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10.油断大敵
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尾関は中学の頃からずっと仲のいい気の合う友人だった。
クラスの人気者で、誰とでも気さくに話し敵を作るようなことはしない────そんな奴だった。
そんな奴がクラスも違うのにしょっちゅう何故か自分のところに遊びに来た。
最初は何だこいつと思ったものだ。
けれどあまりにも自然に懐に入り込まれて色々と話しているうちに、ああ皆に好かれるのもわかるなと思った。
大体からして俺がゲイだと言ったのに態度が変わらない奴なんて初めてだった気がする。
しかも目をキラキラさせてこいつは言ったのだ。
「藍河!それなら俺と付き合ってよ!」
無邪気な笑顔でこんな風に言う奴なんて見たことがなくてかなり驚いてしまった。
でもそんな姿が眩しくて、嫌われないのが嬉しくて、つい軽口で返す自分がいた。
「はぁ?ないない。お前って本当に冗談きっついな~。まあそんな所も好きだけど」
半分くらい照れ隠しだったように思う。
その時、こいつとはずっと友達でいたいなと思った。
こいつだけはいつまでも綺麗な心のままでいて欲しい。
自分が安易に傷つけてはいけない存在なのだと────そう強く印象付けられてしまった。
中学から高校に上がって俺達はますます仲良くなった。
お互いの家にだって遊びに行ったし、一緒に出掛けることも多かった。
尾関の誘い文句はいつだって軽快だ。
「藍河!今度の日曜サファリデートしようぜ!」
「は?サファリとか言ってるけどどうせ動物園だろ?興味ない」
「え~?!頼むよ!動物見にいくのに男一人なんて寂しいだろ?サラリーマンのおっさんが一人で黄昏れてるのと同じみたいじゃん!」
「女友達と行けばいいだろ?」
「嫌だ!女だとおしゃべりばっかりでゆっくり見れないし!その点藍河は興味がないだろうから、適当に座ってるだろ?じっくり見れるじゃん!」
「…………そうだな」
「だろだろ?じゃあ約束な!」
そんな風に唆されて色んな所に行っていた気がする。
とは言え、なんだかんだ言って尾関に連れまわされるのを楽しんでいる自分がいたのは確かだ。
高校を卒業する頃にはそんな強引なところは随分落ち着いて、お互い別々の大学に進学だったからこのまま疎遠になるかもなと少し寂しく思ったものだ。
けれど定期的に尾関からはメールが来て、彼氏や彼女ができただの最近はこんなことがあっただのと報告される日々が続いた。
そう言えば尾関が彼氏ができたと初めて報告してきた後くらいだったか…なんとなく胸がモヤモヤして夜の街に繰り出した。
これまでずっと尾関の隣にいる男は自分だったのにと少し子供っぽい嫉妬心を抱いたのだ。
なんだかその男に尾関を取られたようで嫌だった。
だから…そんなストレスを発散させるようにセックスが上手そうな奴に声を掛けて、手あたり次第抱いた。
俺の目は何故か間違うことなくネコの相手ばかりをちゃんと見抜き、余計なトラブルに巻き込まれることなく日々を過ごし、そして初めての彼氏もゲットすることができた────。
「俺も最近彼氏ができた。相性最高ですっごい充実してる。お前が嬉々として色んな奴と付き合う気持ちがすっごいわかった」
久しぶりに夕飯でも行こうと誘われて尾関と会った夜、俺は笑顔でそう報告をした。
その時尾関は驚いて目を見開き、一瞬固まってから『おめでとう』と言ってくれた。
そこから尾関の彼女の話をしたり俺の彼氏の話をしたりしたが、尾関はあまり食が進んでいなかったように思う。
きっと尾関に彼氏ができたと聞いた時の俺と同じ心境なんだろうなと密かに思う自分がいた。
ちなみにその時の彼氏とは付き合って三か月で破局した。
他に好きな相手ができたと言われたので特に揉めることなくあっさり終了。
特にこれと言って好きだと思って付き合ったわけではなく、単純に体の相性がいいから付き合うに至ったという経緯があったからだ。
好きな相手ができたのならそっちと付き合う方がいいんじゃないかと言ってすんなり身を引いた。
それからだろうか?
