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本編
34 あらがって手に入れたおれ
しおりを挟む誰もいないかのように静まり返った大広間。
兄がおれの手を引いて踏み込んだ途端に、ざわめきと布がこすれる音がする。
「鎮まれ」
兄の一言で凍りつくように音を失い、温度まで下がった気がする中に、おれは足を踏み込む。
おえぇ。
兄の晴れ舞台くらい、まともに参加したかったのに。
すげーくっさい。
人は風呂に入らないのか。
それとも香水をぶっかけるから臭いのか。
とんでもなく臭いものを食べてるのか。
でもきっと、おれが一人で臭いとわめいてるだけなんだよな、と悲しくなる。
「スー?」
「らいしょうふ」
口だけで呼吸しながら話すと、うまく話せない。
「失礼いたします」
おれがあまりの臭さに気絶しないように必死で耐えていると、見たことのある服を着た老人たちがやってきた。
たしかおれの誕生日の日に、書類に名前を書いてほしいと持ってきた人たちだ。
「精霊の血を引き、精霊王の系譜に連なる国の玉座に新たなる王が座られることになられる今日、賢王の治めし輝かしき御世に……」
あ、だめかも。
臭いのを我慢するだけで精一杯だったのに、臭くなくて良かったと思った老人たちが、長々と何かを言い始めた。
そこからの流れは、ほとんど覚えていない。
意識を失って倒れないように踏ん張る。
ただそれだけが、こんなに大変だと思ったのは、処刑された時も入れれば三十年くらい生きてるはずなのに初めてだった。
きっとおれが儀式みたいな場が苦手だから、じゃないよな。
王妃としてキリッとしたいよ。
そう、キリッと。
きりっと。
「ティ、スノシティ」
ぽんぽんとお腹を叩かれて、慌てて目を開けた。
「王妃様、こちらにご記名を」
「う、あ、はい」
ちょっとだけ、気を失ってたかも。
寝てない。
眠ってないから。
おれ専用らしい極太のペンを使って、巨大な本に名前を書いた。
小さい文字は書けないから、本の半分くらいを埋めてしまったけれど、きちんと読めるはずだ。
スノシティ。
おれの名前はそれだけだ。
ふと横を見ると、兄の名前はすごく長かったけれど、達筆すぎて読めなかった。
さすが兄だ。
こういうのは偽造防止の文字だ。
仕事中に書く読みやすさ重視の文字と全然違うんだよな。
おれが見ているのに気がついた兄が、顔を上げてにこりと微笑む。
「これで、奥さんだね」
「はいっ」
そうかおくさんか。
おくさんってなんだ?
……ところでさ、おれが名前を書いたのは、なんの本だろ?
そこからまた、老人たちがごにょごにょ話して、記憶が無くなる事が数回。
わあああ、と万雷の拍手と歓声に、ビクッと目を覚ました。
あ、無事に終わったらしい。
最後まで参加できたことに安堵しながら、兄に手を引かれてどこかに歩いた。
歩いている最中で、ふと、違和感を覚える。
廊下に漂うかすかな匂い。
鼻の奥が痛い。
なんだろう、これ。
急に眠たくなってきた。
足がもつれる。
体がおかしい。
「スノシティ、部屋に着いたよ」
「んむー」
「疲れたんだね、頑張ったから仕方ないか、今夜が本当の初夜なんだけどな」
どこか遠くで兄の声がする。
眠いだけじゃなくて、舌が回らない。
なんだ、これ。
「あんまり無防備だと襲うよ、僕のこぐまちゃん」
「……うん」
「スノシティ?」
兄の声が、いぶかしそうなものに変わった。
周囲にいつの間にか充満している、つん、と鼻の奥をつく臭い。
そんなに強い臭いではないのに、ひどく嫌悪感を覚える。
おれはこのにおいをどこかで知ってる。
寒くて、暗くて、じめじめで、痛くて、腹をくだして、吐いて、熱を出す場所で、眠り続けた。
この臭いに包まれて。
兄に、危険だって言わないと。
この臭いは、良くないものだって。
眠くなる。
すごく、眠い。
「……っ!!」
がしゃん、と音がした。
何かが壊れるような音と、兄の怒声。
目を開けたいのに、開かなくて。
鼻の奥が痛くなるような臭いだけが、最後に残った。
とん、とん、ととん、とん。
「スー、いや違ったな、『スノシティ』」
とん、とん、ととん、とん。
「『さあ、おいで』」
とん、とん、ととん、とん。
「『横におなり』、気持ちよくしてやろうな」
ぎしり、みしみしべきりと、きしんで壊れる音。
体が勝手に仰向けに横たわる。
力の入らない両足が広げられる。
とん、とん、ととん、とん。
「『動くでないぞ』。
まったく、〝行動強制〟が効かぬと思えば偽名とは、小賢しい真似をしおって!
