裏極(極道恋事情番外編)

一園木蓮

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幼き日の紅椿白椿

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※鐘崎&紫月が小学生だった頃の授業参観日の読み切りです。



「な、父ちゃん……明日のことだけど。お、遅くなってもいいから……。っていうか、忙しかったら無理して来てくれなくてもいい」
 それは紫月が小学五年生の時のことだ。授業参観を明日に控えたその日、夕飯をとりながらうつむき加減でそう言った。
「心配するな。明日は道場の稽古も夕方からしか入っておらん。ちゃんと時間に間に合うように行くさ」
 父の飛燕はそう言って微笑んだが、紫月はどことなく気重そうに視線を泳がせた。
「……ん、そっか。来てくれんなら……うれしいけども」
 だが言葉とは裏腹、どう見てもうれしそうには思えない。そこで飛燕はハタと気付いたように息子を見やった。

「――もしかして遼二坊のことを気にしているのか?」

 鐘崎の家は極道だ。父の僚一は年がら年中依頼の仕事で海外を飛び回っていて、参観日には組番頭である源次郎が代わりに出向くことが多い。クラスメイトらもその父兄たちも鐘崎組の存在はよく知っているので、いわゆる陰口を叩かれることも少なくない。鐘崎自身は気にしていないふうに装ってはいるが、一番前の方の席にいる紫月にさえもヒソヒソと噂話が耳に届くほどなのだ。後ろの方の席で父兄から近い鐘崎にはもっと鮮明にいろいろなことが聞こえてくるに違いない。紫月はそれが辛いのだ。前回も、そのまた前回の時もそうだった。
『ほら見て。やっぱり今日もお父さんはいらしてないのね』
『ほんと。またいつものお爺ちゃんが来てるわね』
『あら、いやぁね。あれお爺ちゃんじゃないわよ!』
『知ってる! あの家に住んでるヤクザでしょ?』
『そう、組員よ! お父さんは組長で、ほとんど家にいないらしいじゃない』
『今はまだ小学生だからいいけど……大きくなって息子がグレたりしたら怖いわよねえ』
『ホントね! あの子、体格もいいし高校生くらいになったら不良の代表格になりそうじゃない。うちの子はあの子と違う高校に行かせるつもりよ』
 担任も気まずそうながら表立って注意することもしない。そんな時に鐘崎がどんな気持ちでいるかと思うと気が気でないのだ。
 だからもし自分の父親も参観日に来なければ、『一之宮さんのお父さんも来ていないわね』ということになり、鐘崎への陰口が少しでも減るかも知れない――と、そんなふうに考えているのだろう。飛燕もまた、息子の胸中が手に取るようだった。
「紫月、お前の気持ちはよく分かる。だがな、世間ってのはいろんなことがあっていろんな人がいるもんだ。他人様のことをああだこうだと噂するのが好きな人間もいる。だが、だからといってその噂をしている人たちが実際にそう思っているとばかりは限らんのだよ? 中にはその時々で仕方なく周りの話に合わせているだけの人もいるかも知れない。また、そんな噂話などする自体が最低だと嫌悪している人もいるだろう。すべての大人が悪意を持っているわけでもないし、そんな噂話を信じるわけでもない。言いたい人には言わせておけばいい。遼二坊やお前が心を痛める必要もない」
 強くなるんだ――飛燕はそう言って穏やかに息子の頭を撫でた。
「父ちゃん……」
「心配するな。源さんはれっきとした遼二坊の父兄だ」
「うん……俺もそう思う」
「大丈夫だ。父さんもずっと源さんと一緒にお前と遼二坊を見守っているからな」
「うん……。ごめん、父ちゃん。生意気言って……」
「生意気だなんて思っちゃいない。父さんはお前のやさしい気持ちを充分分かっているし、誇らしいと思っているよ」
「父ちゃん……」
 グスリ、小さく鼻をすすりながら紫月は一心不乱に味噌汁と白米をかき込んだのだった。

 そして参観日当日――。
 父兄たちが続々と教室の後ろに顔を揃える中、紫月は後方の席にいる鐘崎を気に掛けながらドキドキと心逸る思いでいた。当の鐘崎はしっかりと顔を上げて黒板を見つめ、意思の強い瞳を讃えながら唇を結んでいる。堂々たるその姿は切なくもあり、だが紫月にとってはこの世の誰よりも何よりも立派で、誇らしく思えるのだった。

(遼、俺がついてっから! 俺だきゃ何があってもおめえン見方だ! つか、俺もしっかりしなきゃ。おめえみてえにシャンと姿勢を正して、おめえと一緒に堂々としていよう!)