どうせ付き合うなら好きな相手と付き合う方がいいなと漠然と思い始めたのは。
好きでないならセフレでいい。
性欲処理はそれで十分だ。
折角付き合うのなら、一緒に居て居心地のいい普通の相手がいい。
そう────尾関のように自分と気の合う相手が理想的だと思った。
そこからはずっとそんな相手を求めていた気がする。
そうこうしている間も尾関との友情は続いていた。
やれ別れただの新しい彼女ができただの、今度は彼氏を作ってみただの、そんな報告は絶えずメールで送られてきていた。
そして久しぶりに会った合コン後、二次会を終え一緒に酒を飲んでいた時だ。
「うぅ…やっぱり忘れられない…」
そんな言葉を口にしながら尾関が泣いた。
グラスの中でカランと音を立てて氷が崩れる。
かなり飲んでいたとは言え、泣き出すとは思ってもみなかった。
それにしても一体誰のことが忘れられないのだろう?
この時、直近で別れた相手は付き合って一か月の浅い関係の女だった。
忘れられないと口にするような相手ではない。
「あんなに完膚なきまでに振られたのに忘れられないなんて…うっ…俺おかしいのかな?」
どうやら尾関はかなり手酷い振られ方をしたことがあるらしい。
可哀想に。
「そう言うのはさっさと忘れて次に行け。こだわるだけ無駄だぞ?今日は好みの女がいなくて残念だったかもしれないけど、お前男でも女でもいけるんだから、いくらでもより取り見取りだろう?」
「酷い。無神経すぎて余計に泣ける。もうやだ…お前最悪」
────絡み酒だ。
合コンでいい子がいなかったのは俺のせいじゃないのに…。
「しょうがないな。好きなだけ飲みに付き合ってやるから、元気出せ」
「…絶対だぞ?」
「わかってるって」
「今日だけじゃなく、定期的に最低でも月一では付き合えよ?」
「はいはい」
どうやら少しは元気が出たらしい。
現金な奴だ。
それからはちょくちょく飲みに行く機会が増えた。
それはお互いに就職してからも続く。
そして────俺達の関係が変わったのが、あの日だった。
抱いてしまったのは半分は酒のせいだったと思う。
本気で慰める気があるなら抱いてくれと言われて、そんな尾関を可愛いなと思ったのは確かだ。
俺なんかに抱いて慰めてもらいたいと思うほど落ち込んでいるのなら、慰めてやりたいと思った。
ただそれだけだったのに────まさか自分が本命だったなんて思いもよらなかった。
尾関はどんな気持ちで抱かれたのだろう?
今思い返しても、物凄く複雑そうな顔で抱かれていたように思う。
当時はその表情を『友達に抱かれてしまった罪悪感』のように受け取っていたが、本当はそうではなかったのだ。
自分を見てくれない本命が、たとえ慰めるためとはいえ自分を抱いてくれた────それが複雑だったのだろう。
(なんだそれ……)
正直可愛すぎてたまらない。
そして今、俺は逃げ場もなく尾関に熱く見つめられている。
答えを聞かせて欲しいとその目は暗に語っていた。
好きかと聞かれれば好きだと言える。
ずっと一番仲の良かった友人だ。
好きなのは当たり前だ。
けれどそれが恋愛的な好きかと問われたら、正直よくわからないというのが本音だった。
そんな風に尾関を見たことがなかったし、意識したことなんてなかったから当然だ。
けれど────さっきから何故か鼓動は弾みっぱなしで、いつもとは違う尾関を意識せざるを得ない状況なのには変わりなかった。
そんな自分がなんだか居た堪れない。
けれどそんな自分を尾関はどこか嬉しそうに見遣って口を開いた。
「ははっ!やった!」
「?」
やったとはどういう意味だろう?
こいつは本当に時々よくわからない反応をしてくる。
「藍河が俺を始めて意識してくれたのが嬉しい」
「…?!」
尾関が心の底から嬉しそうに笑う。
「なあ藍河。俺とお前が付き合ったことのある彼氏、どっちが好き?」
「え?お前」
そんなこと聞かれなくても答えは決まっている。
だって好きで付き合った相手じゃなかったのだから、親友の方が好きに決まっているではないか。
「うん。じゃあ、セフレの中で付き合いたいとか、ずっと寝たいなって思える奴っている?」
ずっと?
