rose of silver

春野いちご

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 盗まれた馬が気になりつつ、僕は男の後をついて街の路地を歩いていた。
「あの……どこまで行かれるんですか?」
 さすがに人気のない場所まで連れて行かれると不安も生じる。
「もうすぐだ」
 そう言われて、僕はまた歩き出す。
「あの……黒い貴婦人って、何なんですか?」
 そう訊いたら、男はニィッと顔を歪めた。
「そりゃ見てのお楽しみだ。貴族の間じゃ流行ってるらしいぜ」
「そうなんですか」
 返事はしたものの、こんな寂れた場所に住んでいる平民が貴族のことを知っているんだろうかと疑問に思う。
 少し怪しいとは思ったけれど、今更、他に手立てはない。
 もし違っていたら……ドキドキしながら、僕は暗い路地を抜けた。
 開けた場所に出たと思ったら、そこにもお店が並んでいた。
 ただ、表通りとは違って、賑やかとは程遠い雰囲気ではあった。
 皆、コソコソと店の中に入っていく。
 何の店だろう?
 外灯を照らしているということは、店なんだろうけど……
「こっちだ」
 遅れそうになって、慌てて僕は足を速めた。
 男に続いて入った店は、酒場だった。
 とは言え、大通りに比べるとこじんまりした店で、皆静かにお酒を飲んでいる。
「よお、店主、今日は集まってるのか?」
 どうやら知り合いらしく、男は店主に気さくに話しかけた。
「ああ、揃ってる。今夜のはえらく可愛らしいな」
 店主が僕の方をちらりと見る。
「なかなかだろう」
「後で俺も混ぜてくれよ」
 何だかよくわからない会話をしてから、男は僕をずっと奥まで案内した。
 店の奥には部屋が幾つかあって、宿屋になっているみたいだった。
 その部屋の一つのドアを、男が開いた。
「さあ、入んな」
 押されるようにして僕が部屋に入ると、中には数人の男がそれぞれ酒を飲んでいた。
「あの……ここに黒い貴婦人があるんですか」
 どの男も体格は立派で、おまけに眼がギラギラしているから、腰が引ける。
 でも、見た目で判断してはいけないと、僕は極力普通に振舞った。
「黒い貴婦人ねえ。その前に、金はあるのか?」
 問われて、僕は首を振る。
「あっ、あのっ、ギルバート様が自分の名前を出せばツケで買わせてくれると仰ったので」
 やっぱり店じゃないとツケは効かないんだろうか。
 男たちは何も言わない代わりに、僕のことをジロジロと無遠慮に見つめてくる。
「そんなのがまかり通れば、皆、ギルバート様の名前を出すだろうよ。それとも、お前がギルバート様の使いだって証拠はあるのか?」
 問われて、僕は証拠を探す。
 何かを預かったわけでもないし、証明するものはない。
 迂闊だった。
 子供の使いじゃないんだから、きちんと聞いておくべきだった。
「あっ、馬があります。馬の鞍に紋章があります」
「で、その馬はどこなんだ?」
 問われて、僕は盗まれてしまったことを男に話す。
「つまりは金も身分を証明するものもないってことだ。なあ、どうすりゃいいと思う?」
 男は部屋にいた他の男たちに意見を求める。
