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孤独な城の大蜘蛛
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赤い陽光と色濃い影で彩られた寂しい廊下を走ります。
廊下を走るなんて小学校以来です。
息がすぐに上がってしまいます。
「はぁっ」
準備体操をしていないせいか、思ったように走れません。体の動きが水中にいるように鈍くてしょうがありません。
それでもできうる限りの速さで私は走ります。
きっと、夏海さんは更衣室で制服がなくて困っています。
私の学校のプールは古く、更衣室はコンクリートの打ちっぱなしで最悪です。生徒達の間では独房、牢屋などと揶揄されているほどです。コンクリート製の物置の中にスノコを敷き、朽ちかけている木製の棚があるだけの名ばかり更衣室です。
湿度が常に高く、壁には水垢だか苔だかが分からない黒い物が付着しています。そんな更衣室なので当然のように黒くカサカサ動く昆虫も目撃されているのです。
そんなところから夏海さんが出れなくなっているかもしれません。
プールにつきました。
上がった息を整えるよりも先に、ガンガンと少し強めに更衣室の鉄製の扉をノックして一声かけます。
「入ります」
私は息を飲みました。
電気もなく、かすかな太陽の残り日だけの薄暗い更衣室に、バスタオル一枚だけの夏海さんがうずくまって泣いていました。
一瞬、お化けか何かだと思ってしまいました。
「し、枝折 夏海さん?」
恐る恐る声をかけると夏海さんが顔をあげてこちらを見ます。それに合わせるようにゆっくりと夏海さんの水泳バッグを彼女の目線に合わせました。
「私の着替えー」
「ど、どうぞ」
制服を渡して私は、更衣室から出て外にあるスイッチを押して、更衣室内の蛍光灯を灯らせます。
帰ろうかとも思いましたが、ここで無言で帰るのも変だと思い、夏海さんを待つことにします。一体なぜこのような事態になったのでしょう。あまり、考えたくはありません。
ギィいいいと軋んだ音を立てて鉄扉が開き、申し訳なさそうなバツの悪そうな顔をした夏海さんが出てきました。
「雪菜さん、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
朝のありがとうとは違い、憔悴しきったありがとうです。無理もありません。こんなところに閉じ込められてしまっていたのですから。
「ほんと、雪菜さんがきてくれなかったら、怖くて、来てくれて、出れなくて」
泣きながら感謝と怖かった思いを必死に伝えようとしてくれますが、正直要領をえません。友人のいない私はこんな時、どうしたらいいのかが分かりません。百合小説を参考にするのなら、抱きしめて口づけをして黙らせるのが王道でしょうか。
私はそっと夏海さんの震える体を抱きしめます。背中に回した手でトントン、トントン。と軽く背中をたたいてあげます。
大丈夫。安心してという思いを込めながら、トントン。トントン。
顎をくいっとして唇を奪う事は勇気がなくてできませんでした。できなくて正解だったのかもしれません。
夏海さんの湿った髪からはプールの匂いが微かにします。
どのくらいそうしていたでしょうか。夏海さんの濡れた髪が少し乾いていることから考えれるにかなりの間そうしていたように思えます。
「……あつい」
ベリベリとひっついていた私を夏海さんが引き剥がします。
「ご、ごめんなさい。どうしていいかわからなくて、その、ごめんなさい」
「ぷっ。いいよ。気にしてないし、こちらこそありがとう。落ち着いたよ」
私の慌てぶりに思わず吹き出した夏海さんの顔は、いつものように明るく力強さが戻っていました。
「気づいていると思うけど、あたしさ虫、だめなんだよね。どうしようもないくらいに怖いんだ」
バツの悪そうに、情けない自分を白状するように夏海さんは冗談ぽく、昔話風に話してくれます。
「むかし、むかし。ここではない田舎の山奥に女の子が住んでいました。女の子は気が強く、男の子ともよく喧嘩をしていました。ある日のことです。女の子は男の子から報復を受けました。服の中に生きた蝉を入れられたのです。服の中で暴れ回るジジジジジジという蝉の羽ばたき音と肌にぶつかってくる感触も自分では何もできない無力感も嫌で嫌でたまらなかった。それ以来、あたしは虫がダメになったんだ」
最後の方は、昔話風にするのを忘れてしまっていたようです。もしかしたらめんどくさくなったのかもしれません。
それよりもいきなり、重たい話を聞かされてしまいました。何と返答すべきなのでしょうか。
「わ、私は虫は平気だから……」
「わっ何それ嫌味ー?」
茶化すような口調なのに、すごく寂しそうな悲しそうな表情で見つめてきます。
「……だから、虫は私がいつでもとってあげ、ます」
何とか、大事な一言を続けることができました。会話のテンポが悪くなっても伝えないといけない言葉でした。
大きく目を見開いた後、徐々に夏海さんの頬が緩んでいきます。
「その時は、よろしくねっ」
「はいっ」
夏海さんに釣られて私も元気よく返事をします。
そんな自分に驚いてしまいました。まさか、自分が大きな声を出せるだなんて、夢にも思いませんでした。
