トイレが言えないっ!

かろ丸

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2.電車

1

 家に誰もいなくてよかったとこのときほど思ったことはない。漏らして汚してしまった制服をみずにつけて洗いながら、まだ予定では帰ってくるはずのない家族を警戒して後ろをチラチラと振り返ってしまう。
 この時間両親はまだ仕事に出ていて、妹もまだ学校にいる。わかっているのにこの年になっておもらしした服を洗っていることが知られたらと考えるだけでぞっとした。制服が洗濯機で洗えるものだったことだけが唯一の救いだった。
 服を部屋に干したあと、布団に横になるとすぐに眠気がきて気づいたらねてしまったようだ。

 ガチャ、と部屋の開く音で目が覚める。

「夏休み明けすぐに風邪なんて…シャキッとしてないからよ。本当にだらしない。うつさないでよ」

 そう言って母が温めたばかりのインスタントのおかゆを置いてでていった。
 食べる気になれずそのままおいて、明るくなった部屋の天井を見つめる。ねている間に下腹部にたまった重みで、今日の出来事と鷹橋のことを思い出す。
 手を挙げてトイレと言って断られたところから、教室の中で手が濡れていく感覚も、鷹橋の眼の前で我慢できずにぶちまけたことも、鮮明に思い出せてしまって体が熱くなる。

「最悪だ……やっぱり引かれてるよな」

 はぁぁぁ……と大きなため息をついて布団を頭までかぶる。次に学校に行くのが憂鬱で、風邪なんて治らなければいいのにと小さくつぶやいた。
 



 治らなければいいのにと言ったせいか、予想外に長引いた熱のせいで、陽登は1週間ほど学校を休んだ。
 久しぶりに学校へ行くと、遅刻ギリギリで飛び込んできた鷹橋が先生に怒られながら席に着く途中、陽登を見つけてニコニコと手を振った。

「おはよ。きたんだ。もう来ないかと思った」

 ホームルーム中にもかかわらず、鷹橋はヒソヒソと陽登に話しかける。

「大丈夫、あの日のことは誰にもバレてない」

 より声を落として鷹橋はいった。教室の中で恥ずかしいところをみっともなく押さえて我慢していた1週間前の失敗をその一言でまたまざまざと思い出し、陽登は羞恥がぶり返して俯いた。

「ごめん、思い出させちゃったか」

 鷹橋はポリポリと頭を掻いてしくじったという顔をする。

「ほんと心配したんだよ。お前全然こないんだもん」

「ご、ごめん……あの時はありがとう」

 マスクにこもったまだかすれがちの声で小さくお礼を言うと、鷹橋はうれしそうに笑った。

「気にすんな」


 鷹橋は相変わらずよく居眠りをしてよく怒られていたが、前より怖いと思うことは少ない。
 急激に仲が良くなるわけもなく、その後は何時もの通り陽登は本を読んで休み時間を過ごし、鷹橋も基本ねているか別のクラスの人が話しかけに来たりして、陽登に話しかけてくるわけではなかったが、鷹橋は何かと陽登を気にかけてくれるような節をみせた。
 陽登が先生に声をかけられ荷物を運ぶ時も一人で大量に抱えた荷物を半分取ってはこんでくれ、大嫌いな体育の二人組を求める指示も、一人佇んでいると

「ラッキー」

 といいながらペアをくんでくれる。
 そして陽登が前と同じように席から出れずにいたときも、

 ガンッ

 と大きな音を立て鷹橋が自分の机を蹴って注目を集めたあと、つかつかと立ち上がり陽登の席まで覆う集団に近づいていき

「お前らうっとおしくて邪魔なんだよ。集まるならひとが通らねぇとこで集まれ」

 と一言いって集団を散らしてしまった。
 大きな音と喧嘩が始まりそうな乱暴なやり方に陽登の心臓は飛び出そうに縮み上がってしまったけれど、お陰で集団はそれ以来教室の前後のスペースに集まるようになり、夏休みが開けてからいつもギリギリだったトイレの心配をすることもなくなって安心してすごせるようになり、ホッとする。
 トイレから帰ってきた時も自分の席はちゃんと空いたままで、落ち着いてつぎの授業の準備もできるようになった。
 鷹橋には感謝してもしきれない。
 陽登が学校へ来なくなることを心配してくれていたが、寧ろ以前よりずっと過ごしやすくなって足取りは軽い。毎日、おはようとあいさつを交わせる相手がやっと先生以外にできたことも幸せだった。



 鷹橋はクラスの中で不良気味な生徒として少し距離を置かれている様なところもあったけれど、クラス内にも他クラスにも話せる友達もそれなりにいて、運動神経も良く、体育ではいつも陽登の前の席に座る逢沢と一、二を争ういいライバルのようだった。

 反対に陽登は運動神経も見た目にもれなく悪く、球技は流れに乗って動いてるふりをしているだけだったし、急にパスをもらっても何処に投げていいかわからずに立ち尽くしてしまってボールを取られて顰蹙を買う様なタイプで、かといって勉強も飛び抜けてできるわけでもない。