そんなものいつだって行きずりだし、遊びの相手ばかりだ。
ずっと寝たい奴なんているはずがない。
「は?そんなの別にいないけど?」
尾関は関係があるとは言えどちらかといえばセフレというより親友だし、付き合いたい云々は別にしてずっと一緒に居たい相手というなら尾関くらいしかいない。
「じゃあ俺は?」
「え?お前はずっと一緒に居たい奴」
「それは寝るのも込みで?」
「ああ。お前が寝たいなら抱くけど?」
「慰め以外でも抱けるか?」
「え?」
慰め以外というとどうだろう?
確かに言われてみればこれまで尾関を慰める時にしか抱いてこなかった気がするなと思い、改めて考えてみる。
「…………別に普通に抱けるかな」
これまで尾関を何度となく抱いてきたけれど、嫌悪感なんてものはなかったし寧ろこんな彼氏が欲しいなと思うくらいで、何故こんなに可愛い奴が幸せになれないのか不思議に思ったものだった。
だから素直にそう答えたのだが、何故か尾関はここで余裕そうな表情をかなぐり捨てて耳まで真っ赤にしながらハンドルに突っ伏してしまった。
「尾関?どうかしたか?」
「最悪だ……このくそ天然……」
流石にそれは失礼すぎるだろう。
「悪かったな、最悪野郎で」
揶揄いやがってと腹が立ったものの、やっと逃げられそうだと勢いよく車から降りて自分の部屋へと向かう。
それを慌てたように尾関が追ってきたが、知るか!
「藍河!悪かったって!待てよ!」
そう言ってくる尾関はすっかりいつもの尾関で、自然と俺の気持ちも落ち着いてくる。
「うるさい。近所迷惑だ」
「悪かったって。今度お前が美味かったって言ってたウイスキー買ってくるからさ」
「つまみはお前が作るんだぞ?」
「わかってる!お前が好きなのなんでも作ってやるから許してくれよ」
そうそう。これだ。
自分達の関係はこんな感じだったと思い出し、密かにホッと胸を撫で下ろす。
「わかった」
そうして仲良く二人で部屋のドアをくぐって、ふぅと一息つく。
取り敢えず尾関からの追及は免れそうだし、ストーカー女の件もしばらく様子を見て終了といったところだろう。
(…もう今日はゆっくりするか)
そうして気の抜けたところで、いきなり後ろからギュッと抱きしめられた。
「────『油断大敵』ってね」
そして尾関がどこか危うい雰囲気を漂わせながら笑顔で俺の唇を奪っていく。
「んっ…んんっ…!」
驚いて抗おうにも弱いところを狙って口づけてくるから逃げるに逃げられない。
(こいつ……っ!)
そこでふと、思ってしまった。
他の男が相手なら足を踏んだり肘を入れたりして自力で抜け出す自信はあった。
けれど────尾関には何故かそんな気になれない自分がいたのだ。
(……あれ?)
そして落ち着いてそっと視線を尾関の方へと向ける。
「ふ…んぅ……」
何度も角度を変えながら愛おしそうに口づける尾関の顔がそこにはあって、その瞳は恋うるようにただ自分へと向けられていた。
そんな瞳に心臓が飛び跳ねる。
「んんっ…」
そっと離される唇が、まるで愛しい者の名を呼ぶようにほんの僅か震えながら言葉を紡ぐ。
「武尊(たける)、ずっと好きだった。俺と付き合ってほしい」
正直それは反則だと思った。
これまでずっと藍河呼びで、恋人ごっこのつもりでベッドでは名前呼びOKを出したばかりだ。
これは流石の俺も心臓直撃で、一気に顔が熱くなるのを止められない。
「~~~~~~っ!お前このタイミングでそれを言うか?!最悪!」
「だって本気だし。このまま何も言わずにいたらお前、何もなかったことにするだろう?」
「……!」
「それで?答えはOKでいいんだよな?」
わかっていて言ってくるこいつにはとても勝てる気がしない。
けれどここで素直に落ちてやるのもなんだか悔しくて、ついつい悪態を吐きたくなった。
「お前に好きな奴ができるまでっていう条件付きだ!」
それでいいなら付き合ってやると言ったのに、尾関は蕩けるように嬉しそうな顔で抱きついてくる。
「やった!」
本当にわかっているんだろうか?
