オムライス食べたい ~ゲーム漫画アニメの感想、それからオカルトや都市伝説について思ったこと書く意識の低いエッセイ~

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ゲームを通じて触れることのできた「幸福の絶頂でしにたい」人の感覚についての話

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 先日のカニバリズムを扱った本エッセイの記事「【カニバリズム】Twitterで見た人肉の味についての話の感想【女の“アソコ”はハツの食感】」で触れた著者名も書名も思い出せない下川某氏の著作は、別にカニバリズムがテーマの本ではなく、死がテーマの本だったと記憶している。
 SNSなどでそう発言する人を見たことがあるかもしれないが「今が幸福の絶頂」だから、それが下がっていく前に死にたいと望む人がいるらしい。
 暗い世相に絶望して社会に出ることが不安で、在学中に死にたがる大学生のパワーアップ版だろうか。
 くらいに考えていたが、最近それに似た感覚を味わっているのではないか、と思い当たるものがあった。

 ゲームである。
 それも、(それが得意でない人にとっての)音ゲーだ。

 スポーツなどで「ゾーンに入っている」とかよく言うのを耳にする。
 ある集中状態でゲームがうまくいっているとき、“それ”を知覚した途端に「これが得意ではないはずの自分が、こんなにうまくいっていていいのか?」という疑問が浮かぶのである。
 ほとんど、魔が差した、と言っていいものだ。
 この疑問が浮かぶと良い流れを切りたくないばかりに緊張状態に移行し、どんどんパフォーマンスが落ちてゲームオーバーへと転落する。
 以前は熱心にプレイしていた「アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ」こと「デレステ」でもそういうことがあった。あれは音ゲーなので、フルコンボを達成することが一つの目標になる。ハイスコアとかはその先だ。
 苦手な譜面、集中が途切れる、反射神経の限界、何かで気が散る、ゲーム内でもネタにされている(メールなどの)「通知」に邪魔をされるといった出来事で、それが妨げられることがある。
 それらがなく、フルコンボが達成できそうだという状況でよく思った。
「今ここですぐに楽曲終われ!」と。

 これだ。

「幸福の絶頂で死にたい」人の感覚はこれなのだ。
 幸福という譜面のフルコンボが達成できそうなとき、不意のアクシデントなどの人生上の“ミス”が発生する前に人生という“楽曲”を終えたいのだ。そこに至るまでの過程は、スキル脳汁でMISSもBADもGOODもすべてPERFECTに改ざんされていて、フルコンボなのだ。
 成功者になるという“ハイスコア”なんかどうでもいい。
 自分が幸福であると思える“フルコンボ”でゲームを終えられればそれで良いのだ。
 終わり良ければ総て良し、だ。
 幸福な状態のときにこそ不安になる人の心理も、これと同じだ。

 長くても10分に至るかどうかという音ゲーは、人生の縮図なのだ。

 コンフォートゾーン既にフルコンボした楽曲や難易度から出る=別の楽曲や難易度をプレイしないと、成長しない……と言われるのも同じ。

 筆者は学生の頃に「未成年の主人公は必ず物語の開始地点と終了地点の間に1つでもいいから成長していないといけない」などと言われまくったお蔭で、成長アレルギーみたいになっていた。
 実際、色んな物語でそれは採用されており、“ビルディングス・ロマン”と言って広く好まれる要素だ。
「少年少女の特異性を捨て去って、社会に迎合する無個性的な順応の獲得」を好意的な“成長”として描いている作品などは、物凄く残念に感じたがマイナス成長でも成長なのは変わりない。
 異境訪問譚が成長物語として描かれるのもまた、当然と言える。
 主人公はコンフォートゾーン心地よい場所から出て異境で冒険し、何かを持ち帰ったり精神的成長を遂げるのだ。
 たとえば日本神話のイザナギの黄泉下りは、
・起→イザナミの死(コンフォートゾーンの消失)
・承→イザナギ、イザナミを迎えに行くべく黄泉の国へと下る(異境への出立)
・転→見るなの禁を破ったイザナギ、ウジ虫の涌いた死骸姿のイザナミを目撃して逃走。怒ったイザナミに追いかけられる(異境での冒険)
・結→千曳ちびきの岩で黄泉平坂よもつひらさかを塞ぎ、妻の死を乗り越える(精神的成長)。禊をして穢れを払った際に三貴神みはしらのうずのみこたるアマテラス、ツクヨミ、スサノオを誕生させる(獲得)。

