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5.その男、熊退治す!
太陽は中天に座し、余すところなくこの大地を照らしている。町を出て街道を進む俺たちの目にはあの憎たらしい巨大な工房もすっかり小さくなっていた。東の街道を進む俺たちのずっと先には彼方まで連なる山々が聳えていた。あれらの山がベル鉱山と呼ばれる豊富な鉱脈を有する鉱山であり、アイロの町の生命線なのだ。そして、その山の手前に鬱蒼と茂る森こそが魔獣の棲みかである東の森だ。
「……おい、考えがあるって魔獣のことかよ!」
「こいつの褒賞金はちょっとした額だぜ。しばらくは遊んで暮らせるな!」
俺のすっとぼけた答えにジールが更に声を荒らげる。
「やかましい! 俺はてっきりスニフィン商会のとこに行くのかと思ってたのに。お前、死ぬ気か?」
「人間、死ぬ気でやれば大概のことは出来るもんさ。まぁ、俺は死ぬ気なんてこれっぽっちもないけどな」
「死ぬつもりはないって……。本気で思ってるのか? 相手は魔獣だぞ!?」
俺は肩をすくめると横目でジールを見遣って言う。
「魔獣なんて珍しくも何ともないだろう」
「……そう、この人は悪魔だろうが死神だろうが斬り捨てる男だから」
そう言ってヘルが悪戯っぽく笑う。
「あ、悪魔? 死神?」
「おお、まさに生き証人がいたな。それよりジール、不安なら町で待っててくれ。正直お前を守るつもりは毛頭ないが、殺されても寝覚めが悪い。ハッキリ言わせてもらえば、足手まといだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はどうしても親父やじいさんが打った剣がスニフィン商会を倒すところを見届けたいんだ! それが何よりの弔いなんだ! そう思うだろ?」
「ジール……」
するとヘルがぽつりと呟く。
「……ゼストのおじいさんはまだ生きているがな」
その冗談に俺は心の声で語りかける。
(おい、良いシーンをぶち壊すんじゃない)
(お望みなら連れて行ってやろうという老婆心だ)
(……今のお前にぴったりな言葉がある。余計なお世話だ)
(そうか。私の自慢のコレクションを磨いてもらおうと思ったのに残念だ)
今、ちょっと本当に残念そうな顔をしなかったかコイツ。
「まぁ、ジールの気持ちは分かった。そこまで言うなら勝手にすればいいさ。ただし、安全なところで見物してろよ。何かあったらゼストに合わせる顔がない」
「ああ、ありがとう。そうするよ。だけど、一つだけ気になるんだが、魔獣を倒してしまったら流通が再開して、またスニフィン商会が武器を造るだけなんじゃないか?」
「そうかもな」
「お、おいそれじゃあ何の意味も……」
俺はジールの言葉を遮るように後を続ける。
「だが、俺の考えじゃあそうはならないと踏んでる。まぁ、そうなったらその時考えれば良いじゃないか。いずれにせよ魔獣がいたんじゃ町も鉱山もジリ貧だろ? だから、今は熊退治だ」
「いや、だから魔獣は軍の征伐隊を待てば……。あ、待ってくれよクイン!」
そんなことを話している内、森は俺たちの眼前へと迫っていた。魔物の口のように暗くぽっかりと空いた森の入り口には木の枝がアーチを作り、獲物を誘うようにゆらゆらと怪しく揺り動いていた。俺たちはゆっくりとその怪物のような口の中へ一歩を踏み出した。
その瞬間、己の全身が総毛立つ。
「こ、これが魔獣の棲む森か」
ガチガチと歯を鳴らしながらジールが言った。
ヘルが眉をひそめた険しい顔付きでそっとささやく。
「……クイン、気付いたか? ……見られているな」
「ああ。なんて察知能力だ」
俺は唾液のようにべっとりとまとわり付く空気を振り払うように足を早めた。しかし、獲物を吟味するかのような嫌な気配がそれを追う。
森の中はやや幅広い道がくねるように続いていた。この道が交易路なのだろう。古い轍が何本か通っていた。しかし、新しいものは見当たらなかった。
「……なぁ、クイン。やけに静かじゃないか? 鳥の鳴き声すら聞こえねぇよ」
「そりゃこんな殺気ムンムンの奴とは森の仲間になりたくないだろ」
そうして何度目かの曲がり道を折れた時、俺たちの目にある物が飛び込んだ。
「ひでぇな」
それは小さな幌馬車の残骸だった。土気色の幌には飛び散った血が赤黒い染みを作っている。辺りには砕けた骨がいくつもあった。肉片が一つもないところを見ると相当昔のものだ。鉱石を運ぶ商人のものだろう。だが、荷は空っぽだった。恐らく盗賊共がかすめ取っていったに違いない。
「ここで襲撃されたと言うことは魔獣の住処もこの辺りだろう。そこから道を外れて森の奥に行ってみるか」