疑問でしかない。
「じゃあ腹も減ったし、何か作るか。何が食べたい?」
ご機嫌になった尾関はそう言ってあっさりと俺から離れていく。
「え?適当でいいぞ?」
「肉と魚だったら?」
「ん~…今日は魚かな」
流石に色々あったから胃もたれしそうな肉よりあっさりした魚がいいと答えると、尾関はいつもの笑顔で了解と言ってサクサク料理に入った。
(なんだ、変わらないじゃないか)
好きだなんだと言われて戸惑ったが、結局何も変わらないならいいかと少し安心してホッと息を吐く。
そしてできた食事を前に手を合わせ、いつも通りに舌鼓を打った。
「上手い!」
「良かった。そうだ、折角だし今度久しぶりにどっか出掛けないか?」
ニコニコと尾関がそんな風に自然に話を振ってくる。
「折角付き合うことになったんだし、お前の好きなもの何でも買ってやるよ」
けれどそんな言葉にちょっとだけうんざりしてしまった。
「お前と俺の仲で何言ってんだ。俺は欲しいものは自分で買うって知ってるだろう?」
「…まあそうだったな」
「それよりお前が好きなシマウマかペンギンでも見に行ったらどうだ?ストーカー女のせいでストレス溜まってるんだから、そういう所に行く方が絶対いいぞ?」
「覚えてたんだ」
「当然だろう?お前がシマウマとペンギンとアヒルが好きなことくらい忘れるはずがない」
「興味なさそうにしてたくせに」
「あれだけ延々とそこで足を止められたら嫌でも覚える!」
「ははっ!」
そんな小さなことでも尾関は本当に嬉しそうに笑ってきたから、今度の休みは久しぶりに尾関の好きなものを見るのに付き合ってやろうと思ったのだった。
クラスの人気者で、誰とでも気さくに話し敵を作るようなことはしない────そんな奴だった。
そんな奴がクラスも違うのにしょっちゅう何故か自分のところに遊びに来た。
最初は何だこいつと思ったものだ。
けれどあまりにも自然に懐に入り込まれて色々と話しているうちに、ああ皆に好かれるのもわかるなと思った。
大体からして俺がゲイだと言ったのに態度が変わらない奴なんて初めてだった気がする。
しかも目をキラキラさせてこいつは言ったのだ。
「藍河!それなら俺と付き合ってよ!」
無邪気な笑顔でこんな風に言う奴なんて見たことがなくてかなり驚いてしまった。
でもそんな姿が眩しくて、嫌われないのが嬉しくて、つい軽口で返す自分がいた。
「はぁ?ないない。お前って本当に冗談きっついな~。まあそんな所も好きだけど」
半分くらい照れ隠しだったように思う。
その時、こいつとはずっと友達でいたいなと思った。
こいつだけはいつまでも綺麗な心のままでいて欲しい。
自分が安易に傷つけてはいけない存在なのだと────そう強く印象付けられてしまった。
中学から高校に上がって俺達はますます仲良くなった。
お互いの家にだって遊びに行ったし、一緒に出掛けることも多かった。
尾関の誘い文句はいつだって軽快だ。
「藍河!今度の日曜サファリデートしようぜ!」
「は?サファリとか言ってるけどどうせ動物園だろ?興味ない」
「え~?!頼むよ!動物見にいくのに男一人なんて寂しいだろ?サラリーマンのおっさんが一人で黄昏れてるのと同じみたいじゃん!」
「女友達と行けばいいだろ?」
「嫌だ!女だとおしゃべりばっかりでゆっくり見れないし!その点藍河は興味がないだろうから、適当に座ってるだろ?じっくり見れるじゃん!」
「…………そうだな」
「だろだろ?じゃあ約束な!」
そんな風に唆されて色んな所に行っていた気がする。
とは言え、なんだかんだ言って尾関に連れまわされるのを楽しんでいる自分がいたのは確かだ。
高校を卒業する頃にはそんな強引なところは随分落ち着いて、お互い別々の大学に進学だったからこのまま疎遠になるかもなと少し寂しく思ったものだ。
けれど定期的に尾関からはメールが来て、彼氏や彼女ができただの最近はこんなことがあっただのと報告される日々が続いた。
