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10 ボク
イヤチコ 後
しおりを挟む船長に警告して、ボクらの意図は伝わったと思うが、客は制御しきれない。
ゼンさまを客室に閉じ込める事ができない以上、見せしめが必要なのかとさえ考えさせられた。
船員や乗客に、ボクたちへの恐怖が由来のもやもやを抱えるものが増えていく。
ゼンさまの清らかすぎる姿を見てしまい、引き寄せられ、反発して狂ってしまう者が出てきた。
ようやく原大陸が見えた時には、黒々としていた海はきらめく波間に魚が飛び跳ねる美しさになっていた。
どんな音が聞こえているのか、乗船の時には眉を寄せていたディスも、浄化された後の海の様子には口の片端を持ち上げていた。
船の中は葬式の最中のように静まり返っていた。
当初からの変わりようにゼンさまも困っていたけれど、浄化された事を心地よく感じている幼い者や、一部の心清らかな大人は過ごしやすそうにしていた。
安易に浄化すればこうなるのか。
面倒な事態を避けるために、ずっと弱い浄化能力を携えて旅をしておられたのだろう、とかみさまの深い慈愛を知った。
原大陸に近づいたからか、船内で何度も亡くなったからか、ゼンさまの浄化の力は更に強くなっていた。
ボクの目には変わって見えない、真っ白で真っ黒なゼンさまだ。
けれど、他人の目には文字通り神々しく写るようで、誰も近寄ってこない。
いいや、気狂いが出た事を知り、近寄ってこないのだろう。
ボクたちもまた、同じように近づかれなくなっていった。
ゼンさまから与えられたシンシの力が、強くなっているから。
大陸に上陸した後も、住人はゼンさまの姿を畏れた。
ここまでかみさまの力を垂れ流していると、シンシであるボクたち以外は近づけない。
黒いもやもやを腹に溜めたものでさえ、ゼンさまの近くに寄れない。
こうなってしまえば、街に滞在する必要は無かった。
食べ物だけを補給して、野宿で十分だ。
ゼンさまは、進む方向を決めているように見えた。
言葉にしなくても、常に首を回らせて教えてくれた。
ボクたちは従うのみ。
全てが終わる。
それを察したのは、かつてのかみさまが最後に立ったと言われる聖地に辿り着いた時だった。
ゼンさまの指し示しに従って迷うことなく進み、岩と土だけが広がる荒野へ足を踏み入れた。
周囲を見回していたゼンさまがぽつりと口にした。
「……あれ、ここ」
覚えておられるのか。
かつての神話の時代、かみさまが、ヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウが天に帰った地を。
全てが終わった地を。
数日かけて荒野の奥に進み、周囲に枯れた大地しか無くなった時。
日に日に強くなっていたゼンさまの御力が、消えた。
ゼンさまの肉体の大きさに力が収まり、一切の浄化がされなくなった。
まさか、と思った。
このまま、天に帰ってしまわれるのでは。
見捨てられたこの世は、終わってしまうのか。
ディスと二人、覚悟を決めた。
いずれ来るとわかっていた日が、訪れただけだ。
涙を見せるな。
悲しむな。
ボクたちがすべきは、かみさまにこれまで世界を愛して頂いた御礼をする事だ。
かみさまはどこまでも慈愛に満ちてお優しい方だ。
それを感謝して受け入れなかったのは、人だ。
「この辺り一帯は、かつてヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウが去られた地と呼ばれ、不可侵の聖地となっているんだ」
ディスは、全てを察していても、諦められなかったんだろう。
ボクだって同じだ。
ゼンさまは天へ帰られるのが自然だ。
ヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウはただひとつ星におられる。
地で生きる存在では無いと、知っていても。
つい、聞いてしまった。
「ゼン、どこにも行かないよな?」
「どこにも行かないけど?」
不思議そうな表情をされて、自分の愚かさに涙が滲んだ。
かみさまは常に天におられる。
