ひだまりで苔むすもの

Cleyera

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本編と補話

16 ジレンマ 終

 

 特に理由はないけれど、倒れた二人に触れてほしくなかったので、衛兵が来るまでそのままにしておくように頼んだ。
 扉が閉められないけれど、少しの時間なら風邪をひいたりしないだろう。

 振り返ると、使用人さんが立ち尽くしていた。
 不安そうな様子に顔を向けると、おれを見て覚悟を決めたように口を開いた。

「若旦那さま、なにをなさったのです?」
「くせになるほど美味しくて、とても眠くなる味になって、と果実に頼んだ」
「頼んだのですか?」
「お願いすると、できることは聞いてくれる」
「なるほど」

 どこか困ったように眉を下げてしまった使用人さんの持つ銀盆から、果実を一つもらう。
 食べて良い?、と目を向けると、頷かれた。

「美味しい」

 皮が薄くてシャクシャクとした歯触りの果実は、庭師さんたちの目利き通りに食べ頃。
 なにも頼んでいないから、美味しい普通の果物だ。

 あの二つの果実は、おれがあいつらへ向けた悪意の塊だ。

 本当は、食べたら眠くなる味だけで良かった。
 くせになるほど美味しく、は、おれの腹いせでしかない。
 目覚めた後で、二度と食べられない味を思い出して、執着して、身悶えてしまえ!

 あの若者がうらやましかった。
 今になって思い出してみれば、あの若者は、前に兄ちゃんに口付けしていた美人だ。

 お似合いだった。
 兄ちゃんに尽くす?
 良いな。
 うらやましい。
 おれはいつも甘やかされてしまう。
 兄ちゃんに尽くさせてもらえない。

 おれが庭にいるだけで幸せだという兄ちゃんに、もっとなにかしてあげたい。
 味覚はあっても食べる必要がないからと、兄ちゃんは果実を食べない。

 甘味と油脂は洗浄が大変だから、食べたくないって。
 どこを洗うんだろう、歯はみがく、だよな。

 おれの前で普通の人のふりをしなくなった兄ちゃんは、子供の頃の記憶と同じように、酒か、よくわからないなにかを飲んでいることが多い。
 固形物は食べようとしない。

 休みの日の兄ちゃんは、上半身裸で、庭に転がっていることが増えた。

 おれが苦手な虫除けの香草が庭に鉢植えで置いてあるけれど、兄ちゃんはその葉っぱを時々摘んで、もぐもぐしてる。
 この前もそうだった。

 子供の頃に食べてくれたのは、おれが叱られないように庇ってくれた、ではなくて味が好きだから?、と衝撃を受けていたら、苦笑いされた。

 この香草を噛んで味わうと、今の幸せが痛感できるって。

 おれにとっては美味しくない代表のこの香草は、戦時中に配給されていた噛みタバコの代用品だったらしい。
 なにもかもが足りなかった戦争終末期を思い出させる味。

 今の幸せを、当たり前だと思いたくないのです。
 本物の噛みタバコに香りが似ているだけの香草なので、心配しなくても常習性はありませんよ、と言われて。

 おれは聞いた。

「兄ちゃんは、今が幸せなの?」
「ええ、幸せですよ」
「おれがなにをしたら、もっと兄ちゃんを幸せにできる?」
「無理はしないでください、ヘイディが幸せならわたしも幸せです」

 おれは幸せだよ。
 でも、兄ちゃんに、もっと分けたい。
 幸せをあげたいんだ。

 トリル兄ちゃんは人の体を失って、必要なものが少なくなったことに気がついた、って。

 それは肉体に付随する、本能的な欲求がなくなったから。

 睡眠以外は必要ない、偽物の体。
 五感は精神安定のために残されていても、戦場で過ごしやすいように感度調整がされているという。

 視覚と聴覚は鋭敏化され、味覚はそのまま。
 そして、嗅覚と触覚は鈍化されている。

 おれには甘くて心地よい花や果実の香りを、兄ちゃんはほとんど感じない。
 それは戦場の死臭を感じないように。
 戦場を思い出して、心を狂わせないように。

 触覚はあっても痛覚はない。
 抱きしめられても、触れられても、刺されても、殴られても、感じ方は変わらない。
 傷ついても戦い続けられるように。
 痛みへの恐怖で、動けなくならないように。

 ああ、そうか。
 兄ちゃんは美人に口付けられていても、気づいてなかったのかもしれない。
 美人の方をまったく見ていなかったのは覚えてる。

 もやもやしていた気持ちが、少し晴れる。
 でも解決してない。

 おれが兄ちゃんに分け与えることができるものが無くて、つらい。
 与えられるばかりでは、足りない。



「ヘイディ!」
「兄ちゃん」

 ガツンッッ!

