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本編と補話
15 実りもたらす苔の戦い方
「おまえぼろすとふぁか?」
かすれてほとんど聞こえない声をかけられた。
なにを言われたかは聞き取れない。
視線を向けると同時に、胸が痛んだ。
骨と皮にぼろ布を巻いたような人が、どす黒く染まった歯をむきだして、おれを見ていた。
白目は黄色く濁り、肌はがさがさに荒れて、涸れた大地のようにひび割れて痛々しい。
伸ばされた手の先は、指が何本も欠けていた。
こういう姿を見たことがある。
下町にいた子供の頃。
両親の食堂には、枯れ木のように細くて、垢で黒く染まった人々が、貧民街から生ごみを漁りに来ていた。
体を壊して戦場から戻り、帰る場所もない人々。
父母は彼らが居着くのは困ると言いながらも、焼け石に水でも食べ物を分けてあげられたら、と話していた。
暮らしに余裕があったわけでもないのに、父母のどちらか、もしくは両親ともがサンマレイネンの末裔だったからなのか。
おれの中にある〝なにかしてあげなくてはいけない〟と感じる気持ち。
これがきっとサンマレイネンの本質だ。
大地に力を分けて、得られた実りを分けてもらって、求めるものに分ける。
受け取り、分けて、世界は巡る。
世界に実りを巡らせることに、善悪や好嫌はからまないはずだった。
今、目の前に立つこの二人は違う。
この二人は、分け与えることを知らない人だ。
自分だけがほしい、自分だけのものにしたい、と願う人だ。
……なんて、哀れな。
「どなたですか」
「おまえにせきにんをとらせてやるすこしみないあいだにずいぶんかわいがりがいのあるすがたになったじゃないか、ぐふ、さあいくぞ」
声がかすれすぎて、すべて聞き取れなかった。
なんて言ったんだろう。
名前にしては随分と長く話したような気もする。
こんな時、兄ちゃんなら、なんて言う?
「もう一度お願いします」
「なっ!?」
あれ、今の言葉につまる感じ、まさか、ヘゴミ中佐?
……いいや、他人の空似とすら言えないほど、見た目が別人だ。
やはり人違いだろう。
見ているだけで、胸が苦しくなる。
痛々しい在り方を憐れむことしかできない。
待っていたけれど、なにも言ってくれないので目をそらした。
よたよたと、枯れ木のような体が力なく揺れた。
分け与えて生きることを望まない相手に、サンマレイネンの本能が声をあげる。
施しを与えよ、大地の慈悲を授けよと。
呆然としていた若者が、気がついたように顔を上げて、おれを見た。
「ボロストファ軍曹、お待ちください!」
「若旦那さま」
他の使用人に指示を出していた使用人さんが、おれの前に立ち塞がろうとする。
大丈夫だよ、と伝えたい。
「ストロナンディ、果実を持ってきて」
「はい」
視界の端に使用人さんたちが見える。
普段はおれが苦手意識を持っているせいで姿を見せないようにしてくれている、屋敷の警備をしている使用人さんたちが集まってきていた。
おれがいつもと違うと、使用人さんたちも気がついている。
使用人さんが静かに頭を下げ、手を振るだけで何人もが動く。
おれがこの家の主人のように振る舞う姿が見えていないのか、若者は自分の意見が通ることを疑っていない表情で、得意そうに微笑んだ。
「ボロストファ軍曹、今なら間に合います、ここを出るお手伝いをさせて頂きますよ」
「どうして我が家を出なくてはいけないのですか」
兄ちゃん、おれは戦い方を間違えていたことを知ったよ。
おれは実りをもたらす苔だ。
壊して奪う形で戦うことはできない、分け与えることができない相手には、一方的に与えることしかできないよ。
「ここが我が家?
あなたはヴィグォルウさまのお屋敷に居着いている他人なのですから、自分のいる場所に、すなわち軍部に戻るべきでしょう?」
あれ?
トリル兄ちゃんは、この美しい若者を同僚だと考えていない?
