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プロローグ又は共通ルート

脱出

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「まず、必要なのは__」

 と言いかけ、私は止まる。そういえば、私たちはまだ自己紹介もしていない。

「あの、言い忘れていたんですが、私、乙川真理と申します。オトカワが名字で、マリが名前です」

 そう言うと少女があっと手を口に当てた。

「私も忘れてた! ごめんなさい、名前も言わずに……私はリズ。苗字は平民だからないの。あ、今十六歳だよ!」

 十六!? 私は驚いた。若い。何年ぶりだろうそんな年の子に会ったの。前世で一人いた妹だってもうとっくに成人している。

「リズさんは」

「呼び捨てがいいな」

「ではリズは、十一年もの間、ここに……」

 私は悲しくなった。リズはうん、と笑う。殴られてるとき以外ずっと、とのこと。食事はドアの隙間から差し込まれ、バストイレはこの部屋についているらしい。

「でも、今はマリさんがいるからいいの。もう全然辛くなくなっちゃった!」

「……リズ、幸せにしますからね……!」

 私は小さく叫んだ。リズが怯えない程度の声で。えへへ、とリズが嬉しそうに私に抱き着いた。

「あ、私のことも好きなように呼んでくれていいですからね」

「じゃあ……あー、えっと、マリちゃんにする」

 リズは少し言い淀んだ。なんだろう、と私は気になったが、それよりも、とリズに遮られる。

「マリちゃん、今、私が半透明な理由とか、どうしてマリちゃんをこっちに呼べたのかとか、気になってたりしない?」

「あ、それは確かに……」

「実はね、これを使ったんだー!」

 じゃーん、と効果音をつけて、リズは一冊の本を取り出した。不思議と読める記号……この世界の文字だろうか。読み上げる。

「0から始める、魔術入門?」

「うん。表紙はそうなってるんだけど……ほら、ここの目次の上のタイトル。魔術禁書ってなってるでしょ?」

 本当だった。いかにも危険、と主張したがるようなタイトルである。目次に並ぶ各章ごとの項目も、蘇生術に惚れ薬。拷問魔法に即死呪文、石化呪文、といかにも良くなさそうなものばかりであった。

「こんな危険そうなもの、どこで手に入れたんです?」

「廃墟のお庭に埋まってたの。……私、人目につかないところで殴られてたんだけど、その時にちょっと、ね!」

 リズはウィンクした。盗んできたらしい。意外と大胆なことをする子である。

「マリちゃんは、そんな私でも嫌いにならないよね? ……そう、だよね?」

「そんなところで殴るほうが悪いです」

 私は即答した。

「そうだよね! 良かったー! ……そうそれでね、そこの三十二ページ、開けてみて」

 言われた通りページをめくれば、目に飛び込んでくる文字がある。
 異界の死者の魂を、人に乗り移らせる方法。

「同じ世界の人だと罪悪感があるから、違う世界の人の魂でやったんだって。……マリちゃん? どうしたの?」

 黙り込む私に、リズは心配そうに声をかけた。

「……いえ、私は間違いなく死んだんだな、と事実を確認しただけです。間抜けな死に方でしたが……それでも、心に来るものがありますね」

 私は少しだけ、落ち込んだ。リズは先ほど、私を生き返らせる目途はついていると言ったが、それでもやはり自分が一度死んだという事実は精神的にきついものがあった。

「……絶対絶対、生き返らせるね」

 リズが言った。……何の関係もない私を生き返らせてくれる、なんて。全く私はラッキーが過ぎる。これで不幸などと言っていたら世界中の人に怒られてしまいそうだ。

「ありがとう、リズは優しいですね」

 私が目を細めて言えば、リズは目を伏せた。どうして……? こんなにもいい子なのに……?

「そんなことないよ。……そんなこと、ないの」

 しんみりとした空気が漂った。そんな空気を払拭すべく、私は明るい声を出す。

「ともかく、今の私はリズに乗り移っている状態なんですよね? こんな美少女の体、初めてです!」

 しかし予想に反して、リズはえ? と不思議そうに首を傾げた。

「私、かわいいの?」

「絶世の美少女のように見えますね」

 私はコメントした。

「今まで言われたことなかったから、知らなかった……そっか、私、可愛いんだ。……嬉しいな」

 リズが両手で頬を包み、笑みを抑えきれない、と言った風な表情をする。非常に可愛い。

「……それはそうと、今は私が魂の状態なんだ。一つの体に乗れる魂は一つだけだから。でも、この魂の状態ってすごく不安定だから、いろんなところをすり抜けられるし、反対に物を触ることもできるの」

 照れ隠しか、リズはまじめな話をした。私も姿勢を正し、聞き入る。

「それで、お父さんとお母さんは夜寝たら絶対起きないの。だから、今夜やろう」

「……何をですか?」

 察しが悪くて申し訳ないが、私にはいまいちピンとこなかった。

「今夜、私が外からドアを開ける。そうしたらマリちゃんは、その本だけ持って部屋を出て」

 後は私が全部やるから。リズははっきりと宣言した。





 体感三時間ほど経ったか。かちゃり、鍵を開ける音がする。私は本を胸に抱きしめ、ゆっくりとドアを開けた。リズがにこりと微笑んでいる。

「さあ、行こう」

 そう囁くリズに連れられ、私は部屋を出た。かわいらしい雰囲気の家だ。本当に、かわいらしい。……リズを閉じ込めていたことが、信じられなくなるくらいに。
 途中で、茶色いドアを見て、リズがさよなら、と呟いた。さよなら。それから、

「大っ嫌いだったよ」

 酷く冷たい表情でリズは吐き捨てた。そのまま首をもたげ、リズは私のほうを見る。

「マリちゃん。これからは、マリちゃんがいてくれるよね? 絶対、絶対だよね?」

 その問いかけに、私はただ頷いた。リズが酷く嬉しそうに私に抱き着く。その瞬間、青く光り輝く魔法が背後の家を起点に収束し__そして弾けた。




 この日、神託の子リズは全ての人の記憶から消えた。そして、私たちメアリがこの世界に誕生した。
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