「あっ、あのっ、後で必ず持ってきます。だから、どうか黒い貴婦人を売ってください」
 必死にお願いしてみるも、男はニヤニヤと笑うばかりだ。
「身体で払ってもらえばいいんじゃねぇの」
 髪の長い男が、僕の側まで寄ってきた。
 身構える前に、男は僕のお尻をスルリと一撫でした。
「ひゃっ、なにするんですかっ」
 思わず逃げようとしたけど、反対側からも手が伸びてくる。
「おっと、可愛がってやるって言ってんだ。逃げるなよ」
 外套を剥ぎ取られ、シャツまで破かれてしまう。
 この期に及んで、やっと男が何を求めているかを知る。
「やっ、やめてくださいっ」
 必死に暴れて逃れようとすると、頬を叩かれた。
「おい、傷はつけるな。売り物にならなくなる」
 恐ろしいことを言われて、背筋が凍る。
 まだ小さい子供ならともかく、僕は男で酒だって飲める歳なんだ。
 売り飛ばされてしまうなんてこと、あっていいわけない。
「おい、アレ持ってこい」
 別の男が薬瓶のようなものを手に、僕に近づいてきた。
 口許に冷たい薬瓶を宛がわれて、必死に顔を背けた。
「押さえてろ」
 言葉通りに、男は僕の顎を掴んでくる。
 ぐっと掴まれて、自然と口が開く。
「ううっ……うううっ」
 閉じようとするけど、強い力に適わない。
 とろりと冷たい液体が口の中に流し込まれた。
 絶対に飲みこんじゃいけないと抵抗するも、口から溢れ出るくらいに注がれた後、口を閉じられて鼻までつままれてしまう。
 苦しさから、僕は口の中の液体をゴクンと飲み込んでしまった。
 甘ったるい液体だった。
 一体、それが何なのかわからず、僕は身体を震わせた。
「へへ、飲んだぜ」
「ああ、すぐに効いてくるだろう」
 男たちが笑ってる。
 なんだか酒に酔ったようにフワフワして、身体が熱い。
「あっ……」
 男の手が股間を掠めるように撫でた。
 その瞬間、強烈な性感に襲われる。
 うそっ、こんなことくらいで勃起しちゃった。
「敏感だな。こんなに直ぐ効く奴は初めてだぜ」
「元々、淫乱じゃねぇのか」
 好き勝手に言って、男たちは僕の脚衣を脱がそうとする。
「やっ……ああぁん」
 どこを触られても感じてしまう。
 どうしよう。
 このままじゃ、僕はこの男たちに弄ばれてしまう。
「やぁっ、やだぁ……っ」
 上手く言葉も出てこない。
 力も入らなくて、僕はされるままにベッドに寝かされた。
 足を広げられて、恥ずかしい部分が男たちの眼に晒される。
 ごくりと唾を飲み込む音まで聞こえて、怖くなった。
 なのに、身体は勝手に熱くなってしまう。
 逃げなきゃ。
 そう思って、身体をなんとか動かそうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。
「なんだ、店主め、順番が待てずにもう来やがったのか」
 ぶつくさと文句を言いながら、一人がドアに向かった。
 他の男は気にもせずに、僕の内股を撫でる。
「へへっ、柔らかい肌だな」
「俺にも触らせろよ」
 骨太の手が、僕の身体を弄る。
「んっ……やあぁっ……やめてっ」
 僕が小さく悲鳴を漏らすのと、ドアが勢いよく開いて誰かが入ってくるのとは同時くらいだった。
 バタバタと足音がいっぱい聞こえる。