そう言えば尾関が彼氏ができたと初めて報告してきた後くらいだったか…なんとなく胸がモヤモヤして夜の街に繰り出した。
これまでずっと尾関の隣にいる男は自分だったのにと少し子供っぽい嫉妬心を抱いたのだ。
なんだかその男に尾関を取られたようで嫌だった。
だから…そんなストレスを発散させるようにセックスが上手そうな奴に声を掛けて、手あたり次第抱いた。
俺の目は何故か間違うことなくネコの相手ばかりをちゃんと見抜き、余計なトラブルに巻き込まれることなく日々を過ごし、そして初めての彼氏もゲットすることができた────。
「俺も最近彼氏ができた。相性最高ですっごい充実してる。お前が嬉々として色んな奴と付き合う気持ちがすっごいわかった」
久しぶりに夕飯でも行こうと誘われて尾関と会った夜、俺は笑顔でそう報告をした。
その時尾関は驚いて目を見開き、一瞬固まってから『おめでとう』と言ってくれた。
そこから尾関の彼女の話をしたり俺の彼氏の話をしたりしたが、尾関はあまり食が進んでいなかったように思う。
きっと尾関に彼氏ができたと聞いた時の俺と同じ心境なんだろうなと密かに思う自分がいた。
ちなみにその時の彼氏とは付き合って三か月で破局した。
他に好きな相手ができたと言われたので特に揉めることなくあっさり終了。
特にこれと言って好きだと思って付き合ったわけではなく、単純に体の相性がいいから付き合うに至ったという経緯があったからだ。
好きな相手ができたのならそっちと付き合う方がいいんじゃないかと言ってすんなり身を引いた。
それからだろうか?
どうせ付き合うなら好きな相手と付き合う方がいいなと漠然と思い始めたのは。
好きでないならセフレでいい。
性欲処理はそれで十分だ。
折角付き合うのなら、一緒に居て居心地のいい普通の相手がいい。
そう────尾関のように自分と気の合う相手が理想的だと思った。
そこからはずっとそんな相手を求めていた気がする。
そうこうしている間も尾関との友情は続いていた。
やれ別れただの新しい彼女ができただの、今度は彼氏を作ってみただの、そんな報告は絶えずメールで送られてきていた。
そして久しぶりに会った合コン後、二次会を終え一緒に酒を飲んでいた時だ。
「うぅ…やっぱり忘れられない…」
そんな言葉を口にしながら尾関が泣いた。
グラスの中でカランと音を立てて氷が崩れる。
かなり飲んでいたとは言え、泣き出すとは思ってもみなかった。
それにしても一体誰のことが忘れられないのだろう?
この時、直近で別れた相手は付き合って一か月の浅い関係の女だった。
忘れられないと口にするような相手ではない。
「あんなに完膚なきまでに振られたのに忘れられないなんて…うっ…俺おかしいのかな?」
どうやら尾関はかなり手酷い振られ方をしたことがあるらしい。
可哀想に。
「そう言うのはさっさと忘れて次に行け。こだわるだけ無駄だぞ?今日は好みの女がいなくて残念だったかもしれないけど、お前男でも女でもいけるんだから、いくらでもより取り見取りだろう?」
「酷い。無神経すぎて余計に泣ける。もうやだ…お前最悪」
────絡み酒だ。
合コンでいい子がいなかったのは俺のせいじゃないのに…。
「しょうがないな。好きなだけ飲みに付き合ってやるから、元気出せ」
「…絶対だぞ?」
「わかってるって」
「今日だけじゃなく、定期的に最低でも月一では付き合えよ?」
「はいはい」
どうやら少しは元気が出たらしい。
現金な奴だ。
それからはちょくちょく飲みに行く機会が増えた。
それはお互いに就職してからも続く。
そして────俺達の関係が変わったのが、あの日だった。
抱いてしまったのは半分は酒のせいだったと思う。
本気で慰める気があるなら抱いてくれと言われて、そんな尾関を可愛いなと思ったのは確かだ。
俺なんかに抱いて慰めてもらいたいと思うほど落ち込んでいるのなら、慰めてやりたいと思った。
ただそれだけだったのに────まさか自分が本命だったなんて思いもよらなかった。
尾関はどんな気持ちで抱かれたのだろう?