そう言って俺は茂みの中へと分け入った。その後を二人が続く。耳が痛い程の静けさの中を無言で歩き続けていく。あまねく降り注いでいたはずの日の光は木々に遮られ俺たちの下まで届くことはなかった。ぼんやりとした夜のような森をひた歩く。歩を進めるごとに奴の気配が肌を差すように強くなる。どうやら方角は間違っていないらしい。俺は次第に昂揚感を覚えていった。緊張、殺気、そして血の匂い。これこそが戦場であり俺の住まう場所だ。精神を研ぎ澄まし、相手を殺すことだけを考える。これ程までに誰かを強く想うことがあるだろうか。愛する者でさえそれには到底及ばず、頭の片隅にも残っていない。血の匂いが一段と強くなる。
「近いぞ」
俺が指差す先には、鮮血を滴らせた臓物があたり一面に散乱していた。この先が奴の縄張りなのだろう。今にも牙を向き飛び掛かってきそうな威圧感をひしひしと感じる。
「死んでも俺を恨むなよ」
「ああ。……覚悟は出来ている」
「上出来だ」
ついに俺たちは一線を越えた。
やがて、俺たちの目の前に山肌をあらわにした岩壁が現れた。そして、その一ヵ所、俺たちの真正面に巨大なほら穴があった。そこから鋭い爪を大地に突き立て、のそりと姿を現したのは紛れもない、魔獣アイアンシルバーだった。
「あ、あ、あれが……魔獣!?」
その体躯は大型の熊より一回り以上も大きく、世にも美しい白銀の毛に覆われていた。幾人もの戦士たちを噛み砕いたであろう巨大な牙は口蓋に収まりきらず、精練された剣のような爪は鋼にも似た光沢を映していた。そして、殺気のほとばしる眼光を向けていた魔獣はおもむろに後ろ足で立ち上がると、その大きな口をゆっくりと開けた。
「グオオオオオオオッッ!!」
地面が揺れるかと思う程の雄叫びが身体の芯まで響き渡る。
「……!!」
ジールが両耳を押さえてうずくまる。
だが、俺はその瞬間、魔獣に向かって走り出していた。
「うおおおぉぉッ!」
そして、下段に構えたマイスの剣を奴のがら空きになった胴へ払い抜いた。
激しい金属音が森に響く。
「なに!?」
肉を切り裂いた手応えがまるでなかった。
「阿呆!!」
直後、ヘルの怒声が飛んできた。
「良く見ろ! 奴の白銀の毛は自身のソウルによって鋼鉄のように硬くなっているのだ! 今のお前に斬れるはずないだろう!」
振り返ると、奴は何事もなかったようにゆっくりと前足を下ろすとこちらへ向き直った。
「何でだ!?」
以前だったらあんな奴、一刀両断に出来たはずだった。さすがに今の俺の力では真っ二つにまでは出来ないものの、腹を掻っ捌くくらいは出来ると思っていた。だが、傷一つ付けられないとは想定外だった。これは非常にまずい。剣を構え、正面から奴と対峙する。
「この阿呆! 貴様ッ! 己の力も理解していないのか! ソウルブレイカーの力を使うにはソウルが足りなすぎる!」
「ソウルブレイカー!? 確か、お前と戦った時にもそんなこと言ってたような気がしたが何のことだ?」
荒い鼻息を吐きながら奴がじりじりと距離を詰める。
「お、お前ッ……! 誰一人、私に傷を付けることが出来なかったというのに、私を消滅させかけたその力を自分で知らぬのか!?」
「ああ! 知るかよ! もったいぶってないでさっさと教えろ! 全員殺されるぞ!」
魔獣が嘲笑うかのように一歩一歩ゆっくりと近付く。
「さっきも言ったが今のお前のソウルでは力は使えん……。ソウルブレイカーは己の魂の力で相手の魂の力を破る禁忌の呪法……。なぜお前にそんな芸当が出来るのかは分からんが、アイアンシルバーとの圧倒的なソウル差の前では己の魂を破滅させるだけだ!」
「……ああ、そういうことか。今まで悪魔やら魔獣やらと戦えた自分の力が、ようやく少し理解出来たぜ」
「くッ! こんな阿呆な奴に私はやられてしまったのか……」
「そう言われてもなぁ。とにかく、今はその力が使えないならこいつをどうやって仕留めるかだ……」
眼前に迫ったアイアンシルバーが後ろ足へ力を込める。
「グオオオオオッ!」
直後、鋼鉄の爪を振りかざし、勢い良く飛び掛かる。
その刹那、俺は真横に飛び退きその一撃を紙一重で掻い潜った。
アイアンシルバーの空を切ったその爪は俺の後ろにあった若木をいとも簡単に切り裂き、薙ぎ倒した。あれが自分の姿だと想像すると恐ろしい。
俺が態勢を立て直す間もなく、横薙ぎのベアクローが俺を襲う。
「ぐふッ!」
何とか剣の腹で受け、直撃は避けたもののその非常な威力に俺の身体は吹っ飛ばされる。脇腹が軽く裂け、血が流れ出す。衝撃で全身ががくがくと震え言う事を聞かない。
「くそッ! なんて力だ……」
剣を杖にしてかろうじて立つ俺に、再びアイアンシルバーが飛び掛かろうとする。
だめだ。
身体が動かない。
切り裂かれた若木の鮮烈な印象が脳裏をよぎる。
動け。動け。動け!
