ルサールカ

ねぎ(ポン酢)

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父と精霊の名の元に

ルサールカ②〜父と精霊の名の元に③

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 「水を呼ぶ……か……。」

 しとしとと降り始めた雨を見て、私は呟いた。
 彼が別れ際に言ったその言葉は、妙に頭に残った。そんな非科学的な事があるはずかなく、彼の口ぶりからも本気で言っている訳ではなく、マーフィーの法則的なものなのだと思う。

 ただ……。

 「ルサルカ」はルサールカという水辺の精霊の名が元になっている。水を呼ぶと言う彼と水辺の精霊の名を持つ麻薬は、なんだが因縁でも持っていそうな組み合わせだなと思ってしまい、そんな思考に自分でも笑ってしまった。

 これがそんなおとぎ話なら最後はハッピーエンドだ。悪人以外は誰も不幸にならず、幸せになれる。それならそれでありがたい。

 だがおとぎ話には残忍な一面もある。

 簡単に書かれているが、子山羊を食べた狼は腹を切られ、石を詰められ刺繍糸で縫われる。そして井戸に落ちるのだ。
 虐げられていた娘は王子と結ばれ、虐めた継母に焼けた鉄の靴を履かせ、死ぬまで踊らせる。
 それを子どもたちは無邪気に笑って聞くのだ。

 ある意味、その方が恐ろしい事かもしれない。

「……っ?!」

 彼との待ち合わせ場所に近づいた時、ヌッと伸びてきた手に路地裏に引き込まれた。すぐ様その手を払い、応戦の構えを見せる。相手は慌てふためいた。

「おい、落ち着け。俺だ。」

「……え??」

 その声を聞き、警戒を解いたがぽかんとしてしまう。目の前には、どう見ても物乞いをしてそうな浮浪者がいた。

「……なんだよ?!お前のご希望りだろうが?!」

 しばらく呆けたように相手を上から下まで何度か見て、私は思わず噴き出してしまった。確かにそのようにお願いしたが、まさかここまで完璧だとは思わなかったのだ。

「おい!!」

「……すみません。大変良くお似合いです。」

「嫌味か。」

 笑いを噛み殺してそう言うと、彼は不機嫌そうに足を踏み鳴らした。髭もだいぶ伸びていて、あの日からわざわざ剃らずにいたのかと思うと、なんというか仕事熱心なのだなと思ってしまった。

 合流した私と彼は、そのまま裏通りを進む。私は早足で歩き彼を無視し、彼は時より私に絡んでは金をせびる。

「……なぁ、いいだろ、少しぐらい……。」

「黙って下さい。」

 そうして一般人が入る事を躊躇うゾーンへと足を踏み入れる。物陰から私と彼を観察している目がある。それに気づかぬふりをして先に進む。

「なぁ、頼むよ。」

「黙ってて下さい。父さん。」

 その言葉を言った時、彼の目が、一瞬、正気に返った。ハッとしたように私の顔を見つめる。
 だが、それも一瞬の事だった。彼は与えられた設定通り、ニヤニヤ笑って距離を取る。そしてまた性懲りもなく絡んでくるのだ。

「……………………。」

 父さん。

 そういう設定でいるのだから、当然、口にするにおかしくない言葉だ。そのつもりで彼に頼んだのだから。

 だが、言ってしまってから私も少し動揺した。それは彼があんな顔をしたからなのか、それとも別に理由があるのか、自分でもわからなかった。

 ふと、路地にいる男と目が合った。特徴から言って、目的の男だろう。

「……おい、少しでいいんだって……。」

「黙って下さい。それから、目的のモノが欲しいなら、少しここでおとなしくしていて下さい。」

 私はそう言って、少しの金を彼に渡した。彼は本当に演技なのかというくらい、ニチャッと笑ってそれを受け取った。

「……サンドマンの言ってた、青年実業家ってのはアンタか?」

「青年実業家という言葉が合ってるかはわからないが、おそらく私の事だ。」

 そう言って、この情報を得た時に渡された空のマッチ箱を見せる。彼は納得したように視線を反らせた。

「欲しい理由はアレか?」

「詮索はやめてもらおう。いくらだ?」

「……参ったな。」

「何だ?」

「こいつは年寄りには売らねぇ。」

「副作用が強いのか?」

「いや……元締めの……いや、何でもない。」

「だが今回は売ってもらう約束だ。前金は受け取っているんだろう?」

「……チッ。今回だけだ。新しいのが欲しいなら、次からは別なモンを見繕ってやる。」

「ゾンビもデプロイも試した。ハイになって騒ぐばかりで迷惑だ。」

「おとなしくなる系か……。」

「ああ。今ならルサルカがお勧めだと聞いた。」

「まぁ、今出回ってるもんならコイツが一番だろうな……。」

「どうなるんだ?」

「使った奴の話じゃ、頻度が増えると幸せな思い出の中に浸れるんだとよ。そこから出てくるのが嫌になるらしい。」

「へぇ……。」

「自分の中に入り込んで出てこなくなるから、その間、何したってなすがままだよ。何しろその中から出たくないんだからな。こっちが楽しむにはいい人形ができるって訳さ。」

「……定期的に売ってもらう事は?」

「アレに飲ますんだろ?無理だな。勝手な事をすればこっちが切られる。」

 どうやら「ルサルカ」が若い世代に浸透しているのは、薬の元締めの意向らしい。勝手に売った売人は取引を切る。だから中々、扱っている売人に出会えないのだろう。

「……どこと交渉すればいい?」

「本気か?兄さん?」

「思い出から出てこなくなってくれるなら、それほど私の求める物はない。年齢で副作用が強まっても構わない。」

 私はそう言って、ある程度まとまった金を彼に握らせた。予想より多かったのか、男は少し驚いていた。

「……だいぶ苦労してるんだな、アンタ。」

「詮索はするな。」

 男はチラリと浮浪者に扮した彼に目をやった。彼はというと、はじめはおとなしくしていたが、今は苛々したように体を揺すり、時より奇声を上げている。頼んた私から見ても完璧すぎて、本当にそうなのかと思ってしまえる振る舞いだった。

