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新城日陽編
しおりを挟むある日ホームルームが終わったとき、俺は担任である安田瑠璃(やすだ るり)先生に呼び出された。
生徒指導室に案内され、机を挟んで向かい合って座ると、彼女は口を開いた。
「なぜ呼び出されたのかわかりますか」
開口一番そう言われても俺にはてんで心当たりはないので正直に答える。
「わかりません」
しかし安田先生はそんな俺の態度に気を悪くはせず、むしろなぜか上機嫌になって言う。
「ふふ、謙虚なんですね。そういうところも素晴らしいと思います」
「なにが?」
俺がそう尋ねると彼女は彼女はわざとらしくこほんと咳払いをして、
「先日、倒れた古森さんを助けたと聞いて、私は震えが止まりませんでした。感動したと言うことです」
彼女の言うとおり、みっちゃんが倒れた日、学校に連絡を入れた時、安田先生には隠さず理由を伝えた。電話口では詳細の様子はわからなかったが声が震えていたような気はした。
気の小さい先生だからてっきり混乱したが故の物だと思っていたが、どうやら少し違うらしい。
俺が「はあ」と適当に相槌を打つと安田先生は続ける。
「他者との関わりが薄れ行く現代社会において、あなたの他者を気にする慈愛の心に感銘を受けました」
なんだか話が大きくなってきた気がするが、未だ先生の意図はわからないので、引き続き「はあ」と続きを促す。
すると先生は居住まいを正して、俺の目を見て言った。
「そこで、そんな関くんにひとつ依頼があるのです」
「依頼」
「新城日陽(しんじょう ひより)さんはわかりますか。クラスの」
先生の言葉に、思考を割く。
新城さん。
金髪ショートカットの彼女の顔を思い出す。
すらりとしてスタイルが良く、ハーフだそうで顔立ちもくっきりしている。
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能とまるでマンガの住人のようなクラスメートだ。
そういえば前に笹崎がぶつかっていたな。
そこまで考えて俺は答える。
「もちろん。クラスメートですし、目を引きますよね。彼女」
そう、一番はやはり目を引くと言うところだ。
先生も反論はないのか、うんうんと頷いた。そして言う。
「そんな彼女なんですが、少しばかりクラスで孤立しているように見受けられます」
「彼女が好きでやっているのならそれは別にいいと思いますが」
確かに先生の言う通り、少し言動に棘があるようには感じるが、そう言う意味でも高嶺の花と表現するのだろうか。
孤立、というネガティブな表現よりかは孤高と呼んだ方がいい気もする。
しかし、先生は、
「私はそうは思いません」
そう言いながら身を乗り出した。
「はあ」
相槌を打つと先生は熱が入ったまま、続ける。
「確かにむやみに人と関わらずに生きると言う選択肢もあります。ですが、何かあったとき、たった一人でも良いので頼れる相手がいるということは決して悪いことではないと思うんです。そして、彼女の態度や立ち振る舞いもあるとは思いますが、女子達はどこか彼女を上の存在のように扱っているように感じます。そこで関くん」
そこまで言うと先生は、拳に力を込めて、言った。
「彼女の友達になってあげてくれませんか」
「え」
友達。友達か。
先生の言葉に一理はある。
女子達の反応というのもこの間の笹崎の態度から納得する。
しかし思う。
「先生が声をかければ解決じゃないですか?」
俺がそう尋ねると、先生は間髪入れず答えた。
「だって怖いじゃないですか彼女」
「ちょっ」
先生はそこまで話すと話は終わりだとでも言うように席を立った。
そうして軽やかな足取りで俺の横を通り過ぎ、ドアに手をかけると俺の方に振り向いて言った。
「ではそういうことで、よろしくお願いします。新城さんはよく自習室を利用しているようですよ!」
俺は吠えた。
「どういうことですか!?勝手によろしくしないでください!」
先生はしかし、
「小テストの準備がありますので!」
そう言って逃げるようにその場をあとにしたのだった。
・・・
なんだか面白いことになったなあと思いながら、俺は取りあえず自習室に向かった。