アイアンシルバーが重心を後ろに取り、まさに飛び掛かろうとした、その瞬間だった。
「……彷徨える亡者共の魂よ。我が僕となりて命に従え……。コープス・バインド!」
ヘルの詠唱と共にアイアンシルバーの足元へ幾人もの亡者が土の中から這い出してきた。すると、辛うじて人の形を留めた土気色の亡者共が魔獣の身体にしがみ付いたのだ。寸前で動きを止められた魔獣。奴は飛び掛かることが出来ず、その場で一瞬の隙を見せた。このチャンスを逃すことは出来ない。
「うおおおおッ! 動けぇぇええ!!」
理屈ではなかった。全身の細胞という細胞が筋肉を突き動かし、血液が身体中を駆け巡る。そして、地を擦るように構えた剣を両手で握り、アイアンシルバーの顎目掛け全力でかち上げた。
轟音。
鉄塊を塔から落としたような轟音があたりにこだまする。
「クイン! ……や、やったのか!?」
「……いや、まだだ」
空を仰ぐアイアンシルバーの顔。そこから怒りを湛えた眼光だけがギロリと俺を睨み付ける。
「ガアアアアアァァッ!」
雄叫びと共にうち下ろされる巨大な一撃。
だが、俺はそれをするりとくぐり抜けると、横へ回り込み奴の肩のあたりへ剣を降り下ろす。分かってはいたが、金属音と共に剣は弾かれる。
「グオオ!」
それを払いのけるようにアイアンシルバーの裏拳が風を切って迫る。
瞬時に後方へ飛び退いた直後、大地を蹴り出し、正面から袈裟斬りに斬り払う。金属の擦れるような嫌な音だけが耳を刺す。
平然と立ちはだかるアイアンシルバーが再び俺の頭上から巨体と共に丸太のような両腕を降り下ろす。
その瞬間、俺は奴の胴を真一文字に払い抜くとそのまま奴の背後に位置取り、逆手に持ち変えた剣を両手で思いきり奴の背中へ突き立てた。
だが、甲高い音だけが虚しく響く。
「これでもダメか!」
刃はまるで身体に突き刺さることなく、切先が毛に隠れる程度のところでぴたりと止まっていた。
奴が振り返り様に鋼鉄の爪を薙ぎ払う。
俺はまたもや後方に飛び退き、爪が触れるか触れないかの寸前のところでそれをかわす。
「……だが、もうお前の動きは見切ったぜ」
しかし、どうする。
このままでは俺が先に力尽きるのは目に見えている。
斬撃もだめ。
突きもだめ。
胴も背もまるで歯が立たない。
すると、残すは頭だけか……。
「試してみるか」
俺は態勢を低くし、奴が近付くのを待った。その様子にアイアンシルバーも警戒をしているのか、先程までのようにすぐには飛び掛からず、円を描くように俺の周囲を歩き始めた。俺も奴を追うように向きを変えていく。何度目かの周回の時、奴は俺の目の端から姿を消した。直後、暗殺者の如く飛び掛かってきた。
「チッ!」
俺は前方に転がり飛び、間一髪で身をかわす。
そこへアイアンシルバーの猛攻が襲い来る。
「グオオオオオ!」
縦横無尽に振るわれる鋼鉄の爪。
俺はそれを剣でいなす。耐えろ。アレが来るまで耐えるんだ。
「うおおお!」
態勢を低く保ったまま、剣を上手く当て軌道を逸らす。致命傷はないものの長くは持ちそうにない。早くアレをしてくれ。
「うぐっ!」
奴の爪が頬をかすめ、俺が上体を反らす。
その時だった。
「グオオオオオッッ!!」
「来たッ!!」
アイアンシルバーが両腕を持ち上げ、俺を叩き潰す鉄鎚の如くそれを降り下ろした瞬間。
俺は態勢低くして力を込めていた両足を一気に爆発させ、頭上高く舞い上がった。
奴の両腕は空を切り、むなしく大地を叩く。
「砕けろオオオオォォォォッ!!」
俺は空中で剣を振りかぶり、奴の頭蓋目掛けて全力でそれをうち下ろした。
だが、鈍い金属音が無情にも響き渡る。
「嘘……だろ!?」
渾身の力を持ってしても奴の骨にヒビ一つ入れることは出来なかった。脳天への一撃すらダメージを与えられないとは。
もうダメかもしれんな。
そう思いながら剣を振り抜いた時だった。
「グオオッ!! グオッ! グオッ! グオッ!!」
突然、奴が前足で顔を覆いながらのたうちまわり始めたのだ。一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。だが、俺の剣の切先を見遣ると、そこからぽたりぽたりと血が滴り落ちていた。
「そうか! 目か! 剣を振り抜いた時、切先が奴の目をかすめたのか!」
いける。
微かな光明が見えてきた。
だが、奴とて同じ手は食わないだろう。とすれば、奴を一撃で仕留めるにはあの方法しかないだろう。
