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第三章

十三、

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 さらっ、と風がなびいて、新居崎の前髪が揺れる。大学にいるほど完璧ではないが、身だしなみを整えることを怠らない性分らしく、新居崎の髪型には乱れがない。汗で、少しだけ皮膚にはりついているけれど。
「例の、コスプレ野郎か。なるほど、酒呑童子というコンセプトだったんだな」
「……彼は本物です」
「なぜ言い切れる」
 すぐさま問い返す新居崎の言葉は、刃物のようだった。言葉の鋭さは勿論、吐き捨てるような、馬鹿にした声音が含まれている。
 麻野は、息を呑んだ。
 新居崎が怒っている。
 静子や麻野が、迷惑をかけても、こんなふうに怒ることはなかった。麻野が馬鹿なことをしても、罵ったり諭したりはあっても、こんな、口調と威圧で麻野を見るなんてなかったのに。
 何か言わないと、と口をひらくが、言葉が見つからなくて、口を閉じた。
 そのとき。
 大きく風が吹いて、頭上の木々が音をたてて揺れた。木漏れ日が差し込み、新居崎に当たる。彼の瞳が、また、深紅に見えた。
 新幹線でも、たしか、こんなふうに深紅に――。
「先生って、もしかして」
 麻野は、その問いを最後まで言うことが出来なかった。意識が遠くなり、否応なく言葉をつぐむしかなかったのだ。
 熱中症だろうか、適度に水分はとっていたはずなのに。
 どうしよう、ここで倒れてしまったら、先生に迷惑がかかってしまう。
 意識を失う前の短い時間、麻野のこころは、新居崎への申し訳なさでいっぱいになった。


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