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第三章

六、

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「どうした」
「一度、大江山へ行ってみたかったんですけど、半日じゃ厳しいなぁと。急いでるわけじゃないんで、いつか行こうと思います。ううーん、観光って点でいうなら、映画村なんてどうですか? あ、一緒に行きます?」
 ぱっと顔をあげると、新居崎は携帯電話をいじっていた。
 さほど深く考えずに誘ってしまったが、こうしてスルーされると寂しいものがある。むぅ、と頬を膨らませた麻野に、新居崎が告げた。
「車だと、一時間ほどで行けるな」
「はい?」
「大江山だ」
「私、免許もってないですよ。車もないですし」
「免許は私が持っている。レンタカーを予約……できた。朝から向かえば、夕方には十分戻ってこれるだろう」
 ぽかん、と口を開いたまま、麻野は新居崎を見つめる。
 彼は携帯電話の操作に夢中で、麻野が腑抜けた顔をしていることに気づかない。なんだか、妙にこそばゆい。今、麻野の希望を聞いてすぐに動いてくれたことが、信じられなかった。行きたいと思っていた大江山だ。行けるのは当然ながら嬉しいが、今、麻野が感じている喜びは、それとは違う理由からだ。
「また、先生と一緒に出掛けられるんですね」
「きみは免許がないからな」
「えへへ、きっと楽しい日になりますね!」
 携帯電話を置いた新居崎が、顔をあげる。
 柔らかい笑みが浮かんでいた。
 そうだな、と新居崎が告げたとき、少し照れたように視線をそらしたのが、なんだか無性に可愛く思えた。

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