利用するのは初めてだったが、テスト期間でもないので利用している生徒は受験生くらいだろうか。
ざっと辺りを見渡すと、目当ての彼女はすぐに見つかった。
やはり目立つ。
「新城さん」
他の利用者に迷惑がかからないように小声で声をかける。
すると新城さんはこちらを向き、俺の顔を見ると怪訝そうに眉を顰めた。
「なに?」
「勉強してるの?」
敵意がないことを表すために少しばかり笑いながら尋ねる。
しかし新城さんはその言葉に目を細めて、呆れたような口調で答えた。
「そんなの、見ればわかるでしょう?」
そしてまた机に向かった。
その言葉に俺は、
「うん」
それだけ答えるので精一杯だった。
いや怖いな。
先生がビビるのもわかるわ。
確かにまともに会話したことはなかったが新城さんってこんな感じかあ。
しかし、いやいや。
せっかく声をかけたのだ。もう少しがんばってみよう。
そう思って改めて尋ねる。
「いつも勉強してるの?」
新城さんはこちらに目を向けない。
「そうね」
「今日はなんの科目?」
「見ればわかるでしょう?」
「だよね」
「……」
「……」
とりつく島もねえ。
そう思っていると、新城さんは小さくため息を吐くと机の上を片付け始めた。
「あれ?もう帰るの?」
「ええ。集中できないから」
グサリと、刺すような口調。
うお、胃が痛い。
これ思ったより難易度高いな……。
そんなことを思って頭を捻っていると、片付けを終え席を立った新城さんがこちらをじろりと見た。
「あなた」
その冷たい言葉に思わず背筋が伸びる。
「はいっ」
そんな俺を見て新城さんは目つき鋭くこちらを見据え、言った。
「さっきから、何? 何か用なの」
ごもっともだ。
新城さんからしてみたら、いきなりわけのわからん奴が寄ってきて勉強の邪魔をしてくるわけだからなんなんだと思うところだ。
俺は「ああ、ええと」なんてごにょごにょ漏らした後、腹を括って彼女に言った。
「その、新城さんと友達になりたくて」
こういう手合いにはストレートに要件を言った方がいいだろう。
そう思っての発言だったが、実際効果はあったらしい。
新城さんは俺の言葉に少しだけ意外そうに目を見開いて、
「友達、ねえ」
そうやって、吟味するように呟いた。
それから腕を組んでこちらを見据えてくる。
うおすごい迫力。芸能人かな?
新城さんが口を開く。
「あなたと友達になって、何か私にメリットってあるの?」
なるほど。そう来るか。
友達のメリットね。
さっきの勉強中の態度もそうだけど何かしら効率を考える子なんだろうか。
俺は取りあえず思いついたことを口にしてみた。
「一緒に遊んだり」
「遊んでる暇なんかないわ」
「べ、べんきょう教えあったり」
「私に?あなたが?勉強を?」
「その反応はわかる」
俺は彼女から目をそらさずに苦笑した。
そうそうだ。
知る限り彼女は俺より出来ることが多いだろう。学びもないようであればストイックな彼女には不要なのかもしれない。
どうしたものかと考えているとしかし彼女は口元に手をやって、
「でも、まあそうね」
そうして少しだけ何かを思案した後、俺に向き直って言った。
「なんの科目でも良いけれど。次の小テスト。もしあなたが私に勝ったら、あなたの話を聞いてあげる」
・・・
帰宅し、夕食を済ませ、自室に戻った俺は改めて生徒指導室でのことを思い返していた。
「テストで勝ったら、ねえ」
回転する椅子でふらふら揺れながら考えていると、視界の端で、我が物顔で俺の部屋に居座りテレビを占拠している少女が目に入った。
俺は彼女に尋ねた。
「みっちゃんさあ、勉強って得意?」
彼女・古森満月(みっちゃん)は俺の言葉にちらとこちらに顔を向け、それからぽかんとして言った。
「なんです急に。 科目にもよりますがわりかし得意だと思いますよ」
意外な答えに思わず身を乗り出す。
「ほんと?」
みっちゃんは不思議そうに首を傾げ、
「急に勉強に目覚めたのですか? まあ、お姉ちゃんも知識を得るのは良いことだと言ってますが」
まあ確かに脈絡はなかった。
せっかくなので俺は今日の出来事をかいつまんでみっちゃんに話した。
それを聞いたみっちゃんは不思議そうに、
「……はあ」
とだけ口にした。
「まあ、そうなるよね」