失敗は許されない。
しかし、最早やるしかない。
「おい、ヘル! 俺が合図したらさっきの魔法をもう一度やれ!」
「わ、分かった。だが、知っての通り奴の剛腕では一瞬しか動きを止められんぞ!」
「ああ! その一瞬で充分だ!」
そう言って不敵な笑みを見せると、俺は奴とは真反対の方向へ走って行った。そして一本の木に手をかける。
すると、ジールが声を上げる。
「お、おい! 馬鹿野郎! 熊だって木ぐらい登るぞ!」
「大丈夫だ! 俺を信じろ!」
俺はするすると木に登ると手頃な枝の上へ立った。そして、剣で幹を叩きながらアイアンシルバーへ向かい叫び出す。
「おらぁッ! クマの化け物ッ! お前の目を潰した奴はここだ!」
白銀の毛が一筋の赤い血で濡れた魔獣。
その隻眼がじろりとこちらを睨み付ける。息は荒く、血走った唯一の眼は怒りに狂っていた。
「グオオオオオオオオッ!!」
爆発音のような雄叫びを上げた魔獣が一直線に俺の立つ木に向かい走り出す。
そうだ。
来い。
もっと来い。
お前の全力と俺の魂を賭けた一撃。
どちらが生き残るか勝負しようじゃあないか。
来やがれ。アイアンシルバー!
「グオオオオオッ!!」
魔獣が速度を落とすことなく木に飛び付こうとした、その瞬間。
「今だ! やれッ! ヘル!」
「……コープス・バインドッ!!」
ドス黒い霧がアイアンシルバーの足元を覆ったかと思うやいなや亡者の群れがびっしりと奴にしがみついていた。
大の字のまま俺を見上げて静止する魔獣。
「グオオッ! グオオッ!!」
「うぉぉぉッ!! 喰らえ!! 天空金串落としッ!!」
跳躍。
そして、大口を開けた奴の体内へ深々と剣を突き立てる。
一瞬の静寂。
直後、
「グボォッ……グボォ……」
血泡を噴き出した魔獣が轟音を立てて崩れ落ちた。
「……俺の勝ちだ」
「……や、やりやがった! 本当にやりやがった!! クイン! お前、本当にッ!!」
俺は軽く息を吐くと、はしゃぐジールたちの元へ歩き出す。
その時だった。
「あ、危ねぇ!! クイン!」
ジールの声でとっさに振り返ると、目の前にはなんとアイアンシルバーが両腕を振り上げた姿で屹立していた。
「なんだと!?」
完全に虚を突かれた。
油断した。
俺はいつの間にか死を覚悟していた。
だが、その刹那。
「……やれやれ、ようやく私の出番か」
黒い影が視界に飛び出す。
「ヘル!?」
「殺すなという忠告をやっと守れたようだな」
皮肉っぽく笑う彼女の右手が黒い光を纏い出す。
「……世界の理に従い我は執行す。灰は灰に、塵は塵に、魂は魂に! 輪環せよッ! ソウルリンカネーション!」
詠唱と共にヘルの右手には巨大な漆黒の鎌が現れた。そして、それをアイアンシルバーに向かい真っ直ぐ降り下ろした。その瞬間、辺り一面が目を覆う程の強い光に包まれる。何が起きたのか確かめようと辛うじて目を開けると、そこには背中を向けたヘルが黒いシルエットとなり中空に鎮座していた。両手を広げて光を浴びる彼女の姿は神々しく、どんな名画も色褪せる程だった。やがて光は薄れ、いつの間にか彼女の手にあった巨大な鎌も消え去っていた。代わりにその手には、抱える程大きなクリスタルのように澄んだ結晶があった。
「おい、それってまさか……」
「ソウルの結晶だ。お前が奴を瀕死にまで追い込んだことで、砕けることなくこうして刈り取ることが出来たのだ。ほれ、受け取れ」
「受け取れってこんなデカいのどうすりゃ……。うぉッ!」
おもむろに差し出した手に大きな結晶が置かれたと同時に、結晶はおびただしい光の粒となりいつかの時と同じ様に俺の体へと消えていった。
「うおおおぉぉッ!! 何だ! この溢れ出す力は!」
かつての俺には遠く及ばないが、それでも先程とは比べ物にならないくらいの力が込み上げてくる。
「さすが魔獣の魂だ。これほどまでに大きな結晶は中々……。うむ、もう聞いていないな」
「うおぉりゃああ! てぇぇえい! うらぁぁッ!!」
最前まで振るっていた剣が嘘のように軽く感じ、錆び付いた体は枷を外されたような開放感に満ち溢れていた。
「……ふぅ。それじゃあ、そろそろあいつを担いで町へ帰るか」
ひとしきり堪能した俺は剥製のように両腕を広げて立つアイアンシルバーを指差し、そう言った。
「……あ、ああ。……ところで、あんたら一体何者なんだ?」
きょとんとした顔を向けるジールに、さも当然といった風に応えるヘル。
「死神だ」
「そして、俺はその死神に憑かれた男だ」
