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短編(1話完結)

それは舞い散る花のように

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子供の頃、幽霊を見た。
でも、怪談なんかで聞く怖いやつじゃない。

凄く儚くて綺麗な幽霊だ。

その幽霊は、隣の空き家にある立派な桜の木の下に出る。
しかもいつもいる訳じゃない。

桜が咲く頃だけにいる。
桜が散って、枝が緑色をし始めるといなくなってしまう。

初めてそれに気づいた時は、ただ怖かった。

2階の窓から寝る前に、ふと、隣の桜の木を見てそれに気づいた。
びっくりして、すぐにサッと顔を引っ込めた。
ドドドッと心臓が嫌な音を立て、僕は誰にも何も言えず、布団を頭から被って震えていた。

しかし気にはなるので、毎晩、恐る恐る覗いてみた。
当然、毎晩いた。
チラッとそれを確認しては、急いで布団に入って布団を被った。

でも、やがて見なくなった。
はじめはそれがなぜなのかわからなかった。
でも、次の年、桜の花が開くと現れたので、ああ、桜が咲くと出て、散るといなくなるんだなと理解した。

2年目は多少、余裕ができた。
だから恐る恐る覗き見しながらも、しばらく観察した。
幽霊は古典的な髪の長い女の人で、特に何をする訳でもなく、じっと桜の木の下に立っていた。

はじめは見ている事に気づかれたら、キッとこちらに顔を向けるんじゃないかと思って、恐々見ていた。
でも、いくら見ていても、幽霊は僕に気づかなかった。
ただじっと、桜の木の下にいるだけ。

「……何してるんだろう?」

段々と恐怖心の薄れてきた僕は、彼女の姿を眺めながらそう思った。

彼女は不思議と薄気味悪くなかった。
俯いている訳でもないし、何か禍々しい感じがする訳でもない。
でも何をする訳でもなく、ただ桜の木の下にいるのだ。
それはバスを一本乗り逃がして、仕方なくぼんやりと次のバスを待っている人みたいに見えた。

やがて桜が散り、彼女はいなくなり、1年たった。

今年もまた、桜が咲く。
膨らんだ蕾が暖かな春の日差しに応えると、彼女はまたそこに現れた。

三年目。
僕も随分成長したし、慣れてしまった。
だから初めて彼女を見た時には考えられない事をした。

「……こんばんわ。」

そう、僕は彼女に話しかけたのだ。
夜中、こっそり家を抜け出し、花冷えのする春の夜に少し身を縮ませながら、彼女に声をかけた。

「……こんばんわ。」

しかし彼女は聞こえないのか、反応がなかった。
それは無視しているというより、自分を見えている人がいるとは思っていないように感じた。

「ねぇ、桜の下のお姉さん。そんな所で何してるの?」

そこまで指摘して、彼女はやっと自分の事だと気づいたようだ。
不思議そうに振り返り、僕を見た。
見えているか半信半疑なのか、首を傾げる。

彼女を近くで見るのは初めてだったが、やっぱり普通だった。
怪談話に出てくるような幽霊とは違う。
普通の、普通の女の人だった。

「こんばんわ。お姉さん。」

『……私に言ってるの?』

初めて聞いた、彼女の声。
聞こえたと言うより、感じたといった表現があっている気がした。

「そう。お姉さん。」

『…………私、生きてないわよ?』

そう言われ、僕は思わず吹き出した。
だってまさか幽霊の方から「幽霊です」って名乗られるとは思ってなかったんだ。

「あ、やっぱり幽霊なの?」

『幽霊……そうね、生きてないんだから、幽霊よね……。』

彼女は自分の置かれている状況を確かめるようにそう言った。
変な幽霊だなぁと思った。

「ここで何してるの?」

『……わからない。』

「わかんないでここにいるの?」

『ええ……。でも、多分、この家に住んでいたか、親しい人がここに住んでいたんだと思う……。』

そう言った彼女はぼんやりと光り、代わりに気配がとても薄くなった。
ずっと半透明ではあったけれど、それまでは見えるのに向こうが透けてるといった感じだったのに、淡く光るとまるで陽炎のようにあやふやだった。

風が吹いた。
今が春と咲き誇る桜の花びらが風に舞う。

それは淡く儚くて、けれどその最後のひとときの輝きがとても美しかった。

僕は何も言えなかった。
文字通りこの世のものではないその人を、ただ見つめていた。

ふと、彼女が僕の方を見た。
そして困ったように笑った。

『ごめんね、そんなこと言われても、困るわよね……。』

その言葉にただ、ぶんぶんと首を振る。
そうしないと彼女がいなくなってしまう気がした。
あんなに恐れていた彼女。
でも、今は桜の木の下に彼女がいないなんて考えられなかった。

『……安心して。じきに消えるわ。』

「桜、もう終わりだもんね……。」

『それだけじゃないんだけど……。』

困ったような、淋しげな笑顔。
幽霊の笑顔にグッとくるなんて、僕はこの人に魅了されてしまったのだろうかと少し怖くなる。

「……来年も、会える?」

『いいえ、多分、もう会えないわ。』

「どうして?」

『じきにわかるわ。』

謎めいた言葉。
彼女はすっと桜の枝の隙間から、空を見上げた。
そして表現のしようのない顔で古びた家屋を見つめた。

はらはらと舞い落ちる桜の花びら。
それに包まれた彼女。
まるで音もなくこぼれ落ちる涙のように、花びらが幾重にも地面を埋め尽くしていく。

『……もう遅いわ。子供は寝る時間よ。』

「でも……。」

『私はもう少し、ここにいるわ。』

「うん……。」

彼女はそれ以上、何も言わない。
ただ、桜の木の下に立っているだけ。

僕は「おやすみなさい」と声をかけて、部屋に戻った。
部屋の窓から、もう一度彼女を見つめる。

どうしてだか胸が苦しくて泣きそうになった。

次の日は、春の嵐。
激しい雨と風が吹き荒れた。

桜が見たかったが、お母さんが昼間から家中の雨戸を閉めてしまったので、彼女と桜がどうなったのかわからなかった。
そして一夜明け、太陽の光が差し込む中雨戸を開け、僕は大きくため息をついた。

彼女の桜が、無残な姿になっていた。

古びた桜の木は、倒れる危険があるからと数日後には切り倒され、隣の空き家もその年のうちに解体されて空き地になった。
春が来る前にその土地に新しい家を建てる工事が始まり、根っこだけあった桜の木は完全になくなってしまった。

春が来る。

隣の庭には、ガーデニングされた花々が咲き始める。
けれどそこに桜の木はない。

今でも花時に桜の木を見ると、彼女がいたりしないかと思う。
でも、舞い散る桜の花びらの中に彼女を見つける事はできない。

彼女は何故、あそこにいたのだろう?
そして、どうしてあの日が最期だとわかっていたのだろう?

それは今でも、僕にはわからずじまいだ。
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