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深瀬由希編

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無事小テストで新城さんに勝利し、彼女と友達になった俺は、早速彼女から遊びに誘われた。
土曜日。時刻は午後2時の少し前。
駅の改札前でぼんやりとスマホをいじる。
約束の時間は2時半。まだ30分は時間がある。
ちょっと気合い入りすぎたかなと思い、一つ息を吐く。
いやしかし。
こうして駅前で待ちあわせをしているわけだが。
なんというか休日に駅前で待ち合わせをして、女の子と遊ぶってのは、これは。

「よくよく考えたらこれデートだよなあ」

彼女は全く意識していないようなので、彼女としては深い意味はないのだろう。
それなのに俺が意識しすぎるのもよくないか。
そう思ってると、陰が差した。

顔を上げると件の少女。

「早いわね」

涼しい顔で意外そうに彼女・新城日陽はそう言った。
スマホの時計はまだ2時になっていない。
いや君も結構早いと思うよ。
そう思いながら俺は答える。

「そう?待たせたら悪いと思って」

俺の言葉に彼女は表情を崩さず「ふうん」と相槌を打った。
クラスメートの私服姿というのは新鮮だ。普段は制服と、体育着くらいしか見かけないから。
そもそも彼女の私服姿を見たことがあるクラスメートが他にどれほどいるのだろうか。
改めて彼女の格好を眺める。
シンプルな白いTシャツに青いデニムパンツ。
俺の視線に気付いた新城さんが首を傾げる。

「何?」

俺は思ったことを口にした。

「新城さんけっこう、ラフな格好なんだね」

俺も男だ。
美人としても有名な新城さんの私服姿はちょっと想像していたのだけど。
普段の立ち振る舞いとか、雰囲気とかから、もう少しお嬢様っぽい煌びやかな格好を想像していた俺は、なんというか少し面食らった。いや、スタイル良いから今の格好も似合ってるんだけどさ……。
しかし彼女は俺の顔を見ても特に思うところはないようで、「そう?」なんて返事をしてから、いつものトーンで続けた。

「じゃあ行きましょうか」

・・・

彼女に連れられてやってきたのは駅前の少し大きいゲームセンターだった。
意外に思った俺は正直に口にする。

「新城さんこういうところ来るんだね」

新城さんはこちらに目を向けず答える。

「友達が好きでね」

なんて言って、慣れた足取りでずんずん進んでいく。
なるほど確かに、その足取りに迷いはなくて、本当にゲームセンターというものに慣れているようだった。

そうして俺たちはふらふら歩き回りながら目についたゲームで遊んだ。
例えばレースゲームでボコボコにされ、エアホッケーでボコボコにされ、要するに何をやってもボコボコにされた。

彼女を褒めると、彼女は「友達とよくやってるからね」なんて、涼しい顔でそう言った。

そうして一回りした時、ふと彼女がある筐体の前で足を止めた。
犬のマスコット「ビーグルくん」のキーホルダーのUFOキャッチャーだった。

「気になる?」

俺がそう聞くと彼女は、

「いえ。別に」

そう言って、踵を返した。
俺は少しその筐体を眺める。
あんまりこういうのはやったことがないが、せっかく遊びに来たしやってみるのも良いだろう。
そうして俺がお金を投入していると、新城さんは戻ってきた。

「やるの?」
「試しにね」

筐体から目を離さず答える。
とはいえ本当にUFOキャッチャーは門外漢だ。物は試しくらいのつもりだったんだけど……。
コロン、という音と共にプライズが穴に落ちる。

「おー。とれた」

取り出し口からビーグルくんを取り出す。
まさか本当にとれるとは思ってなかったので少し困って、なんとなく新城さんに差し出した。
新城さんは反射的に手を差し出し、受け取ってくれた。
これ俺が押しつけたみたいだな。
そんなことを考えていると、新城さんはふむと唸って、

「そういえば、UFOキャッチャーはやったことないわね」

そう言って筐体にお金を投入した。

・・・

俺は、これほどまでに感情をあらわにした新城さんを初めて見た。
最初は涼しい顔をしていたのに、1回、2回と失敗を重ねるにつれ、段々と筐体に身を乗り出し、表情を歪ませていった。
俺が初めて声かけたときでもこんな剥き出しじゃなかったよ……。