「違法の薬物を取り扱っていると密告があった。お前ら、その場を全員動くな」

 いきなりのことで何が起きたのか把握できないでいると、誰かが僕のことを覗き込んできた。
 服装からすると、騎士のようだった。
 褐色の肌に目鼻立ちもくっきりとした男前だった。
「お前はベルボント家の使用人か?」
 問われて、僕はこくんと頷く。
「サイラス様、いました」
 大きな声で男がサイラスと呼んだ。

「ああ、ご苦労だったね。その子は私が連れて帰るよ」

 現れた男の人は柔和な笑顔で、僕を見下ろす。
 そっと手を伸ばされて、ビクッと身構える。
「大丈夫だよ。私は君を助けに来た正義の味方だ」
 彼はそんなふざけたことを言って、片目を瞑った。
 優しく抱き起されて、びくんと恥ずかしい部分が反応する。
「んっ……やぁ」
「変な薬でも飲まされたのかい?」
 問われて、コクコクと頷く。
「ああ、ディラン君、水を持ってきてくれるかな」
 さっき僕のことを覗き込んできた人が返事をして、誰かに同じことを告げた。
 差配しているのはディランという男らしい。
 僕に乱暴しようとしていた男たちは全員、彼の部下らしき騎士たちに連行されていった。
「怖い思いをしたね」
 優しく言われて、改めて視線を向ける。
 銀色の髪も、紫の瞳も、ギルバート様と同じだ。
 ただ、口許に浮かぶ笑みが印象を別のものに変えた。
 人形みたいなギルバート様と違って、親しみやすさを感じる。
「……誰?」
 問いかけると、彼は目を細めて笑った。
「君のご主人様だよ」
「ぼっ、僕のご主人様はギルバート様ですっ」
 真っ赤になって否定すると、更に彼は笑みを深めた。
「まだあの屋敷は私のものでもあるんだよ。だから、君も私の使用人ということになる」
「はぁ?」
 熱っぽい身体は思考まで鈍らせているようだ。
 すんなりと答えが出てこない。
「サイラス様、水をどうぞ」
「ああ、すまないね」
「……サイラス……」
「サイラス・ベルボントだ。君は司祭から紹介された我が家の使用人だろう」
 サイラス・ベルボントだってーーっ!
「あっ、あのっ、僕っ」
「さあ、水を飲んで」
 口にグラスを持ってこられて、僕は素直に従った。
 この人がギルバート様のお父さん。
 似てるはずだ。
 けど、どこか楽しそうにも見える表情は、ギルバート様とは全然違って見える。
「少しくらいは薬も薄まるだろう」
「時間が経てば抜けるでしょうけど、それを放っておくのは辛いんじゃないですか」
 横からディランと呼ばれた騎士が言った。
 それに応じて、サイラス様の視線が僕の股間に注がれる。
「わわっ、だめですっ」
 両手で股間を隠すと、サイラス様は気にせずに僕の手の上に自身の手を重ねてきた。
「苦しいだろう。私がしてあげようか」
「えええっ!」
「サイラス様っ!」
 僕の声とディランさんの声が重なった。
 やや僕の声が負けたけど……
「サイラス様、それじゃあ助けたことになりませんよ」
「同じ男として、こんな状態で放っておかれる方が辛いことくらい君にもわかるだろう」
「いや、だからって男に抜かれるのはこの子だって嫌でしょう。隣の娼館に話をつけてやる。一緒に来い」
 ディランさんは、シャツを僕の肩にかけながら言った。
「あの……大丈夫です」
 僕はやんわりとディランさんの手をどけた。
 代わって、サイラス様の手が伸びてくる。
「遠慮しなくていいんだよ。君は私の使用人でもあると言っただろう。私が責任を持って、介抱してあげるよ」
 僕はぶるぶると首を振った。
 どっちも嫌だとばかりに、二人から離れる。
「怖い眼にあったばかりで、男が怖い?」
 ドキッとするような眼で見られた。
 サイラス様は目元がギルバート様に似ている。
 いや、ギルバート様がサイラス様に似ているのか。
 似た瞳で情熱的に見つめられると、胸がざわめく。
「あ……あの……」
「ほら、サイラス様、この子は初心なんですから、駄目ですよ。使用人には手を出さない。そういう主義だったでしょう」
