あおとみずいろと、あかいろと

蒼真まこ

文字の大きさ
36 / 70
あおの章 青葉

青葉と朱里

しおりを挟む
 ふたりだけの話し合いからまもなく、水樹は海外へと旅立った。
 別れの際、水樹に朱里を抱くように勧めた。朱里の温もりを、水樹に憶えておいてほしかったからだ。

「い、いいのか?」
「おまえの娘だろ。その温もりを忘れずに頑張って、必ず帰ってこい」

 そっと朱里を抱き、小さな手にふれようとしたときだった。朱里は水樹の人差し指を、きゅっと握にぎりしめたのだ。「かならず、かえってきてね」とでも伝えるかのように。

「朱里……」

 水樹の人差し指を握りしめた朱里の動作は、赤ん坊特有の反射的な動きだと後に知ることになる。だがその時の水樹にとっては、この上のない幸福であっただろう。涙をこぼしながら、何度も娘の名前を呼んでいたのだから──。

 そして僕と朱里、ふたりだけのだけの生活が始まった。
 大学をしばらく休学し、朱里を育てることに専念した。子育ての経験などない僕にとっては、何もかもが手探りの状態だったからだ。育児書をあさり、お世話になった病院に相談したりしながら、必死に朱里を育てた。
 朱里の夜泣きで、眠れない日々が続く。慣れない子育てに疲れ切って、朱里と一緒にうたた寝してしまうこともあった。動き出すようになれば目が離せなくなるし、気が休まる時がない。

 けれど、そんなときに見せる朱里の何気ない仕草や笑顔に心が癒いやされることを知った。
 常に僕の後をついて回り、足にまとわりつきながら、可愛らしい笑顔を見せる。抱っこしているときの温もり、名前を呼んだ時の満面の笑み。愛らしい姿は、天使のようだ。親バカ(正確にはおじバカだが)もいいところだが、本気で思ってしまうから不思議だ。
 いつしか朱里の成長は僕の生き甲斐がいとなり、希望となった。

 こどもは小さな幸せを見つける天才だ。
 たとたどしい言葉でおしゃべりを始めるようになると、思ってもみなかった幸福を教えてくれるのだ。

「おじしゃん、おじしゃん! お月さま、キレイねぇ」
「本当だね、朱里。今晩は月がきれいだ」
「お月さまねぇ、あたちをずぅっと見てるのよ。だからお月さまにむかって、にこってするの。そしたらねぇ、お月さま、もっときれいになって、あたちもうれしくなるの」
「朱里が笑うと、お月様がキレイになるのかい?」
「そうよ~。おじしゃんもわらってぇ? おこりんぼさん、だめぇ」
「わかったよ、朱里。笑顔が一番だ。いらついていたらダメだね」

 月のきれいな夜は、朱里とふたりで月見を楽しむようになった。忙しくて辛い日々も、不思議と穏やかになれた。
 一緒に散歩に出れば、小さな虫や蝶、野良猫などの命あるものを見ては共に楽しんだ。
 朱里といるだけで、日常の様々なものが輝いて見える。ただそこに在るだけで、命は尊い。儚く、時に脆いからこそ、命は大切に守らなくてはいけない。それは僕自身も同じことだ。若くして天に召された桃子のぶんも、僕はしっかり生きていく。たとえ何があっても。

「おじさん、あたしねぇ。おじさんの大きな手が大好き」
「手が好きなの? おじさんじゃなくてかい?」
「もちろん、おじさんも好きよ? だって、おじさんの大きな手で、なでられると安心するんだもん。おいしいごはんも作ってくれるしね」
「最後はごはん? 朱里は食いしん坊だなぁ」
「ちがうってばぁ。もうっ、おじさんのいじわる!」

 ありがたいことに、朱里は大きな病気をすることもなく、すくすくと元気に成長してくれた。
 いつも笑顔で元気いっぱい、共にいるだけで気持ちが明るくなれる。父も母も知らずに育ったのに、良い子に成長してくれたと思う。大変なことも多かったけれど、朱里との生活は幸せそのものだった。


 父である水樹は、朱里が年頃になっても帰ってこなかった。
 お金はだけは定期的に送ってきたし、その額も年々増えているので、どうやら頑張ってはいるようだ。連絡を取ろうにも、あちこちを転々としているらしく、所在がわからなかった。ある年には、水樹の名が刻まれた風景の写真集が送られてきた。

「写真家として成功した証しを送ってくるぐらいなら、一度日本に帰ってこればいいものを……。まったく、本当に手のかかる弟だよ」

 時おり空を眺めては、朱里の母である桃子に思いを馳せる。

 桃子、朱里は良い子に育ったよ。
 最近は桃子によく似てきて、ふとした時に見間違えそうになるほどだ。

 朱里は高校生になったんだよ。高校では男の子と仲良くなったらしくてね、嬉しそうにその少年の話をするんだ。その少年は双子の兄弟のひとりらしい。何の因果だろうね? それとも桃子に似たのかな。
 あと少しすれば、朱里も独り立ちできるようになるだろう。もうそろそろ、僕の役目は終わったと思ってもいいかい?
 ああ、でも一つだけ大事なことが残っているね。水樹と朱里の仲を取りもってやらないと。
 朱里は優しい子だけど、頑固なところもあるから、水樹とは反発しそうで心配だ。朱里の意地っ張りなところは、水樹に似てしまったのかな。
 水樹は本当に困ったヤツでごめんな。弟はいろいろと面倒だけど、僕にとってはたったひとりの兄弟なんだ。
 桃子、天国から水樹と朱里のことをどうか見守ってほしい。意地っ張りで頑固なふたりが、父と娘として向き合えるようにね。

 それまで僕も、もう少しだけ頑張ることにするよ──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

生きるために逃げだした。幸せになりたい。

白水緑
ファンタジー
屋敷内に軟禁状態だったリリアは、宝物を取り戻したことをきっかけに屋敷から逃げ出した。幸せになるために。体力も力もない。成り行きに身を任せる結果になっても、自分の道は自分で選びたい。 2020/9/19 第一章終了 続きが書け次第また連載再開します。 2021/2/14 第二章開幕 2021/2/28 完結

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

【完結】黒の花嫁/白の花嫁

あまぞらりゅう
恋愛
秋葉は「千年に一人」の霊力を持つ少女で、幼い頃に龍神――白龍の花嫁として選ばれていた。 だが、双子の妹の春菜の命を救うために、その霊力を代償として失ってしまう。 しかも、秋葉の力は全て春菜へと移り、花嫁の座まで奪われてしまった。 それ以来、家族から「無能」と蔑まれながらも、秋葉は失われた力を取り戻すために静かに鍛錬を続けていた。 そして五年後、白龍と春菜の婚礼の日。 秋葉はついに霊力が戻らず、一縷の望みも消えてしまった。 絶望の淵に立つ彼女の前に、ひとりの青年が現れる。 「余りもの同士、仲良くやろうや」 彼もまた、龍神――黒龍だった。 ★ザマァは軽めです! ★後半にバトル描写が若干あります! ★他サイト様にも投稿しています!

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

処理中です...