「し、新城さん」

遠慮がちに声をかけると新城さんは、

「何?」

少し、いや結構不機嫌な声で返事をした。目線は筐体から離れない。
その様子にさすがにまずいと思った俺は続ける。

「もうやめようよ」

彼女は鼻息荒く、しかし冷静を装って答える。

「大丈夫よ。もう少しでコツが掴めそうなの」
「それダメな奴……」

言っている間にしかしビーグルくんはアームからこぼれ落ちていく。
新城さんは積み上げた500円玉を再度投入した。

「私に出来ないわけ、ないでしょ……!?」

もはや親の仇かのように筐体にかじりつく彼女。
運命のアームが動く。
そのアームは、奇跡的にビーグルくんのラベルに引っかかった。

新城さんが「あっ」と声を上げた。
きっと意図しない物だろう。それから祈るようにアームの動きを見届け、1匹のビーグルくんが取り出し口に落下した。
新城さんは即座に取り出し口に手を伸ばす。そして、

「ほらとれた」

そうやって、自慢するように俺にそれを見せながら、満面の笑みを浮かべた。
それは、間違いなく俺の見たことがない表情で。
彼女のその様子を見て、俺も思わず笑った。
感慨深げに戦利品のビーグルくんを眺める新城さんに俺は声をかける。

「そうまでして欲しかったの?」
「そうね」

新城さんは、ビーグルくんを掴むその両手にきゅっと力を込めて、

「やっぱり、おそろいが良いでしょ?」

そう言って微笑んで、俺にその子を差し出した。


・・・

そうしてゲームセンターを出た俺たちが次に向かったのは、本屋だった。
欲しい本があるの、という新城さんについて行って、駅ビルの本屋に足を踏み入れる。

「じゃ、また後で」

そう言って新城さんはずんずん奥へと進んで行った。
その迷いのない足取りを見届けて、俺は考える。

「ふむ」

せっかく出し俺も何か買っていくか。
そんな感じでふらふら店内を歩いていると、気になるコーナーがあった。
平積みにされたそれを手に取る。
それからパラパラと中身を眺め、戻す。
いくつか手に取りざっと目を通して見るピンとこない。
さてどうしたもんか。
そんなことを考えている店員さんに声をかけられた。

「何かお探しですか」
「あ、はい。初心者向けの料理の本を」

みっちゃんに料理を教えるとなった時に、何から教えれば良いのかわからなかった。
そして自分が感覚で教わっていたことに思い至った。
自分でやる分には問題ないが人に教えるのであればもう少し体系立っていた方が良いと思い、それに自分がそんなに和食のレパートリーがなかったことも相まって初心者向けの本でもと思ったんだけど。
いざ目を通してみると、どういった物が良いのかてんでわからなかった。

店員さんは俺の言葉に「ふむ」と唸り、

「料理の本ですか」

そう言って棚に指を沿わせて、一冊引き出した。

「これなんか、おすすめですよ。私も読んだやつなので」

そう言って本を差し出す店員さん。
お礼を言いつつその顔をちゃんと見て、俺はそれが見知った顔であることに気付いた。

「……深瀬先輩?」

俺がそう言うと店員さんは、黒いロングの髪を揺らしながら首を傾げた。

「……? 学校の子? どこかで会ったかな?」

思い当たる節がなさそうな彼女に、まあ1回会っただけだしなあと納得しながら告げる。

「ほら、生徒会の手伝いで」

俺がそう言うと彼女は「あー」と声を漏らした。どうやら思い出してもらえたようだった。
今彼女に告げた通り、彼女・深瀬由希(ふかせ ゆき)さんは学校の一つ上の先輩で、ある日生徒会の手伝いにかり出されたとき、一緒に作業をしたんだった。
俺が担当していたのは資料のホチキス止めだったが、深瀬先輩は生徒会役員でもないのに方々に指示を出していて、その時の様子から後輩同級生双方から慕われているのがよくわかった。
その日一応一言二言会話をしたんだが、さすがに彼女の記憶には残らなかったか。
そう思っていると、

