怖から抜けなければならない。
まとわり付くように暗がりからその存在感を溢れさせる「何か」から身を守り、無事に家まで行かなければならない。

自分を落ち着ける為、軽く目を閉じて深呼吸する。
大丈夫だ。
変に無機質に見えても見慣れたいつもの帰り道。
そこに何故かは知らないが、今日はちょっと妙なものがたまたまその途中にいるだけだ。

「……心霊スポットに行ってもいつも何もないってのに。普通の日の帰り道にいきなり心霊現象って、不意打ちすぎじゃね?!」

少しだけ余裕ができてそんな皮肉を呟く。
霊感なんてものはないから、自分がこういう目に合うなんて思った事もなかった。
こんな何も見えていないのに確実に「ヤバい」と感じ取る日が来るとは思わなかった。

足は動かない。
少しでも動かしたら、闇に潜む「何か」があふれ出して取り込まれてしまう様な気がした。
見慣れたいつもの道の見えない何かは、楽しげに獲物が射程距離に入るのを待ち侘びている。
そのせいでその異質な存在感を隠しきれずにいるように思えた。

逃げ出したい。

なのに動けない。
ジリジリとした恐怖が足元からまとわりついてくる。

「?!」

突然、ポケットの中が動いた。
説明のつかないこの状況に気を張っていたいた為、その小さな振動にビクッと体が跳ねる。
だがそれがスマホのバイブだと気づき、急いでそれを取り出した。

なんで忘れていたんだろう?
あまりの恐怖の為、この異様な空間に自分一人が取り残されているような錯覚に陥っていた。
画面には友人の名が表示されている。
誰かと繋がれた事に大きな安心感を覚えた。

『今、どこ?』

なんの気なしに送ったらしい脳天気なメッセージがそこに表示される。
安堵感から大きなため息をつき、そして迷わず通話ボタンを押した。

「お~?何??」

少しの間の後、脳天気な声がスマホから聞こえた。
非日常的な異様さの中に、普段の日常が入り込み安心する。

「……助けてくれ。」

「は??何いってんの?お前??つか、今どこよ??」

「帰り道にいるんだけど……何かヤバイのがいて動けない。」

「は??」

「わかんねぇよ!俺にも!!でも普通に帰ってたらいきなり足がすくんで……。前に進んだら、何かわかんないもんに襲われて取り込まれるってはっきりわかるんだよ!!」

「……はぁ?……酔ってんの?お前??」

「酔ってねぇよ!!」

「え~??でもお前、霊感とかあったっけ??」

「ねぇよ!!でも俺でもヤバいってわかるくらいヤバいんだって!!」

「はぁ。」

友人はせんべいでも食っているのか、ボリボリと何かを齧りながら気の抜けた返事をしていた。
友人も霊感なんてものはないから切羽詰まった状況をわかってもらえず苛立ちを覚える。

「っていうか訳わかんねぇ事、言ってないで早く帰ってこいよ。実はお前んちの前にいんだよ。」

「だったら迎えに来てくれよ!!」

「え~?何だよそれ~??面倒くせぇ~。」

「いいから頼む!!今度、何か奢るから!!」

「え?!マジ?!行く行く!!」

危機感のない友人は脳天気にそう言って笑った。
大体の場所を伝えると、友人は何を奢ってもらうか楽しそうに呟いている。

「やっぱ肉だよな!!肉!最高!!」

「いいから早く来てくれ!!」

「はいはい。肉の為に行きますよ~。全く怖がりだなぁ~。心霊スポットなんていつも行ってんじゃんか。」

「……?」

「ていうかさ?前に進めないんなら、後ろに進んでみれば??」

「……は?」

「だからさ、前に進めないんなら後ろ向きに進めば良いんじゃねって。」

「後ろ向きに進む??」

「逆再生的に??」

「……逆再生。」

「ま、いいや。喋りながら歩くの面倒だから1回切るな?待ってろよ?!俺の肉!!」

「お!おい……っ!!」

そう一方的に宣言すると、友人は通話を切ってしまった。
こんな状況なので誰かと話していた方が気が紛れるのに、こちらの話も聞かずに切られてしまった。
かけ直そうかとも思ったが、来てくれるというだけでありがたいので仕方なくそのまま待つ事にする。

そして少しだけ妙な違和感を感じていた。

今の友人との会話に何か違和感を覚えた。
それが何かわからない。

辺りは相変わらず無意味に静まり返っている。
住宅街で何人もの人々の生活がそこにあるはずなのに何の音もしない。
それがかえって不気味さを助長していた。
生活感があるはずのそこに人の気配が全く無いというのは気味が悪いものだ。
普段はなんとも思わない規則正しいマス目のような通路も無機的で不自然な人工物に感じる。

