元奴隷の半吸血鬼少女はのんびり旅をしたい

resn

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prologue

ある少年の最後

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 ――時は、しばらく遡る。



 大陸北部を領土に持つ、魔族領。否……魔族領と言うべきか。

 百年以上大陸を二分して争っていた、人間の国家の同盟である人界領と、魔物や魔人を中心とした魔族領。
 その両者の戦争が、勇者と讃えられた英雄を旗頭として攻め入った人側の勝利で終わったのが、ほんの数年前。

 すでにその地を統べていた魔族の王は討たれ、勝者である人によって占領されているのだから。




 そんな魔族領の片隅、深い渓谷と濁流に囲まれた険しい土地にもかかわらず、観光に賑わっている街があった。

 隷属都市ネーベル。
 犯罪者や、金目当てで売られた者達を商品とする奴隷商が集まり、娼館などが立ち並ぶ退廃の街。

 だが、そんな中でも一際賑わっているのが、その中央に位置する闘技場だった。



 暴君として名を馳せた最後の魔王が、元は人の領土だったこの街を占領したのがおよそ三十年程昔。

 その際に放置されていたコロセウムを奴隷商達が商売に利用し始め……いつしかそこは、闘技奴隷による、どのような残虐行為も辞さない過激な娯楽を提供する場として、日々賑わっていた。

 そしてそれは……魔王が討たれた後も、変わらなかった。
 否……むしろ人間が出入りするようになってから、その残虐さは増したと使役される側では囁かれていた。



 そんなネーベルの闘技場の中に、一人の少年闘技奴隷が居た。

 彼は、自らの出自の事をよく知らない。
 そんな事を気にしている余裕など、少年には物心ついてから今までありはしなかった。

 だが、幼い頃に一緒に居て、戦い方を教えてくれた者が言うには……父親は何処かの偉い吸血鬼で、手慰みに飼っていた人間の娘が孕んだ事で、まだ幼い頃に、母子共々要らぬと捨てられたのだという。



 少年は、戦うこと自体は、嫌いなわけではなかった。

 最初に玩具のような剣を持たされて、猿のような魔獣の相手をさせられたのが、まだ六つの時。

 おそらく……少年がその最初の試合を生き延びる事ができると思っていた者は、居なかっただろう。

 しかし、あまりに幼い子供が死地に送られるのを見かねた者も居たらしい。
 同じ闘技奴隷であり、元は魔族のもとに送られた暗殺者だったという人間の男が、弱者なりの戦い方を教えてくれた。
 その言われた事を愚直に守り、魔獣の胸に刃を突き立てた事が、その子供を生き延びさせる事となった。



 ――その後、その暗殺者だという男は少年の師となり、様々な生きる術を少年へと教えてくれた。

 武器の使い方。
 対戦する魔獣の知識。
 生物の、攻撃に弱い場所。
 相手を行動不能にする為の技術。
 肋骨の隙間に刃物を突き立てる方法。
 力弱い者が強者に勝つための知識や技能。
 時には、文字や人の社会で使用される言葉まで。

 それらを、幼くも柔軟な頭は貪欲に吸収し……成長するにつれて、才に恵まれた彼はめきめきと頭角を現し、十歳を超える頃には天才剣闘士として名を馳せる程になっていた。

 そして、半吸血鬼ダンピールである少年は、生きるために血が必要だ。
 そして血が必要ならば、勝って奪えと言われ育って来た。
 戦うという事は彼にとって、文字通り血肉を得て生きる事そのものだった。

 また……彼に自覚は無かったが、魔界の貴族の血を引く半吸血鬼である彼は、その容姿も奴隷という身分に似つかわしくないほどに秀でており、時には客に一晩買われ、我慢さえすれば他の闘技奴隷よりも良い思いをした事も少なくない。



 生まれ、物心ついたときからこの生活しか知らず、そして正直、ここの生活が合っているとは思っていた。

 だが……それでも少年は、外へ出たいと思うようになっていった。



 人の領土の空は青いと、以前自分を一晩買った客から聞いた。

 見渡す限り広がる水たまりや、身動きもままならぬ程に人でごった返している祭の話……様々な話を、客から聞いた。

 彼らにしてみれば、大した知恵のない奴隷の少年への優越感からくる、行為後のベッド上で行われる雑談だが……生憎、少年にはそれを理解できる頭が備わっていた。

 故に、そうした外の話を聞くたびに、いつしか外へ出て、旅をしたいと思うようになったのは、必然だったのだろう。

 故に……少年が脱走を試みたのも、やはり必然だったのだろう。例えそれが、過去誰も成功者がおらず、死へと向かう道だったとしても。





 ――そして、機会は訪れた。

 大勢の闘技奴隷仲間と共に放り込まれたそこに待っていたのは、少年ですら初めて見る、翼が生えた巨大なトカゲの魔獣。
 暴れ、火を噴くその魔獣は少年が今まで相対したどの相手よりも手強く、一緒にいた仲間達は瞬く間に灰も残さず灼かれたか、あるいはその腹の中へと収まった。

 ……しかし、最後の一人となるも、少年は諦める事なく戦い続けた。

 やがてその巨体から、初めは周囲をのたうち回る尻尾が断たれた。次は片翼、さらにもう片方の翼……順に器官をそぎ落とすように、着々とダメージを積み上げていく少年によって、気の遠くなるような時間の末……魔獣は、血の海に沈んだ。

 早速、いつものようにその血を貪り渇きを癒していると……ふと、観客席に至るまで全ての者が、静まり返っている事に気が付いた。

 間抜けにも、闘技場の外へ続いているという、魔獣の搬入路を解放したまま。



 ――故に……少年は気がつけば、周囲の制止を振り切って、外へと飛び出していた。





 幾度、剣を振るっただろう。
 踏み越えてきた罠は数知れず。
 切り捨ててきた魔物も、看守も数知れぬ。

 全身は傷だらけで、最後は片腕が上がらなくなり、剣も途中で半ばから折れ……それでも、気がつけば、街を囲む堅牢な門の外に居た。



 澄んだ青空とは似ても似つかぬ、灰色に曇る空。

 見渡す程の草原など存在しない、ひび割れて枯れ果てた大地。

 そんな風景であっても、そこは確かに、外の世界だったのだ。



 自分はあの狭い世界から抜け出したのだ……そう安堵した瞬間、最後の最後で気が緩んでしまったのだろう。

 無警戒に一歩踏み出した瞬間、全身が光……複雑な構造を持つ積層立体型魔法陣というものだが、少年の知識には無かった……に包まれた。

 全身を走る激痛に、痛みなどとうに慣れきった筈の少年が、悲鳴を上げる。

 まるで、骨が硬さを失い、肉が溶けていき、全身の神経の配置を好き勝手に移動されるような、そんな感覚。

 それでも歯を食いしばり、最後の力を振り絞って立ち上がり、しかし体重を支えきれず崩れ落ちたその先は……何も無かった。

 崖から転落したのだと気が付いた時にはもやはどうしようもなく、浮遊感の中……頭に激しい衝撃を受けたのを最後に、彼の意識は完全に真っ暗に塗り潰されていった――……
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