「今までこんなに可愛い子に巡り会わなかったからだよ。私は自分に正直だからね」
 不意に両脇の下に手を入れられて、ヒョイッと抱き上げられた。
「わあっ! やめてくださいっ」
 暴れようとしたけど、直ぐに離してもらえた。
 ベッドから下ろしてくれただけだったみたい。
 床に落ちた外套を掛けてくれた後、サイラス様は僕の肩を優しく抱いてきた。
「じゃあ、行こうか」
「えっ?」
「ここじゃあ、君を口説けないだろう。無粋な男もいるしね」
「サイラス様、駄目ですよ。彼は……」
 言いかけて、ディランさんがやめた。
 僕がなんだと言うんだろう。
「彼がなんだい?」
 サイラス様は聞き逃さずに、ディランさんを問い詰める。
 くしゃっとディランさんは髪をかきむしった。
「司祭の大事な人だと聞きました」
「ああ、司祭の紹介だったね。まさか、司祭の恋人というわけではないだろう」
 僕はとんでもないと首を振った。
「なら、問題ない」
「そういことじゃなくてですね」
 ディランさんが噛みつくように迫ってきたのを、サイラス様が軽く手を振って止めた。
「君が言いたいことはわかっているよ。冗談だよ。大事な使用人に手を出したりしないさ」
 それを聞いて、ディランさんは安堵の溜め息を漏らす。
 僕も一緒になって、胸を撫で下した。
「もう遅いし、歩いて帰らせるのは可哀想だろう」
「それなら娼館に」
 僕はブンブンと首を振った。
 まだ股間は熱くてジンジンしているけど、ちょっとだけマシになったみたいなんだ。
 水をいっぱい飲んだからかもしれない。
「……大丈夫です」
「だそうだよ」
 サイラス様は軽く言ってくれたけど、ディランさんは心配そうに僕を見てる。
「……無理してるんじゃないか?」
 僕は首を振った。
 身体が大きいせいか、ちょっと怖いとも感じてたけど、いい人とわかって頼もしく思えてきた。
「私がついてるから、大丈夫だよ」
「それが一番不安なんですけどね。まあ、素人相手に手を出したりはしないと信用しますよ」
「ああ、もちろん。その気のない相手に無理強いするほど、困ってはいないよ。お役目ご苦労だったね」
 ランディさんは姿勢を正して、啓礼した。
「では、俺はこれで失礼します。今夜は別件でも忙しいので」
「そうか。今宵はベルリオーズ家の舞踏会があったね。少々気まずくて出席はしなかったが、また銀の薔薇が現れたのかい」
「銀の薔薇!」
 驚いて声を上げると、ランディさんの眼が鋭く光った。
「知っているのか?」
 問われて、僕は戸惑う。
 屋敷に泥棒が入ったなんて、恥になるんじゃないだろうか。
 誰もその話をしなかったのは、隠すためじゃないかと後で思ったんだ。
 だから、僕は誰にもあのことを話していない。
 それに、泥棒にキスされたことは記憶から抹消したい。
「あっ、あの……噂で聞いたんです」
 そう無難に答えると、ランディさんは何かを感じ取ったみたいで、探るような眼を僕に向ける。
「じゃあ、どんな噂なのか聞かせてもらえるか」
「えっと……あの……」
「ランディ君、彼は今、薬で朦朧としているだろうから、質問はまた日を改めてくれるかい」
 助け舟をサイラス様が出してくれた。
「ですが」
「二度は言わない」
 ほんの少し声の響きが変わった。
 有無を言わさない強さを感じる。
「……では、また、お屋敷に伺います。アレク、それまでに詳しく思い出してくれることを祈っている」
 名前を呼ばれて、ドキッとした。
 何故と訊こうとしたけど、ランディさんは慌ただしく去って行った。
「アレク……君はアレクというのかい」
「えっ、あっ、はい」
 サイラス様は小さい子を見るみたいに眼を細めて、僕のことを「アレク」と優しく呼んだ。
 気恥ずかしくなって、僕は不躾にも視線をそらしてしまう。
 でも、サイラス様は気にせず、僕を誘導しながら歩きだした。
 店の方はシンと静まり返っていた。
 まさか、皆捕まってしまったということはないだろうけど……
 外に出ると、馬車が止まっていた。
 御者が待ち構えたように、サイラス様に声をかける。