俺がそう言うと、みっちゃんは興味をなくしたのかテレビに向き直って言う。
「それ、ゆうくんがやる必要はないと思うのですが」
「いや新城さんと仲良くなること自体は良いんだよ。ただ新城さんにテストで勝つってのはどうしたもんかと」
俺がそう答えると、みっちゃんは少しばかり肩を揺らして、「なるほど、まあゆうくんはそうですよね」なんて呟いた。
俺はテレビに目を向ける。
みっちゃんが持ってきたホラー映画が流れていた。
この間の一件以降、たまに夕飯をうちでごちそうすると、彼女はこうしてそのまま寝る時間まで俺の部屋で過ごすようになったのだった。
食い入るように映画を見るみっちゃんに、俺は尋ねる。
「なに見てるの?」
「死霊の夏祭りという作品です」
「へえ。昔の作品?」
聞いたことないがみっちゃんはホラーならなんでも見ている印象があるからな。
画面の比率が違うから多分古い作品なんだろう。
そう思ってるとみっちゃんは小さくため息を吐くとリモコンで映画を一時停止する。
それからゆるゆるとこちらに向き直って、言う。
「……科目が何でも良いということなら丸暗記系が良いと思います。覚えれば良いので。それこそ歴史とか」
彼女のその言葉に、俺は感心した。
歴史。なるほど。暗記物が良いというのも一理以上ある。
「ありがとみっちゃん」
俺がそう言うとみっちゃんは、にっこり笑って、
「どういたしまして」
と言うとまたテレビに向き直った。
さて、となると。
そう言えばおあつらえ向きに、あの人の担当は世界史だったな。
・・・
次の日、俺は昨日同様に生徒指導室にて安田先生と向き合っていた。
そして昨日の出来事と、こちらの考えを伝えると彼女は、「素晴らしいです!」なんて満面の笑みで言うのだった。
そんな先生に俺は尋ねる。
「でも、新城さんって確かいつも満点ですよね」
俺の記憶では、そうだった。
小テスト、期末テストに関わらず、彼女はテストのたびに先生に褒められていた。
俺の言葉に安田先生も首肯する。
「いつもではないですが大体は満点ですね。一番であることは間違いないです」
その言葉に俺は考える。
「そうなると彼女に勝つには、俺は満点前提で、かつ彼女が間違えるような難しい問題がないといけないわけですね」
しばらく二人して頭を捻る。
すると先生が、
「私良い案を思いつきました」
そうしてまた前のように身を乗り出して言う。
「つまり、私が作る小テストで、こっそり関くんにしかわからない問題を作ればいいということですね!?」
なるほど確かに。そうすれば俺は点数で彼女に勝つことは出来るだろう。
鼻息荒く言う先生にしかし俺は、答える。
「いやありがたいですけど、それは違いますよ先生」
「へ?」と気が抜けた返事をする先生に俺は続ける。
「だってそれじゃ、俺が勝ったことにはならないじゃないですか」
そうだろう。
彼女が求めているのは、自分より優れている存在だ。
テストは飽くまでそれを確かめる方法であって、全てではないはずだ。
彼女の気持ちはわからないが、少なくとも俺はそう思った。
俺がそう言うと先生の顔から表情が抜け落ちる。
すわ失礼な物言いだったかと胆を冷やしていると、
「か、」
「か?」
俺が聞き返した時、先生はまたスイッチが入ったかのように目を輝かせて、
「感服、感服しました……!!私の無理なお願いを快く聞いてくれるだけでは飽き足らずあくまで自身の納得を求めるそのストイックさ!私も学生時代にこんな友人がいれば!」
そうして自分の世界に浸るのだった。
そんな先生に俺は苦笑して、
「なります?友達に」
なんて軽口を叩いた。
「え?」
目を丸くする先生に満足して俺は、「冗談ですよ」と言いながら席を立つ。
「じゃ、俺行きます。勉強しなきゃなんで」
俺がそう言って生徒指導室を出ようとすると、
「絶対解けないような難しい問題用意します!」
という先生の声が背中に聞こえた。
それは困るな。
そんなことを考えながら自習室に向かった。
自習室に入ると、昨日と同じく机に向かう後ろ姿が目に入った。
俺は彼女に近寄って声をかける。
「新城さん。お疲れ」
新城さんはこちらをチラリと向いて、それから俺の顔を認めると昨日のように目を細めた。
彼女は言う。
「別に、疲れていないけど」
「そう?」