「確か、関くんだったかな」

なんて、深瀬さんがさらっと言った。
しっかり俺の名前を言い当てた彼女に、やっぱり周りに気を配れてる人なんだなと再認識して返事をする。

「はい」

俺が学校の後輩だと気付いたからか彼女は先ほどより少しだけ力を抜いた。

「ふふっ。確かに学校の子は良く見かけるけど。声かけられたのは初めてだったから少し驚いたよ」

なんて気さくに言う。
こういうところが慕われるところなんだろうなと思いながら、

「すいません。お仕事邪魔してしまって」

そう言うと彼女は微笑んだ。

「いいよ。別に邪魔じゃないし」

それから何かに気付き「それ」と指さす。
視線の先には、先ほど新城さんが激闘を繰り広げたビーグルくんのキーホルダー。
せっかくなのでとボディバッグにつけたんだった。
深瀬さんは先ほどより少しばかりトーンを高くして言う。

「ビーグルくん、だね。好きなの?」

その質問に「あー。これは」なんて俺がもごもごしている間に彼女はポケットから何かを取り出して俺に見せつけた。

「ほら、私も持ってるんだ」

それは、全く同じビーグルくんのキーホルダーがついていた鍵だった。
涼しい顔をしつつもちょっと照れながら言う彼女の表情は少しだけ俺の目を引いた。

そうして面食らっていると、不意に後ろから、

「ゆうや」

声をかけられた。

「新城さん」

振り向くと先ほどまで共に過ごしていた少女の姿があった。
俺は尋ねる。

「買い物は終わった?」
「ええ」

彼女はそう言って袋を俺に見せた。

すると深瀬先輩は、

「お邪魔みたいだから、失礼するよ。じゃあね」

なんて言いながら軽く手を上げると、こちらに背を向けさっさと離れていってしまった。

「いや、そういうんじゃないんですけど……」

俺の言葉は、離れていく彼女に聞こえていたかはわからなかった。
新城さんはそんな彼女を見送りながら俺に尋ねる。

「今の深瀬由希先輩よね。知り合い?」
「前に生徒会の手伝いでね」

俺がそう答えると、新城さんは「ふうん」なんて、興味があるのかないのかわからない相槌を打った。
俺は気にせず尋ねる。

「そういえば、何買ったの?」

新城さんは、俺の言葉に、

「あなたによ」
「へ?」

そう言って袋を差し出した。
困惑する俺に新城さんは続ける。

「数学の参考書。あなた数学苦手なんでしょ?私も使ってた奴だから、おすすめ」

痛いところを突かれ、俺は呻いた。

「まあ、はい」

目の前で、先生に呼び出されたし、そら覚えてるよなあ。
俺は苦笑いしながらそれを受け取った。

「あ、いくらだった?」
「良いわよ別に」

さすがにただでって訳にもいかないので尋ねたが、新城さんは本当に気にしてなさそうにそう答えた。
いや、そうは言われても。

「そういうわけにはいかないでしょ」

そんな俺の言葉に、新城さんは不思議そうに首を傾げ、こう言った。

「友達でしょ?」

なんか歪んでね……?

そんなこんなで言い時間となり、新城さんは習い事があると言うことなので駅に向かった。
改札を越え、新城さんは言う。

「じゃあまた学校でね。ゆうや」
「うん、また」

俺の返事に新城さんは少し微笑んで、ホームへと向かっていった。

そんな彼女が見えなくなってから、俺はふと思った疑問を口にした。

「……なんで急に呼び捨てしだしたんだ?」

いや、まあ、別に良いんだけど。

・・・

週が明け、月曜日。
昼休みになり、ふと気が向いた俺は教室ではなくどこか別の場所で昼を済ませようと校舎をうろうろしていた。
しかしまあ、良い感じのスポットなんて誰かが占拠しているわけで。
一通りまわってピンと来る場所もなかったので教室に戻ろうとしていると、中庭のベンチに見知った顔があった。
せっかく会ったのに声をかけないのもなんなので、俺は中庭に足を踏み入れた。

