rose of silver

春野いちご

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          * * *

 
 子供の頃にはとても怖い場所に思えた教会は、すっかり様変わりしていた。
 どこからも陽の光が差し込むように考えられているのか、暖かい光がそこかしこに溢れていて、天使が舞っていてもおかしくないような雰囲気がある。
 建造物自体に古さを感じるものの、修復されたのか木戸や窓硝子などは新しくなっていた。
 懐かしさもあって、辺りを見回しながら、僕は司祭の部屋へと向かっていた。
「どうぞ、こちらです」
 案内してくれた人が突き当りの部屋をノックした。
「司祭様、お客人を連れて参りました」
 すぐに中から「入りなさい」と声が返ってきた。
 ドア越しだからはっきりと聞こえたわけじゃないけれど、記憶にある司祭の風貌とは異なった若い声だった。
 ひょっとして司祭が代わったんだろうか。
 ドアが開かれて、その読みが当たっていたことが知れる。
「あっ」
 小さく声が漏れる。
 やっぱりだ。
 司祭はすごく若い男の人に代わっていた。
 すらりと背の高い美丈夫だった。
 聖職者にしては均整の取れた体つきをしている。
 端正な顔立ちは涼やかで、知性を感じさせた。
 全てが僕にはないものばかりで、同じ男として羨ましくも感じた。
「では、失礼します」
 案内してくれた人が部屋を出て行って、僕と司祭の二人だけになってしまう。
 慌てて、僕はお辞儀をした。
「初めまして、アレクです。司祭様にお願いがあって伺いました」
 顔を上げると間近に司祭がいて、びっくりした。
「初めましてじゃない。俺を忘れたか?」
 覗き込まれて、ドキッとする。
 切れ長の眼が僕のことを映している。
 眼鏡の奥の鋭い瞳に、記憶が揺すぶられる。
「……ひょっとして……オーガストさん?」
「昔はお兄ちゃんと呼んでいなかったか」
 揶揄うように言われて、僕は顔を赤くした。
「……でも、どうして、オーガストさんが司祭になっているんですか。前の司祭様はどうしたんですか?」
そう尋ねると、オーガストさんは口端を上げた。
「そんなことを聞きに、ここまで訪ねてきたのか」
 問われて、僕は首を振る。
 詮索しちゃいけなかったんだろうか。
 でも、司祭になったのなら自慢できることじゃないのかな。
「そうじゃないですけど……びっくりして……」
「俺はお前が訪ねてきたことに驚いているよ」
 軽い口調で言って、オーガストさんは僕を抱き寄せる。
「えっ、あっ……」
 突然のことに身体が強張る。
 更に頬に口づけられて、心臓が口から飛び出しそうになる。
「なっ、何をするんですかっ」
 慌てて、僕はオーガストさんの胸を押しのけた。
「ただの挨拶に、そこまで動揺するとは……まだまだ子供だな」
 クスッと笑われて、カーッと身体中が熱くなる。
「挨拶って……そんな挨拶知りませんっ」
 動揺しすぎて、声が上擦る。
「そうか。なら、覚えておくんだな。そんな風に拒むと、礼儀知らずな子供だと思われるぞ」
 そう言われて、僕はひどく反省した。
 考えてみれば、司祭ともあろう人が冗談で僕にキスしたりしないよな。
「……すみません」
 素直に謝ると、オーガストさんは破顔した。
「アレク、お前が変わらずいてくれて嬉しいよ」
 どういう意味だろう。
 やっぱり子供だと思われているんだろうか。
 もう成人してるのに……
「あっ、あのっ、僕、お願いがあって」
「久しぶりに会ったんだ。昔話でもしよう。話はそれからでもいいだろう」
 スッと背中に手を回されて、瞬間身構える。
 そんな動きをオーガストさんが笑った。
 なんだか遊ばれているような気がする。
 そう言えば、子供の頃もこんなだった。
 虐められているんじゃないかと思うことも多々あったな。
 でも、一番辛い時に側にいてくれたのはこの人だ。
 促されるままに、僕は椅子に座った。
 テーブルにはお茶の用意がされていて、苺の乗った焼き菓子まである。甘い香りが鼻をくすぐって、つい見入ってしまう。
 誰かお客さんでも来る予定だったんだろうか。
「今でも苺は好きか?」
 問われて、僕はこくんと頷く。
 だけじゃなくて、涎まで出そうになって、慌てて口を塞いだ。
「好きなだけ食べていいぞ」
 言いながら、オーガストさんがお茶を注いでくれた。