その後、2人で色々と話しながら下校しました。
廊下を走るなんて小学校以来です。
息がすぐに上がってしまいます。
「はぁっ」
準備体操をしていないせいか、思ったように走れません。体の動きが水中にいるように鈍くてしょうがありません。
それでもできうる限りの速さで私は走ります。
きっと、夏海さんは更衣室で制服がなくて困っています。
私の学校のプールは古く、更衣室はコンクリートの打ちっぱなしで最悪です。生徒達の間では独房、牢屋などと揶揄されているほどです。コンクリート製の物置の中にスノコを敷き、朽ちかけている木製の棚があるだけの名ばかり更衣室です。
湿度が常に高く、壁には水垢だか苔だかが分からない黒い物が付着しています。そんな更衣室なので当然のように黒くカサカサ動く昆虫も目撃されているのです。
そんなところから夏海さんが出れなくなっているかもしれません。
プールにつきました。
上がった息を整えるよりも先に、ガンガンと少し強めに更衣室の鉄製の扉をノックして一声かけます。
「入ります」
私は息を飲みました。
電気もなく、かすかな太陽の残り日だけの薄暗い更衣室に、バスタオル一枚だけの夏海さんがうずくまって泣いていました。
一瞬、お化けか何かだと思ってしまいました。
「し、枝折 夏海さん?」
恐る恐る声をかけると夏海さんが顔をあげてこちらを見ます。それに合わせるようにゆっくりと夏海さんの水泳バッグを彼女の目線に合わせました。
「私の着替えー」
「ど、どうぞ」
制服を渡して私は、更衣室から出て外にあるスイッチを押して、更衣室内の蛍光灯を灯らせます。
帰ろうかとも思いましたが、ここで無言で帰るのも変だと思い、夏海さんを待つことにします。一体なぜこのような事態になったのでしょう。あまり、考えたくはありません。
ギィいいいと軋んだ音を立てて鉄扉が開き、申し訳なさそうなバツの悪そうな顔をした夏海さんが出てきました。
「雪菜さん、ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
朝のありがとうとは違い、憔悴しきったありがとうです。無理もありません。こんなところに閉じ込められてしまっていたのですから。
「ほんと、雪菜さんがきてくれなかったら、怖くて、来てくれて、出れなくて」
泣きながら感謝と怖かった思いを必死に伝えようとしてくれますが、正直要領をえません。友人のいない私はこんな時、どうしたらいいのかが分かりません。百合小説を参考にするのなら、抱きしめて口づけをして黙らせるのが王道でしょうか。
私はそっと夏海さんの震える体を抱きしめます。背中に回した手でトントン、トントン。と軽く背中をたたいてあげます。
大丈夫。安心してという思いを込めながら、トントン。トントン。
顎をくいっとして唇を奪う事は勇気がなくてできませんでした。できなくて正解だったのかもしれません。
夏海さんの湿った髪からはプールの匂いが微かにします。
どのくらいそうしていたでしょうか。夏海さんの濡れた髪が少し乾いていることから考えれるにかなりの間そうしていたように思えます。
「……あつい」
ベリベリとひっついていた私を夏海さんが引き剥がします。
「ご、ごめんなさい。どうしていいかわからなくて、その、ごめんなさい」
「ぷっ。いいよ。気にしてないし、こちらこそありがとう。落ち着いたよ」
私の慌てぶりに思わず吹き出した夏海さんの顔は、いつものように明るく力強さが戻っていました。
「気づいていると思うけど、あたしさ虫、だめなんだよね。どうしようもないくらいに怖いんだ」
バツの悪そうに、情けない自分を白状するように夏海さんは冗談ぽく、昔話風に話してくれます。
「むかし、むかし。ここではない田舎の山奥に女の子が住んでいました。女の子は気が強く、男の子ともよく喧嘩をしていました。ある日のことです。女の子は男の子から報復を受けました。服の中に生きた蝉を入れられたのです。服の中で暴れ回るジジジジジジという蝉の羽ばたき音と肌にぶつかってくる感触も自分では何もできない無力感も嫌で嫌でたまらなかった。それ以来、あたしは虫がダメになったんだ」
最後の方は、昔話風にするのを忘れてしまっていたようです。もしかしたらめんどくさくなったのかもしれません。
それよりもいきなり、重たい話を聞かされてしまいました。何と返答すべきなのでしょうか。
「わ、私は虫は平気だから……」
「わっ何それ嫌味ー?」
茶化すような口調なのに、すごく寂しそうな悲しそうな表情で見つめてきます。
「……だから、虫は私がいつでもとってあげ、ます」
何とか、大事な一言を続けることができました。会話のテンポが悪くなっても伝えないといけない言葉でした。
大きく目を見開いた後、徐々に夏海さんの頬が緩んでいきます。
「その時は、よろしくねっ」
「はいっ」
夏海さんに釣られて私も元気よく返事をします。
そんな自分に驚いてしまいました。まさか、自分が大きな声を出せるだなんて、夢にも思いませんでした。
その後、2人で色々と話しながら下校しました。
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