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18 自治区生活再開

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「ただいま戻りました!」
「ロージー!お帰りなさい、疲れただろう?うちの人はまだ帰ってないんだけど、ほら、座りなさい!アレックスも!少しお茶していく時間くらいあるだろう?」
「「ロージー!お帰り!!お土産は??」」
「こら!テップ!リッツ!薪拾い終わったのかい!?仕事ほっぽり出してきたんじゃないだろうね!?」

グルスの家に着くと、グルス本人は居なかったが、奥さんのアンと子供たちが出迎えてくれた。
遠目に見た感じだと、庭に集めかけの薪が散乱していたようだが、とりあえず見なかったことにしておく。

「テップ、リッツ、お土産開ける前に手を洗いましょ?アレックスも!」
「あぁ。さ、ほら、リッツ、テップに置いていかれるぞ?一緒に行こう。」

ロージーと手を繋いで、テップがさっさと井戸に向かう。その後を慌ててリッツが追いかけ、アレックスが後に続いた。冷たい井戸水で手を洗う。ロージーはポケットから袋を取り出すと、その中に入った小さな塊を皆に渡した。

「これはね、手の汚れを落とすものなの。石鹸というんだけど。水をつけてこすると泡が出るから、その泡に汚れを移してよく洗ってね。」

皆言われた通りに石鹸を擦る。すると、ぷくぷくと泡が立ってやがて真っ黒になった。

「わぁ!僕の手真っ黒!」「俺も!」
「それが汚れなんだって。王都で一番新しい道具だからね。外から帰ってきたら使うのよ?」

ロージーはそう言って、さほど汚れていない泡を濯ぎ落した。双子もピカピカの手を見てご満悦だ。ママに見せに行く!と駆けだしたその背を見送って隣を見ると、アレックスが不思議そうに黒く汚れた泡を見つめていた。

「この商品は今頃父が王宮に献上しています。貴族たちのための高級なものと、庶民に向けた手ごろなものをそれぞれ作りましたので、すぐに広まるでしょう。」
「こうして汚れを落とすことで何かいい事があるのか?」
「信じられないかも知れませんが、病を防ぐことが出来ます。帰還の際にお伝えした、一歳未満児にはちみつが食べられない理由である、目に見えぬ小さな敵を、ある程度殺すことが出来るのです。」
「なるほど。俄かには信じがたい話だな。」
「ですが、事実なのです。この冬、王都で感染症による死者は減ると私は考えております。昨年の統計とぜひ比べてくださいませ。」

そこまで外に漏れぬ小さな声で話したロズリーは、さっとロージーモードに切り替え、アレックスの手を引いた。

「ほら、行きましょう!アンさんのお茶が冷めてしまうわ!」
「あぁ、そうだな。よし、競争だ!」

駆けだしたアレックスの背を慌てて追いかける。願わくば、この冬は風邪による死者が出ませんように。そんなロズリーの願いを、風がそっと女神に届けていた。





~Side アレクサンダー~ 
「……は……?」

アレックスは自身の目を最大限に開いて絶句していた。かつて彼がこんな表情をしたことがあっただろうか。皇子として生きてきたこれまでの人生で、初めて突き当たった壁と言っても過言ではなかった。

「お前は公爵様のところからの大切な預かりものだ。一人で荷馬車を市場まで引っ張っていけるようになったのだから、御者としてとりあえず使い物になるくらいには成長したと言える。」
「そ、それは、そうかもしれませんが……。まだ俺は荷馬車を市場まで運ぶのがやっとです。なのにチーム長だなんて、誰も納得しません。公爵様のところから来た事は事実ですが、このままの立場でも何ら問題は……。」
「お前、組合長の俺に意見しようってのか?」
「え、いや、そういうつもりは……。」
「なら決まりだ。俺が決めた。分かったか?今すぐリーダーじいさんのとこへ行って仕事教わってこい!!」
「は、はい……!」

慌てて組合長の部屋を後にし、御者たちが集まる組合本部へ降りていった。
御者組合は二階建ての木造で、一階が御者たちのための雑務を扱う事務室や、仕事を割り振るための窓口や、給金を渡すための窓口があるメインの広間になっている。二階に組合長室や事務長室、時折来るお偉いさんのための応接室があった。二階から一階までの階段は室内のものと屋外のものと二種類あり、アレックスは今室内の階段を下りている。