「旦那様、お待ちしておりました」

 サイラス様はにこりと笑って、労いの言葉をかける。
「ああ、待たせたね。予定が変わったから、本邸の方に寄ってくれ」
 馬車の扉を開けながら、御者は驚きに眼を瞬かせた。
「これからですか?」
「ああ、これからだよ。この子はギルバートの小姓だ。連れて帰ってやらないと、夜道は危険だろう」
 御者が僕のことをジロリと見た。
 僕は慌てて、お辞儀をする。
「ほら、アレク、おいで」
 促されて、僕は馬車の中へと足を踏み入れた。
 貴族の馬車なんかに乗るのは初めてで緊張する。
 サイラス様の向かい側に座ろうとしたけど、腰を抱かれて隣に座らされた。
 すぐに扉が閉まって、馬車が動き出す。
「アレク、大丈夫かい?」
 優しく問われて、僕は「大丈夫です」と答える。
 まだ身体は熱い。
 けど、なんとか我慢できると思うんだ。
「そうか。苦しくなったら言うんだよ」
「はい。ありがとうございます」
 感謝を口にすると、サイラス様は僕の頭を撫でてきた。
「君は可愛らしいね」
 また片目を瞑った。
 なにかの合図だろうか。
 きょとんとしてると、もう一度「可愛い」と言われた。
 ふとサイラス様の噂を思い出す。
 さっきのランディさんの言葉からも、彼が見境なく男女問わずに口説いているのは事実みたいだ。
 文句を言ってやろうと息巻いていたことを思い出す。

「行きつけの酒場に行ったら、君の話をされてね。危ない奴に声をかけられていたと教えてくれた者がいたんだよ。そうでなければ、君は今頃、あの連中に酷い目にあっていただろうね」

 先にサイラス様が口を開いた。
 口から出かけた文句は、ひとまず引っ込める。
「……ありがとうございました」
「ここは王都からも近いことがあって、悪い連中が流れてきやすいんだよ。こんな夜更けに一人で街に行くのは危ないと覚えておきなさい」
 大人が子供に注意するような口調だった。
 そんな子供じゃないのに……
「ところで、君はギルに使いを頼まれたそうだね」
 あの店主は全部話してしまったようだ。
 隠す理由はないけど、なんとなくギルバート様のことをサイラス様には話せない気がした。
 だって、ギルバート様に知られたら怒られそうだ。
「黒い貴婦人を探していたんだってね」
 黙っていると、サイラス様は構わずに続けた。
 黒い貴婦人と聞いて、肝心なことを忘れていたことに気づく。
「あっ、どうしよう」
 つい口に出してしまったら、サイラス様がポケットから何かを取り出した。
「これをギルに渡すといい」
 サイラス様の手には細かな彫刻を施したブローチが乗っていた。
 カメオに似た黒い石には、薔薇を手に持つ横顔の女性がブローチに刻まれている。
 正に黒い貴婦人だった。
「あのっ、これは?」
「黒カメオだよ。ギルの母親が大事にしていたものだ。私がギルが生まれた時に彼女に贈ったものだ。ギルが気にしていたとは思わなかったが……渡してくれるかい」

 どういうことだ?
 ギルバート様は友人に贈るものだと言っていた。
 もし、これがギルバート様の仰っていたものだとしたら、絶対に僕が手に入れられないことはわかっていたはず。
 わかっていたから、賭けに乗ったのか。
 考えたくないけど、いつもの小さな意地悪だったんだろうか。

「……僕、受け取れません」
「でも、ギルが君に手に入れてこいと言ったんだろう」
「ご友人のシャルル様に差し上げる贈り物だと伺っています。そのブローチではないと思います」
「シャルル君に……そうか、それなら、ギルはシャルル君に愛の告白でもするのかな」
 突拍子もないことをサイラス様が言った。
「あのっ、シャルル様って男の人なのでは?」
「珍しいことじゃないよ。貴族の嗜みというものでね」
 サイラス様が僕の手をぎゅっと掴んでくる。
「ひゃっ」
 まだ刺激には弱くて、変な声が出た。
「ああ、ごめん。まだ薬は抜けていないんだったね」
 サイラス様は名残惜しそうに僕の手を一撫でしてから離れた。
 本当に油断できない人だな。
 僕なんかが相手にされるわけないって思っていたけど、どうやら手あたり次第みたいだ。
「……あの…僕、そういうのに慣れていなくて……揶揄わないでください」
 遠回しに忠告してみた。
 でも、サイラス様は肩を竦めて、曖昧な返事をした。
「自信はないが、努力はするよ」
 いつもサイラス様はこんななのだろうか。
 ギルバート様があんな風になってしまったというのに、人生を楽しんでいるように見える。
 楽しむなと言うつもりはないけど、もう少しギルバート様を気遣ってあげてほしい。
「そっ、そのブローチのことですけど……どうしてブローチを贈ることが愛の告白になるんですか?」
 そう尋ねると、サイラス様は昔を懐かしむような眼でブローチを見た。
「ギルの母親があの子に約束したんだ。ギルが結婚するときに相手にブローチを譲ると……ギルがあのブローチを気に入って、勝手に持ち出そうとするから、彼女はそんな風に言ったんだろう。だから、ブローチが必要だということは、好きな相手ができたということに繋がると、私は思ったのだけどね」
 小さい頃のギルバート様の話を聞けて嬉しい反面、好きな相手がいらっしゃることに少しだけ胸が痛んだ。
 ギルバート様もちゃんと人を好きになれるんだ。
 無表情で時折、寂しい色を瞳に宿す。
 そんなギルバート様でも、きっとシャルル様の前では笑顔を見せるのかもしれない。
 喜ばなきゃいけないのに……