「あの……でも、お客様のためのお菓子なんじゃ……」
 言いつつ、苺菓子から目が離せない。
「アレクも俺の客だろう。気にするな」
 気にするなと言われても、僕が食べてしまったら、後から来た人が怒らないだろうか。
 躊躇って手を出せないでいると、オーガストさんが言った。
「子供は遠慮しなくていい」
「こっ、子供じゃないですっ」
 顔を上げて怒って見せると、やけに楽しそうなオーガストさんが顔が眼に飛び込んできた。
 面影は残っている。
 切れ長の眼も、綺麗な形の高い鼻も、悪戯っぽい笑い方も、変わらず残っている。
 もちろん変わったものも沢山あるけれど……
 なんとなく安心できた。
「ほら、強情張らずに食べろ」
 勧められて、僕はそろそろと手を伸ばした。
 焼き菓子を一つ手で掴んで、口に運ぶ。
 一口齧っただけでも甘さが口の中に広がって、蕩けそう。
 ほわんと顔を緩ませていると、オーガストさんがぽつりと言った。
「変わっていないのはお前だけだよ」
 そうなのだろうか。
 僕だって変わったと思う。
 少なくとも、何もできなかった子供じゃないことは確かだ。
「僕はもう一人でなんでもできます。だから……だから、戻ってきたんです」
「まさか復讐でもしに来たんじゃないだろうな」
 オーガストさんは茶化すように言う。
「そんなんじゃないです。だって、あれは僕の責任だから……」
「それはどうだろうな」
 オーガストさんは違うと言いたいんだろう。
 だけど、もう僕は子供じゃないから、わかる。
 父が亡くなったのは、僕のせいだって……
「僕、もう子供じゃないです。だから誤魔化さないで話してくれていいんですよ。僕は誰も恨んだりしていないし、自分の罪から逃れようなんて思っていません」
「そうか。なら、本当のことを話してやろう」
 オーガストさんの顔から笑みが消えた。
 僕も姿勢を正して、真っすぐにオーガストさんを見つめる。
 あの頃の僕は子供すぎて、何一つ理解できてなかった。
 今聞けば、何かが違って見えるのだろうか。
 だとしても、ギルバート様に対しての気持ちは変わらないけれど……
「領主の坊ちゃんがお前のせいで落馬した。俺はお前にそう聞いた。だが、伝えられた事実は違っていた。お前の父が坊ちゃんを誘拐しようとして怪我を負わせたと」
「嘘っ、なんでそんなことにっ」
 思わず、僕は声を上げた。
 曲げられた事実に胸がザワザワと落ち着かなくなる。
「司祭が金欲しさについた嘘だ。お前の父親を役人に売り、司祭は領主からご子息を助けたということで礼金まで手にしている。加えて、随分と可愛らしい容姿をしていたお前のことは、金持ちの商人に売ろうとしていた」
 一体、何をどう思えばいいのだろう。
 僕は司祭から、父は僕の罪を被って刑罰を受けたと聞いた。
 最初はもう二度と戻ってこないという意味がわからず、涙が枯れるほど泣いたことを覚えている。
 ギルバート様のことだって、子供心に死んでしまうんじゃないかとすごく怖かった。もし助かったとしても、一生残る傷を負わせてしまったんじゃないかと。
 全てが僕のせいで、僕は大変なことをしてしまったのだと自分を攻めた。
 知らされたのはギルバート様の怪我がひどいということと、父が戻ってこないということ。
 他には何も知らない。
 怖くなってブルブルと震える。
「……そんな……司祭様は、父が僕の罪を被って自ら刑を受けたと言ってた。僕のことだって、落ち着くまで面倒をみてくれるって……」
「面倒をみたのは俺だがな。感謝しろ。俺が逃がしてやったお蔭で、お前は売られずにすんだんだ」
 感謝はしている。
 そんな事情があったなら、尚更だ。
 もし、オーガストさんがいなければ、僕は売られていたんだ。
 そう思ったら、怖くて震えが止まらなかった。
「アレク、司祭が憎いだろう」
 オーガストさんが僕の手に手を重ねてきた。
 長い指がそっと僕の手を撫でる。
 優しく撫でられると、不思議と震えは止まった。
「……よくわからないです。今更、そんなことを言われても……ただ、オーガストさんには感謝しています。面倒をみてもらったし、母さんの元まで連れて行ってくれたし……あっ、でも、それじゃあ、あの後、怒られたりしませんでしたか?」
 心配して聞いたのに、オーガストさんは笑った。
「俺はお前と違って要領がいいからな。まあ、適当にやったさ」
 適当ってどういうことだろう。
 頭を捻ってみても、僕にはわからなかった。