今思い返しても、物凄く複雑そうな顔で抱かれていたように思う。
当時はその表情を『友達に抱かれてしまった罪悪感』のように受け取っていたが、本当はそうではなかったのだ。
自分を見てくれない本命が、たとえ慰めるためとはいえ自分を抱いてくれた────それが複雑だったのだろう。
(なんだそれ……)
正直可愛すぎてたまらない。
そして今、俺は逃げ場もなく尾関に熱く見つめられている。
答えを聞かせて欲しいとその目は暗に語っていた。
好きかと聞かれれば好きだと言える。
ずっと一番仲の良かった友人だ。
好きなのは当たり前だ。
けれどそれが恋愛的な好きかと問われたら、正直よくわからないというのが本音だった。
そんな風に尾関を見たことがなかったし、意識したことなんてなかったから当然だ。
けれど────さっきから何故か鼓動は弾みっぱなしで、いつもとは違う尾関を意識せざるを得ない状況なのには変わりなかった。
そんな自分がなんだか居た堪れない。
けれどそんな自分を尾関はどこか嬉しそうに見遣って口を開いた。
「ははっ!やった!」
「?」
やったとはどういう意味だろう?
こいつは本当に時々よくわからない反応をしてくる。
「藍河が俺を始めて意識してくれたのが嬉しい」
「…?!」
尾関が心の底から嬉しそうに笑う。
「なあ藍河。俺とお前が付き合ったことのある彼氏、どっちが好き?」
「え?お前」
そんなこと聞かれなくても答えは決まっている。
だって好きで付き合った相手じゃなかったのだから、親友の方が好きに決まっているではないか。
「うん。じゃあ、セフレの中で付き合いたいとか、ずっと寝たいなって思える奴っている?」
ずっと?
そんなものいつだって行きずりだし、遊びの相手ばかりだ。
ずっと寝たい奴なんているはずがない。
「は?そんなの別にいないけど?」
尾関は関係があるとは言えどちらかといえばセフレというより親友だし、付き合いたい云々は別にしてずっと一緒に居たい相手というなら尾関くらいしかいない。
「じゃあ俺は?」
「え?お前はずっと一緒に居たい奴」
「それは寝るのも込みで?」
「ああ。お前が寝たいなら抱くけど?」
「慰め以外でも抱けるか?」
「え?」
慰め以外というとどうだろう?
確かに言われてみればこれまで尾関を慰める時にしか抱いてこなかった気がするなと思い、改めて考えてみる。
「…………別に普通に抱けるかな」
これまで尾関を何度となく抱いてきたけれど、嫌悪感なんてものはなかったし寧ろこんな彼氏が欲しいなと思うくらいで、何故こんなに可愛い奴が幸せになれないのか不思議に思ったものだった。
だから素直にそう答えたのだが、何故か尾関はここで余裕そうな表情をかなぐり捨てて耳まで真っ赤にしながらハンドルに突っ伏してしまった。
「尾関?どうかしたか?」
「最悪だ……このくそ天然……」
流石にそれは失礼すぎるだろう。
「悪かったな、最悪野郎で」
揶揄いやがってと腹が立ったものの、やっと逃げられそうだと勢いよく車から降りて自分の部屋へと向かう。
それを慌てたように尾関が追ってきたが、知るか!