だが、薬物への抵抗薬も解毒薬も飲ませておらんようだな、抱くのに感度が下がるからのう。
これからはわしがスノシティを愛して、たっぷりと慈しんでやろうな」
ちゅぷ、と音がして、よく知っている気持ちよさがやってくる。
ぐにぐにと押し広げられる感触。
……ぜんぜんちがう。
体が動かない。
声も出せない。
目も開かない。
とん、とん、ととん、とん。
「『大人しくしておれ』、ずいぶんあやつに可愛がられておるな、初めからこれならほぐす必要もなさそうだが、わしの可愛いスノシティに傷をつけるわけにはいかんからの」
兄の……あにじゃない?
だれ?
「おお、人とは違うのだな。
入り口はこなれて柔らかくほぐれておるのに、少し入れるだけで随分とうねる、指だけでこれとは名器と言えよう、楽しめそうだな」
だれ、だれ、だれ?
とんとんが聞こえなくなった。
とんとんがいけないんだ。
あれが聞こえると、体が動かなくなる。
とんとん、きらいだ。
きらいだ。
だいきらいだ。
怖いから両手を振りあげ、そして、全力で振り下ろした。
「だいっきらいだぁっっ」
「!?、な『や』、ぷぎぃっ!?」
重たい手応え。
鉤爪がなにかを引き裂いて、手のひらが何かを潰した。
怖いのはいやだ。
おれは怖がりだ。
兄がいないと、生きていけない。
お願い、怖いのはいやだよ。
痛いのも寒いのもいやだ。
ひとりぼっちはいやだ。
全身に生臭くてぬるりとした温かさを浴びて…………。
「スノシティ」
「……ん、あにぃえ?」
「おはよう」
「おあよ」
くぁ、と大きくあくびをして、すん、と鼻を鳴らす。
「どうしたの?」
「へんなにおいする」
「気のせいだよ、さあおいで、食事の用意ができているよ」
「……うん」
珍しく両手両足を広げた仰向けで起きたおれは、なんとなく寝床を振り返る。
何枚もの絨毯、たくさんのクッション。
全部新品に見える。
背後の兄が先に歩き出してしまったのを感じて、どうして、と衝撃を受ける。
いつもなら、おれに手を差し出してくれるのに。
体を元に戻して見てみれば、兄の背中が、歩き方がぎこちない。
腕に力が入っているのは、倒れないように?
どこかに傷を負っているのを、おれに隠そうとしている?
手を差し出してくれなかったのは、今の兄では、おれの手を引きながら歩けないから?
ふわりと漂う薬の匂い。
傷に使う薬だ。
腕を持ち上げて匂いをかいでみれば、風呂上がりの匂いがした。
手のひらかにかすかに残る、人の血と臓腑の臭い。
ふと見えた鉤爪に、見覚えのない真新しい傷ができていることに、おれは気がつかないふりをする。
兄が言わないということは、おれは知らなくて良い。
おれは兄を守るためにいる。
兄のために。
だから、優しい兄を失うかもしれないことを、口にはできない。
兄を守るために。
兄だけを、守りたいから。
あれは夢だった。
国王によく似た声の誰かが、おれを呼んだ。
ただそれだけの、夢だ。
悪夢は、ようやく終わった。
おれは、兄を守れた。
なぜだか、そう思った。
◆
国は栄えた。
おれは城を出た事がないから、文官たちの話を聞き流してそう思うだけだ。
話は耳をそばだてて聞いているけれど、外に出ようと思ったことはない。
兄は何度も「一緒に外へ行く?」と聞いてくれた。
他国へ招待された時などは、おれを一人で残しておけないと言われる。
でも、おれが断っている。
おれの居場所はここ。
この城の中。
一時的に離れるとしても、兄は必ずここへ戻ってきてくれる。
おれが城の外に出ることは可能だろう。
大勢の護衛たち。
あきらかに使用人を超えた俊敏さで動く、血と金属の臭いがする使用人たち。
兄が彼ら、彼女らに「おれを守れ」と言えば、本当に命懸けで守ってくれるだろう。
それでもおれは、外に出ることを望まない。
おれは兄を守りたい。
そして兄に守られたい。
一番の望みは叶っている。
今の生活以上に望むことなんて、なにもない。
おれは心のままに、望むままに、いつでもわがままに、兄を独り占めする。
王妃であるおれだけに許されたぜいたく。
夜毎に兄と〝愛しあう〟のはおれだけ。
おれの世界は、これでいい。
ここがおれの縄張りだ。
了
◆
本編完結です!
お読み頂き、ありがとうございました
今作は人生初のランキング上位入りのみならず、月光さんでもランキングに入れていただき、感無量です
ホットランキング入りは、目の錯覚だと思ってたくらいですから
読む、書く両方が趣味なので、これからもコツコツと投稿は続けます
しかし、何がウケたのかわかっていないので、一発屋だと思いますが、よろしくお願いします
(自虐ではなく本気です……)
とにもかくにも、多くの方に読んでいただけたことも、ランキングページに名前が載ることも、大変良い経験でした
SNSで発信できるネタを持たず、感想を書くことも、感想欄も開けられないヘタレは変われませんε-(´∀`; )
次話は簡単な人物紹介
明日から、番外編を始めます!
応援ありがとうございます!
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