「……ま、一応、上に聞いてやるよ。」

「助かる。」

 彼は渡した金を辺りを警戒しながら懐に素早くしまった。そして目的のブツを取り出した。私は後払い金額にチップを添えて渡してやる。

「次来るなら、再来週の木曜だ。」

「再来週?!この量で持つ訳ないだろう?!」

「……上の返答を聞かなきゃ、どのみちコイツは売れねぇ。別のモンで良ければ用意しとくがな。」

「ルサルカでないなら、わざわざこんな所まで来ない。」

「確かにな。」

 男はそう言い残すと、足早に去っていく。こんな場所だ。売人は取引後は大金を持っているから狙われやすい。それはこちらも同じ事だ。

「行くぞ。」

 私はそう言って、奇行を繰り返す彼の首根っこを掴む。そして引き摺るように足早にメイン通りへと向かう。

「おい!薬!薬を買ったんだろう?!早く!!早くよこせ!!」

「うるさいっ!!」

 そう怒鳴りつける。彼はヘラヘラ笑っている。だんだんそれが演技なのか何なのかわからなくなってきた。

 しかしその演技が上手すぎる事が裏目に出た。

 もたつく彼を引っ張っていた私は、来た時より路地に人がいる事に気づく。彼らがジリジリと距離を詰めてきている事も。

「大変そうだね?お兄さん?」

 そう、女が声をかけてきた。私は歩みを止めなかった。止まったら囲まれる事はわかりきっていた。私が止まらない事に、女はペッと唾を吐いた。こんなところで女に声をかけられて止まるのは、何も知らないド素人のする事。こちらが何も知らない小金持ちでなく、ある程度の事はお見通しだと向こうも理解したのだろう。次の瞬間、それまで見ているだけだった男たちがサッと動いた。

「……人の親切を無下にするとは、教育がなってねぇなぁ、兄ちゃん?」

「そうそう、この街にはこの街のルールってのがあるんだよ。」

 先に進もうにも、行く手を塞がれた。面倒だなと思う。金を渡せばこの場は済むかもしれないが、一度渡せば毎回要求される事になる。それは次第にエスカレートするし、その対応は売人やその上にも伝わる。 かと言って、あまり騒動にしたくない。こんな小芝居までしたというのに、下手に身元を探られるのは困る。

「どうした?兄ちゃん?」

「怖くて動けなくなっちゃったかな??」

 ニヤニヤ笑った男が、私の肩に腕を回した時だった。

 バンッ、と銃声が響いた。

「ぎゃあぁぁぁッ!!」

「ログ!!」

「テメェ……?!」

 ワッと彼らが声を上げたが、その声はすぐに止んだ。私はゆっくりと振り返る。
 そこには銃を片手に、さっき声をかけてきた女を後ろから抱きしめる彼がいた。

「いい女だなぁ……ん?若い男より、いい思いさせてやるからよぉ……な?」

 服の一部を力づくで破り、半ば顕になった乳房を彼の手が揉みしだく。反対の手に銃がある事から、女は何も言わずそれに耐えている。その銃は、たった今、私の肩に腕を回していた男の足を撃ち、きな臭さを漂わせていた。

「……よせ。騒ぎを起こすと、薬が買えなくなるぞ。」

「お前が薬をよこさないのが悪いんだ!!だから別なもので発散するしかねぇだろうが!!」

 そう言った彼はキチガイのように笑い出した。空を見上げ、ゲラゲラ笑う。

「ヒッ?!」

 女がそう言って彼から逃げた。そして押し当てられていた腰のあたりをしきりに気にする。見れば濡れている。彼は天を仰いでゲラゲラ笑いながら放尿していた。

 銃を持ったトチ狂ったジャンキー。それを前にして女の仲間たちは距離を取った。

 ざっと、それまで小雨だった雨が強まる。叩きつけるように降り出した雨は、彼の異常さを強調した。

 私は折り畳み傘を取り出し、さした。そして皆が遠巻きにするジャンキーに近づき、さしかけた。

「帰ろう。雨が降ってきた……。」

 彼は黙り、しばらく動かなかったが、ゆっくりと私の方に目を向けた。そして頷くと、横に並んで歩き出す。
 街のゴロツキ共は、それを言葉も発せず見つめていた。

 だが、少し歩いたところで、彼がいきなりグルッと彼らに振り向く。


「……俺の息子に、汚ねぇ手で触んじゃねぇ!!ブッ殺すぞ!!」


 そしてそう怒鳴った。その目は血走り、迫真の演技だった。ゴロツキたちはその圧に負けてビクッと震えている。

 演技?
 これが?

 私は彼の目を見ながらそう思った。それは私がダイナーで見た、あの目だった。

 ズキン、と胸に痛みが走る。それが演技だとわかっているのに、何故か本当に父親に守られたような錯覚を起こさせた。

 私はそっと彼の手に触れ、その銃を取り上げる。

「帰ろう、父さん。風邪を引くよ。」

「……ああ。」

 私にそう言われた彼は、おとなしく傘に入って歩き出す。ゴロツキどもは追ってこなかった。

 おそらく今後この路地に来たとしても、私に手出しをする者はいないだろう。

 そんな気がした。
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