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本編 〝弘〟視点
21/21 新しい道は、今までと変わらないけれど、確かに違う
しおりを挟むあれから、射精の快感が過ぎ去り、俗にいう事後のだるさにぐったりしていたら、晋矢さんがお風呂場に閉じこもってしまった。
慌てて飛び起き、そっと水音のする風呂場の扉をノックして、謝罪を続けること数分。
熱いシャワーを浴びていたのか、真っ赤な顔をして無言で出てきた晋矢さんは、わたしと目を合わせてくれなかった。
「あの、ですからね晋矢さん、初めてで覚悟ができていなかったわたしが悪いんですよ。
ですから、あの、もう一回は……ええと、今すぐは勃たないですけど、夕方くらいなら多分、できると思うのでっ」
わたしのあまりにも必死すぎる情けない懇願を、下着一枚でフロアクッションに座っている晋矢さんは、顔を両手で押さえたまま聞いてくれている。
聞いてくれていると思う。
あまりにも情けない姿を見せてしまって、呆れられているのだろう。
先端だけで終わった、というのは、普通はどうなんだろう。
早くて情けないという例えで、入れる前に出てしまったという話を聞いたことがあるから、まだ良いのか。
いいや、でもあの後を期待していたと考えられる晋矢さんに対して、失礼すぎると思う。
先端だけじゃ、入れる前とそう変わらないだろう?
そもそも、晋矢さんが受け入れようとしてくれたのは、わたしが怖がるかもしれない、と考えてくれた結果かもしれない。
晋矢さんはわたしが憲司くんに叩かれていたことも、犯されていたことも知っている。
小学生低学年の頃から自慰をしているわたしには分かる。
解消したい時に、できない苦しさを。
だからわたしは、晋矢さんが許してくれるまで、懇願を続けるしかない。
「晋矢さん、お願いです、もう一度チャンスをください、次はもっと我慢しますから」
「~~~っ、尊すぎる、何で弘さんはこんなに尊いんですか」
やっと顔から手を離してくれた晋矢さんは、見たことのないほど真っ赤な顔をしていた。
さっきからずっと赤い顔をしているのは、体調不良なのか、怒っているからなのか。
「弘さん」
「はい」
「普通はですね」
「はい」
「俺みたいな……のを好むのはドSで加虐心が強い人で、弘さんのような考え方はしないんですよ。
逞しい男を屈服させて、アヘ顔をするドマゾメスにしたいって思うものなんです」
「……はあ」
いまいちよく分からないけれど、晋矢さんはわたしの情けなさに呆れていない、のかな?
「分かってますか、俺が弘さんを襲ったんですよ、俺が悪いのに、なんで俺が弘さんにお願いされてれるんですか?!」
「……はあ、あの、それなら、お願いしてはいけないんですか?」
襲われた。
のだろうか。
でも、わたしが入れた、よな。
痛くはなかったし、嫌でもなかった。
むしろ、すごく気持ちよくて、申し訳ないほど簡単に射精してしまった。
「いけないとかじゃなくて!」
「でもわたしも望んでいました、晋矢さんと触れ合いたいと思っていました、それは悪い事ですか?」
「もう、何でそうなるんだよ、こっちは罪悪感を感じてんのに!」
「罪悪感?」
「男に突っ込むの初めてだったんだろ?あんなやり方じゃっ……」
髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜる晋矢さんに腕を伸ばす。
クッションに座る晋矢さんを包み込むように、膝立ちで頭を抱えこんだ。
晋矢さんには悪いと思うけれど、わたしは落ち込んでいる姿に頬が緩むのを止められない。
抱きしめたのは顔を見られないように。
晋矢さんの普段と違う姿が新鮮で。
いつもの落ち着きはらった姿と違って、なんだか可愛い。
これが普段の晋矢さんの話し方なのかもしれない。
わたしが学生の頃は普段からです、ますで話すことなんてなかった。
今時の学生はしっかりしている、と思っていたけれど、晋矢さんの気遣いだったのかもしれない。
丁寧に話す姿も素敵だけれど、です、ますを使わない方が若者らしくて良い。
恋人になったのだから、敬語なんて必要ないはずだ。
わたしの口調は癖になっているので、うまく崩せる気がしないけれど。
「男というか、女性相手も経験したことがないので、何が悪かったのか分からないです、すいません晋矢さん」
「うそだっ、まさかの初めて!?」
罪悪感と言われても、何に罪悪感を覚えているのかがまず理解できていない。
わたしに経験がないのは、わたし自身が望んでこなかったからで、その気になればプロのお姉さんに相手をしてもらう選択だってあった。
ただ、快楽に執着して依存したくない、と避けていただけだ。
「あの、晋矢さんはわたしが初めてだったのが気になるのですか?
おじさんなのに未経験は、だめでしょうか?」
「ダメじゃない、違うよ!
初めてだって知ってたら、もっとロマンティックな感じにしたのに!!
弘さんが可愛くて我慢できなかったなんて……」
「あの、それなら、次は晋矢さんの望むように、ロマンティックな感じにしませんか?」
ロマンティックなセックスとはどんなものだろう?、と思い当たらないながらも提案してみると、晋矢さんがさらに真っ赤になった。
映画だとムードの出る音楽を流す。
二人でワインを飲む?