「旦那様、お屋敷に着きました」

 御者の声にサイラス様が答える。
「ああ、中には入らなくていいよ。この子だけ下すから。もっと君と話してみたかったけど、またの機会にしよう」
 開いた扉から出るようにと促され、僕はそれに従って馬車を降りた。
「ギルバート様に会っていかれないんですか」
 そう訊いたら、サイラス様は苦笑した。
「こんな時間だしね。あの子への贈り物も用意していない。またにするよ」
「贈り物なんかなくても」
 言いかけた僕の言葉を遮って、サイラス様が寂しそうに言った。
「前に、遅い時間に屋敷に戻ったとき、ギルに嫌がられてね。あの子の好きな甘いものでも用意して、出直してくるよ。気にかけてくれて、ありがとう」
 お礼まで言われると、複雑な気持ちだ。
 ギルバート様が嫌ってるから仲良くするなとは言われていたけど、悪い人には見えないんだ。
 あの癖はなんとかしてほしいけど……
「絶対ですよ。ギルバート様だって、会いたいと思っているはずです」
「君はいい子だね。やはり、このブローチは君が持っていくといい」
 僕は、それには首を振った。
「司祭から受け取ったことにすればいい」
 サイラス様は、自分がギルバート様に嫌われてることを知ってるんだ。
 だから、自分からだと言わない方がいいと思ったんだろう。
「あの……それじゃあ、駄目なんです。僕、ギルバート様と賭けをしていて、黒い貴婦人が何かを当てたら、僕の勝ちになるんです。でも、黒い貴婦人がギルバート様の想い出の品であることを知った今、こんなことで勝ってはいけないと思うんです。それに、サイラス様がギルバート様に渡してあげた方が、きっと二人にもいいことだと思います」
 包み隠さず、思うままに話した。
 そんな僕の話をサイラス様は眼を細めながら聞いていた。
「君はとても魅力的だね」
「は?」
 すっとサイラス様の顔が近づいてきて、頬に温かいものが触れる。
「わああっ」
 薬のせいで敏感になっていたから、ドクンドクンと鼓動が速くなっていく。
「なっ、何をっ」
「どうやら私は君に恋してしまったようだよ」
 ギルバート様に似た綺麗な紫の瞳が、妖しく揺れる。
 冗談だとわかっているのに、カアッと身体が熱くなる。
「ふっ、ふざけないでくださいっ」
「ふざけてはいないよ。時間をかけて、ゆっくりと君に私の胸の内を伝えたいと思っている。近い内に、必ず会いに行くからね」
 また片目を瞑って、サイラス様は僕に合図を送る。
 それが意味することはわからなかったけど、彼の艶やかな笑みに少なからずもドキッとした。
 それは好きだからとかじゃなく、ギルバート様が魅力的だったからだと思う。
 きっと多くの人が、この微笑に魅了されているに違いない。
 そんな忘れられない笑みを残して、サイラス様は去っていった。

「冗談だよな」

 キスされた頬に手を当てると、熱を持っているようだった。
 これは薬のせいだ。
 ギルバート様に似ているから、少しドキドキしただけ。
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