「……おい、考えがあるって魔獣のことかよ!」
「こいつの褒賞金はちょっとした額だぜ。しばらくは遊んで暮らせるな!」
俺のすっとぼけた答えにジールが更に声を荒らげる。
「やかましい! 俺はてっきりスニフィン商会のとこに行くのかと思ってたのに。お前、死ぬ気か?」
「人間、死ぬ気でやれば大概のことは出来るもんさ。まぁ、俺は死ぬ気なんてこれっぽっちもないけどな」
「死ぬつもりはないって……。本気で思ってるのか? 相手は魔獣だぞ!?」
俺は肩をすくめると横目でジールを見遣って言う。
「魔獣なんて珍しくも何ともないだろう」
「……そう、この人は悪魔だろうが死神だろうが斬り捨てる男だから」
そう言ってヘルが悪戯っぽく笑う。
「あ、悪魔? 死神?」
「おお、まさに生き証人がいたな。それよりジール、不安なら町で待っててくれ。正直お前を守るつもりは毛頭ないが、殺されても寝覚めが悪い。ハッキリ言わせてもらえば、足手まといだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はどうしても親父やじいさんが打った剣がスニフィン商会を倒すところを見届けたいんだ! それが何よりの弔いなんだ! そう思うだろ?」
「ジール……」
するとヘルがぽつりと呟く。
「……ゼストのおじいさんはまだ生きているがな」
その冗談に俺は心の声で語りかける。
(おい、良いシーンをぶち壊すんじゃない)
(お望みなら連れて行ってやろうという老婆心だ)
(……今のお前にぴったりな言葉がある。余計なお世話だ)
(そうか。私の自慢のコレクションを磨いてもらおうと思ったのに残念だ)
今、ちょっと本当に残念そうな顔をしなかったかコイツ。
「まぁ、ジールの気持ちは分かった。そこまで言うなら勝手にすればいいさ。ただし、安全なところで見物してろよ。何かあったらゼストに合わせる顔がない」
「ああ、ありがとう。そうするよ。だけど、一つだけ気になるんだが、魔獣を倒してしまったら流通が再開して、またスニフィン商会が武器を造るだけなんじゃないか?」
「そうかもな」
「お、おいそれじゃあ何の意味も……」
俺はジールの言葉を遮るように後を続ける。
「だが、俺の考えじゃあそうはならないと踏んでる。まぁ、そうなったらその時考えれば良いじゃないか。いずれにせよ魔獣がいたんじゃ町も鉱山もジリ貧だろ? だから、今は熊退治だ」
「いや、だから魔獣は軍の征伐隊を待てば……。あ、待ってくれよクイン!」
そんなことを話している内、森は俺たちの眼前へと迫っていた。魔物の口のように暗くぽっかりと空いた森の入り口には木の枝がアーチを作り、獲物を誘うようにゆらゆらと怪しく揺り動いていた。俺たちはゆっくりとその怪物のような口の中へ一歩を踏み出した。
その瞬間、己の全身が総毛立つ。
「こ、これが魔獣の棲む森か」
ガチガチと歯を鳴らしながらジールが言った。
ヘルが眉をひそめた険しい顔付きでそっとささやく。
「……クイン、気付いたか? ……見られているな」
「ああ。なんて察知能力だ」
俺は唾液のようにべっとりとまとわり付く空気を振り払うように足を早めた。しかし、獲物を吟味するかのような嫌な気配がそれを追う。
森の中はやや幅広い道がくねるように続いていた。この道が交易路なのだろう。古い轍が何本か通っていた。しかし、新しいものは見当たらなかった。
「……なぁ、クイン。やけに静かじゃないか? 鳥の鳴き声すら聞こえねぇよ」
「そりゃこんな殺気ムンムンの奴とは森の仲間になりたくないだろ」
そうして何度目かの曲がり道を折れた時、俺たちの目にある物が飛び込んだ。
「ひでぇな」
それは小さな幌馬車の残骸だった。土気色の幌には飛び散った血が赤黒い染みを作っている。辺りには砕けた骨がいくつもあった。肉片が一つもないところを見ると相当昔のものだ。鉱石を運ぶ商人のものだろう。だが、荷は空っぽだった。恐らく盗賊共がかすめ取っていったに違いない。
「ここで襲撃されたと言うことは魔獣の住処もこの辺りだろう。そこから道を外れて森の奥に行ってみるか」
そう言って俺は茂みの中へと分け入った。その後を二人が続く。耳が痛い程の静けさの中を無言で歩き続けていく。あまねく降り注いでいたはずの日の光は木々に遮られ俺たちの下まで届くことはなかった。ぼんやりとした夜のような森をひた歩く。歩を進めるごとに奴の気配が肌を差すように強くなる。どうやら方角は間違っていないらしい。俺は次第に昂揚感を覚えていった。緊張、殺気、そして血の匂い。これこそが戦場であり俺の住まう場所だ。精神を研ぎ澄まし、相手を殺すことだけを考える。これ程までに誰かを強く想うことがあるだろうか。愛する者でさえそれには到底及ばず、頭の片隅にも残っていない。血の匂いが一段と強くなる。