「……あの……それで……あの時の司祭様は」
「聖職者らしからぬ悪事が明るみに出て失脚。その後については……流刑になったと聞く」
 そんなに長い間ここにいたわけじゃないけど、悪い人には見えなかった。
 人は見かけに寄らないってことかな。
 もう騙されないようにしないと……
「アレクには知る権利がある。他に知りたいことがあれば、教えてやるぞ」
 知りたいことと言えば、一つしかない。
 今更、司祭が悪い人だと聞かされても、父が戻ってくるわけじゃない。
 それよりも、ずっと僕が気にかかっていたのは、ギルバート様のことだ。
 彼の怪我はどうなったんだろう。
 もう随分と月日は流れてしまったから、傷なんて残っていないのかもしれない。
 だとしても、僕はギルバート様にお仕えしたいと思う。
 父にだけ罪を負わせて、何もしないなんて自分が許せない。
「僕……ギルバート様のことが知りたいです」
 僕の言葉にオーガストさんは眉を寄せた。
「知っても面白くもないぞ」
 何でも教えてくれると言ったのに、オーガストさんは言葉を濁す。
 僕に言いたくないことでもあるんだろうか。
「面白いことを聞きたいわけじゃないです。ずっと気になっていたんです。ギルバート様の怪我のこと。あの落馬で負った怪我は……その……残っていたりするんですか?」
 ドキドキしながら、オーガストさんの言葉を待つ。
 ずっと知りたかったことが、今わかるんだ。
「傷か……残っていれば男として責任でも取るのか? あれは男だから、嫁にはできんぞ」
 揶揄うようにオーガストさんが言う。
 緊張して待っていたのに、肩透かしを食らった。
「そんなんじゃないです。ただ、自分がしたことが、どれほどのことかを知りたいだけです」
「まさか、その為にこんな処まで戻ってきたと言うんじゃないだろうな」
 呆れた口調に、僕は頬を膨らませる。
「僕にとっては大事なことなんです。ずっとずっとギルバート様のことだけを考えて生きてきたんです」
 強く想いを口にすると、オーガストさんが意味ありげな笑みを浮かべた。
「なんだ、アレクはあれに一目惚れでもしたのか?」
 慌ててブンブンと首を振る。
 そういう不純な気持ちなんかじゃない。
 純粋にギルバート様のことが心配で、謝れなかったことが心残りだっただけなんだ。
「茶化さないで教えてください」
「知ってどうする?」
 問われて、当初の目的を口にする。
「謝りたいです。もうずっと昔のことで、今更謝られても迷惑かもしれないけれど、謝って償わせてもらいます」
 決意を口にすると、オーガストさんが訝し気に眉を寄せた。
「償う? 一体、何をするつもりなんだ」
「ギルバート様にお仕えしたいんです。あのっ、それで、ギルバート様のお屋敷に行ったんですけど……追い返されてしまって……」
 もごもごと口ごもる。
 貴族のお屋敷に勤めるには、それなりの紹介状がいるということを初めて知った。
 世間知らずだと言われそうで、恥ずかしくて俯く。
「ふうん、それでここに来たという訳か。お前の眼に優しく映った司祭が手を差し伸べてくれるとでも思ったのか」
 やっぱり揶揄い口調だ。
 僕の真剣な気持ちをわかってもらえてないんだろうか。
「僕、真剣なんです。ギルバート様に一生お仕えしたいと思ってます。だから、紹介状をください」
 僕は立ち上がって、深々と頭を下げた。
 オーガストさんは態となのか、大きな溜め息を吐いた。
「可愛いお前を、あんな処へやるのは忍びない。そうだ、俺が面倒をみてやろう。領主の家などより居心地良くしてやれるぞ」
「えっ、ええっ? でも、でも、僕はもうずっと前から心に決めていたんです。弟が独り立ちして母さんを支えられるようになったら、僕はギルバート様のお屋敷で働こうって。僕の面倒をみてくれると言ってくれるのは嬉しいんですけど、やっぱり僕はギルバート様の傍にいたいんです」
 真剣に訴えたのに、オーガストさんは笑っていた。
 真意を測りかねて、唖然とする。
「アレク、そんなに初心すぎると領主に食われるぞ」
 更に不可解なことを言われて、首を傾げる。
「面倒をみると言ったのは、恋人になれという意味だ」
「えっ、えええーーーーっ! ぼっ、僕は男ですよっ!」
 びっくりして声がひっくり返る。
「ここがどこだか忘れたか」
「どこって……教会ですよね」
 言ってから、ハッと気づく。
 僕だって知っている。