ベンチに姿勢良く座ってお弁当を食べる彼女は、俺が近づくとすぐに気付いてこちらに目を向けた。

「深瀬さん」
「おや。また会ったね。どうしたの?」
「いや、食べる場所がなかなか決まらなくて」

俺がそう答えると深瀬さんは「なるほどね」と、それからちらと時計を見た。
そして俺に微笑みかけて言う。

「ここで食べていきなよ」
「良いんですか?」
「もちろん」

心よい返事に安心し、俺は彼女の隣に腰掛けた。
彼女は俺が手にしてる包みに目線を向ける。

「それ、お弁当。自分で作ったの?」
「ええ、まあ」

深瀬さんは「ふーん」と少し含みを感じさせる相槌を打って、それから少しばかり愉快そうに笑う。

「……ねえ。見せてみてよ」
「そんな面白いもんでもないですけど」
「いいからいいから」

そんな面白い物でもないが隠す物でもないだろうと思い、弁当箱を開ける。
深瀬さんがのぞき込んでくる。

「おお。見事に茶色いねえ」

楽しそうにそう言う彼女に俺は、

「男の子なんで」

なんて軽口を返した。
深瀬さんはにやと少し嗜虐的な笑みを浮かべ俺に言う。

「男の子ってみんなそうなの?」

俺はしれっと答えた。

「そうですよ」

多分ね。
深瀬さんはそのまま珍しそうに俺の弁当を見てから、俺に尋ねる。

「せっかく本を買ったのに、和食のおかずは作らなかったのかい?」

痛いところを突かれた俺は、正直に答えた。

「材料がなくて」

俺の言葉に、深瀬さんは呆れたように笑って「ああ」と納得していた。
それから俺は深瀬さんの弁当をのぞき込んだ。
深瀬さんは俺に見やすいように傾けてくれた。

「先輩のは彩り鮮やか、……でもないですね」
「ん? まあ私のは和食だからねえ。色合いは地味かもね。昨日の夕飯の残り物詰めただけだし」

深瀬さんの言葉の通り、彼女の小さなお弁当箱には焼き魚や煮物など、和のおかずばかりだった。
しかしながら心なしか自慢げに深瀬さんは言う。

「でも、結構よく出来てると思うんだ」

確かに、と思う。
色合いは地味だが、どこか食欲をそそる色艶。
和食特有の匂い。
冷凍食品ばかりの自分の弁当と見比べると、少しばかり魅力的だった。
というかもう、深瀬さんのお弁当を見てから口が和食の口になっていた。
俺は深瀬さんに、一つ提案をする。

「……俺の唐揚げと交換しません?」

俺のその言葉に先輩は少し目を見開いて、それからおかしそうに吹き出した。

「交換、か。ふふっ。しょうがないなあ。いいよ」

そしてお弁当を差し出して深瀬さんは言う。

「でも、その唐揚げに釣り合う物があるかな? 男子にとって唐揚げは財宝よりも価値があるだろう?」
「そうですねえ」

俺は深瀬さんの言葉を聞きながら獲物を吟味する。
しかしながら、実は第一印象で既に決めてたりする。

「じゃあ、この筑前煮を」

一人暮らしではなかなか煮物は腰が重く、なんだかんだ敬遠していたのだ。
そこにひょいとお出しされた筑前煮は、俺のハートをがっちり掴んでいた。
俺が箸をのばすと深瀬さんは、

「おお、お目が高い。それは自信作なんだ」

誇らしげにそう言った。

その隠しきれてない自信に期待をもって一口放り込む。
そして、

「うまっ!? めちゃうま!?」

思わず口にした。
無心で味わう俺に深瀬さんは胸を張って鼻を鳴らす。

「言ったろう。自信作だって」

俺はしっかり時間をかけて咀嚼し、ほのかに残る後味に少し浸ってから、深瀬さんに尋ねた。

「先輩も自分で作ってるんですか?」
「そうだよ。というか関くんこそ男子にしては珍しいよね。自分で作るなんて」

何でもないことのようにさらりと肯定しながらも、少し機嫌良さそうに深瀬さんが聞いてきた。
確かにそうかもしれない。
とはいえ別に特別な理由もないので俺はそのまま答えた。

