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第二章
第二十五話
しおりを挟む走り出したヴィルヘルムはヴェルゼルを対象に《ジャイアント・キリング》を発動。一気に上昇したステータスから、超強化を受けた脚力が発揮される。
蹴り出された地は大きく抉れ、次の瞬間には音速を超えた速度へ到達。世界が割れるのではないかと錯覚する程の轟音と共に、彼は一瞬で竜車の元、いやそれすらも勢い余って通過し、その先で反転しながら足で急制動を掛ける。
当然、彼の通った後には轟風と衝撃波が吹き荒れ、全てをズタズタに切り裂いていく。地に生えた草は根こそぎ刈り取られ、強固な筈の竜車の一部すらも抉り、そして範囲からは離れた筈のアンリ達の元にも、まともに目を開けていられない程の突風が吹き荒れる。
「ひょわぁっ!?」
「す、砂が凄いです……!」
(……ハッ、相変わらず苛烈な奴だぜ)
ヴィルヘルムの戦闘に慣れていないアンリにミミは悲鳴を上げ、慌てて自身の顔に手を翳す。地面は草原だったにもかかわらず、巻き上げられた砂嵐から視界を守る為だ。
そしてそんな視界が悪い中でも、彼の事をじっと見据えるヴェルゼル。竜人族特有の金色の眼がギラリと光り、最悪の視界の中でもしっかりと彼の姿を映し出していた。
やがて突風が収まり、アンリとミミが目を開けられる位にまで回復した頃。砂嵐の奥からヴィルヘルムの姿が、太陽の光に照らされる。
「ぐ、かはッ、何故……」
「……」
その手でがっしりと、見知らぬ女の首筋を鷲掴みにしながら。
片手だけで掴み上げられた女性は、極力まで隠れ忍ぶ為か非常に薄い衣装を身に纏っており、真っ黒な布切れで口元を覆っている。黒衣の男達と意匠自体は似ている為、恐らく彼らと同じ所属なのだろう。
浮き上がった足をジタバタとさせるが、幾ら足掻こうとヴィルヘルムの圧倒的なステータスの前には抵抗にすらならない。掴んでいるだけでも相当に圧迫されているのか、その顔色は徐々に赤くなり、十分に酸素が行き届いていない事を如実に伝えている。
「く、苦しッ……ゲホッ!?」
だが、彼女が至極苦しそうに咳き込む姿を他所に、ヴィルヘルムは横目で背後の竜車を窺う。
そう。彼が恐れたのは不審な人物がいたことでは無い。誰であろうと竜車へと近づく者がいたということに恐怖したのである。
(あ、跡は残ってないよな……うん、隠蔽出来てる……筈……)
彼が胃の内容物……つまる所、はっきり言ってしまえば吐瀉物を吐き捨てたのは、アンリ達から向かって竜車の反対側。誰の視線からも通らない筈の場所である。
一応地面は土。そして足で彼方此方の土を引っ掛けた事もあって、姿形自体はどうにか目立たない程度まで収めることが出来たが、それでも微かな臭いはどうしても残ってしまう。ステータスの高さが嗅覚に関係あるとは限らないが、それでもヴェルゼルらは人間とは違ったスペックを持つ魔人。人外の嗅覚で発覚してしまうとも知れない。
よって彼は必死で竜車に近づく人物を監視していた訳だが、そんな所に透明な不審者が近づいているとあれば焦らない筈がない。結果、慌てた彼は普段からは想像も付かない程の瞬発力を発揮し、これほどの暴挙に出たのである。
辺りにバレた様子は無いと一息ついたところで、漸く手の中の存在を思い出す。既に女性の顔色は真っ赤に染まり、唯一露出している目は虚ろに裏返りかけている。最早白目を向いている状態だ。
まさか殺すつもりなど毛頭無かったヴィルヘルムは、力加減を間違えたかと慌てて手を離す。強力な軛から解放された彼女は、そのまま重力に引かれて落下。酷く咳き込みながら、伏せった状態で苦しげに呻く。
やってしまったと思い、罪悪感から女性の側にしゃがむヴィルヘルム。だが、その顔は相変わらずの無表情。それに加えて先程まで自身を縊り殺そうとしていた訳だから、女性からすれば何をされるか分かったものではない。
「い、あっ……」
言葉にならない言語を口から発しながら、少しでも必死に距離を取ろうとずるずると座り込んだまま後ずさりする。相手は他ならぬ天魔将軍が一人、どんな奇跡が起ころうと勝てる相手では無い。
ヴィルヘルムの冷淡な目線が、彼女の恐慌状態をさらに過剰な物としていた。人を人とも思わないような、深い闇を湛えたその眼に、自然と呼吸が早くなる。
……最も、ヴィルヘルム自身に そんな意図は一切無いが。本人にしてみればただ相手のことを気遣っているだけである。
しかし、仮にそれを解説したところで、首を締めてきた相手の文言を信じる程、彼女も純朴では無いだろう。寧ろ何の裏があるのかと、より警戒を深めるだけである。
そうしてずりずりと距離を取っていた女だが、その動きは背中に何か硬いものが当てられたことにより制止される。
恐る恐ると背後を振り返ると、そこにはまさに悪化と表現するに相応しい表情を浮かべた斬鬼が。
「何処へ逃げようとしている? 今更逃げ場などある筈が無いだろう」
「く、クソッ!!!!」
だが、完全に追い詰められた事で、かえって覚悟が決まったのか。女は最早隠密という当初の目的すらかなぐり捨てて、叫びを上げながら斬鬼へと躍りかかる。
(フン、危機的状況に血迷ったか――)
無防備な胴体に向けて、白刃を振り抜く斬鬼。だが、意外なことにその一撃は硬質な物に受け止められることで防がれる。
手甲による受け流し。万分の一の確率ではあったが、それでも奇跡は起きるものだ。偶然に翳した腕の上を、剣閃が通り過ぎていく。
そして女に訪れた、千載一遇の反撃の機会。だが、彼女の思考は彼我の戦力差を正確に叩き出しており、味方も全滅したこの状況では、どう足掻こうと敗北という結末以外にあり得ない。
故に、この場で最善の行動を結論付けた彼女は、静かに奥歯を噛みしめた。
「……ご、ハッ」
「な、貴様まさか!?」
次の瞬間、口から激しく血液を吐き出す女。
何のことは無い、万が一に備えて奥歯に仕込んでおいた毒薬を、ここで服用しただけである。
暗部として決して雇用主や任務、そして目的の事を話す訳には行かない。しかし、この戦力差では捕虜となる結末は明白である。故に、情報を明け渡すならと先に自身の命を絶つ。
ざまぁみろと、ニヤリとした笑みを浮かべた彼女は、そのまま地に倒れ伏し、草を赤く濡らしていく。彼女の容体を一通り調べると、斬鬼はゆっくり首を振った。
「……ダメですね、全身の血液を一気に排出する特殊な魔法薬が使われている。私があの時一撃で意識を落とせていれば……申し訳ありませんヴィルヘルム様」
「ま、暗部としては正しい在り方かもしれねェが……どれにせよ気に入らねェ結末だ。胸糞わりィ」
舌打ちをしながら死体に寄ってきたヴェルゼルは、転がった小石を蹴り飛ばすことで不満を露わにする。
結局襲撃の理由、指示した者、そして目的。そのどれも理解する事なく、一連の事件は術者を失った魔法陣がその効果を失ったことで幕を閉じた。
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