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ヨッヘン

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Schiff

Getreide

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Ich schwöre bei Gott diesen heiligen Eid, dass ich meinem Volk und Vaterland allzeit treu und redlich dienen und als tapferer und gehorsamer Soldat bereit sein will, jederzeit für diesen Eid mein Leben einzusetzen.




































雲ひとつ無い好天の下、穂が頭を垂れて収穫時を告げる初秋のドイツの首都ベルリン近くの農村部にこじんまりとした小屋が立っている。
辺りは一面の黄金畑で、それらは全て麦である。

小屋からドイツ人にしては珍しい白銀の髪のショートボブの女が現れ、その地図を更に色濃くして、縮めたような眼で辺りを見渡すと遠くで馬鈴薯(じゃがいも)を籠いっぱいに収穫してこちらに向かってくるこれまた女が写った。

「クラウゼ、そろそろお昼にしましょう。昨日、馬鈴薯(じゃがいも)と交換した鶏肉がまだ沢山残ってるから、鶏肉のカツレツでもどうです?」

「ゾルダ様、分かりました!それでいいのですが、今日こそはプンパニッケルでお願いしますよ!!」

(プンパニッケル…ドイツパンの一種で全粒粉100%で作られるレンガ型の黒いパンで、ずっしりしている)

「鶏肉だからですね?豚とか牛ならそれだけでも十分だけど、鶏っていう軽めの肉だからですね。いいですけど、晩御飯はプンパニッケル使ったサンドイッチですからね?」

昼食で彩られたテーブルには、鶏肉のカツレツと付け合せの茹でた馬鈴薯、カツレツにかけられたのはキノコのソースである。
副菜のお供は先程言われた通り、黒いプンパニッケルだ。

クラウゼと呼ばれた女はプンパニッケルを食べながらカップに注がれた湯気を立てる暖かいミルクを啜った。

「ゾルダ様、ベルリンやミュンヘン等の主要な都は全て国家社会主義ドイツ労働者党に染っておりました。」

「そうですか、この辺りでもその名前は良く聞くようになってきましたから都会のベルリンやミュンヘンはもうそれでもちきりだとは思っていましたが…」

第一次世界大戦を敗北という形で終えたこの国は混沌としていた。
様々な思惑や陰謀などが渦巻き、覇権を握ろうとする政党が暴力を持って闊歩しているのだ。

中でも国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)は抜きん出て市民の人心を掌握して高い支持を集めていたのだ。

その党首は演説が神憑りな程達者で、今のこの国の長ですら認めざるを得ないほどであるという…

「…あまりいい噂は聞きませんけどね、まぁそれはどこの政党も同じでしょうけど…」

ある政党が集会や演説をすれば他の政党はそれを邪魔や阻止すべく暴力を翳してくる…
今やどの政党もその暴力装置を持っていたのだから。

そしてそのNSDAPは突撃隊(SA)と言う暴力装置を持っていた。
褐色のシャツを着ていたからか、回りからは褐色隊とも呼ばれているとか…

そして更に、彼らの党首を護る少数の黒衣の騎士こと、親衛隊(SS)と呼ばれる組織もあるとか…

「その党首が首相になるのも時間の問題です、裏で何か動いているらしく…」

「彼の周りにはかなりの高名な人物や博識な方がいるらしいですからね…」

その中に第一次世界大戦のエースと言っても過言ではない ヘルマン・ゲーリング
と言う後の国家元帥になる男がいる。

更に後の宣伝大臣 ヨーゼフ・ゲッベルス
、NSDAPの副総統となる ルドルフ・ヘス…
そして悪名高いと言われる親衛隊の長 ハインリッヒ・ヒムラーに、その右腕たる ラインハルト・ハイドリヒ…
とにかくNSDAPには有能な人材が数多く
いたのである。