「近いぞ」
俺が指差す先には、鮮血を滴らせた臓物があたり一面に散乱していた。この先が奴の縄張りなのだろう。今にも牙を向き飛び掛かってきそうな威圧感をひしひしと感じる。
「死んでも俺を恨むなよ」
「ああ。……覚悟は出来ている」
「上出来だ」
ついに俺たちは一線を越えた。
やがて、俺たちの目の前に山肌をあらわにした岩壁が現れた。そして、その一ヵ所、俺たちの真正面に巨大なほら穴があった。そこから鋭い爪を大地に突き立て、のそりと姿を現したのは紛れもない、魔獣アイアンシルバーだった。
「あ、あ、あれが……魔獣!?」
その体躯は大型の熊より一回り以上も大きく、世にも美しい白銀の毛に覆われていた。幾人もの戦士たちを噛み砕いたであろう巨大な牙は口蓋に収まりきらず、精練された剣のような爪は鋼にも似た光沢を映していた。そして、殺気のほとばしる眼光を向けていた魔獣はおもむろに後ろ足で立ち上がると、その大きな口をゆっくりと開けた。
「グオオオオオオオッッ!!」
地面が揺れるかと思う程の雄叫びが身体の芯まで響き渡る。
「……!!」
ジールが両耳を押さえてうずくまる。
だが、俺はその瞬間、魔獣に向かって走り出していた。
「うおおおぉぉッ!」
そして、下段に構えたマイスの剣を奴のがら空きになった胴へ払い抜いた。
激しい金属音が森に響く。
「なに!?」
肉を切り裂いた手応えがまるでなかった。
「阿呆!!」
直後、ヘルの怒声が飛んできた。
「良く見ろ! 奴の白銀の毛は自身のソウルによって鋼鉄のように硬くなっているのだ! 今のお前に斬れるはずないだろう!」
振り返ると、奴は何事もなかったようにゆっくりと前足を下ろすとこちらへ向き直った。
「何でだ!?」
以前だったらあんな奴、一刀両断に出来たはずだった。さすがに今の俺の力では真っ二つにまでは出来ないものの、腹を掻っ捌くくらいは出来ると思っていた。だが、傷一つ付けられないとは想定外だった。これは非常にまずい。剣を構え、正面から奴と対峙する。
「この阿呆! 貴様ッ! 己の力も理解していないのか! ソウルブレイカーの力を使うにはソウルが足りなすぎる!」
「ソウルブレイカー!? 確か、お前と戦った時にもそんなこと言ってたような気がしたが何のことだ?」
荒い鼻息を吐きながら奴がじりじりと距離を詰める。
「お、お前ッ……! 誰一人、私に傷を付けることが出来なかったというのに、私を消滅させかけたその力を自分で知らぬのか!?」
「ああ! 知るかよ! もったいぶってないでさっさと教えろ! 全員殺されるぞ!」
魔獣が嘲笑うかのように一歩一歩ゆっくりと近付く。
「さっきも言ったが今のお前のソウルでは力は使えん……。ソウルブレイカーは己の魂の力で相手の魂の力を破る禁忌の呪法……。なぜお前にそんな芸当が出来るのかは分からんが、アイアンシルバーとの圧倒的なソウル差の前では己の魂を破滅させるだけだ!」
「……ああ、そういうことか。今まで悪魔やら魔獣やらと戦えた自分の力が、ようやく少し理解出来たぜ」
「くッ! こんな阿呆な奴に私はやられてしまったのか……」
「そう言われてもなぁ。とにかく、今はその力が使えないならこいつをどうやって仕留めるかだ……」
眼前に迫ったアイアンシルバーが後ろ足へ力を込める。
「グオオオオオッ!」
直後、鋼鉄の爪を振りかざし、勢い良く飛び掛かる。
その刹那、俺は真横に飛び退きその一撃を紙一重で掻い潜った。
アイアンシルバーの空を切ったその爪は俺の後ろにあった若木をいとも簡単に切り裂き、薙ぎ倒した。あれが自分の姿だと想像すると恐ろしい。
俺が態勢を立て直す間もなく、横薙ぎのベアクローが俺を襲う。
「ぐふッ!」
何とか剣の腹で受け、直撃は避けたもののその非常な威力に俺の身体は吹っ飛ばされる。脇腹が軽く裂け、血が流れ出す。衝撃で全身ががくがくと震え言う事を聞かない。
「くそッ! なんて力だ……」
剣を杖にしてかろうじて立つ俺に、再びアイアンシルバーが飛び掛かろうとする。
だめだ。
身体が動かない。
切り裂かれた若木の鮮烈な印象が脳裏をよぎる。
動け。動け。動け!
