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本編
19 ぶっこわせ、おれ!
しおりを挟むしくじった。
そう思っても、もう、指一本、動かせなかった。
寒い。
どうして。
今は花が咲く時期になったばかりのはずだ。
全身が冷えきっているようで、鈍いしびれを感じる。
痛みは感じない。
眠たくて、寝てしまいたい。
でもこの誘惑に従ってしまったら、もう、兄に会えない。
そんな気がして、舌に牙を突き立てる。
まだ動く。
動く場所があった。
じゅわ、と口の中に温かくて生臭い金属の匂いが満ちる。
のどを鳴らして飲み込む。
体は動かせないままでも、激痛が少しだけ意識を保たせてくれる。
毒を含んだ甘い睡眠への誘惑と、痛くて寒いだけの現実の間で、うとうととまどろむ。
このまま、耐えろ。
眠ってしまいたい。
眠ってたまるか。
考えろ。
体が動かないなら、何かしていないと。
このまま眠るわけにはいかない。
何があったか思い出せ。
着替えて朝食を食べてから、いつもと同じように、兄と一緒に執務室に行って。
昼食の少し前に、兄へ呼び出しの手紙が届いた。
差出人は王妃。
おれが薬入りのお茶を飲んでしまったあの日から、兄は一度も王妃からの呼び出しには応じてない。
少なくともおれが知る限りは。
手紙が来ていたのかは、兄が教えてくれないから知ることができなかった。
どうして今になって?
それとも、今までもずっと?
兄は長々と書かれた手紙を読んで、険しい表情になった。
そして。
「この部屋から、絶対に出ないように、わかったかい?」
そう言って、護衛を連れていってしまった。
おれは執務室に残されたことで、兄の行動の意味を深刻に考えていなかった。
もしも危険が迫っているなら、兄はおれを寝室に連れ帰っただろう。
あの部屋が一番安全だ。
四方は壁で、廊下との間に一室挟んでいるから、扉以外の出入り口はない。
執務室の前は廊下で、護衛が二人いる。
それは扉越しでも臭いと音で分かる。
執務室の大きな窓には鍵がかけられているけれど、侵入しようと思えば出来るかもしれない。
あと、防犯以上の問題が一つある。
この執務室には、中から直接行ける手洗いがないのだ。
兄がすぐに戻ってきてくれないと、パンツを鉤爪で引き裂いて、……その辺の花瓶とかにするしかなくなる。
パンツをべちょべちょにする姿なんて見せられない。
でも、花瓶にした所も見られたくない。
二歳から兄にくっついているから、全裸から子種を放つ姿まで全部見られている。
いまさら何を見られてもな、と思うけれど。
兄に幻滅される可能性は減らしておきたい。
そんなことを思いながら、兄が戻ってきたら声に出して読もうと、応援の手紙を書く。
木炭となにかを練って固めた芯を木で挟んで、丈夫な革で固定したおれ専用のペンを使う。
王妃の相手をしたら絶対に疲れ果てるから、少しでも兄の疲労が軽くなる内容にしないといけないな。
『いつも仕事をがんばってくれてありがとう。
兄上が大好きだよ。』
んー、あとは。
『美味しいごはんをいっしょに食べられてうれしい。』
『お風呂で全身を洗ってくれるのはうれしいけど、尻の穴は洗わないで欲しい。』
中に指を入れようとするのも、ちょっと困る。
そんなところまで、普通は洗わないよな。
……なんだか、これは兄が悲しみそうな気がする。
尻のことには触れないでおくか。
『お風呂で全身を洗ってくれてありがとう。』
これでよしと。
あ、そうだ。
『ねる前に服が汚れない手伝いをしてくれてありがとう。
兄にさわってもらうの大好き。』
これは欠かせないよな。
あとは、何を書こうかな。
いつも同じような内容になってるけど、おれは基本的に兄の側から離れないから、書くことないんだよな。
帰ってこないな。
まだかな。
暗殺者に襲われても、護衛が守ってくれるはずだ。
兄ももう子供じゃないから、大丈夫だろう。
考えが飛び飛びになって、手が進まない。
木の皮をはいで作った紙に、今日の兄のどこが素敵だったか思い出しながら書き出していたら、外から扉を叩く音がした。
とん、とん、ととん、とん。
すん、と鼻を鳴らす。
扉の外には、護衛が二人。
……他にもなにか匂いはするけれど、よくわからない。
足音もしなかったのに、誰かが増えた?
