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本編
16 のんびり幸せなおれ
しおりを挟む兄が成人して、執務室で仕事を行う時間が長くなってから、おれが一人でいる時間が増え……はしなかった。
むしろ減った。
一人の時間なんて無い!
そう感じるくらい減った。
手洗いも風呂も、兄の手伝いが必要なのは変わらない。
だから、おれとしては無理をしないで欲しいけれど、兄は時間をやりくりして側にいてくれた。
兄は成人前から執務室で仕事はしていた。
だから「慣れているから平気だよ」と、くらくらするような美しい微笑みを添えて言われると、返事は「兄上、がんばってるのすごい!」としか言えないのだ。
兄が常にぴりぴりしていることは感じている。
おれと兄を呼び出して、意味もなくにやにやする気持ち悪い国王はともかく、王妃がまたなにか画策しているんだろう。
そう思いながら、おれは朝から晩までずっと兄と一緒の生活を送っている。
二歳の頃に戻ったようで、少しだけ、胸がきゅっとなる。
なんだろう、この感じ。
酔っ払って、おれにお仕置きしようとした夜以降、兄はこれまで以上におれを気づかってくれるようになった。
それも、過保護になる原因の一つかもしれない。
常に兄が近くにいる。
多少の息苦しさを、兄からの好きの裏返しだと思ってしまうおれは、だめな奴かもしれない。
必要なものはないのか、足りないものはないか。
毎日のように聞いてくれる兄に、おれは笑顔で答える。
「兄上がいっしょなら、おれ、なにもいらない」
心底、そう思う。
近頃のおれは体がぐんぐんと大きくなって、体重は兄の倍くらいになった。
ぜんぶ筋肉だ。
兄が「お腹の毛がふかふか、その下はむちむちで気持ちいいよ」と撫でてくれながら言うのは、きっとなにかの間違いだ。
身長も、二足で立つと兄に追いついた。
鉤爪はさらに鋭くなって、長く尖った牙は凶悪に。
もっとたくさん服を作らせようと兄は言うけれど、あっという間に着られなくなるから、尻尾穴のあるまん丸パンツだけで良い。
首周りにリボンを巻きたがるのはやめて欲しい。
もう、そんなの似合う年齢じゃない。
全身を覆う被毛があるから裸でも困らないのに、兄が「裸だけは絶対に駄目」と言うから。
とりあえずパンツだけはいつも履いている。
獣人の国では、どうなんだろう。
おれはおれ以外の獣人を見たことがない。
彼らは服を着るんだろうか。
裸なんだろうか。
兄に聞いてみたけれど、この国には獣人に関する本も識者もいないから、調べようがないって。
二歳のおれに出会ってから、食べられないものがないか、してはいけないことがないか、兄は密かに調べていてくれたのだ。
いつも本を読んでいたのは、王子だから学んでいたわけではなかったようだ。
おれは、兄を守ろうと思っていたけれど、それ以外はお気楽にくっついていただけ。
なんだか申し訳ない気分になった。
反省したおれだが。
体が大きくなってきたので、もう兄の寝台では眠れない。
今は兄の寝室の床に小さい絨毯を重ね、その上にクッションをたくさん重ねて寝床にしている。
体は大きくなっても、全身を包む青みがかった白銀の被毛のおかげで、威圧感は少ないらしい。
初見の使用人の女性に「お美しい姿ですね」と言われて、おれが(兄のように)美しくなれているかを聞いたら、兄の機嫌が悪くなった。
完璧な兄とおれを同列に考えたから悪かったのかな。
兄は本物の王子様だ。
栄養が足りて体は大きくなっても、おれは兄みたいに美しくはなれないようだ。
美しくはなれなくても、兄がおれを好きでいてくれたら良い。
今でも兄が、時間の許す限り全身をブラッシングしてくれて、風呂でも隅々まで洗ってくれる。
処刑された時とは別人のように生えそろっている、自慢の毛並みだ。
弱点探しも続けられていて、最近、ちょっと触られたくない場所が出てきた。
耳とか尻尾、股間周りは、やめてほしい。
城の中での行動は、兄と一緒にいるから二足で歩くけれど、体術の訓練は四つ足をついて行う。
全身を使って、金属製の鎧を着せた木偶人形を体当たりで吹っ飛ばし。
平手でひっぱたいて、鉤爪で引き裂く。