涼しい顔をしているようだが、彼女の顔からは疲れが見て取れる。
そしてつまりそれは、彼女がそれだけ本気で勉強に取り組んでいるということだと感じた。
「今日も自習室使ってたんだ」
彼女は、こちらを見ずに答える。
「そうね。せっかく集中できる環境があるわけだから、使わなきゃ」
「そうだね」
その態度に、なるほど、これが新城日陽かなんて大げさに考えながら、続ける。
「隣良い?」
俺がそう聞くと、彼女はほんの少しだけ意外そうな顔をして、それからまたいつものように、
「私の許可は必要ないでしょ」
そう、静かに言うのだった。
「それもそうだ」
俺は彼女の答えに満足して、彼女の隣に座ると、机の上に教科書と筆記用具を広げた。
さて、やりますか。
みっちゃんには、今日は帰り遅くなるって伝えてあるし。
・・・
しばらく勉強をしていると、チャイムが鳴った。
すると当番であろう先生が自習室に来て退室の声をかけられた。
今日最後まで残っていたのは、どうやら俺と新城さんだけのようだった。
片付けをしながら隣の新城さんに声をかける。
「知らなかった。自習室って六時で閉まるんだね」
俺の言葉に、片付けの手を止めずに新城さんは応える。
「そうよ」
「新城さんはいつもこの時間まで勉強してるの?」
「習い事がある時は別だけど、そうね」
新城さんはやはりこちらに目を向けない。
なるほど、彼女は習い事もしているのか。
それは忙しいだろう。
勉強もして、習い事もして、きっと全てに全力で取り組んでいるんだろう。
「偉いなあ」
俺は思わずそう口にした。
しかし新城さんは、
「別に、褒められるためにやってないから」
なんて、本当に当然のことのように言ってのけた。
その言葉を疑問に思った俺はそのまま尋ねる。
「じゃあ、なんのために?」
そこで初めて新城さんは一度だけ手を止め、チラリとこちらに目を向けたそして、言う。
「私が私であるためによ」
やはり当然のことのように、そう言った。
新城さんはそのまま片付けを終えるとさっさと席を立つ。
そして去り際に、
「じゃあね」
そう言った。
ちょっとだけ、距離は縮まったかな?
そう思いながら、
「ああ。またね」
なんて、彼女の背中に俺は言った。
スマホを見ると、みっちゃんからの腹減ったコールが来ていた。
……今までよく無事でいたなあの子。
それから今日の勉強内容を頭の中で整理する。
「カタカナ多すぎてあったまパンクしそうだ」
新城さん、いつもこんなことやってんのかあ。すげえなあ。
・・・
それから自習室で彼女を見かけたら声をかけるようにした。
最初は面倒そうにしていた彼女だが、俺が勉強し始めれば干渉してこないことに気付いてからは、最初と最後になんとなく会話するようになった。
と言っても一言二言だけど。
そうして数日経って、自習室に通うのも習慣になりつつあったある日。
いつものように教科書とにらめっこしつつノートに整理していると、隣から声をかけられた。
「まだやってくの?」
顔を上げればここ数日で見慣れた顔。
「あれ、新城さんいつの間に」
俺がそう言うと彼女はいつものように少しだけ眉を顰めて、
「結構前からいたけど」
つっけんどんにそう言った。
今日は来た時には新城さんがいなかったから適当に座ったけど、いつの間にか彼女も来ていて隣に座ったのか。まあそれだけ集中できてたってことか。
「そっか、ごめん気付かなくて」
俺がそう言うと、彼女は眉間の皺を少しだけ深くして言う。
「なんで謝るの」
「確かに」
俺がそう言うと満足したのか、彼女は席を立つ。
「帰るの?」
俺が尋ねると新城さんは「ええ」と頷いて、
「習いごとがあるから」
そう言った。
なるほど、そんな時間か。
時計を見る。
時刻は五時を過ぎる頃。
俺は新城さんに向き直って告げる。
「おー。がんばってね。俺はもう少し残るよ」
俺の言葉に彼女は少しだけ困ったように眉を下げて、ぽつりと言う。
「……好きにすれば?」
彼女の困惑を感じ取った俺は誤魔化すように笑って、「そりゃそうだ」と言った。
彼女が自習室を後にするのを見送って、俺は机に向き直る。
さあ、やるか。
テストは、明日だ。
・・・
そしてまた次の日。
小テスト当日。
