元奴隷の半吸血鬼少女はのんびり旅をしたい

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初めての人里

定時上がりの受付嬢

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 あの後、気を取り直したアッシュとフィアは、二人でゆっくりと百まで数えた後、湯船から出た。

「きちんと暖まったか?この後外に出るから、冷えないよう気をつけろよ?」
「おぅ、大丈夫だ」

 そう言って、フィアが髪とその合間からちらちらと見える小さなお尻を揺らして、我先にと脱衣所へ戻ろうとする。
 しかし……その長い髪ばかりは、軽く絞ってタオルを巻いていたものの、まだだいぶ水を吸っていて重そうだ。

「……流石にその長い髪を乾かすのは時間がかかるな。あー、フィア、ちょっと止まれ」

 せっかくの髪を痛めてしまいそうだし、それに、これから出かけるのを考えると冷えて風邪をひいてしまいそうだ。
 なので、まずはそれをなんとかしよう。そう思い、呼び止める。するとすぐにピタリと歩を止めて、アッシュの方へと振り返るフィア。

「よし、ちょっとジッとしてろよ?」
「ん、何をするんだ?」

 首を傾げている彼女の後ろに回り込み、その登頂部に手をかざし、集中する。

「な、なんだ、頭がザワザワするぞ!?」
「いいから、ちょっと我慢してろ」

 髪を伝う感触に軽いパニックになっているフィアを落ち着かせ、そのまま頭頂部から髪の毛先の方まで、手を滑らせる。
 それが終わり、髪から手が離れると……アッシュの手のひらの上には、いつのまにか水球が浮かんでいた。そして……

「お、おお!? 髪が乾いてる!」
「ま、生活魔法の応用だな。水を操作して、髪に付着していた水滴を全部集めたんだ。興味あるなら後で教えてやってもいいぞ」

 元々、吸血鬼というのは高い魔力を有する種族だ。半吸血鬼であるフィアに魔法の才が無いとは考え難い。
 おそらくフィアが魔法を使えないのは、教える者が居なかった為だろう。アッシュはそう予想していた。

「本当か!?」
「ああ、時間のある時にな」

 目を輝かせ、憧憬の眼差しでアッシュの方を見つめるフィア。
 その視線をくすぐったく思いながら、手の中の水球を浴室に投げ捨て、脱衣籠のところに戻ると……

「……あれ、おれの服が無い?」

 籠に入れていたはずのフィアの貫頭衣は無く、そこには代わりに白いスモックと、ショートパンツ。

「ああ、これは、このギルドで安価で提供してる部屋着だな」

 冒険者は仕事柄……泥だらけだったり、血塗れだったり、謎の粘液で服がぼろぼろのドロドロになっていたり……と、とても着れたような状態ではない服装で帰ってきたりする事がある。

 そうした人のために、とりあえずの緊急避難として取り扱っている服があるのだが……たしか、こんなだった気がする。

「てことは、これは多分ユスティが置いて行ったんだな。おまえが着ていいと思うぞ、後で礼を言っとけよ」
「あ、あのミルクくれた姉ちゃんか、わかった」

 そう言って、用意された服に手を伸ばすフィア。

「うわ、おれ、こんな良い服を着るのはじめてだ」

 ……実際は、それらは清潔ではあるが、一般的な市販の服に比べて質が良いという訳では無い。
 しかしフィアが新しい服を嬉しそうに着込みはじめたのを見て、アッシュはそっとユスティの気遣いに心の中で礼を述べるのであった。





 汗と埃を落としてさっぱりとしたところで、アッシュの借りた部屋に置いていた荷物から財布を取って、一階へと戻ると……

「どうやら、入浴は無事済んだみたいですね」
「あ、ねーちゃ……受付のお姉さん」

 一瞬砕けた呼び方をしかけたものの、すぐに言い直して頭を下げるフィア。

 階段を降りてすぐのところで待っていたのは……制服から着替え、私服に着替えたユスティだった。

 襟を深くったパフスリーブのブラウスと、青を基調とした、腰回りを紐で絞った胴衣とロングスカートにエプロン、という出で立ち。
 この辺りの民族衣装……たしか、『お嬢さん』という意味の名前だったはずだ……のデザインを取り入れたその装いは華やかで、フィアはしばらく惚けた様子で眺めていた。