待ってくれ、これ、血の、臭いだ。
人の。
ぶわり、と全身の毛が逆立つのを感じた。
びりびりと鼻先が痛い。
とん、とん、ととん、とん、と扉が叩かれる。
やけに扉が気になる。
なんだこれ。
「スー、ここにおるのであろう?」
知っている声だ。
そして。
濃厚な血の匂いが、知っている匂いに変わった。
「……」
なんだ。
いつ、どこから来た?
つい今まで、匂いがしなかったのに。
国王陛下。
「スー、扉を開けてはくれんのかね?」
とん、とん、ととん、とん。
とん、とん、ととん、とん。
扉を開けたくなんてないのに、なぜか体が勝手に動いた。
のろのろと這うように、体が扉へ向かっていく。
やめろ、行きたくない。
手足に力を入れて踏ん張っているつもりなのに、突き立てた爪で絨毯を引き裂き、木の床に爪痕を長く刻みながら、体が前に進んでいく。
「……」
何も言うものか、と歯を噛みしめる。
話してはいけない、そんな気がして。
兄が帰ってくるのを、この部屋で待っていないといけないのに。
「早くおいで……これだけ重ねているというのに、とんでもなく効きが悪い、獣の血が原因か?」
ぐしゃり、と金属がつぶれる音が、やけに遠くで聞こえた。
おれの手が勝手に、扉を開閉するためのとってを握りつぶしている。
壊れた扉に体重をかける。
開けられない方向に、蝶番のひしゃげる音をさせながら無理矢理、押し開いた扉の向こう。
そこに、国王の姿を確認する前に。
……何も見えなくなった。
ぽたん、ぽたん、と雫の落ちる音がする。
思い出した。
でも、扉の向こうにいたのが、本当に国王だったのか、が分からない。
必死で全身の力をふるいたたせ、重たいまぶたを持ち上げて、呼吸を忘れた。
目の前に広がる石の壁と床。
カビ臭くてジメジメとしている上に、薄暗くて狭い部屋。
天井近くに、手を突っ込むくらいしかできない大きさの、窓とも言えない穴が採光と換気のために開けられている。
全てが石造の上に、風を遮るものがない日陰だから、ここは外以上に冷えるのだ。
「……うそだろ」
牢屋だ。
見覚えのある半地下の牢屋だ。
おれはもしかして、長い夢でも見ていたんだろうか。
処刑の前に、救いようのない甘い夢を見ていたんだろうか。
そう思って見下ろした自分の体は、豊かな白銀の被毛に包まれている。
ほとんど思い出せない記憶の中では、毛の生えていないはげや、乾燥したようなかぶれが目立つ、ぼろぼろの汚いねずみ色のまだらな毛並みだった。
夢じゃない?
……兄は?!
それなら兄は、今、どこにいるんだ!!
兄から離れてはいけなかった。
本当に注意すべき相手は王妃ではなくて、国王だったのか。
今この時に、兄が犯されていたらどうしよう。
ここを出ないと。
動かない体を、時間をかけてゆっくりと動かしていく。
全身におもりを大量に乗せられたような感覚がする。
ここから動くな、と誰かに言われているような気がする。
とん、とん、ととん、とん。
おとなしくせよ。
とん、とん、ととん、とん。
まっておれ。
……誰を待つんだ?
待ってどうする。
おれは、兄のところに行くんだ。
絶対に行くんだ!
牙がへし折れる勢いで噛み締めた。
四つ足に力を込め、一瞬、体が軽くなったような気がしたのと同時に、鉄格子に体当たりした。
ドゴン、と耳元で何かが崩れる音がして、ずきずき、と全身が痛んだ。
痛い。
痛いってことは。
生きてるってことだああああ!!!
兄はどこだ!!
口の端に垂れた血を舐めとりながら、頭を上げる。
「おおうっ!?」
知らない間に、周囲が崩壊していた。
隣の牢屋に繋がる壁が完全に崩れていて、おれが通れるくらい大きく崩れた穴からは空がのぞいている。
鉄格子を曲げられたらいいな、と思っていたのに、鉄格子を固定してあった石積みがくずれたらしい。
それで他のところも崩れたってことか?
もしかして、じめじめしてるし、足場とか腐ってたかな。
犯人はおれしかいない。
に、逃げよう。
いや、違った。
兄を探しに行こう!
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