 男しかいない場所では、男色が多いってこと。
 具体的なことは知らないけれど、色事というなら男女のそれと変わらないんだろう。
 想像しただけで、恥ずかしくて顔が熱くなる。
「あっ、あのっ、僕のこと……好きなんですか?」
「好きだと言ったら、考え直すのか」
 どうしよう。
 そんなの答えられないよ。
 子供の頃、実は僕を助けてくれたんだという話を聞いた後では、余計に断りにくいじゃないか。
 でも、僕の全てはギルバート様のものだから。
「アレクには冗談は通じないんだったな」
 焦ってワタワタしていると、オーガストさんがシレッと言った。
「冗談って……」
「少し試してみただけだ。ここの領主は好色漢だからな。多少の免疫があった方がいいかと思ったんだが」
「なっ、なんなんですかーっ。もうー、僕、本気で悩んだのに」
「お前が好きだというのは冗談じゃない。ただ、お前を囲うほど、俺は暇じゃない」
 そんなことを言われたら、また悩んでしまうじゃないか。
「それと、領主が男女問わず浮名を流しているというのは本当の話だ。まあ、使用人に手を出したという話は聞かないが、お前は可愛いからな。用心にこしたことはない」
 可愛いだなんて……ちょっと童顔なだけなのに。
「ご領主様のことはわかりました。僕なんかに興味を持ったりはしないと思いますけど、気を付けます。それよりも、ギルバート様のことです。僕が知りたいのはギルバート様のことです」
 これ以上、話を逸らされると困るとばかりに、僕はオーガストさんに詰め寄った。
「ギルバート様……か。そうだな、面白味もない男だ」
「そういうことを聞いているんじゃないですっ」
 ムキーッと怒ってみせると、オーガストさんは楽しそうに笑った。
「お前は見ていて飽きないな。やはり囲うか」
「オーガストさんっ」
「お兄ちゃんだ。言ってみろ」
 何を考えているのか、さっぱりわからない人だ。
 立派な法衣に身を包んでいるのに、話すことときたら雲を掴むように核心を得ない。
 本当に司祭なんだろうかと疑いたくなる。
「可愛らしくお願いできたら、紹介状を書いてやろう」
 オーガストさんの眼が、揶揄うように細められる。
 また遊ばれてるんだろうかと思ったけど、素直に応じることにした。
「……お兄ちゃん、お願い」
 子供の頃には平気だったけど、大きくなってから改まって口にするとひどく恥ずかしい。
 身体中がカアッと熱くなって、ソワソワする。
「わかったよ。可愛い弟の頼みを聞いてやろう」
 楽しそうに言って、オーガストさんは立ち上がった。
 ホッとして、僕は腰を下ろした。もうすっかり冷めてしまったお茶で喉を潤してから、オーガストさんを見る。
 背中しか見えないけど、ちゃんと紹介状を書いてくれているようでペンを走らせる音が聞こえてくる。
 程なくして、オーガストさんは僕の方に歩いてきた。
「これを持っていくといい」
 差し出された封筒を受け取って、僕はペコペコと頭を下げた。
「ありがとうございます」
 早速とばかりに、僕はドアへと足を向けた。
「アレク、そう急ぐな。ギルバート様のこと、聞かなくていいのか」
 言われて、僕は足を止めた。
「あっ、そうだった」
 心の準備をしておいた方がいい。
 眼に見える傷が残ってなければいいのだけど……
「あの時の傷は今でも残っている」
 覚悟していたけど、少なからずも衝撃はあった。
「眼に見える傷だけでなく、心にもな。詳しいことは知らないが、怪我をしたのと同時期に、母親を亡くしている。だからこそ、お前は無暗に過去を口にしない方がいい。謝りたいというお前の気持ちはわかるが、それで傷が癒えるわけでもない。それに、あいつの傷に触れると追い出されるかもしれんぞ」
 思ってもみないことだった。
 心の傷なんて――
 落馬させてしまった時の光景が眼に浮かぶ。
 散らばった白い薔薇は、とても甘い香りを放っていた。
 ひょっとしてお母さんに供える花だったんだろうか。
「教えてくださって、ありがとうございます」
 お礼を口にすると、オーガストさんが僕のことを抱きしめてきた。
「何か辛いことがあれば、俺の元へおいで」
 優しい声音が耳をくすぐる。
 やっぱり優しい人なんだ。
 懐かしさも相まって、少しだけ甘えるように僕はオーガストさんの胸に顔をすり寄せた。


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