俺は出せる力を全て出し切り、ホームルームが終わるといつものように自習室へと足を向けた。
そして、席に着いたとき、はたと気付いた。
それと同時に声をかけられる。
「あら? どうしたの。もう勉強する理由はないんじゃない?」
「ああ、ばれてた?」
俺がそう答えると声の主、新城さんは、
「そりゃ、約束した後から急に自習室に来るようになったらね」
なんて良いながら、俺の隣に座った。
彼女の言葉に自分でもおかしくなって、
「なんか習慣になっちゃって。それに段々楽しくなってきたから」
笑ってごましながらそう言うと、彼女は、「ふうん」といつもの相槌を打って机に向かった。
「今回のテストどうだった」
「あの先生にしては、今回は少し踏み込んだ問題が出てたわね。でもまあ、いつも通りよ」
こちらを向かず、手を止めず言う彼女。
いつも通りね。
「そっか。じゃあ俺の負けはないかもね」
俺の言葉に、新城さんの手が止まる。
しかし、俺は構わず続けた。
「俺は、全問わかったから」
それを聞くと彼女はこちらを向き、
「……ふうん? 言うじゃない。自信あるのね」
そう言って好戦的な笑みを浮かべた。
おや。この表情は初めて見た。
少しは意識してくれたんだろうか。
そんなことを考えながら俺は答えた。
「そりゃ暗記物はわかるかわからないかしかないからね」
言って、改めて今日の小テストに思いを馳せる。
今までテストなんて嫌な気分しかなかったけれど。
「テストが解けるって、自分の勉強した問題が出るのって、あんな気持ちいいんだね。癖になりそうだよ」
そうだ。
知ってることしか聞かれなかったのだから、知ってることを答えるだけだった。
走り出したペンは止まらなかったし、頭の中の空っぽの引き出しをひっくり返す必要もなかった。
空欄もなく、時間も余って、静かに時間が過ぎるのを待っていたあの感覚は、俺にとっては未知の経験だった。俺が手を止めたことに気付いてわたわたしてた安田先生の反応を見て楽しんでいたくらいだ。
俺のそんな言葉に新城さんは、
「そう。……そうね」
なんて、何か思うところがあるように呟いて、
「結果が出るのが楽しみね」
静かに、そう言った。
・・・
運命の日。
世界史の授業の終わり際、時計をチラリと見た先生がパンと手を合わせる。
「では今日はここまでで。それじゃあ前回の小テストお返ししますので、名前を呼ばれたら取りに来てくださいね」
そうして一人一人名前順に呼ばれて、答案を手渡しされていく。
隣の席の笹崎が自身の答案を見て、眉を下げて笑う。
「いやあ今回なんかちょっと難しくなかった? やってない範囲とか出てた気がするけど」
彼女の問いに、
「いや、授業で全部やってた範囲だよ。細かい用語の問題はあったけど、確かに授業で触れてた」
俺がそう答えると笹崎は驚いたかのように「へ」と目を丸くした。
「しんじょうさーん」
安田先生のどこか気の抜けた声が新城さんを呼ぶ。
新城さんはいつものようにどこか自信を感じさせるようなしっかりとした足取りで教卓に向かった。
「さすが新城さん、いつも通り高得点ですよ」
えへえへと笑いながらそう言う安田先生に「ありがとうございます」とさらりとお礼を告げて、彼女は席に戻った。
その表情は、いつもの少し眉を顰めている物だった。
そして新城さんが呼ばれた次は。
「せきくーん」
「はい」
返事をして教卓に向かうと、先生は少し俺を見つめてきた。
不思議に思っているとその目からポロリと一滴。
「うお!?何泣いてんですか」
俺がそう指摘すると彼女は耳と目と鼻を赤くして、
「ご、ごめんなさい……、私、感動してしまって……」
それからずびと鼻を啜って一際大きな声で言う。
「関くん、満点です!」
その言葉に教室がざわつく。
背後で「うそお!?」という笹崎の声を聞こえる。
そうして渡された答案には、確かに100という数字と、かわいらしい花丸が描かれていた。
「う、おお……!?」
俺は、なんとも言えない、不思議な気持ちに包まれた。
「結構、ていうか。これめちゃめちゃ嬉しいですね……!」
先生に正直に今の気持ちを伝えると、先生はそんな俺を見ておかしそうに、そして嬉しそうに笑いながら言う。
「ふふっ。本番もがんばってくださいね」
そうして全員の答案を配り終えると先生が号令をかける。
