戦場のピアニスト

しらゆき

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「じゃあ、二時間後ね」
 品川玲の写真展の会場の前で美弥子と別れる。一緒に行動するのはお昼からなのだが、その前の予定地が近かったので一緒に来る事にしただけなのだ。美弥子と写真展を回るのも楽しそうだが、写真に関わっている望海に美弥子を付き合わせるのは申し訳ないと思う。写真に関わっている時の望海が周りを見れない、という自覚はある。
 写真展はまるで別世界のようだった。日本を舞台としたほのぼのとした雰囲気の写真、自然の中で生きる動物の生き様、自然のの中で生きる人々、戦場で命のやり取りをしている人々。様々な写真がそこには展示されていた。
 じっくりと一つずつ見ていく。その中でも、一つの写真に目が釘付けになった。
 廃墟の、風化し、壁がほとんど崩れ落ちている家……辛うじて残っている壁に輝くステンドグラスから多分協会なのだと思うが、はっきりとはわからない。そのくらい崩れ落ちた建物の中でパイプオルガンを奏でる女性。
 まるで今にもパイプオルガンの音色が聞こえてきそうだ。
「戦場の……ピアニスト……」
  タイトルを口にした望海は、無意識に首から下がるカメラに触れていた。
 今、無性に写真が撮りたい。
 無意識だった、カメラを構えてシャッターを切った。この写真が撮りたいと思ったわけではない。ただ、無性に今、この瞬間を切り取りたいと思った。
「撮影、禁止!」
 不意に横から響いた声にビクリ、とふるえる。
「と、言っても私もだけど……」
 クスリ、と笑いながらカメラを振った女性が、おもむろに望海の手を掴んだ。
「見つからないうちに、逃げよう」
 望海の手を引いて走る彼女について走りながら、目を瞬いた。
「園部さん……何でここに……」
 フォトコンテストの常勝。望海が勝手にライバルだと思っている園部蒔絵まきえがそこにいた。もっとも、彼女は望海を知らないだろうが。

 会場の外に隣接する形で公園があった。緑が豊かで、東京にこんな場所があるのが意外だった。だからなのか、どことなく作り物めいた雰囲気を感じる。もっとも人の手が入り、綺麗に手入れされているからといっても緑は本物なのだから大した問題はないが。これが全部造花だったとしたら大問題だが。そうではないだろう。きちんと手入れされ、絶やさないようにしているだけだと思う。
「ごめんね、あまりに真剣に、綺麗な表情でカメラを握っていたから、ついシャッターを押しちゃったのよ」
 クスリ、と笑った園部が軽くカメラを振る。彼女は望海とは違い、フィルムカメラをこよなく愛しているらしく、今持っているのもフィルムカメラのようだし、彼女がコンテストに出す写真もデジカメとは違う、フィルムカメラ独特のアジがあるような気がする。それもまた、彼女の写真の魅力なのだと思う。
「現像したら渡すわね。……住所、聞いてもいい?辻岡望海さん」
 次いで告げられた言葉に望海は軽く目を瞬いた。彼女が今、自分の名前を口にしたような……
「……私のこと……」
「知ってるよ。だって、私、あなたの写真好きだもん。だから、フォトコンテストの審査員してた知り合いに聞いて、あなたを教えてもらったの」
 ニコリと笑った園部に目を瞬く。「望海の写真が好き」と言ってくれる人は相応にいるし、誰に聞いても嬉しいものだが、正直望海が勝手にライバル、と思っている相手にそう言われるのは誰に言われるよりも嬉しかった。
「あなたは?」
「え?」
「私を知ってるの?さっき名前、呼んだでしょう?」
「はい。園部さんの写真好きなので……私の師匠写に園部さんの顔、教えてもらったんです。フォトコンテストで審査員をすることもある人なので……いつか、園部さんみたいに人を惹きつける写真を撮りたいと思っています」
「私なんて目指さないでよ。……目指すなら、品川玲でしょう?」
 きっぱりと言い切った蒔絵にパチパチと目を瞬く。確かに品川玲のような、誰もが憧れてやまない、そんな写真家になれたら、嬉しい。そうしたら、望海がこの力を得た意味もあると思う。でも、それはそんな簡単に口にできることではない。
「え……」
「私は、いつか絶対に品川玲を超える。彼に尊敬する写真家は園部蒔絵だと言わせてみせる」
 きっぱりとした口調で言い切った彼女は、さっきまでの柔らかい表情から一変して、力強い真剣な表情を浮かべていた。彼女なら本当にその夢を、目標を叶えてしまいそうだと、思えるほどに。
「だから、勝負しよう」
「……え?」
「どっちが先に、あの品川玲をくだせるのか」
 どちらが先に品川玲を超えるか、勝負……する……。望海は唖然とした。あまりに簡単に言い切ってしまう彼女に。でも、その言葉は望海の目の前の霧を晴らしてくれた。
 望海は、彼女をライバルだと言いながら、同時に彼女には叶えわないと思ってもいた。勝負する前から諦めていては何もできない。
 彼女が望海をライバルだと言ってくれた。それなら、その勝負、受けて立つ。
「私、負けませんから」
 きっぱりと言い切った望海に園部が笑みを零す。
「いい顔、ね。……あなたのこれからの作品、楽しみだわ」
 その、余裕の表情を絶対に引っぺがしてやる。品川玲の前に園部蒔絵を、跪かせてみせる!
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