 話しかけてくれただけで親を覚えた雛鳥のように鷹橋を目で追ってもっと仲良くなりたいとおもってしまったけれど、彼のことを知れば知るほど眩しく、自分とは真逆の存在だと実感する。彼はただ優しさで気遣ってくれただけなのに、声をかけてくれただけで喜んで友達になれるかもしれないと彼の姿を追っている自分はまるでストーカーのようで、気持ちが悪いとおもった。

 トイレに行きたいということすらうまくできずに失敗した陽登のことを、クラスの皆に黙ってくれるだけでも幸運なのに、毎日会うたびにもっと彼と仲良くなりたくなっていく。
 仲良くなりたいのに、上手く話せはせず、じっとりとした自分の視線が彼に垢をつけていくようで、意識して目をそらす。
 優しい相手にこれ以上自分が何かをのぞむなんておこがましい。
 仲良くなるために鷹橋に声を掛けるどころか、どういうふうに今まで接していたのかもわからなくなって、次第に挨拶さえぎこちなくしかかえせなくなっていった。


「広瀬、なんか悩みあんの?」

 ホームルームが終わって帰り支度をしていると、鷹橋が言った。

「えっ」

「お前最近なんかぎこちないじゃん」

「いや、ぁ、その…」

 言い淀むとチラと時計を確認した鷹橋が、瞬間青い顔をする。

「やっば!ごめん俺かえんなきゃ!ばいばい!あんまりおもいつめんなよ!」

 言っている最中から走り出した鷹橋はもう教室を出て、あっという間に消えていった。
 窓から校庭を見ると、一目散に走っていく鷹橋の姿が見える。あっという間に小さくなって校舎を出てその背は米粒のように見えなくなった。


 舞い上がって変な距離の詰め方をしないようにと気をつけたつもりがかえって心配されてしまうなんて、どうしてこうも人間関係が下手なんだろう。
 妹なら、今のもうまくごまかせただろうし、鷹橋ともあっという間に仲良くなれただろうし、そもそも人に声をかけられずにトイレに行けないということも絶対にない。

 小さくため息をつく。愚鈍な自分が恥ずかしい。
 明日もまた、鷹橋に挨拶していいのだろうか。
 かえってしないほうが変か、前まではクラスのみんなの一挙手一投足が自分に向けられて非難されていないか不安で——もちろん誰の印象にも残らないとは自覚しているが―—できるだけ影を薄くして生きることばかりを考えてきたのに、ここ最近毎日考えるのは鷹橋のことばかりだ。
 彼の視界に入りたいのに、彼の世界の住人として自分はふさわしくないように思えて彼の視界から消えてしまいたい。
 
 

 帰宅路でじんわりとかいた汗をパタパタとワイシャツに空気を入れて乾かしながら、居間に入り冷凍庫からアイスの箱を取り出す。
 ちょうど残り1本のアイスが箱の中にぽつんとあって、それを取り出し自分が食べていいものだろうかと一瞬迷った時、同じく帰ったばかりの妹がぱっとそのアイスを陽登の右手から奪った。

「最後の1本もーらい」

「あれ、陽愛ひより。部活は?」

「今日休みー!」

 内袋から取り出したアイスを口にほおばり開けた透明の袋を陽登に渡すと、陽愛はソファに寝転びスマホを弄り始める。

 なくなったアイスの代わりに麦茶を取り出すと「私も」と陽愛がいうので透明なガラスのコップに2つ麦茶を入れ、1つをわたした。

「お兄ちゃんなんかいいことあった?」

「え」

「最近元気そうだから」

「そうかな…」

「やっと友達できたの?」

 友達がいないなどと口にしたことはないのに、今までボッチだったことは妹にはお見通しだったようで苦笑いをする。
 少し離す程度の人ができたというと、妹は訝し気な顔をした。

「ほんとに友達?どんなひと?騙されてない?連絡先は交換したの?」

 陽愛は思春期真っ盛りで、いつも親がいるときは口も聞かないし不機嫌な態度ばかりだし、外で会うと陽登のことなど知らない人のような顔をして距離を保つからてっきり嫌われているのだろうと思っていた。
 どこか過保護すぎる質問には気後れするけれど、妹が話してくれる機会は大事にしたくておもらししたことは隠してそれ以外のことは丁寧に答えると、心陽はう~~~ん。と深く唸った。

「ま、パシリとかにされてなくてよかった」

「パシリって…」

 陽愛のなかでの兄の印象は相当悪いらしい。

「とりあえず連絡取れないとかありえないから、ちゃんと聞きなよ。まずはそこからでしょ」

「まだ友達とかじゃ…」

「いい?友達になってから聞くんじゃないの!友達になるために聞くの!そんなんだからいつまでもボッチなんだからね。信じらんない」

 ごくごくと飲み干したコップを机の上に置くと、妹は食べ終わったアイスの棒をポイとゴミ箱に投げ捨て

「じゃ、遊んでくる」

といった。

「いい?明日、必ず連絡先聞きなよ。」
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