直後、俺の席の周りに笹崎が、山成が加瀬が、集まってくる。
少し離れた席でみっちゃんがにこりとこちらを見ていた。
そして、
「……っ!!」
つかつかと音を立てて、新城さんが安田先生に向かっていくのが見えた。
新城さんが、先生に尋ねる。
「先生。この回答は、なぜ誤りなんですか?」
「ひえ!? そ、そこはですね……」
納得が行かない採点だったのだろうか。
先生が、恐縮しながら受け答えているのが見えた。
・・・
そしてホームルームが終わり、バイトに向かうという笹崎を送り出してから帰り支度をしていると、声をかけられた。
「関友也(せき ゆうや)」
顔を向けると、思った通りの顔。
「ああ、新城さん。お疲れ」
俺がそう言うと、彼女は目を伏せ、一度大きく息を吐いた。
そしてまっすぐこちらを見つめ、言う。
「私の負けよ」
そんな彼女に一つ尋ねる。
「さっきのテスト、先生になんか質問してなかった?」
多分最後の問題についてだろうか。
彼女が先生に質問していたのは見ていた。
その結末までは見届けなかったので聞いたわけだが、新城さんは、
「ええ。でも、私が間違っていたことは納得したわ。あなたが満点だってことも、聞いたわ」
そう認めた。
「へへっ」
周知の優等生である新城さんに認められるというのも面映ゆい。
照れ隠しに頭をかいてから、彼女に向き直り俺は尋ねる。
「じゃあ、俺と友達になってくれる?」
彼女はいつものように涼しい顔で言う。
「ええ。そう言う約束だったものね」
いつもの表情だったと思う。
でも、ほんの少しだけ微笑んででいるように見えた。
「やったぜ」
俺がそう言うと彼女は腕を組み、続ける。
「じゃあ、さっそく今度の土曜日にでも行く?」
唐突な彼女の言葉に俺が、
「へ?どこに」
と、素直にそう尋ねると新城さんはきょとんとした。
おや、その表情はレアかも。
そう感じている間に彼女は不思議そうに言った。
「どこって友達なんだから、一緒にお買い物に行くでしょ? それともゲームセンターにする?」
……あれ?
なんか、結構距離の詰め方激しくないか?
黙ってる俺に、新城さんはまた不思議そうに首を傾げる。
そんな彼女に取りあえず返事をすることにした。
「あ、ああ。俺はどっちでも良いよ。新城さんの好きな方で」
俺がそう答えると彼女は、「そう」と気にせずに、スマホを取り出す。
「じゃあ連絡先、教えなさいよ」
今までが塩対応だったからそう感じるだけだろうか。
やっぱりどこか距離の詰め方が急な気がするが、
俺は新城さんと連絡先を交換した。
新城さんは確かめるように俺の連絡先を見てから、スマホをしまう。
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「習いごと終わったら連絡するから」
「うん。待ってる」
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すると、勢いよく教室のドアが開けられる。
目を向けると入り口にいた数学の先生と目が合った。
先生は俺に向けて言う。
「おい関、何やってんだ」
「へ?」
俺の反応に、先生は大きくため息を吐いた。
なんだ?
そう思ってると先生は腕を組んで、俺に言った。
「お前、この間の小テスト酷すぎたんだから、ホームルーム終わったら職員室来いって言っただろ。あんな酷かったのお前くらいだぞ」
その言葉に俺は「あ」と思い出す。
そう言えばそうだった。
世界史の勉強を必死にやり過ぎて、その後の数学の小テストは散々だったんだ。
それを思い出したと同時に、背中にぴりりと。
殺気のような、背筋に寒気を感じた。
心当たりは、ある。
俺がその方向に振り返ると。
「……ふうん。へえ。そうなんだ」
初めて自習室で言葉を交わしたときと同じくらい。
いやそれ以上の冷たい表情で、新城さんがこちらを見ていた。
「いや、違うんだよ新城さん」
取り繕う俺に新城さんは、首を傾げる。
「何が?何が違うの?関友也」
底冷えするような冷たい言葉に、
「ひええ……」
俺は、悲鳴を上げることしか出来なかった。
新城日陽編 了
0
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