「国の首相になれば最早現大統領など恐るるに足らずですよ、クラウゼ。
今のこの国の大統領 ヒンデンブルクは高齢…これがどう意味するか…分かりますよね。」

この国の現大統領は 第一次世界大戦で英雄と言われた パウル・フォン・ヒンデンブルクである。
しかし彼は齢80を越えた高齢で、最近は体調も優れないと聞く。

しかもだ、どうやら彼の息子はそのヘルマン・ゲーリングに買われたとの噂もある。
即ち、賄賂を送られているということだ。

ゲーリングは第一次世界大戦で名を馳せた軍人であるからか、はたまた実家が裕福からなのか金銭には余裕があったらしい。

「…また、戦争になりそうですね。」

クラウゼが自分の皿に残っている付け合せの茹でた馬鈴薯を見つめながら呟いた。

「…そうですね、しかも今回は第一次世界大戦と違って恐らく…血と暴力が絶えない悍ましいものになるでしょう。政党の思想などが絡んでくるのですからね。」

ゾルダがドアをノックする音に反応してドアを開けるとそこには近所のフェイムおばさんがいた。
彼女は何かとゾルダとクラウゼのことを気にかけてくれるお節介なおばさんだが、実はその第一次世界大戦で息子さんを失っている。

だからなのか、ゾルダとクラウゼの2人を実の娘の様に可愛がっているのだろう。

「ゾルダ、クラウゼ、新しい首相が決まったって知らせだよ!!」

ゾルダは先程話していた事が現実になり、やはり…と視線をおばさんから逸らした。

「フェイムおばさん、誰なんです?新しい首相って。」

「国家社会主義ドイツ労働者党の党首、アドルフ・ヒトラー様だよ!」

視線を逸らしていたゾルダは目を閉じた。
最早戦争は避けられない、血と暴力とそして…。

そんな彼女の不安を他所に、フェイムおばさんはまた口を開いた。

「これからここいらも大変になるかしらねぇ…」

「何か…あったんですか?」

ゾルダが聞き返すと、戦慄する答えが返ってきた…

「これまでは抑えられていた弾圧に拍車が掛かると思われるのよ…
ここいらにも、もしかしたら…」

ゾルダやクラウゼ、そしてフェイムおばさんが住み暮らすこの農地一帯にも少なからず弾圧を受けようとする民は暮らしていた。

そんな彼等は流浪の民。
古よりその運命に翻弄されてきた。
そして今、その運命により彼等はこの地上より消し去られようとしている。

なんの根拠もない、少しだけ昔のただ単に負けを認めたくない連中にありとあらゆる責任や濡れ衣を着せられて…

そしてその時からそれらは彼等を半永久的に苦しめるのである。

「とにかく、ゾルダもクラウゼもこれから何が起こるか分からないんだから身の回りの整理はしておくんだよ。いつ、ここいらを離れてもいいようにね!」

フェイムおばさんはそう言ってバタバタと去っていった。













一夜が明けた。
いつの間にかポストに新聞が入れられていて、日の出を浴びるべく外に寝間着のまま出てきたゾルダがそれを広げた。

”新首相任命さる!!"

その見出しの下にはヒトラーと呼ばれる男の顔写真と、その経緯やヒンデンブルク大統領の容態や顔写真。

トドメに…大統領が新首相と握手する写真…

「…ボーグマンの名前を少し借りてみるか…」
















そしてある日、ゾルダは男の正装とクラウゼは女の正装をして内密に彼がその時を迎える病院を訪れた。

衛兵は勿論、医者も誰も彼の指示により出払っている。

「…父が、貴方をかつては英雄であったと、申しておりましたよ。今、その父が生きていたら貴方を何と申すでしょうかね。」

ゾルダの目の前には真っ白なベッドに力なく横たわる老人がいた。
彼こそ…ヒンデンブルク大統領である。

彼女は自分の貴族の立場を使って何とか大統領との面会に漕ぎ着けたのだ。

「ボーグマンには本当に影で支えられた…、しかしアイツは表に出ようとしなかったな…。名前を出されたり、記されるのも嫌がっておった。」

「私も詳しくは知りませんけどね、今回ばかりはどうにもいられなくなりまして最期になると思ったので、こうして面会させて頂いた所存です。」

「ボーグマンの末裔、良く聞いておけ…私は…自分がやった事が正しい事なのか、そしてこれからどうなるのか全く分からない…」

「これからどうなるかなんぞ、分かりきってるじゃないですか。」

ゾルダは少し怒気を含めて早口で返した。
クラウゼがビクリと反応する。
大統領はもう亡くなる…、だが残された人達はどうなる?