「俺一人暮らしなんで」

すると、深瀬さんは少し唖然とし、「あ……」と声を漏らした。
その反応に、変な勘違いさせ気を遣わせてしまったと気付いた俺はすぐにフォローをした。

「あ、いや別に暗い事情とかはないんすよ」

そうして、我が家の家庭の事情をそのまま話した。
深瀬さんはどこか思うところがあるような表情で真剣な顔で俺の話を聞いてくれていた。
そして一通り聞き終わると意外そうに一つ息を吐いた。

「なるほどねえ。両親が海外に。じゃあ、色々大変だ」
「まあそれなりに」

俺には別に当たり前のことだったが、深瀬さんはやはり何か思うところがあるらしい。
少し考え込むように彼女は黙り込んだ。
すると予鈴が鳴る。
気付けばお昼休みも終わる時間になっていた。
その音で我に返り、お弁当を片付ける深瀬さんに、俺はダメ元でふと思いついた提案をすることにした。

「あの、先輩さえよければなんですけど」
「ん?」

不意を突かれたせいか、不思議そうにしている深瀬さんに俺は言った。

「うちで料理、教えてもらえます?」

せっかく料理が得意な人と知り合ったのだ。
これも何かの縁だと思った。
しかし、

「………………へ?」

俺の言葉を理解するのに、深瀬さんはかなりの時間を要したようだった。

・・・

連絡先を交換し、放課後待ち合わせた俺と深瀬さんは買い物に向かい、その足でそのまま俺の家へと向かった。
その間ずっと深瀬さんは様子がおかしかった。
さすがに急なお願いすぎただろうか。

家の鍵を開け、ドアを開けて深瀬さんを招き入れる。

「お、お邪魔します」

緊張している深瀬さんに俺は苦笑しながら、

「いらっしゃいませ」

と告げた。
それから玄関に見慣れた靴があることに気付いた。
それと同時にとたとたと階段を降りてくる音。
そして、ひょこりと、想像通りの子が顔を出した。

「あれ?お客さんです?」

彼女は特に気にした様子もなく、俺にそう言って、不思議そうに深瀬さんの顔を見た。
見慣れない顔だからだろう。

不意を突かれたのか深瀬さんは、

「え、あ、お、お邪魔します。深瀬由希です」

なんて彼女に深々とお辞儀をする。
彼女は、

「はい。いらっしゃいませ」

ツインテールを揺らしながら、愛想良く答えた。
そんな彼女・古森満月に俺は告げる。

「ただいま」

みっちゃんはにこりと笑って「おかえり」と言った。

すると横からぐいと引っ張られる。
そして深瀬さんは俺の耳元で少しばかり焦ったように声をかけてきた。

「ちょっと関くん。ひとり暮らしじゃなかったの?妹さんいるじゃん」
「いや別に妹って訳では」

そんなことを考えているとみっちゃんは、はたと気付いて深瀬さんに向き直り頭を下げた。

「古森満月です。ゆうくんがいつもお世話になっております」
「世話してるのは俺……」

未だに混乱している深瀬さんに、俺は本を探してた理由や今日呼んだ理由など諸々を説明した。
そこでようやく深瀬さんは色々得心がいったらしく、かつての涼しげな余裕ある表情を取り戻した。

「なるほど。幼なじみ。もっと言うと彼女にもっと良い物を食べさせてあげたいと」
「ええ。あとはまあ、彼女に料理を教えることになったんですが、他人に教えるほどの腕前もないことに気付いたので。まずは修行をと」
「良い心がけだね。こういうには一朝一夕では身につかないもんね」

頭にはてなマークを浮かべているみっちゃんを放っておいて、早速俺たちは準備に取りかかった。
教えてもらうのは、今日つまませてもらった筑前煮だ。
みっちゃんにも栄養のあるものを食べてもらいたいし、何より俺が気に入ったから。
みっちゃんは既に食卓で待機している。
俺が渡したエプロンを制服の上から身に着けながら、深瀬さんは言う。

「まずは下準備しようか。お野菜を切って」
「はい」

深瀬さんにも伝えたが、俺は和食は門外漢だ。
なのでまずは指示通りにと彼女の言うことを聞いていたのだが、少し作業を進めたところで深瀬さんが、「おや」と意外そうに声を上げた。