かみつき攻撃は、歯を痛めるからと禁止されている。
対人訓練をする時は、鉤爪にさらに分厚くなった手袋をはめた上で、力加減に気をつけないといけないから、物を相手にしている時の方が動きやすい。
体を動かすのは楽しい。
暴れたいわけではないけど。
処刑された時のおれに、体の使い方を学ぶ機会はなかった。
ただ本能に従って鉤爪を振り下ろし、牙を使ってかみつくだけ。
今のおれの方が、前のおれより強い。
対象が動かない的であっても、ぶちかまして、引き倒して、力が強くなっている自覚を得られると、訓練にもより身が入るってもんだ。
兄を守るんだ。
今はおれが守られているけれど、いつかきっと、おれが兄を守る時が来る。
そう、信じている。
おれは、これまで冬の眠たくて仕方がない時期は、兄の寝室にこもって過ごしていた。
処刑された時のおれは、幼い頃は暗殺者に見つからないように、物置の荷物の中に埋もれてた……ような。
誕生日の頃も寝てた気がする。
途中から面倒くさくなって、一階の奥の部屋に、他の部屋のマットレスをありったけ引きずって持ち込んで、扉や窓を外から開けられなくして、寝てた……ような気がする。
もう、細切れにしか思い出せない。
それだけ、今のおれが幸せってことなのか。
ただ、処刑された時のおれは、途中で目が覚めなかった気がする。
今は長めに寝てるだけ、みたいな感じで、なんかぐっすりと意識が戻らないほど眠れない。
眠る必要がない?
そんな感じだ。
「スノシティ朝だよ、まだ眠い?」
「……んむ、あにうえとごあんたべう」
「くふっ、寝ぼけてるんだね、本当にスノシティは可愛いなあ」
兄より大きくなる予定なのに、いつまでおれを可愛いって言い続けるつもりなんだ。
十歳ほやほやのおれは、ちょっと反抗期に入った。
可愛がられるのはいやだ。
かっこいいって、言われたい。
あれ、これって、兄が小さい時におれが思ったこと?
まあいいや、眠いし。
寝ぼけながら、兄にくっついてもう一度寝る。
兄の腹は筋肉質で、しなやかで、あったかくて、気持ちいい。
あれ、おれは寝台で寝てなかったはずなのに、なんで兄が側にいるんだろう?
うとうとしながら寒い時期を過ごした。
おれがぼんやりしているからなのか、ずっと続けられていた弱点探しがはかどった。
今までは平気だったのに、弱点が増えてしまったのだ。
触られると気持ちいいのに、力が入らなくなって、ふにゃぁってなる。
やめてぇって言うのに、それが本気じゃないと見抜かれて、おれがへろへろになるまで兄が弱点に触れ続ける。
びくびくってなるから、やめて。
なんだか、おかしくなる。
このおかしくなる感覚がなんだか、おれはまだ知らない。
眠たい時期が終わり、美味しい新芽の時期が過ぎ、だるい暑さの時期をごろごろ過ごして。
何を食べても美味い時期がやってきた。
肉厚の葉っぱ、甘い果実、栄養たっぷりの球根や芋、そして木の実。
おれは特に木の実が好きだ。
ぐふふふ、美味いもんばっかり!
肉や魚も美味いと思うけど、多く食べると寒くなってから腹が変になるから、野菜はかかせない。
幼い頃に、兄と一緒に食堂で椅子に座って食べる練習をしたけれど、体が大きくなってきて座れる椅子がなくなった。
尻が肘掛け椅子の座面に入らない。
太ったわけじゃない。
普段は兄と床のクッションに座って食べる。
低い台に料理が並べられる。
床には絨毯を何枚も重ねて、兄が座る場所にはクッションがたくさん置いてあるから冷たくも痛くもない。
兄と一緒に食べる時は、あーん、で待つのが鉄則だ。
よだれが垂れる前に、口に入れて欲しい。
幼い頃はおれが兄にあーんできたのに、鉤爪が鋭くなって手のひらが硬くなった手では、カトラリーが握れなくなった。
あと、おれにとっては美味い殻つきナッツも、兄には硬すぎるようだ。
まるごとむしゃむしゃして、殻だけお皿にぷってするんだけど。
兄にはできないみたいだ。
おれの手だと、殻がむいてあげられない。
がっくり。
どんどん食べて、どんどん大きくなって。
弱点に触れられるのが、くすぐったくなくなって。
数年が、過ぎた。
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