これから起こる事に飲み込まれる人達の事も考えて欲しかったが、彼にはその時間すらなかったのだろう…

「その毒気が混じった言葉遣い…よく似ておる…、リッツに。」



余りの空気の悪さからか、人払いしたからか、誰もドア越しにヒンデンブルク大統領とゾルダの会話を聞いている男がいた事を知るよしはない。







「ボーグマンの末裔殿。」

その帰りに、ゾルダ達は一人の男に話し掛けられた。
その男はドイツ国防軍の将校の軍服を着ていた…。

「貴方と話したいと仰せられの方がおります、是非私の後に付いておいでください。」

ゾルダは周りを伺った、彼の周りの木々や建物の影などに多数の人の気配を感じる…

ちらりと見えたのは褐色の服。

国家社会主義ドイツ労働者党の突撃隊(SA)であった。

「話しをするだけですよ。」






男が2人を案内したのは、ヒンデンブルク大統領が養生する病院から少し離れた小さな飲食店であった。

その飲食店のテラス席、人払いをしているからかその男が当たりを警戒しながら椅子に腰掛けている軍人に話しかけた。

「パウル・ハウサー大佐、来ました。」

「…!?まさか、突撃隊の大佐殿でしたか。」

優しそうではあるが、その中に強かな軍人の顔を持つ少し老いた軍人が椅子に座っていた。

彼は座りなさいと、テーブルを挟んだ向かいの椅子に彼女を勧めて、座らせると話し出す。

「君がリッツの忘れ形見か。鋭い眼光がよく似ているね。」

「父が貴方のことを話していた事がありました、辛辣な奴だけど言ってることは間違ってないし、退役したなら教育者になってもいいんじゃないかと。」

「ふふ、彼奴も結構言うじゃないか。」

ゾルダは父と話す彼を覚えていた。
たまに良く遊んでもらったり、色々と教えて貰っていたりしたことも良く覚えている。

彼が父か祖父だったらなぁと、父の手前言えなかった願望もあった。

「そんな貴方が何故?」

「君は自分の立場を分かっているかい?今回君がヒンデンブルク大統領に会ったことを、今のこの国を牛耳る連中が捨ておくはずがないだろう。現に君は見たはずだ、褐色隊をね。」

「ボーグマンは疾うに没落しましたよ、父がこの国の敗北と同時に自決した日から…」

「だが、ボーグマンの力は今でも大きいんだよ…新首相が君を注視しているよ。
何かに利用出来ないかとね。」

「私にそんな力があるとでも?」

クラウゼが2人をここに案内した男にまさかと振り返ると、その男は顔を逸らした。

「君が女なのか、男なのか誰も分からないんだよ。ボーグマンの末裔が生きている、それだけしか知らない。」

「…軍服を着て、軍靴を鳴らして、軍人になれという事ですか。」

「駄目です!!ゾルダ様、それだけはなりません!!貴方の父君、リッツ・セレス・ボーグマンから言われているのです!!」

クラウゼは自決したゾルダの父、リッツの遺言書を生前に託されていた。

そこには遺産や土地は全てゾルダが受け取り、それをクラウゼが管理せよとそしてリッツが自分の血で書くほど禁じた物があった。

リッツが自分の血で書いた遺言、それこそが…

”ゾルダ・マステマ・ボーグマンの軍属を禁じる。"