養子縁組手続きが終わった日の夕食の席で、可愛い息子ができたと周囲に話した、と言っていたのに。
……兄ちゃん、もしかして、おれの名前を出してない?
「神殿は救いを求め、赦しを願うものも受け入れてくださるはずですが」
「ええ、そうですよ、正しき行いが善なる力となるのです!」
兄ちゃんならきっと「もう一度初めからやりなおし!」と言うだろう。
きっと、そう言ってくれる。
命さえあれば、いつでも何度でもやり直せる。
誰よりもそれを知っている兄ちゃんだから。
だから、その悪意を、違う形で昇華してほしい。
やり直せるうちに。
「間違いは正すことができます、今なら、まだ」
「なにも間違っておりません、ここにはボロストファ軍曹という名の虫を、駆除しにきただけです。
ご心配なく、ヴィグォルウさまが悲しむ暇もないほどに尽くさせて頂きます」
本音が隠せなくなっていますよ、と警告をするべきなのか。
そういえば、この若者はどうしてトリル兄ちゃんに近づきたいのだろう。
あまり相性が良さそうに見えないのに。
神官服を着ている時の兄ちゃんは猫を被っているけど、最近は庭の草の上に半裸で転がってる。
おちつきますねぇ、と。
話し方は崩すと戻らなくなる、と言うのに、行動が昔に近くなってきた。
「お断りします。
わたしは貴方を知らないので、養父に近づかせるわけにはいきません。
……それで、貴方はどこのどなたですか?」
兄ちゃんみたいに、わたし、と言ったら、なんだか背筋が伸びた。
その勢いで名乗れ、と告げた。
おれの方がお前よりも上の立場だ、名乗れ、と
実際のおれの立場が、若者よりも上なのかは分からない。
けれど、人の家を事前連絡もなく訪ね、名乗りもしないのは間違ってる。
「はっ?、ようふっ!?」
なぜか顔を歪める若者。
どうして名乗らないのか。
後ろで、ふらふらと揺れていた知らない人が、よたよたと歩みを進めようとして。
「お待たせいたしました、若旦那さま」
目の前に差し出された、銀盆に乗せられた果実。
今は季節外なのに、旬のものよりもなお甘く熟れている。
二つ、果実を手に取る。
つやつやで少し凸凹していて、蜜がたっぷりと中に詰まっている。
庭師さんたちが選んでくれたのか、最適だ。
ぷちり、と果梗を果実本体に傷がつかないようにちぎって、若者と知らない人に差し出した。
「よろしければ、どうぞ」
「……どういうつもり、え、食べるなよ!」
「っ!?、こ、これはっっ!!」
若者が訝しげにしているのを差し置いて、知らない人が果実にかぶりついて。
飢えた獣が獲物を食らうように、種すら残さずにほとんど噛まずに飲み込む。
手に垂れた果汁を舐めても足りなかったのか、若者に差し出したままの果実を奪おうとした。
知らない人の様子を見て、欲を出したのだろう。
若者は素早く果実を取り上げ、おれを蔑むように見た。
「仕方ないので、もらって差し上げますよ」
ああ、やはり彼らは他者に分け与えることができないのだ。
一人に一つずつ用意したのだから、他人のものを羨む必要などないだろうに。
こういうのを、なんというんだったか。
隣家の花は美しく咲く、かな。
果実を服で拭った若者は、かしゅ、と音を立てて果実をかじり。
「っっ!?」
怒りに顔を歪める知らない人を無視して、果実を丸呑みにする勢いでむさぼった。
「おいもっとよこせもっとだ!」
「ええそうです、もっと持ってきなさい!」
二人が目の色を変える姿に、使用人さんが身構えた。
警備の使用人さんたちが駆け寄ってくる姿が見えた。
「いいえ、一つでも多すぎます」
「なに、いぅ……えぇぁ」
「なんです……うぁ?」
ぐらりと傾き、床の上に崩れる二人の姿を見ながら、しくしくと痛む胸を両手で押さえた。
約束の地を訪れた〝強欲な人々〟も、同じように歓待を受け取ったのだろう。
目覚めた時には、求めていたものが無くなっていると、考えもせずに。
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