 ただし、これは一般的に思われるものであって、必ずしもコンフォートゾーンを捨て去ることが正しいとは筆者は思わない。ビルディングス・“ロマン”なのだ。に力点が付いているわけだ。
 ほら、みんな頑張っている人を消費したがるだろう?
「ウマ娘」の3期以外のアニメが人気を博したのもそうだよ。
 これで“圧倒的成長”ができるのは24時間働けますかの人。
 普通の人は、その前に力尽きるだろう。
 刻苦勉励してできないことをできるようになるよりも、苦手なことは得意な人にアウトソーシングして自分の好きや得意といった強みに専念/強みを伸ばす。
 それが理想じゃないか?

 ゲームから離れすぎているな。
 音ゲーで人にやってもらっていたらもうやる意味ないのだが、上の例えをゲームに適応するならいわゆるキャリーだ。MMOのクランだのギルドだのとか、「モンハン」で先行している友達とマルチでクエストに臨んで高級素材を取りに行くとか。キャリーしてもらっても特別に得意や強みはわからないかもしれないが、選択肢が増えてクランなり友達なりになんらかのリターンを返せる可能性が高まる。
 ソロでひたすらに地力を上げていった人の方が強いかもしれないが、その前にゲームを投げてしまえば本末転倒。
 ユーザー離れを起こせば極論、クランの戦力や駒は増えず、最悪サ終する。
 コンシューマで言うところの「レベル30くらいが一番楽しい」みたいな状態のプレイヤーを「強くなるともっと楽しいよ。報酬ザクザクよ」と勧誘して面倒を見られるキャリーできるかが、クランとかギルドの繁栄に繋がる……かもしれない。

 逆説的に、今の社会のダメなところがわかってしまうね!

 普通の人がコンフォートゾーンを捨てずに成長できるのか?
 いやいや、普通の人というかほとんどの人は客観的にはコンフォートゾーンにいると思われていても、主観的には心地よく過ごしていないんですよ。
 成長に繋がる何かに手を伸ばそうとする。その意思(意志でなく)はどこからやってくるか。
 余裕。
 余裕あってこそ、今以上に何かをやろうと思えるわけだ。
 筆者も「勝利の女神NIKKE」でスペシャルアリーナのグループ再編があって、粘着野郎と別れられて余裕が生まれたから、ユニオンレイドガチ勢のユニオンに移籍しようと思えた。
 睡眠時間を削ってアリーナに貼りついたり、長時間プレイできなくなるメンテナンス直前に粘着野郎を倒せるかに心血を注いだりして、報酬の2倍以上の石を消費する愚行をしなくてよくなった。
 だからユニオンのみんなで挑むレイドコンテンツを、しっかりやってみようと思えた。そのためのユニオンへ移籍してみようと思えた。
 余裕とは、切羽詰まってないこと、心地よくいることだ。
 24時間働けるアスリートタイプの人でない自覚があるならば、成長とはコンフォートゾーンを決断主義的に捨て去ることで目指すべきではないと思う。
 余裕を使って、現在地点のあなたと目標地点のあなたの境目を溶かして曖昧にして移行することを目指すべきではないか。
 余裕が生まれたときに「あれをやってみよう」と、思い立ったが吉日的に行動。
 それを繰り返し、気が付いたらかつてコンフォートゾーンだと思っていた何かを捨て去っていた、という戦略。

 人間はウソを信じられるから発展してこられた、と「サピエンス全史」という本に書いてあると色んな人が言っている。
 明日ウソを信じる心は余裕から生まれる。
 余裕があれば、現在もしくはある過去の一時が「幸福の絶頂」と信じることなく、希望ウソを信じて幸福を追求できるのではないか。
 実際に「この曲ならフルコンボできそう」と思った楽曲でフルコンボを達成したからといって、本当に満足して音ゲーアプリをアンインストールする人はごく少数のはずだ。
 楽曲Aがフルコンボできたことで生まれた“余裕”から、次は楽曲Bのフルコンボを目指そう。
 いつか音ゲーが得意になっている自分というウソを信じて……飽きるまでゲームを続けるのだ。
 最後に、噓から出たまこと、という言葉をエールとして読者に送り、本稿を終わろうと思います。
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