「リッツ様は自分と同じ道を歩まれる事をゾルダ様に望んでおりませんでした、故の遺言です!!血判をもってして禁じた事なのです!!」

クラウゼが必死に投げかける。
ゾルダは全て理解しているのか、冷静に話す。

「…私が軍人となって、この国がまた戦争に巻き込まれたとして敗北を喫したなら父と同じように私も、自決すると思っているのでしょうね。」

「ゾルダ、申し訳ないがそこまで時間は残されていない。」

ハウサー大佐が切羽詰まったように、ゾルダに言った。
彼女は彼の顔を見ながら目を見開いた。

「まさか…この先に本当にまた戦争が起こるのですか?」

「新首相は時間の問題でこの国のあらゆる実権と、国民の信頼信用を得る。そしてその先に…再軍備もある。」

ハウサー大佐は今の突撃隊(SA)に取り込まれた鉄兜団という退役軍人達からなる団体に所属していた。

突撃隊大佐となった彼はそれなりの情報等を手に入れられる立場になった故にそこまで深追い出来たのだ。

「辛うじて軍人でいられた者、退役した軍人達からもボーグマンが居るのならと言う声もある…」

「…私が顔になれば、国防軍軍人などの指示も…という算段ですか。」

「明日答えを持って彼をまた寄越そう、時間は正午昼食がてらということで。」

彼は共に来たであろう、ここへ案内した男と椅子から立ち上がると去っていった。

ゾルダは椅子に腰掛けたまま、無表情にテーブルの上を見つめていた。

「…ああは言いましたが、私はきっと…リッツ様は自分と同じ様に負けからの死と言う道を歩まれなければ良いのだと思います。」

「そうすれば、クラウゼ…君も自由になれるだろうしね。」

「滅相もないです、もしゾルダ様が軍人になったら私はあの家と土地を貴方が退役してくるまで留まり、守るだけです。」

「安心したよ、クラウゼ。…長くなるかもしれないけれど、見聞を広げてくるよ。」

「ゾルダ様は本当にリッツ様に歯向かうのがお好きですね、遺言も聞き入れなければ、敢えて禁忌に打って出るのですから…」

「私は父と同じ様にはなれないね、負けても死にたくはない…何故?それは生きていたいからだよ、生きているからこそやれるし見られるし出来る…父はボーグマンの体裁の為に自決したんだろうけど、遺された私達の事を思うのなら無様に生きてでもハウサー大佐の様に生き甲斐みたいなのを見つけてそれに縋っていれば良かった。
そうすれば、母も後を追わなかったし、私も軍人にならずに済んだ筈さ。
結局…父は自分で禁じた軍人になるということを、ならざるを得ない状況にさせてしまったってことじゃないかな。」













次の日の正午、あの飲食店のテラス席にゾルダとハウサー大佐は向かい合って椅子に座っていた。

丁度2人の間にあるテーブルには小ぶりなプレッツェルが沢山入った籠と、ロッゲンミッシュブロートとソーセージ、チーズのサンドイッチが盛られた皿、そして茹でた馬鈴薯がこれまた山のように乗せられた深めの皿がある。

(ロッゲンミッシュブロート…ずっしりと重く仕上がるライ麦50~90%のドイツパン。
ドイツパンはもともとライ麦と小麦をある一定量で配合しながら混ぜて作るが、その配合の割合によって出来たパンの名称も変わってくる。
ミッシュとは混ぜると言う意味。)