どこにも行かれることなく、全ての命を見守ってくださっている。
これまでも、これからも。
今は肉の殻を用い一時的に地に触れているだけ。
ヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウは、今この時も天のただひとつ星にいる。
最後に意地汚く未練がましく、二人でゼンさまを抱いた。
死ぬ時は、ゼンさまを抱きながらが良い。
ボクたちも一緒に、この世からいなくなってしまえたら、それが一番良い。
ゼンさまが天に帰れば、ボクらは空を見上げて戻らないかみさまを待ち続けるのだろう。
狂ってしまっても、壊れてしまっても、死んでしまっても。
ずっとこの場から離れずに、かみさまを待ち続けるだろう。
ボクたちの腕の中で、ゼンさまは大気に溶けた。
真っ白で真っ黒な姿はいつものようにぐずぐずと形を失い……消えた。
風が砂を舞い上がらせるように。
さらさらと、ボクらの手の中から失われていくゼンさまの肉の殻。
覚悟なんてできなかった。
いつかこの日が来ると知っていても、そんなの、無理だった。
「pw*、djw+っ」
「fpgw、lmx+ッッ」
声にならない言葉が、風一つ吹かない荒野に溶けた。
気力を失い。
気がつけばボクたちは人の姿になっていた。
ゼンさまのお側にいるための姿に。
もうこの地にヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウは居られないのに。
ボクたちは、この地に残されてしまった。
この身朽ち果てるまで、ここにいよう。
夜毎にただ一つ星を見上げ、心の支えとしよう。
ボクらをいと高き場所から見守っていて下さるヌー・テ・ウイタ・ラ・ドゥンネゼウに、無様を見せるわけにはいかない。
少なくとも、この荒野は浄化されきっているから、ボクたちがもやもやを吸い込んで狂う事はない。
ゼンさま、お慕いしておりました。
誓いを立てた通り、死に分かたれる時までお側において欲しかった。
「……ひぐっ、っぐ」
ぼたぼたと涙を垂らすディスにつられて、ボクも泣いた。
ゼンさまがいない。
どこにもいない。
もう、会えない。
愛おしい笑顔も、困ったような微笑みも、照れた時の微笑も、嬉しそうな大笑も、見られない。
ボクたちを愛してくださった。
それだけは事実で。
それだけで、ボクたちはこれからを生きていかなくてはいけない。
夜の闇が世界を包み。
風一つ吹かない荒野で夜を過ごした。
空腹も乾きも苦痛ではない。
ここから人の住む場所まで行けば、往復で一週間以上かかる。
この清らかな地を離れたくない。
このまま、ここで、死ぬまでずっと夜毎のただ一つ星を見上げていたい。
どちらからともなく、そう言い出した。
かつてこの荒野には、黒いもやもやによって姿を変えたものがいたようだ。
今は痕跡はあっても浄化されているため、昼夜関係なく、なにもいない。
生命の無い、からっぽの大地。
昼は陽光で真っ白に照らされ、夜は闇に真っ黒に閉ざされる。
ゼンさまの腕に抱かれているようで素敵じゃないか。
ディスがそんな事を言うから、やっと止めた涙がまたこぼれてしまった。
泣いて泣いて泣いて、身体中の水が無くなって。
飲み水を手に入れに行く気にもなれなくて。
ディスが、持ってきた物を使ってしまおう、と火を焚いた。
ゼンさまが気に入っていた天幕を張って、敷物を広げた。
二人で火を挟み、ぼんやりと時間を過ごした。
たどり着く道中で拾ってきた薪を足しながら、ただ時間が過ぎていくのを感じた。
かさり、と裸足で布を踏む音がした。
この荒野にも命が存在しているのか、と確認のためだけに顔を上げて、ボクらは幻を見ているのだと察した。
「スペラ、ディス?」
もう一度聞きたかった声が、もう二度と聞けないと思っていた声が、聞こえた。
なんてひどい幻聴だろう。
「ゼンさま」
「どうして……?」
まっさらで真っ白で真っ黒なゼンさまが、ボクたちを見て、きょとりと目を瞬かせていた。
了
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