アイアンシルバーが重心を後ろに取り、まさに飛び掛かろうとした、その瞬間だった。
「……彷徨える亡者共の魂よ。我が僕となりて命に従え……。コープス・バインド!」
ヘルの詠唱と共にアイアンシルバーの足元へ幾人もの亡者が土の中から這い出してきた。すると、辛うじて人の形を留めた土気色の亡者共が魔獣の身体にしがみ付いたのだ。寸前で動きを止められた魔獣。奴は飛び掛かることが出来ず、その場で一瞬の隙を見せた。このチャンスを逃すことは出来ない。
「うおおおおッ! 動けぇぇええ!!」
理屈ではなかった。全身の細胞という細胞が筋肉を突き動かし、血液が身体中を駆け巡る。そして、地を擦るように構えた剣を両手で握り、アイアンシルバーの顎目掛け全力でかち上げた。
轟音。
鉄塊を塔から落としたような轟音があたりにこだまする。
「クイン! ……や、やったのか!?」
「……いや、まだだ」
空を仰ぐアイアンシルバーの顔。そこから怒りを湛えた眼光だけがギロリと俺を睨み付ける。
「ガアアアアアァァッ!」
雄叫びと共にうち下ろされる巨大な一撃。
だが、俺はそれをするりとくぐり抜けると、横へ回り込み奴の肩のあたりへ剣を降り下ろす。分かってはいたが、金属音と共に剣は弾かれる。
「グオオ!」
それを払いのけるようにアイアンシルバーの裏拳が風を切って迫る。
瞬時に後方へ飛び退いた直後、大地を蹴り出し、正面から袈裟斬りに斬り払う。金属の擦れるような嫌な音だけが耳を刺す。
平然と立ちはだかるアイアンシルバーが再び俺の頭上から巨体と共に丸太のような両腕を降り下ろす。
その瞬間、俺は奴の胴を真一文字に払い抜くとそのまま奴の背後に位置取り、逆手に持ち変えた剣を両手で思いきり奴の背中へ突き立てた。
だが、甲高い音だけが虚しく響く。
「これでもダメか!」
刃はまるで身体に突き刺さることなく、切先が毛に隠れる程度のところでぴたりと止まっていた。
奴が振り返り様に鋼鉄の爪を薙ぎ払う。
俺はまたもや後方に飛び退き、爪が触れるか触れないかの寸前のところでそれをかわす。
「……だが、もうお前の動きは見切ったぜ」
しかし、どうする。
このままでは俺が先に力尽きるのは目に見えている。
斬撃もだめ。
突きもだめ。
胴も背もまるで歯が立たない。
すると、残すは頭だけか……。
「試してみるか」
俺は態勢を低くし、奴が近付くのを待った。その様子にアイアンシルバーも警戒をしているのか、先程までのようにすぐには飛び掛からず、円を描くように俺の周囲を歩き始めた。俺も奴を追うように向きを変えていく。何度目かの周回の時、奴は俺の目の端から姿を消した。直後、暗殺者の如く飛び掛かってきた。
「チッ!」
俺は前方に転がり飛び、間一髪で身をかわす。
そこへアイアンシルバーの猛攻が襲い来る。
「グオオオオオ!」
縦横無尽に振るわれる鋼鉄の爪。
俺はそれを剣でいなす。耐えろ。アレが来るまで耐えるんだ。
「うおおお!」
態勢を低く保ったまま、剣を上手く当て軌道を逸らす。致命傷はないものの長くは持ちそうにない。早くアレをしてくれ。
「うぐっ!」
奴の爪が頬をかすめ、俺が上体を反らす。
その時だった。
「グオオオオオッッ!!」
「来たッ!!」
アイアンシルバーが両腕を持ち上げ、俺を叩き潰す鉄鎚の如くそれを降り下ろした瞬間。
俺は態勢低くして力を込めていた両足を一気に爆発させ、頭上高く舞い上がった。
奴の両腕は空を切り、むなしく大地を叩く。
「砕けろオオオオォォォォッ!!」
俺は空中で剣を振りかぶり、奴の頭蓋目掛けて全力でそれをうち下ろした。
だが、鈍い金属音が無情にも響き渡る。
「嘘……だろ!?」
渾身の力を持ってしても奴の骨にヒビ一つ入れることは出来なかった。脳天への一撃すらダメージを与えられないとは。
もうダメかもしれんな。
そう思いながら剣を振り抜いた時だった。
「グオオッ!! グオッ! グオッ! グオッ!!」
突然、奴が前足で顔を覆いながらのたうちまわり始めたのだ。一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。だが、俺の剣の切先を見遣ると、そこからぽたりぽたりと血が滴り落ちていた。
「そうか! 目か! 剣を振り抜いた時、切先が奴の目をかすめたのか!」
いける。
微かな光明が見えてきた。
だが、奴とて同じ手は食わないだろう。とすれば、奴を一撃で仕留めるにはあの方法しかないだろう。
失敗は許されない。
しかし、最早やるしかない。
「おい、ヘル! 俺が合図したらさっきの魔法をもう一度やれ!」
「わ、分かった。だが、知っての通り奴の剛腕では一瞬しか動きを止められんぞ!」
「ああ! その一瞬で充分だ!」
そう言って不敵な笑みを見せると、俺は奴とは真反対の方向へ走って行った。そして一本の木に手をかける。
すると、ジールが声を上げる。
「お、おい! 馬鹿野郎! 熊だって木ぐらい登るぞ!」
「大丈夫だ! 俺を信じろ!」
俺はするすると木に登ると手頃な枝の上へ立った。そして、剣で幹を叩きながらアイアンシルバーへ向かい叫び出す。
「おらぁッ! クマの化け物ッ! お前の目を潰した奴はここだ!」
白銀の毛が一筋の赤い血で濡れた魔獣。
その隻眼がじろりとこちらを睨み付ける。息は荒く、血走った唯一の眼は怒りに狂っていた。
「グオオオオオオオオッ!!」
爆発音のような雄叫びを上げた魔獣が一直線に俺の立つ木に向かい走り出す。
そうだ。
来い。
もっと来い。
お前の全力と俺の魂を賭けた一撃。
どちらが生き残るか勝負しようじゃあないか。
来やがれ。アイアンシルバー!