 そして、ユスティもフィアの事を凝視していた。こちらは、フィアの格好を検分しているようだったが。

「……はい、綺麗になったみたいですね。今は女の子になったのですから、身嗜みには気をつけなければいけませんよ」
「う、うん」

 指を立ててのお説教に、戸惑いながら頷くフィア。その様子を見て、彼女は満足そうに一つ頷く。

「それで、お風呂はどうでしたか?」
「あ、お風呂気持ちよかったです。それと……この服も、どうもありがとうございました」

 予想外な丁寧さで頭を下げるフィアのその様子を、何故かユスティはジッと見つめていた。
 反応が無いことを不思議に思ったフィアが、頭を上げ首を傾げると……

「……かわいい」
「むぎゅっ!?」

 アッシュが、あ、と声を上げる間すらなく、ユスティがおもむろにフィアの頭を胸に抱き込んだ。

 もう一度言うが、この民族衣装は胸元あたりまで深く襟を刳っている。
 そのためフィアは顔を、ユスティのそこそこ有る谷間に突っ込む事になり、呼吸出来ずにもがいていた。

 ……いや、別に羨ましくねーし。

 アッシュは、頭を振って気を取り直す。

「あー……ユスティさん? その辺にしておかないと、フィアの動きがちょっと鈍って来ている気がするんですが……?」
「……アッシュさん。この子、私にください」
「ダメに決まってんだろ」

 フィアを胸に抱いたまま、真顔でとんでもない事を言い出したユスティに、条件反射で答える。

 ……こいつ、こんな奴だったか?

 拒否され、なんとなく気配で「(´・ω・`)」という雰囲気を醸し出しているユスティに、実は別人か何かではなかろうかと言う疑問が湧いてくる。

 そういえば、アッシュはこの少女のオフをよく知らない。もしかして、彼女はオンとオフをきっちり区別する性格で、今のこの姿がオフの姿なのだろうか。

 ……アッシュがそんな事を、半ば現実逃避気味に考えていると。

「……ぷぁっ!?」
「あら、ごめんなさい」

 解放されたフィアが、顔を真っ赤にしてアッシュの背後へと退避する。
 すっかり警戒し、アッシュの背中から顔を覗かせ様子を窺うフィア。それを名残惜しそうに見ていたユスティだったが……

「で、いったい何でユスティがここに?」
「あら、私の今日の勤務はもう終わりだもの。せっかくだから、服選びに協力してあげようとおもったのだけれど」
「……助かる。女の服売り場は苦手だ」

 特に、下着売り場。あれは最悪だ。以前やむを得ない事情で踏み込んだ時は、ただの知り合いの付き添いだったと言うのに、存在を全否定されているような重圧を感じたのだ。

「それに、妹の仕事もたまには見ておきたいですからね」

 そう、若干意地の悪そうな微笑を浮かべる彼女。

「……お姉さんの妹?」
「ええ、双子ですけども」
「あー、この後向かう予定の冒険者ギルド御用達の装備品店は、ユスティの実家が経営している店でな」
「私がこちらに就職し、妹が店を継ぐことにしたの。二人で相談してね」

 一応私も休日などには店の手伝いはしていますから、服選びは任せてくださいと請け合うユスティ。

「お、お手柔らかに……?」
「はい。フィアちゃんの服は、私がきちんと選んであげますからね。ええ、

 そう、アッシュが見た事も無いような良い笑顔でニコリと微笑んで、フィアの方を見るユスティ。
 ……美味しそうな獲物を見つけた時の蛇のようなものの姿が、背後に見えた気がする。

 そんな目を向けられたフィアは……

「……なぁおっさん。おれ、ちょっと寒気がするんだけど」
「……まぁ、取って食われはしないさ、多分。あとおっさん言うな」

 どうやら持ち前の勘で危険を察知したらしく、若干顔を青くしてアッシュへと縋るような目を向けるのだった。
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