吹き抜けをぐるりと回るようにして降りる階段のため、一階に集まっている人々からは丸見えだ。いつもはただがやがやしているロビーだが、アレックスの姿が見えた途端、水を打ったように静まり返った。

アレックスは思わず足を止める。皆の視線が痛い。どうやら彼がチーム長に就任することを、既に知っているようだ。

気まずさと羞恥心で逃げ出しそうになるのを必死にこらえながら、アレックスはまた歩を進める。一階にたどり着くと、そっと顔を上げた。

「あ、あの……俺……。」
「あ?なんだよ、アレックス。いや、チーム長様、ってか?」
「おい、やめろ。別にアレックスだってなりたくてなったわけじゃないだろうよ。」
「は?なりたくてもなれない俺はこいつ以下だってのか?」
「そうじゃねぇだろ。」
「じゃぁなんだってんだよ!!」

止める同僚の腕を乱暴に振りほどいてアレックスにつかみかかろうとしているのは、兄弟子のフォードだ。アレックスが組合に入るという話が出た時もいい顔をしなかったが、今回の件で完全に嫌われたらしい。

「こいつはそもそもよそ者だぞ?公爵様の権力だかなんだが知らねぇが、ちっちぇぇ荷馬車ひとつ動かせたくらいでいい気になりやがって……!」
「だからってこいつを殴って何がどうなる?それで公爵家から睨まれるのは親父さんなんだぞ?」

もう一人の兄弟子、サイザウがフォードをひたすら説得するのを、アレックスはただただ呆然と見ているしかできなかった。

「親父さんの決めたこと、誰も覆せない。」
「……チェンさん……。」
「アレックス、これからのお前の働きで全部変わるよ。情けない顔してたら、長年必死に働いてきたあいつらの面目丸つぶれね。新入りが上に上がるなら、それなりの働きしないと納得しないよ。」

サイザウの弟、チェンがアレックスの肩をポンと叩きながら言った。サイザウとチェンの兄弟もまた、フォードと同じく組合長ブラッシュの弟子だ。詳しいことはよくわからないが、この三人は組合長が実質的な育ての親らしい。だから、組合長への忠誠心が強く、その中でもフォードは非常に排他的で、よそ者をとにかく嫌う。その理由はよくわからないが、アレックスは今だ混乱の最中に居て、あまり深く考えることが出来ずにいた。

「ほら、ボーっと立ってても仕事の邪魔ね。お前はやることないのか?俺たちは忙しい。やるべきこと見つけて、さっさと動く!!」
「は、はい!」

尻を軽く蹴られて、アレックスはつんのめりながらも前に進んだ。とにかく、今のリーダーのところへ行かなければ。一日も早く仕事を覚えなければ、ただただ皆に迷惑が掛かる。半年の期限を待たずに追い出され、彼らとの繋がりが永久に途絶えてしまうかもしれない。

アレックスにとって、それは今何よりの恐怖であった。

ノックもそこそこにリーダーの居る部屋に転がり込む。古い扉に掛けられた『荷馬車管理室』という古びた掛け看板がガタリと鳴った。

「なんだ、アレックス、騒々しい。」
「り、リーダー……。」
「何て情けない顔をしとるんだ。それじゃ儂の後釜なんて務まるわけなかろうに。ほっほっほ。」

皆からリーダーと慕われるクラモワジ翁が豪快に笑った。

伝説の御者、なんて二つ名を持つこの老人は、今全ての荷馬車の運行を仕切っている。誰が、いつ、何時に、どこへ向かい、どこに到着するのか。それを管理しつつ、あらゆるトラブルの解決策を提示する、荷馬車のスペシャリストである。

「ブラッシュから話は聞いておる。儂も腰が痛くてな。そろそろこの激務とはおさらばしたいわけだ。一週間で仕込むぞい。」
「え、い、一週間ですか!?」

あわあわするアレックスを横目に、クラモワジはそれはそれは愉しそうに笑うのだった。



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