あとは、えーと、……だめだ、これ以上は思いつかない。
今までずっと落ち着いていて、いつもニコニコしていることが多いと思っていたけれど、こうしていると、晋矢さんは年相応に見える。
これまでは、わたしを守ろうとして、気を張っていてくれたのだろうか。
「わたしは晋矢さんの恋人になれて、世界一幸せです、これから二人で、もっと幸せな思い出を作っていきませんか?」
「……なんだか弘さんが男前になってますけど、もしかしてこれが、男子三日会わざれば刮目して見よ、ってことなんでしょうか」
「そんなことはないと思います」
ただ、普段は頼り甲斐のある晋矢さんが、落ち込んでいる姿を見ているのが辛くて、右往左往しているだけです。
晋矢さんの口調が元に戻ったということは、少し落ち着いてくれたのかな。
「……」
「晋矢さん」
「……」
「晋矢さんとなら何度でも新鮮です、ドキドキして、いつも初めてのようですよ」
「……~~~っっ」
伝えたいと思っている気持ちが、きちんと伝わっただろうか。
そう思っている間に、腕が伸びてきて包まれてしまった。
顎に晋矢さんの髪の毛が当たってくすぐったい。
抱きしめられる力が強くて少し息苦しいけれど、甘い香りに包まれて幸せに沈みそうだ。
「あーもう大好きです」
「わたしも大好きですよ」
「何でこんな時に年上の余裕を出すんですか、ちょっとずるいです」
「余裕なんてありませんよ、晋矢さんに悲しまないで欲しいだけです」
拗ねる子供のように理不尽なことを口にする姿を見ても、晋矢さんのイメージが崩れたりはしない。
むしろこんな一面もあるのだな、と感動している。
「晋矢さん」
「はい」
「朝ごはんにしませんか?」
「……そうですね」
少しだけ不機嫌さを残した晋矢さんは、とても可愛かった。
一緒に朝食を食べてから、わたしは一週間ぶりにアパートに帰ることにした。
今回の晋矢さん宅訪問は予定していたものではなく、学業の邪魔になるという気持ちは変わらない。
晋矢さんも、明日、日曜日は実家に帰らないといけないらしく、今日中にレポートを書き上げたいとのことだった。
室内にいても良いですよ、と言われたけれど、晋矢さんの部屋にはわたしが時間を潰せるものがない。
レポートを書いている晋矢さんにくっついているのは、失礼すぎるだろう。
「それじゃ、お借りしますね」
「はい、また連絡します」
「ええもちろん」
わたしは晋矢さんに会えない日々を過ごすために、いつも着ている上着を借りることにした。
恥ずかしかったけれど、一週間は会えないので、諦められなかった。
下着などは日常的に洗われてしまうので、洗剤の匂いの方が強い。
こまめに洗わない上着の方が、晋矢さんの移り香を堪能できる。
まあ、情けない気持ちはあるけれど、仕方ない。
晋矢さんといる間はともかく、一人でいる時のわたしは、相変わらず落ちこぼれの出来損ないなのだから。
ふわ、ふわ、と幸せな気持ちでアスファルトを歩く。
世界が、こんなに光で満ちていると初めて知った。
いつでも薄暗がりの中で、ネズミのようにコソコソと隠れながら生きてきた。
わたしの人生はずっとそうだった。
まさか太陽の下を歩いていて、苦しいと思わない日が来るなんて。
晋矢さんの存在は、わたしの太陽なのかもしれない。
幸せな気持ちのまま家に帰り、うっすらと溜まっていた埃を掃除した。
なぜだか、やる気に満ちている。
賞味期限が六日前にきれて変色している豚バラ肉、しおれて一部が腐り、穴が空いてしまった半切りレタスに謝りながら捨てた。
もったいないけれど、仕方ない。
一週間放置されていた洗濯を済ませて、今度はビジネスホテルに向かう。
チェックアウトをするために。
このアパートから逃げ出す気はもうない。
未来にどうなるかは分からないけれど、まだしばらくはお世話になるつもりだ。
部屋を出る前に振り返り、深く頭を下げた。
「これまでありがとう、これからもよろしく」
新しい門出だ。
わたしはもう、わたしであることを卑下したりしない。
……できる限り。
未だ、祖母のいうような〝一廉の人物〟になれた気はしない。
それでも、わたしは生きている。
これから先も辛いことや悲しいことはあるだろう。
不幸になる未来を想像する日もあるだろう。
もしそうでも、わたしは少し変われた。
わたしのような出来損ないを、心から愛しいと思ってくれる人がいる。
助けてくれる人がいる。
わたしの根っこは変わらない。
何もない自分を愛する事は難しい。
でも、今のままの自分で良いのだと思える。
向けられた善意に善意を返せる人でありたい。
偽善だろうが構うものか。
「我が身をつねって人の痛さを知れ」と祖母がよく言っていた。
「情けは人の為ならず」とも。
わたしの人生は、まだまだ未知のもので満ちている。
そういう意味では、捨てたものではない人生だ。
さあ、歩いていこう。
どこまでも。
愛おしい晋矢さんと一緒に。
了
◆
おつきあいいただき有難うございました
このあとは『番外 晋矢視点』を数話、『番外 弘視点』を投下していきます!
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