なのに、そこに人ならざる見えないリアリティーが物陰に潜んで獲物を待ち構えている。
闇の中の暗がりにうぞうぞと蠢き、ぼんやりとした古い街灯の光をジリジリと侵食していき、目の前の空間そのものを暗く感じた。
そしてそこからいつでも飛び出して襲ってくるような威圧感。

逃げ出したい。
けれどやはり足はピクリとも動かなかった。
ぶるりと身を震わせスマホを握りしめる。
友人は後、どれぐらいかかるだろう……。

「……逆再生……後ろ向きに進む……。」

ふと、さっき友人が言っていた事を思い出す。
確かに前に進んだら襲われる気がする。
また、逃げ出しても同じ事だ。
背を向けてこの場を離れようとした瞬間、嬉々としてそれは追ってくるだろう。
そんな気がした。

妹が読んでいた「鏡の国のアリス」は確か、前に進む為には後ろ向きに歩く必要があった。
友人のいう「前に進めないなら後ろに進めばいい」と言うのは妙に説得力があった。

心霊現象ではよく逆再生がどうのという話はある。
聞こえた音を逆再生すると言葉になるとか色々。
だが、こちらから逆の動きをしたらどうなるのだろう?
予想外な動きである事は確かだろう。
心霊も予想外な動きをされると戸惑うと聞いた事がある。
怖い話で後ろを振り向いてはいけないというパターンは多いけれど、あえてはじめから後ろ向きに進むというのは聞いた事がない。

やってみよう。

なぜだかそう思えた。
多分、この場で動けずにいる恐怖に耐えられなくなっていたのだと思う。

意を決してくるりと向きを変える。
無意識に瞑ってしまった目を恐る恐る開く。
見慣れた道。
特に怖い部分はない。
ほっと息を漏らす。

だが怖いのは後ろだ。
背後が見えない分、先程の恐怖が倍増して背中が焼け付く。

振り向くな。
振り向いたら絶対に駄目だ。

先程までとは違い、背後に感じる威圧感に脂汗が吹き出す。
ガクガクと膝が震える。
それでもグッと拳に力を込めた。

ジャリ……。

アスファルトに混じった砂が軋む。
少しだけ動かした足は、半歩ほど後ろにずり下がった。

動ける……!!

先程まであれ程動かなかった足が、後ろ向きに半歩進んだ。
意を決してもう一歩後ろに踏み出す。

「!!」

イケる!
足が動いた。
道の形状を思い出しながら、一歩、また一歩と歩みを進める。
真っ直ぐな道なのだから、そこまで考えなくてもいい。
真っ直ぐ前を睨み、後ろに一歩ずつ足を進める。
慣れてくればある程度早く進む事もできる。
そして後ろに進む為に意識を集中したせいか、得体のしれない恐怖が紛れ薄らいでいった。
それを意識して、とにかく集中して後ろ向きに歩き続けた。

「……おま……何やってんだ??」

どれくらいそうしていただろう?
数分程度な気もするし、気が遠くなるほど長かったような気もする。

呆れた様な声に振り向くと、困惑気味の友人が立っていた。
得体のしれない恐怖からやっと抜け出した安堵から、我を忘れて友人のところに駆け寄る。

「遅え!!」

「別に寄り道もしてねぇし??遅えとか言われたくないんだけど??」

「こ、怖かった……。」

「いや、迎えに来いとか言われて来てみれば、夜中の住宅街を後ろ向きにずんずん歩いてくるお前を見つけた俺の方が怖かったっての。」

「後ろ向きに歩けばいいっつったの!お前だろうが!!」

「言ったけど、まさかやるとは思わねぇじゃん?!」

あれほど怖かった「何か」は何だったのか……。
喉元過ぎれば何とやら。
友人と合流できてしまえば、そんな事はなかったかのように思えた。

「何だってんだよ??訳わかんねぇなぁ??」

「いや、何だったんだろうな??マジで。」

自分自身、先程までの事は夢だったんじゃないかと思う。
思っていたより自分がビビりだったとしか言いようがない。

横を歩く友人がバリッと何かを齧った。
そう言えば電話の時から何か食っていたようだったが、何を食べているのだろう?
気にはなったが、まだらに点在する街灯の明かりでは確認できなかった。
そのまま他愛もない会話とも言えない言葉を交わしながら帰路を進む。