「ゾルダ、決めたか?」

ハウサー大佐が口を開いた。
彼に付き従う男がクラウゼをちらりと見やると、クラウゼは目を細める。

「軍人になります。でも父の様にはなりません、そうならない為に私はお偉い方にもズケズケと口を挟んだりしますけど、よろしいか?」

ゾルダはニヤリと上目遣いで少し微笑みながら問いかける。

「ボーグマンの名前と、私と数人の軍人が君を庇護しようとしている、構わないだろう。」

「1週間時間をくださいませんか?それくらいあれば出向する準備と、クラウゼに全てを託す書類ができますので。」

「分かった、では1週間経った来週のこの日に私が迎えに行こう。」

会話が終わるとゾルダ、ハウサー大佐、その付人軍人、そしてクラウゼが椅子に座り昼食が始まった。

テラス席でとる食事は晴天と、初秋の少し冷える風のせいでとても美味しく感じられる。

時折、ウェイターが飲み物を補充しにやって来てゾルダはその度に温かい紅茶ばかり頼むので、きっとそのウェイターはよくもまぁ飽きないものだと思っているに違いない。

「ところで数人の軍人と仰いましたが、どのような方が?」

「君の父に影で助けられた軍人達だな。
自決する直前まで、自分のコネや資産を使って、職や軍人を続けられるように手配していたお陰で食いつないだ人達だよ。」

ゾルダは実はあまり父、リッツ・カズフェル・ボーグマンの事を知らず且つ好きではなかった。

ただ、軍人達から慕われている事だけは分かった。
しょっちゅう家に来る軍人達に父は色々世話を焼いていたから。

そしてリッツもゾルダの事を恐れているのか、畏怖しているのか彼女が10歳を越してからは常にぎこちなかった。

それまでは普通であったのに…。
何故そうなったのか、ゾルダですら分からなかった。
記憶すら曖昧になっていた。



昼食も終わり、ゾルダとクラウゼは急いで家に帰ると支度やら書類の取り寄せやらを始める。

「持っていくものはほぼないから、大丈夫ですよ、クラウゼ。きっと向こうに行ってから物が増えてくるはず…。」

「畑はかねてより、欲しいと仰っている方がいるのでそちらの方に売却いたします!」

「暫くはクラウゼ1人で暮らしていくから、私の部屋は…」

「軍人になるとはいえ、休暇などもあるでしょうからお部屋はそのままにしておきますよ、掃除はご心配なく!」

「お金は父の遺産を使って下さいな、そこは遠慮しないでください!」

あれやこれや慌ただしく2人が話しながら支度や、整理を繰り返す。

約束の日までに小屋の中は整理整頓され、ゾルダのトランクケースには少し余裕が出来るだけの荷物がまとまった。

そしていよいよ次の日はゾルダが旅立つ日、その日の夜は最後の晩餐とばかりにテーブルには地下倉庫に眠らせていたさくらんぼの酒(キルシュヴァッサー)や、それを使ったケーキである、シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテがある。

(シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ…黒い森のさくらんぼ酒のケーキという意味のケーキ。ココアのスポンジにさくらんぼ酒であるキルシュヴァッサーをふりかけ、間にホイップクリームとさくらんぼを挟み、最後に表面を削ったチョコレートで飾る。)

「最近、シュトゥットガルトの方からこっちにも流行りだしたみたいで1回食べてみたかったので、この晩餐にと今日買ってきてみました!」

「キルシュヴァッサーと、このケーキだけで十分最後の贅沢している気分ですよ。」

そして、民間人としての2人だけの最後の晩餐は始まる。

小さなグラスにキルシュヴァッサーを晩酌し合って、馬鈴薯のグラタンや少しお高いプレッツェル、ソーセージ、そしてキャベツの酢漬けであるザワークラウト…。

さくらんぼ酒を間に口にしながらの食事は2人を贅沢で豊かな気持ちにさせてくれた。

シメのシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテをフォークで勿体ないとばかり少しづつ削る様に食べる。

「お、おお…これが…初めて食べるけど
ココアにもチョコレートにも負けないキルシュヴァッサーの風味よ…。」

「ホイップクリームに、チョコレート、ココアスポンジなんて本当に久しぶり過ぎて感動しますねぇ!!」

酒が入っている2人はいつになく饒舌で、言葉が出てくる度に笑い合いながら美味しい久しぶりのケーキを楽しんだ。





そして、朝がやってきた。

クラウゼはゾルダを見送るべく、ドアを閉めて玄関に立ち、ゾルダはトランクケース片手に迎えにやってきた車からハウサー大佐が降りてくるのを待った。

「迎えに来ました、ボーグマン殿」

ハウサーの声で、ゾルダがクラウゼに振り返る。

「ではクラウゼ、当分の間、家と土地を任せます。休暇などで帰れそうな時は文を寄越しますね。」

「かしこまりました、ゾルダ様…ご自愛くださいますように…。」

ゾルダはうん、と頷くと後部座席に座り込み、続いてハウサー大佐も助手席に座り、ドアを閉めると車は発進した。

遠くなって行く家とクラウゼをミラー越しに見送るゾルダは目が潤んでいたが、これから涙など流してはいられなくなると腹を括り、目を擦った。

一方のクラウゼも顔を引き締めた。

「…私がお守りして行きますので、御安心ください。休暇で帰還なされる時のために、あのケーキも作れるようにしておきますから。」




”クラウゼ、このケーキ私の好物になったよ、だから1つ頼まれてくれないか?”

"わかりました!やってみます!"

