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3 つがいと過ごす日々

01 本能vs人の常識+理性

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 電話するんだ、電話しろ、電話しなくてはいけない。

 ゴーシュは自分にそう言い聞かせ続けて。
 腕の中で脱力する細い体を、なんとか手放すことに成功した。

 名残惜しい気持ちしかないけれど、温かく艶かしい体から力を失った竿を引き抜いた。

「……ん……っ」

 疲れているのだろう。
 裕壬は呻いたものの、ごろりと寝返りを打ってから、再び穏やかな寝息をゴーシュに聞かせてくれた。

 守らなくては。
 無防備に眠る番を守らなくてはいけない。

 ゴーシュの頭の中で吠える本能に、人の社会で学んだ常識が異を唱える。

 電話をしなくては。
 番を守るために必要だ。

 本能が反論をする前にゴーシュは人の姿になった。

 あふれそうなコンドームを外して、捨て方に悩んだ後で、大量のティッシュで包んでゴミ箱へと入れた。

 番が眠ってしまったので交尾はおしまいだ。
 そう考えた途端に、理性が仕事を思い出したように姿を現して常識に賛同を示した。

 番の姿が見えるところにいれば良い。
 電話が終われば、すぐにまた触れられる。

 二対一になった本能は、渋々と尾を下げて引いて行った。

「ふーっ」

 深くため息をついて、ゴーシュは首をゴキゴキと鳴らした。
 人狼の本能は、本当に厄介だ。
 無くては生きていけないとしても。

 番の側にいたい。
 本当はずっと触れあっていたい。
 けれど、どうしても少しだけ番の側を離れなくてはいけない。

 入浴の際に外したウェアラブル端末を見れば、時間は土曜日の二十二時をすぎている。
 昼過ぎに、裕壬の家である単身者向け賃貸に着いてから、あっという間だった。

 今いる室内には、生き物の匂いは裕壬とゴーシュのものしかない。
 ここが裕壬の巣穴なのだ。

 番の巣穴に招かれた。
 本物の番になった。

 周囲を見る余裕のできたゴーシュは、その事実にうっとりと目を細める。

 現在いる建物の正確な大きさは不明だ。
 二階建て以上だと思うが、外に出てみなければ分からない。

 中に連れ込まれた時は、周囲を見ている余裕がなかった。

 裕壬の巣穴は集合住宅の一階で、こじんまりとしている。
 部屋の中央に座っていても壁の迫ってくるような狭さが、幼いゴーシュが両親と一緒に暮らしていた部屋を思い出させた。

 匂いと音で確認できる限りは、周囲には住人の気配がない。
 仕事か遊びで外出しているのだろう。
 どちらにしても、不在でよかった。

 壁一枚を挟んだ距離に他人がいる。
 群れの仲間ならともかく、赤の他人でその距離は近すぎる。

 周囲に住人の存在があれば、ゴーシュは裕壬の誘惑に乗れなかっただろう。
 番を危険に晒すわけにはいかない。

 誰もいなくてよかった。

 番になってくれるという裕壬の言葉に浮かれている。
 夢のような時間に、喜びしかない行為に、夢中になった。


 ゴーシュは両親が愛しあう所を、何度も見たことがある。
 狼の姿の母親は、父親と尻をくっつけあって繋がったまま、幸せそうに低く唸っていた。

 人狼の感性では、愛しあう姿を見られることは、別に恥ずかしくない。

 長い射精が始まって少し落ち着いた頃、気がつけば裕壬がうとうとと微睡んでいた。
 その様子が父親の腕の中にいる母に見えて、胸が苦しくなった。

 母とゴーシュを守るために、群れからの追放を受け入れた父親。
 母が望んだから、全てを投げ打って親子三人の生活を守ろうとした父親。

 餌である人に頭を下げることは、父親にとって、どれだけ屈辱だったことか。

 それでも父親は耐えた。
 母親とゴーシュのために。

 誇り高い人狼の父親は、ゴーシュにとっての目標だ。
 子供の頃には分からなかったけれど、番を得た今のゴーシュには理解できた。

 おれも、裕壬を守ろう。
 誰にも傷つけさせるものか。

 人狼は守るものがあれば誰よりも強くなれる。
 幼い頃に、母親が寝物語に話してくれた。

 本当の話だったんだな、とゴーシュは自分の裸の胸を押さえた。



 ゴーシュは携帯端末を探しだすと、視線の隅に裕壬の姿を入れながら、画面をタップした。

三箭ミヤさん、こんばんは、今って良いかな」
「もしもし、どうしたんだいゴーシュ、こんな時間に」

 休日の夜遅くでも普段と変わらない様子の社長が出たことで、ゴーシュは出そうになった安堵の息を飲み込む。
 この様子なら、話しても大丈夫だろうと判断して、言葉を探す。