「……まぁ何にしても帰ってこれて良かった。」

目的地にたどり着き、大きく息を吐いた。
変な事があったせいでクタクタだった。


「おかえり……。」


友人がそう呟いた。
おかえりなんて変なこと言うな、と思った。


「……え??」


そしてはたと気づいた。

自分はどこに行っていたのだろう?
そしてどこに帰ってきたのだろうと……。

「おかえり……。」

友人は繰り返す。
そして何かをバリバリと食べていた。



ハッとした。




そして勢い良く顔を上げ、「友人」の顔を見る。
その顔は知っているはずなのに知らない顔だった。

ぎょっとして後退りすると何かを踏んだ。
それがくぐもったうめき声を上げる。

「?!」

声にならない悲鳴を上げ、足元を見る。
そこには「友人」が恐怖に顔を歪めて痙攣していた。

なんで?!

訳がわからない。
足元に「友人」がいる。

なら、今まで一緒にいた「友人」は誰なんだ?!

反射的に顔を上げ、もう一人の「友人」を見つめる。
「友人」は薄く笑いながら、バリバリと何かを食べていた。

「やっぱり肉は美味しいねぇ……。」

そう言って笑う「友人」。
「友人」の手の中の白いモノ。
薄暗い中、目が慣れてきて絶句した。
「友人」が音を立てて齧っているもの。

それは人間の手だった。

その指を一本一本、むしり取って食べている。
バリバリと音がしていたのは、骨を砕く音だった。

足元の「友人」に目をやる。
片手が手首から無くなっていた。

「……あ……あ…………。」

焦点の合わない「友人」の両眼。
途端にむせ返るような尿の匂いと血の匂いを感じた。


「……おかえり。思ったより早かったね。」


ぽん、と肩に手を置かれた。
耳元で囁く声。

弾かれたようにそれを振り払って飛び退いた。


「な……なんで……?!」


足元の友人と「ソレ」を何度も見比べる。
どちらも「友人」の顔をしている。
けれど明らかに片方は偽物だった。

目の前で薄く笑う「友人」から、あの時、道で感じた恐怖を感じた。

そしてわかった。
あの時、足がすくんで一歩も動けないほど恐怖したのは……あの闇の中に紛れてじっと自分を狙っていたのは、今、目の前にいる「ソレ」だったのだと……。

ショックのあまり真っ白になった頭の中に、走馬灯のように記憶が戻っていく。


暇を持て余し、いつものように友人と肝試しに行った事。
そしてそこで「ソレ」に出くわした事。
友人が捕まった事。
助けを呼ぶと言い訳して逃げ出した事。

その時、「ソレ」は言った。


「もう、向こうには帰れないよ?」


楽しげに笑いながらそう言った。
ここから逃げ出せない事を理解しているのか、「ソレ」は余裕の表情で笑うだけで追っては来なかった。

必死に逃げた。

そう……。
帰り道……。

心霊スポットから逃げ出した帰り道……。


「……あ……。」


なのに気づけば、自分はまた、心霊スポットに帰ってきていた。
そこに横たわる友人。

ガクガクと全身が震える。
絶望に歯がガチガチと音を立てる。


「……おかえり。」

「うわああぁぁぁぁぁっ!!」


友人の指を噛み砕きながら楽しげに微笑む「ソレ」。
思考が焼けきれ、声の限り叫ぶ。
そして何もかもわからなくなりながらその場を逃げ出す。


帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ帰らなきゃ……。


頭の中、警告のように広がっていく。

バリッと指のなくなった手を齧り、「ソレ」は笑った。
美味しそうに全てを食べ終えるとゆっくりと動き出す。


「楽しいなぁ……。今度はどこまで行けるかな??まぁ、もう帰れないんだけどさ……。行きはよいよい、帰りは怖い……。せっかく来てくれたんだ……十分、楽しんでもらわないとね……。」


逃げ惑う彼を追いながら、「ソレ」は楽しげに口ずさむ。



通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ



「何度逃げても同じだよ。君はここに帰ってくる……。巻き戻されるんだよ……永遠に……。」








行きは良くても帰りは怖い。
無事に帰れる保証など何一つないのだから。


行くなと言われる場所には訳がある。


だが行くなと言うだけで、必死に止めてくれる者はいない。
何故なら関わりたくないからだ。
止める事で巻き込まれたくないからだ。

どんなに止めたって、行く者は行く。

誰だってそれに巻き込まれて帰れなくなりたくはない。


行くならどうぞ。
ただし何があろうと自己責任。


行きはよいよい帰りは怖い。

怖いながらもとおりゃんせとおりゃんせ。
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