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ちーちゃんは、いつもひとり。

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 6月6日「ほんわかの日」「恐怖の日」記念。



 
 
「ちーちゃんはイイ子。ママの自慢の娘よ」

 私が小さいころ、ママは、いつも、そう言ってくれた。

 大きな声で「おはようございます」、「うん」じゃなくて「はい」が言えて、「しつけのいい子だ」と周りの大人に褒められるから。
 小学校に上がるまえから九九を覚えていて、クラスで一番テストの点が良かったから。
 バレエのふりつけを間違えないで、同い年のどの子よりも上手に踊れるから。
 ピアノの曲を間違えないで、同い年のどの子よりも上手に弾けるから。

 誰よりも一番な私を、ママは、誰よりも一番愛していた。
 だから、私もママを愛していた。
 幼い私には、ママは、私の世界で神様だった。
 「パパなんていなくても、ちーちゃんはママさえいれば幸せなんだから」とママは言っていたし、私もそうだと信じていた。

 ママが買ってくれた本物・・のランドセルの中に、あの白黒のなにかを見つけて――失うまでは。



 私が小学校に上がるとき、ママがデパートで選んだのは、売り場のまんなかにあった、つやつやと光る真っ赤なランドセルだった。
 ママの言うままに腕をとおして、背負ってみると、ずしりと重たく大きかった。
 教科書を入れたら引っくりかえってしまいそうで、となりにあった「もっと軽いやつ」をねだったけれど、ママは「ダメよ。本物じゃないと」と聞いてくれなかった。
 「はい」とうなずき、よろこんだふりをしながら、ママの言う「本物」が何か、そのときの私には、わからなかった。
 けれど、入学式で保育園からのお友だちだった康介くんのママとママが話しているのを聞いて、少しだけわかった。
 特別なときにだけ使う、すごく高くていいもの。それが「本物」なんだって。

 そのとき、私は、おしゃべりするママのとなりで、康介くんと桜の花びらをあつめていた。
 康介くんは、やさしくて、かっこいい子で、私と同じでパパがいなくて、ママのお迎えの時間が遅かった。
 いつも康介くんと私が最後だった。
 いつも二人で、おもちゃで遊んだり絵本をならんで読みながら、ママを待っていた。
 私は、康介くんがママの次くらいに好きだった。

「あら……ちーちゃんのランドセル、もしかして本物の牛革?」

 康介くんのママが言って、ママはポストの色のくちびるをニコッとつりあげた。

「えぇ、今は人工皮革がお手頃だし、軽くて良いっていいますけど、やっぱり、本物を使わせてあげたくって」
「あらぁ、でも、お高いんでしょう?」
「たいして変わらないわよ。たった数万円の違いなら、やっぱり一生のうちに今だけ使うものだし、ケチケチしたくないじゃない?」
「でも、いい物って言ったって、六年使うでしょ? うちなんて男の子だから、絶対に六年もたないもの。安いのじゃないとムリ! 見栄はってる余裕なんてないわよぉ」
「……康介くん、元気でいいじゃない。うちの子は大人しすぎて心配になるもの」
「そんなことないわよ! いいじゃない、ちーちゃんは手間がかからないイイ子で。うらやましいわぁ。やっぱり女の子はいいわねぇ」
「そうかしら。たしかに、聞き分けがよくって助かるけど」
「やっぱり父親がいないと、母親に心配かけまいと子供なりに気を使ってくれるのよねぇ」
「……そうかもね」
「うちの子もそうだもの。わかるわぁ。子供って小さいながらに、しっかり見てるのよねぇ。私達みたいな、バツありのシンママは、優雅な主婦ママと違うんだから。お互い大変だけど、子どものために頑張らなきゃね!」
「…………えぇ、そうね」

 ママと康介くんのママのおしゃべりがとまって、ママが「帰りましょう」と私の手をつかんだ。

「まって、ママ。さくら、こぼれちゃう」
「捨てなさい。どうせ花なんて、腐って、ただのゴミになるんだから」

 ママは、こわい顔をしていた。
 私は何も言えなくなって、手を引かれ、ひきずられるまま、康介くんと康介くんのママとサヨナラをした。

 家に帰ってから、ママは「もう、康介くんと遊んじゃダメよ」と言った。
 「どうして?」と聞くと「あの子のママは、いじわるなヒドイ女だから」とママは答えた。

「こうすけくんは、いじわるじゃないよ?」
「康介くんは、どうでもいいの。康介くんのママがダメなの」
「でも……」
「ちーちゃんが康介くんとお友だちでいたら、ママは康介くんのママとも仲良くしなきゃいけないでしょう? そうすると、ママが康介くんのママに意地悪なこと言われて泣いちゃうの。ママが康介くんのママに泣かされるの、ちーちゃん、イヤだよね?」
「……はい」
「もう、康介くんと遊ばない?」
「はい、あそびません」
「……どうせ、お友だちなんて、すぐにできるわよ。でも、お友だちは、よく選んで遊ぶのよ。悪い子と遊んじゃダメ。おしゃべりしちゃダメ。ちーちゃんと同じような、ママにやさしい、イイ子とお友達になるの。できる?」
「……はい」
「うん。ちーちゃんは、いいこね。私の自慢の娘よ」

 ママがニッコリして、私は、お友だちと初恋を失くした。

 学校で話しかけても答えなくなった私に、康介くんは、ちょっと悲しそうな顔をしていたけれど、すぐに新しい子と仲良くなってしまった。
 ママがいう「悪い子」がどんな子か、私には思いつかなかったから、私は学校で話しかけてもいい子の見分けがつかなかった。
 私と「同じような、イイ子」は、もっと、わからなかった。
 康介くんは、そうだった。
 私と同じで、ママしかいなくて、ママを大好きなイイ子だった。
 でも、ママは康介くんとは遊んじゃダメだと怒っていた。康介くんのママが悪い人だから。
 イイ子でも、ママが悪い人だったら、お友だちになってはダメなのだ。
 でも、みんなのママは学校にいない。
 どうしていいのかわからなくなって、私は誰とも仲良くならないようにしようと決めた。

 だから、私は、いつもひとりだった。

 ひとりでランドセルに教科書を詰めて、机に出して、しまって、給食を食べて、掃除をして、誰とも遊ばずに、カタカタとランドセルを揺らして帰り道を歩いた。
 給食で机を並べるときだけは「四人で食べるのがルールだから」と仲間にいれてもらえたけれど、そのほかの時間は、いつもひとりだった。
 
 
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