”私が軍人として休暇を与えられるその時までにクラウゼのこのケーキを食べられるようにしておいて欲しい!
休暇で戻ってきたらまずはこのケーキと、キルシュヴァッサーで始めたいんだ…”





ゾルダの乗る車は差程時間も掛からずに首都たるベルリンに入った。

建物などにはNSDAPの旗がはためていて、彼らの時代が来たことを否応なしに実感させられる。

そして、至る所に目を光らせる褐色隊の男たちの姿…。

「君を是非教育したいという人物がいてね、彼の元で少し勉学してもらった後に私の元で扱かれる予定になっているのだが、構わないかね?」

「全てお任せしたいと思いますが、何方ですか?そんな奇特な方は…」


「君は…エーリッヒ・フォン・マンシュタインという名前に覚えは?」

「…少しだけ。父と共に皇帝の宮殿に仕えていた方の中にその名前があったはずでは?」

「彼が君を是非預かりたいとね、彼は息子が1人いるのだが君の事を知るや否や…」

「では寄宿舎のような所で?」

「勉学はそこで、衣食住は彼が自分の邸宅で施してくれるそうだよ。」

「どうしてそこまで…」

「宮殿仕えの時に彼が些細な失敗をした事があったようで、それを酷く皇帝の使用人に咎められたのをリッツが庇い、論破したことを恩に感じたらしいね、そこからだと思うよ。」

車が寄宿舎が立ち並ぶ中に入り、そこの幹部らが宿泊する施設の入口に止まる。

「着いたよ、ここで待ち合わせなはず…ああ、来たきた。私はこれで、然るべき時にまた迎えに来るからその時までマンシュタイン大佐に色々学ぶといい。」

ゾルダは車を降りると、ドアが開いた方に目を向ける。
それと同時に車が走り去ってゆく。

ゾルダの視線の先には少しふくよかな体格の目を細めて自分を見つめている、ハウサー大佐と同じくらいの年齢の男性がいた。

「…君が、リッツの忘れ形見。」

「ゾルダ・マステマ・ボーグマンと申します…」

「とりあえず、この服に着替えてきてくれ、部屋はこの家を入ってすぐ右側の空き部屋を使ってくれ。」

ゾルダはマンシュタイン大佐に言われた部屋に入り、彼の副官から渡された軍服に着替え始める。

その軍服はM36野戦服と呼ばれる物で、将校が着る様に士官よりも精巧な部分があったり、襟が高かったり、服の生地の素材がパッと見たところいいものを使っていたりしてある。

「…私はそこまで価値があるのか?」

いざ着てみると、女の胸を隠せるだけの余裕を持った大きさながらゾルダの体格に見合った丁度いい大きさであった。

ズボンも、女の大きめの臀を上手いこと上着とズボンとで隠せるように組み合わせてくれたらしく、上下の軍服を着た姿はまさに男そのものであった。

牛革のブーツに、軍制帽で整えたならばもう傍から見たら、出来た将校の出来上がりである。

姿見で自分を見ると、誰がどう見ても男に見えるゾルダがいた。

そこにドアをノックする音、ゾルダは大丈夫です、入ってくださいと言うとマンシュタイン大佐とその副官が入ってくる。

「いいね、これなら余程のことが無い限りみんな君を男だと思うよ、美男子だとね。
いいかい、ゾルダ…君はこれから軍人としては男として生きるんだ。
そして君の階級は幹部候補生、私だけでなく様々な上官の元へ行き、沢山学んでおいで。
私だけが上官ではない、他にもたくさん学ばせてもらうべき人はいるんだからね。」

「分かりました、マンシュタイン様」

「これから私を呼ぶ時は様でなくて、大佐を付けてくれ。」

「マンシュタイン大佐、了解しました!」

「これより暫く君は私の元で国防軍に関する基本的なことと貴族としての礼節など学んでもらうよ、それが出来たら次は誰の元で学んでみたいか…私に伝えてくれ。」

「マンシュタイン大佐、その先輩方のご尊顔を拝見することはできますか?」

「…そうだな、君の飲み込みが早ければすぐ終わるものばかりだから終わり次第手配しよう。」

「1年くらいですか?」

「そう見積ってくれて構わない。」

「分かりました!よろしくお願いいたします。」



ゾルダが偉大なる軍人・マンシュタイン大佐の元で学ぶその真っ最中に、この国の歴史は大きく動き出すのである。


時は今、1933年11月の半ば…

この一年後、1934年。
死と繁栄が顕著に現れてくるのである。
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