 木靴が床を強く打つ。
 開きっぱなしの両開きの玄関扉から飛び込んできた兄ちゃんは、倒れている二人を飛び越えて、おれの目の前に着地した。
 バサリと広がった神官服が、大きな鳥のように見えた。

「大丈夫ですか、ヘイディ、怪我は?、どこも痛めていませんか?、怖い目にはあってませんかっ?」

 兄ちゃんに詰め寄られて、心配そうに見上げられた。
 汗をかくことはなく、呼吸を荒げることもできないのに、兄ちゃんの気持ちが伝わってくる。

「ぼくがんばったよ」
「そうですか、偉かったですね」

 ほとんど無意識に膝をついて、兄ちゃんに抱きついていた。
 よしよし、と頭を撫でられた。

 おれは兄ちゃんの家を、使用人さんたちを守れた。
 おれが守ったのだ。

 頭の回転が早くないおれが、同じ手を何度も使えるはずがないけれど、次があるなら使用人さんたちに助けて貰えば良い。

「兄ちゃん愛してる」

 愛されるより、愛したい。
 愛してるから、もっと愛したい。
 なんてぜいたくで甘い苦しみだろう。

 膝をついて腰を落として、やっと兄ちゃんの顔を見上げる高さだ。
 兄ちゃんの頬に唇を押しつけると、お返しのように額に口付けられた。

「ヘイディ、愛していますよ」

 きっとおれは、この先もずっと兄ちゃんをもっと愛したいと苦しむんだ。
 兄ちゃんが与えてくれた愛を、増やして分けて返したいと願って。

 ああ、愛したい。

 仲間と大地がおれの世界の全てで。
 世界の中心はトリル兄ちゃんだ。





 その後。
 豪邸にやってきた衛兵たちが、眠ったままの若者と知らない人を引きずっていった。

 兄ちゃんの家に門番はいない。
 来客が少ないので、普段は門を閉めてある。

 つまり、門の鍵を壊して侵入してきた時点で、彼らは犯罪者。

 必要な手続きは家主の兄ちゃんがするけれど、おれも話し合いには参加させてもらうことになった。
 息子だから。

 結局、若者が兄ちゃんを好きらしい神官だ、というのは分かった。
 もう一人は誰だったのか。

 兄ちゃんも使用人さんも知らない、って。

 本当にどこの誰か分からない。
 その後の調べでも、身分証を持っていなかったことと、事情聴取で口を開くたびに「オメナを食わせろ!」、しか言わないから、この国の言葉が話せるどこかの誰かということしか判明していない。


 さらにその後。

 若者は、懲罰中に暴力沙汰を起こして、重犯罪者収容施設に送られることになったらしい。
 どこかの誰か、は若者に負わされた傷が原因で亡くなり、無縁仏として葬られたという。

 おれが感じたように、彼らの本質が〝奪いたい〟だったら、再び普通の生活を得ることは難しいかもしれない。
 でも、世の中にはやってみないと分からないことがたくさんある。

 おれが庭の果樹にお願いすると、酸っぱさで人気が出なかった果物が酸っぱくなくなったり。
 美味しいけれど、種が多すぎて食べにくかった果物の種が無くなったり。

 あまりやりすぎないように、と兄ちゃんに言われながら、本業が果樹種苗管理や果樹栽培だった庭師さんたちや、実は真っ当な手段での金儲けが大好きだという使用人さんと一緒に、試行錯誤している。

 おれがいつも、大事なところでつまずいて、割を食ってばかりだったのは、おれ自身の約束の地がなかったからだ。

 両親にとっては店がそうだった。
 おれにとっては、兄ちゃんがいる場所だ。










   了






   *


本編はこれにておしまいですが
補話3、登場人物紹介、長いおまけがあります(蛇足です)
よろしければご覧ください(*´∀`)♪

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