「藍河!悪かったって!待てよ!」
そう言ってくる尾関はすっかりいつもの尾関で、自然と俺の気持ちも落ち着いてくる。
「うるさい。近所迷惑だ」
「悪かったって。今度お前が美味かったって言ってたウイスキー買ってくるからさ」
「つまみはお前が作るんだぞ?」
「わかってる!お前が好きなのなんでも作ってやるから許してくれよ」
そうそう。これだ。
自分達の関係はこんな感じだったと思い出し、密かにホッと胸を撫で下ろす。
「わかった」
そうして仲良く二人で部屋のドアをくぐって、ふぅと一息つく。
取り敢えず尾関からの追及は免れそうだし、ストーカー女の件もしばらく様子を見て終了といったところだろう。
(…もう今日はゆっくりするか)
そうして気の抜けたところで、いきなり後ろからギュッと抱きしめられた。
「────『油断大敵』ってね」
そして尾関がどこか危うい雰囲気を漂わせながら笑顔で俺の唇を奪っていく。
「んっ…んんっ…!」
驚いて抗おうにも弱いところを狙って口づけてくるから逃げるに逃げられない。
(こいつ……っ!)
そこでふと、思ってしまった。
他の男が相手なら足を踏んだり肘を入れたりして自力で抜け出す自信はあった。
けれど────尾関には何故かそんな気になれない自分がいたのだ。
(……あれ?)
そして落ち着いてそっと視線を尾関の方へと向ける。
「ふ…んぅ……」
何度も角度を変えながら愛おしそうに口づける尾関の顔がそこにはあって、その瞳は恋うるようにただ自分へと向けられていた。
そんな瞳に心臓が飛び跳ねる。
「んんっ…」
そっと離される唇が、まるで愛しい者の名を呼ぶようにほんの僅か震えながら言葉を紡ぐ。
「武尊(たける)、ずっと好きだった。俺と付き合ってほしい」
正直それは反則だと思った。
これまでずっと藍河呼びで、恋人ごっこのつもりでベッドでは名前呼びOKを出したばかりだ。
これは流石の俺も心臓直撃で、一気に顔が熱くなるのを止められない。
「~~~~~~っ!お前このタイミングでそれを言うか?!最悪!」
「だって本気だし。このまま何も言わずにいたらお前、何もなかったことにするだろう?」
「……!」
「それで?答えはOKでいいんだよな?」
わかっていて言ってくるこいつにはとても勝てる気がしない。
けれどここで素直に落ちてやるのもなんだか悔しくて、ついつい悪態を吐きたくなった。
「お前に好きな奴ができるまでっていう条件付きだ!」
それでいいなら付き合ってやると言ったのに、尾関は蕩けるように嬉しそうな顔で抱きついてくる。
「やった!」
本当にわかっているんだろうか?
疑問でしかない。
「じゃあ腹も減ったし、何か作るか。何が食べたい?」
ご機嫌になった尾関はそう言ってあっさりと俺から離れていく。
「え?適当でいいぞ?」
「肉と魚だったら?」
「ん~…今日は魚かな」
流石に色々あったから胃もたれしそうな肉よりあっさりした魚がいいと答えると、尾関はいつもの笑顔で了解と言ってサクサク料理に入った。
(なんだ、変わらないじゃないか)
好きだなんだと言われて戸惑ったが、結局何も変わらないならいいかと少し安心してホッと息を吐く。
そしてできた食事を前に手を合わせ、いつも通りに舌鼓を打った。
「上手い!」
「良かった。そうだ、折角だし今度久しぶりにどっか出掛けないか?」
ニコニコと尾関がそんな風に自然に話を振ってくる。
「折角付き合うことになったんだし、お前の好きなもの何でも買ってやるよ」
けれどそんな言葉にちょっとだけうんざりしてしまった。
「お前と俺の仲で何言ってんだ。俺は欲しいものは自分で買うって知ってるだろう?」
「…まあそうだったな」
「それよりお前が好きなシマウマかペンギンでも見に行ったらどうだ?ストーカー女のせいでストレス溜まってるんだから、そういう所に行く方が絶対いいぞ?」
「覚えてたんだ」
「当然だろう?お前がシマウマとペンギンとアヒルが好きなことくらい忘れるはずがない」
「興味なさそうにしてたくせに」
「あれだけ延々とそこで足を止められたら嫌でも覚える!」
「ははっ!」
そんな小さなことでも尾関は本当に嬉しそうに笑ってきたから、今度の休みは久しぶりに尾関の好きなものを見るのに付き合ってやろうと思ったのだった。
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あの時、俺たちが別れた本当の理由は──?
「そろそろ我慢の限界かも」
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
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