 そう自分に言い聞かせて胸を張り、黒板を見つめた。――と、その時だった。ザワザワと後方が騒がしくなったのに後ろを振り返ると、そこには父の飛燕の姿。ビシッとした準礼装の和服姿の飛燕が他の父兄たちに柔和な会釈をしながら教室へと入って来たのだ。
『まあ! 着物……?』
『いったい誰?』
『ホラ、あれよ。あの道場の……!』
『ああ、師範の? それにしても着物なんかで来るなんて、随分とまた気合いが入ってること』
『まるで卒業式じゃない! あそこまで気張る必要ある?』
『ホントよ。ただの参観日なのに……』
 今度は飛燕が噂の的になっているようだ。だが、紫月にはそれが誇らしく思えていた。

(ふふ、父ちゃんったら! またえらく派手にやらかしてくれたな)

 この調子なら今日は源次郎や鐘崎が嫌味を言われることも少ないかも知れない。思わずクスッと笑んでしまいそうになるのを堪えながら、より一層シャンと姿勢を正して黒板を見つめる。――と、またもやそれよりももっと大きなざわめきが起こった。チラリと遠慮がちに振り返れば、飛燕の後から鐘崎の父・僚一が姿を現したのだ。
 品のいいスーツに身を包み、表情は柔和ながらもまるで俳優かモデルのような男前ぶりだ。
 昨日の時点ではまだ海外だと聞いていた。ということは昨夜遅くか、あるいは今朝帰国したばかりなのかも知れない。今日が参観日だと聞いて駆け付けたのだろう。
「皆さん、いつもお世話になっております」
 小声で周囲に会釈をしながら教室へと入って来る僚一と着物姿の飛燕に、父兄たちはポカンと大口を開けて固まってしまっている。群を抜いた男前ぶりに、次々頬を染め始めてはモジモジと恥ずかしそうにうつむき出す母親たちまで出る始末――。
 チラリと鐘崎を見やれば、照れ隠しかキュッと唇をへの字に結びながらも頬を薔薇色に染めて視線を泳がせている様子が目に飛び込んできた。相変わらずに堂々と姿勢を正してはいるものの、うれしいという気持ちは彼の薔薇色の頬を見れば一目瞭然だ。
(おっちゃん、来てくれたんだ……! 良かったな、遼!)
 紫月は心臓が飛び出しそうになるくらい嬉しくて堪らなくなって、授業の間中ドキドキと心臓を高鳴らせながら一限を過ごしたのだった。

 そうして参観が済むと、まるで我先にと父兄たちが僚一らを取り巻いては甲高く興奮した声で挨拶合戦が始まったのに目を丸くさせられた。
『鐘崎さんでいらっしゃいますよね? いつも息子がお世話になっておりますー!』
『一之宮さん! ご師範にはうちの親戚の子が道場でお世話になっているんですよ!』
『普段お仕事お忙しいんでしょう? でも今日はご一緒できて光栄ですわ!』
『本当に! これからもどうぞよろしくお願いいたしますわ!』
 やいのやいのと僚一らの周りには黒山の人だかり――。子供たちも皆、父兄たちを振り返ったまま唖然とした表情でいる。
「チッ……! 母ちゃんったらみっともねって! よそン家の父ちゃんにベタベタしちゃってよー」
「ほんっと! うちの母ちゃんもさ。あーんなデレたツラしてゴマすっちゃってさ! 帰ったら父ちゃんに言いつけてやる」
 そんなふうに舌打つ者がいる反面、それとは逆に、
「あれ遼二の父ちゃんだろ? めっちゃかっけえじゃん!」
「いーなー。ウチのオヤジもあんなイケオジだったらなぁ」
 などと憧れの視線でワクワクとしている者もいる。女子などは頬を染めてモジモジと固まっては皆でヒソヒソ、そうかと思いきや突如キャアキャアと黄色い声を上げては互いを突っつき合いながら照れている集団も有り――。
 それらを横目に紫月はポカンと教室中の人間模様を見つめるのだった。

(ほんと……父ちゃんの言った通りだ。いろんな人間がいるなぁ)

 世の中は広い。そして面白い。
 ついさっきまではヤクザだからどうの、高校生になったら不良になるだのと陰口を叩いていた大人たちが、今は『お世話になっています』だの『これからもよろしく』だのと頬を染めている。
 裏も表もあり、汚いこともあたたかい真心も飛び交う広い世間。青い大海原に――波立つ日もあれば穏やかにカモメが飛ぶ日もあるのだろう。
 どんな日でも変わらずにあって欲しいと願うのは、いつでも自分の隣で共にいるただ一人のことだ。

(例え嵐の日でも穏やかな晴天の日でも、俺はあいつと居られればそれだけでうれしいんだ)

 あいつ、遼二と――そしてそんな自分たちを見守ってくれる僚一や飛燕という父親、そして源次郎たちといつまでも共に歩んでいきたい。

 一之宮紫月、ほんの少し大人に近付けた気がした小学三年生の春のことだった。

幼き日の紅椿白椿 - FIN -
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