「あのさ、もっと休暇がほしいんだけど」
「休暇……あと五日あるのに?」
「三箭さんだから言うよ、おれ、番ができたんだ。
 これから先をどうするか、一緒に決める時間が欲しい」

 今でこそ仕事用の話し方を習ったゴーシュだが、社長と二人きりでの会話になると、どうしても中学校卒業当時に戻りがちだ。

 人の精神年齢で当てはめるなら、小学校入学頃から今現在の思春期に入るまでの付き合いになる。
 ずっと助けてくれた社長を、ゴーシュは二人目の父親のように思っていた。

「つがい?」
「うん、そう、名前は愛子アイコ ユージン、支社のある所の美大生で、この前の時に怪我させ……」
「ゴーシュ、ストップ」
「……」

 厳格な躾がされている軍用犬のように、人狼はボス(仮)の命令に忠実だ。
 しかし最優先は番になる。

「つがいって、僕も知ってる、あのつがいかな?」
「そうだよ、三箭さんが海外から取り寄せてくれたのに載ってたやつ」

 嬉しそうにあっけらかんと答えるゴーシュ。

「つがい?……え、本当に?」
「本当だよ」

 ボス(仮)である社長も喜んでくれるはず、と考えるゴーシュに対して、社長は珍しくうろたえている。
 首を傾げつつ裕壬の寝顔をチラ見して、可愛いなあと顔を緩ませていると、やけに神妙な声が届いた。

「ゴーシュ、一つだけ、怒らずに聞いてほしい」
「怒らないけど」
「人には、人狼のつがいがどういうものか分からない」
「知ってるよ」

 番は互いの匂いをまとっているから分かるのだ。
 人の嗅覚が優れていないことくらい、ゴーシュは知っている。

 何が言いたいのかな。
 そう思ったゴーシュに、社長はものすごく言いにくそうに、言葉を濁した。

「そうか、知ってるのか」
「知ってるったら」

 珍しいな、と思いつつ、専務のミナモトの前限定で、ぼやいている姿を見たことがあるので、今も側にいたりするのかも、と流した。

「勘違い、ってことはないのかな」
「……かんちがい?」

 なにが?
 どう?

 本気でゴーシュが理解できていないことを、どう説明すれば良いのか、と社長は口をつぐむ。

 人狼が何を基準に番を決めるのか、まで知らない。
 ゴーシュが知らないことは、社長も知らない。
 海外の人狼コミュニティの情報はいつでも求めているけれど、信憑性のあるものは少ない。

 ゴーシュの体や金が目的だ、と言い切ることは難しい。
 社長が裕壬の為人ヒトトナリを知らないから。

 ただ、愛子 裕壬の名前を社長は記憶していた。
 珍しい苗字だと思ったのと、ゴーシュが、おれが治療費を払う!、と引かなかったから。

 支払い交渉をした総務部部長からは、「穏やかでありながら少々エキセントリックさを感じる若者です」と報告があった。

 少々エキセントリックひどく風変わりな美術大学生。

 そんなものを、重用する部下愛犬の側に置いておきたい社長飼い主はいない。

 人狼である以外を除いて、全てを聞いていた部長としては、「愛子 裕壬をうちの会社に入れるのなら、能力が発揮できる部署にお願いします」という意味だった。

 社長の懐刀が、怪我をさせてしまったとはいえ、まるっと治療費を出す大学三年生の男子。

 治療費は賠償金の一部、と考えるのが当然だ。
 慰謝料の代わりに、就職先の斡旋を求められる可能性も考えた。

 ありとあらゆる可能性を考えた部長は、何も間違っていない。
 いつもの仕事と同じように、しっかり気を回しただけだ。

 普段の社長なら、部長の心配りと根回しと遠回しな言い方を理解できた。
 しかし、この時の社長は、愛犬が入院して開腹手術をした直後の飼い主のようになっていた。

 そんなわけで、裕壬に対する社長の評価は〝可もなく不可もなし、ただ、あまり近づけさせたくない〟になっていた。

 手塩にかけて育てた愛娘を、何処の馬の骨ともわからない若造に持っていかれる父親の気分を、離婚歴あり、子供なし、独身、恋人ありの社長は痛感していた。

 
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