「グオオオオオッ!!」
魔獣が速度を落とすことなく木に飛び付こうとした、その瞬間。
「今だ! やれッ! ヘル!」
「……コープス・バインドッ!!」
ドス黒い霧がアイアンシルバーの足元を覆ったかと思うやいなや亡者の群れがびっしりと奴にしがみついていた。
大の字のまま俺を見上げて静止する魔獣。
「グオオッ! グオオッ!!」
「うぉぉぉッ!! 喰らえ!! 天空金串落としッ!!」
跳躍。
そして、大口を開けた奴の体内へ深々と剣を突き立てる。
一瞬の静寂。
直後、
「グボォッ……グボォ……」
血泡を噴き出した魔獣が轟音を立てて崩れ落ちた。
「……俺の勝ちだ」
「……や、やりやがった! 本当にやりやがった!! クイン! お前、本当にッ!!」
俺は軽く息を吐くと、はしゃぐジールたちの元へ歩き出す。
その時だった。
「あ、危ねぇ!! クイン!」
ジールの声でとっさに振り返ると、目の前にはなんとアイアンシルバーが両腕を振り上げた姿で屹立していた。
「なんだと!?」
完全に虚を突かれた。
油断した。
俺はいつの間にか死を覚悟していた。
だが、その刹那。
「……やれやれ、ようやく私の出番か」
黒い影が視界に飛び出す。
「ヘル!?」
「殺すなという忠告をやっと守れたようだな」
皮肉っぽく笑う彼女の右手が黒い光を纏い出す。
「……世界の理に従い我は執行す。灰は灰に、塵は塵に、魂は魂に! 輪環せよッ! ソウルリンカネーション!」
詠唱と共にヘルの右手には巨大な漆黒の鎌が現れた。そして、それをアイアンシルバーに向かい真っ直ぐ降り下ろした。その瞬間、辺り一面が目を覆う程の強い光に包まれる。何が起きたのか確かめようと辛うじて目を開けると、そこには背中を向けたヘルが黒いシルエットとなり中空に鎮座していた。両手を広げて光を浴びる彼女の姿は神々しく、どんな名画も色褪せる程だった。やがて光は薄れ、いつの間にか彼女の手にあった巨大な鎌も消え去っていた。代わりにその手には、抱える程大きなクリスタルのように澄んだ結晶があった。
「おい、それってまさか……」
「ソウルの結晶だ。お前が奴を瀕死にまで追い込んだことで、砕けることなくこうして刈り取ることが出来たのだ。ほれ、受け取れ」
「受け取れってこんなデカいのどうすりゃ……。うぉッ!」
おもむろに差し出した手に大きな結晶が置かれたと同時に、結晶はおびただしい光の粒となりいつかの時と同じ様に俺の体へと消えていった。
「うおおおぉぉッ!! 何だ! この溢れ出す力は!」
かつての俺には遠く及ばないが、それでも先程とは比べ物にならないくらいの力が込み上げてくる。
「さすが魔獣の魂だ。これほどまでに大きな結晶は中々……。うむ、もう聞いていないな」
「うおぉりゃああ! てぇぇえい! うらぁぁッ!!」
最前まで振るっていた剣が嘘のように軽く感じ、錆び付いた体は枷を外されたような開放感に満ち溢れていた。
「……ふぅ。それじゃあ、そろそろあいつを担いで町へ帰るか」
ひとしきり堪能した俺は剥製のように両腕を広げて立つアイアンシルバーを指差し、そう言った。
「……あ、ああ。……ところで、あんたら一体何者なんだ?」
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「死神だ」
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