「なんだ。料理を習いたいと言うからどんな腕前かと思えば。関くんそこそこ出来るね?」

感心だとでも言うような彼女の言葉が少し照れくさくて、俺は誤魔化すように言った。

「そこそこ、ですよ」

俺の言葉に、深瀬さんは「ふむ」と唸って少しだけ考え込んだ。
それから気を取り直して、顔を上げる。

「じゃあこっちも準備しようかな。お鍋出しておくよ」

言いながらきょろきょろする深瀬さんに俺は言う。

「あ、鍋、上なんですよ。俺とります」

そう言ってキッチンの上の戸棚を開ける。
それを見て深瀬さんは、

「大丈夫。これくらいなら届くよ」

そう言って手を伸ばした。
しかし、彼女の予想よりその位置は高かったようで、しかも鍋はいくつか重ねてしまってある物だから、彼女は手こずりながらつま先立ちでなんとか鍋を取り出そうとする。
そわそわとその様子を見ていたとき、ふと、

「あっ」

という深瀬さんの声と共に、積み上げられていた鍋が、崩れかけた。
俺はすかさず後ろからそれを支える。
どうやら大惨事になる前に食い止められたようだった。
やっぱ俺がとれば良かった。
目の前の深瀬さんに声をかける。

「大丈夫すか?先輩」
「あ、うん……」

深瀬さんは歯切れの返事をした。
驚かせてしまったか。

「うち家事してたのおとんでしたから。ちょっと不親切ですよね」

張り詰めた空気を戻すためにそう軽口を叩くも、深瀬さんは依然強ばったまま、

「いや、それは、いいんだけど」

そう言って、

「けっこう、しっかりしてるんだね」

そう、ぽつりと付け加えた。

・・・

その後は特にトラブルもなく、深瀬さんもすっかり元の調子を取り戻したので夕飯の準備は速やかに完了した。
食卓に広げられた、普段よりも一段豪華な夕食に、みっちゃんはわかりやすく喉を鳴らす。

「……これ、食べて良いのですか?」

遠慮がちに深瀬さんに尋ねるみっちゃん。
それを受けて深瀬さんは優しく笑う。

「もちろん」

それを聞いてみっちゃんはぱっと表情を明るくした。

「いただきます」

そうしてみっちゃんは、早速筑前煮に手を伸ばした。
みっちゃんは無言で顎を動かす。
何も言わないが、その表情が全てを物語っていた。
深瀬さんは微笑み、みっちゃんに尋ねる。

「おいし?」

みっちゃんは、激しく首肯した。
それを見て深瀬さんはまた、満足げに笑った。

「ふふっ。まだあるからいっぱい食べてね」

ごくんと喉を鳴らし、嚥下したみっちゃんは、感極まったかのように、ぽつりと漏らした。

「深瀬先輩はママだったのですね……」
「おばさん泣くぞ……」
「それとこれとは話が別なのですよ」

そんなみっちゃんを見て、深瀬さんは笑みを深める。

「満月ちゃんは良い子だねえ」
「お姉ちゃんも、食べたがってます」
「お姉ちゃん?」

みっちゃんの言葉の意味がわからない深瀬さんは首を傾げた。
そんな彼女に俺は箸を止めずに言う。

「いやでも、うまいっすわやっぱ」

深瀬さんは、俺の方に目を向けて、

「そうだろう?」

なんて、お昼の時と同じようにどこか自慢げに、そして照れくさそうにそう言った。
それから少しだけ困ったように眉を下げて続けた。

「でも驚いちゃったよ。関くん、結構できるから。もう教えることないかな」

俺は、笑って答えた。

「いや、そんなことないですよ。それにまだならってない料理ありますし、先輩さえよければしばらくは面倒見てもらいます」

彼女はそんな俺を見て、「そっか」と笑った。
そして呆れたように眉を下げ、言う。

「ああほら、口元ついてるよ」
「うお、まじすか」

つい気が緩んでしまった。
思わず袖で拭こうとして、まだ制服だったことを思い出す。
どうした物かと思っている間に、

「もう、しょうがないな」

なんて言いながら、深瀬さんがハンカチで俺の口回りを拭った。
恥ずかしもののせっかく好意でやってくれているので避けるわけにも行かず、俺は大人しく拭かれるのを待った。

「すんません」

くすくす笑うみっちゃんが視界の端に入ったので俺は目線で牽制した。
深瀬さんは、はい、と言ってハンカチを引っ込める。

そしてふと、ぼんやりした表情を浮かべた。

「どうしたんすか先輩」
「いや……」

彼女は歯切れ悪くそう言って、

「別に。ちょっと懐かしいなって」

そうやって困ったように眉を下げ笑った。

・・・

帰り際の深瀬さんを玄関まで見送る。
結局片付けまで手伝ってもらって申し訳ない。
深瀬さんはみっちゃんに言う。

「いっぱい作ったからゆっくり食べてね。日持ちするし」

タッパーに詰まった筑前煮を大事そうに抱えながら、みっちゃんは答える。

「ありがとうございます」

どうやらみっちゃんは、深瀬さんにすっかり懐いたようだった。
まあ元々友達も少なくないし、人を嫌うこともあまりないので心配はしてなかったんだけど。
深瀬さんはそんなみっちゃんに笑いかけ、「それと」と付け足して俺に目を向けた。

「彼女さんにもよろしくね」
「彼女?」

俺が聞き返すと深瀬さんは首を傾げる。

「あれ?違った?てっきりこの間はデートしてるのかと思ったんだけど」

その言葉でようやく新城さんのことだと思い至った。
そう言えば誤解を解いていなかったか。

「まさか。友達ですよ」

俺がそう答えると、深瀬さんは一瞬硬直して、

「ふーん。そうか」

と呟いた。それからまたぱっと表情を戻して言った。

「ま、いいか。またね関くん。満月ちゃんも」

そうして深瀬さんは我が家をあとにした。

ドアが閉まるのを見届け、俺はふうと息を吐いた。
まったく、良い先輩と仲良くなれた物である。
そう考えていると、

「……彼女?」

真横から心底不思議そうな声が聞こえた。

「いや」

俺は、新城さんとの出来事を、包み隠さずみっちゃんに伝えた。

・・・

次の日。俺はやらかした。
いつもより遅くに目が覚めた。
要は寝坊した。しかもたちが悪いのが、急げばギリギリ間に合う時間だったことだ。
そうして朝飯も食わずに家をあとにした。
みっちゃんに今日は弁当なしの連絡を入れ、昼は購買で買えば良いと思っていたんだけど。

昼休みになって、購買について、商品をおばちゃんに伝えてからようやく気付いた。

自分が財布を忘れていることを。
おばちゃんに頭を下げて購買をあとにした俺は、空腹の回らない頭でどうした物かと考えていた。

「どうすっかなあ」

すると、

「おや」

友人と連れだった深瀬さんと出くわした。

「深瀬さん」
「どうしたんだい?」

そんな深瀬さんの問いかけに口よりも先にお腹が返事をする。

「かわいいお腹の虫だね」
「お恥ずかしい」

照れ隠しを言う俺を深瀬さんが、くすくすと笑う。
そして朝から何も食べておらず、財布も忘れたことを伝えた。
それを聞くとまた深瀬さんはおかしそうに笑った。
それから、手にした弁当の包みらしきものをこちらに見せて、

「じゃあ、ちょっと食べる?」
「いや、それは悪いっすよ」

さすがにそれは悪いと思い、断る。
深瀬さんの友人も、彼女の提案にぎょっとした顔をしていた。
深瀬さん本人はそれに気付いていないようで、俺を見ておかしそうに「そう?」と試すように言った。

それに応じて、また俺のお腹が鳴る。
深瀬さんはまたくすくすと笑って、

「お腹は、随分正直なようだけど?」

なんて言う。
深瀬さんのお弁当に目が行く。そして、昨日の筑前煮の味を思い出す。
思い出してしまう。
回らない頭で、俺はつい言ってしまった。

「すいません先輩、一口だけで良いんで、分けてもらえます?」

それを聞いた深瀬さんはまた楽しそうに笑って、首を傾いで俺に言うのだった。

「本当に、しょうがないな。キミは」

ちなみに後から聞いたがみっちゃんは、深瀬さんの筑前煮ストックでこの日をやり過ごしたらしい。

深瀬由希編 了
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