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第H章:何故倒された魔物はお金を落とすのか

毒と薬/1:ふぐ料理屋への道は人間の死体で舗装されている

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 焚き火を囲んで交代で睡眠を取る道中。朝の日差しで目を覚ますのは、二番目の火の番となったリクだった。起床と同時に彼は、嗅ぎなれた醤油の匂いを覚える。体を起こしてあたりを見れば、そこでは先に起きていたシズクとイルマが、焚き火を囲んで土器で何かを煮ている最中。ここでリクは首を傾げることになる。

「なんで料理みたいなことしてるんだ? お前のラーメンは完成品で出るじゃないか」
「あぁ、おはよう。ちょっとね」

 覗き込むと、おそらく醤油ラーメンのスープと思われるもので、見知らぬ植物が煮られていた。思えばこういう点でもシズクのチートは便利である。

 かつての日本、特定の土地に定住せず、それ故に戸籍を持たず、山間部で独自のコミュニティを築いていたとされる漂泊の民、サンカ。その文化実態は、後年の研究家もとい文芸作家による創作が強かったと今では判明しているが、その創作のヒントのひとつになったであろう北海道のアイヌ民族に味噌や醤油が存在しなかったことを考えれば、彼らが山で製作した木製の道具を街で味噌や醤油と交換していたとする記述にはある程度の信憑性が感じられる。このように、味噌や醤油などの調味料はクオリティ・オブ・ライフにおける食のレベルを跳ね上げるという点で非常に重要だ。追加でカレー粉があれば、蛇も蛙も美味しく食べられると著名なサバイバルの専門家も語る。

 これら調味料類の調達は基本的に難易度が高く、特にスパイス、コショウなどに至っては西洋人を海へと駆り立てた最大の動機であった。コショウが交換でガレオン船がもらえるほどの価値を持っているという話も納得がいく。

 シズクのチートは、そんな調味料類をまとめて調達できるのだ。実際は直接調味料が出せるわけではなく、醤油ではなく醤油スープ、味噌ではなく味噌スープといった形になるわけであるが、これはそれほど料理が得意ではない者にとってみれば逆にありがたい。一人暮らしを経験した若者の多くは、最高のオリジナルカレーを作るぞと意気込んで購入したナツメグやターメリックを引き出し内の肥やしにし、鍋を作るにあたって味の濃さに四苦八苦しながら醤油と水を交互に足し続ける。そしてすぐ、スーパーマーケットに並ぶカレールーや鍋用スープがいかに神がかった商品だったかに気付くのだ。

 さておき。だが、調味料を調達できるとはいえ、する必要があるかと言われれば無いのが現状だったはずだ。直接完成品のラーメン、それも、行列のできる東京中の名店の味を完全コピーできるシズクのチートを前にして、その完成品をわざわざ分解してまで自分で料理を作る必要がどこにあるのだろうか。少なくとも自分とシズクにはあろうはずがない。醤油、塩、味噌、とんこつにはじまり、あらゆる変わり種創作系までもを網羅するそのメニューに飽きを感じることはまずないし、そもそも自分たちは研究室にこもっていた頃は三食同じインスタント食品を食べる生活を平気な顔で半年以上続け、同期に引かれたような偏食家でもある。イルマに限ってはそうではないにしても、少なくとも彼女は人生初のとんこつラーメンにすっかりトリップしていた身だ。やはり、ラーメン以外の料理をわざわざ欲する理由が考えにくい。

 というか、問題はそこではない。この世界の生態系は自分たちの知るそれとは全く異なっており、自生の植物やきのこそれぞれに対して、どれだけ食用として優れているのか、そして、どれに致命的な毒があるのかの知識を持たなかったのだ。この世界で生まれ育ったイルマにはある程度の知識があったとしても、彼女は山に慣れているようには見えない。現代日本でも、半端な知識で山菜やきのこを採って食中毒を起こしたという事例は令和になってなお絶えることなく、むしろ玄人ほど自生のきのこに手をつけないとすら言われる時代。イルマの知識に頼っての採集は極めて危険である。

「よし。いただきます」
「おい待て!」

 枝を削って作られた箸は、リクの静止の言葉を無視してシズクの口にきのこを運んだ。今まで何度もシズクの奇行には驚かされてきたが、今回は度が過ぎている。物事の判断における最重要項目、身の危険を完全に度外視しているとしか思えない自殺行為だ。

「どうですか?」
「味はさておき……うーん……あ。これダメなしびれだ」

 手から力が抜け、シズクが箸と土器を落とす。まずい。筋弛緩作用がこんなにも早くに発現するものは猛毒と言って差し支えないレベルだ。

「もう無理ですか?」
「あと、30秒、様子見を、させて。どう、しても、ダメな時、は、合図を……」
「シズク! 何やってるんだ! 吐け! イルマは水もってこい水! 急げ!」

 慌てふためくリクにイルマが狼狽えつつ振り向くが、シズクの手がそれを制する。改めてシズクの絶望的な様子を、空虚な目で眺めるだけのイルマは、リクにとってはどこか見慣れた感覚ながらも強い恐怖を覚えさせた。少なくともその恐怖はリクの体を縛り、無我夢中の応急処置を制するだけの働きを見せている。やがてシズクは瞳孔が完全に見開き、明らかな手遅れと思われる状態で倒れた。

「では、やります」

 イルマがシズクに手をかざす。今更治療はもちろん、応急処置も間に合うはずがない。こいつは、シズクを見殺しにしたのだ。そんな怒りにリクが身を震わせてようとした時、イルマの手から放たれた光が、イルマの体を一瞬で炭化させた。

「うっ……」

 肉の焦げる匂い。趣味の悪いフィクション作品と、強火の歴史教育ノンフィクション作品で言葉として語られるその言葉が示していた本物の匂いは、それまでに感じたことのあるあらゆる不快感を超越していた。思わずの嘔吐。あまりの急展開で、涙が流れることも怒りに支配されることもなく、四つん這いのままリクの視界が白くぼやけていく。強すぎるストレスによる目の異常発作だった。少し遅れて状況を拒絶した脳が電気信号のシャットダウンを開始し、リクは気を失った。

「よし、今回はこのくらいにしよっか。ちょっと疲れた。精神的に」
「5回も死にましたからね。お疲れ様です」

 そんなリクが目を覚ました時、そこでは手元のパピルス用紙に筆を走らせるイルマと、炭化した皮膚の一部を日焼けの痕を剥がすようにめくっているシズクの姿があった。

「あ、あれ? シズク? お前、死んだはずじゃ……」
「残念だったね。トリックだよ」

 面白い冗談を言ってやったぞと言わんばかりの表情に、悲しみや喜びを無視して怒りが込み上げ、思わずこのクソ女の顔面を殴りつけようと振り上げた拳が、生物学的な女性を殴るべきではないというかろうじて残った倫理観によって抑えつけられた。

「お前なぁ!」
「せっかく死んでも蘇生できるんだから、こうやって空き時間にちまちまと毒性テストしていかないと。リク君の剣と違って、イルマの魔法は私を即死させられるから、感じる苦しみもそこまで大きくはない」
「河豚は食いたし命は惜ししじゃねぇんだよ下関人! お前は死なないかもしれないが、こっちはショック死もするわ!」
「医学的に、ショック死と呼ばれる現象は存在しないよ。カノッサの屈辱は歴史的誇張」
「過度のストレスと緑内障発作には有意な相関が認められている!」
「まぁ、リク君の目が見えなくなったら、流石にその時は責任持ってお世話するから」
「ヤンデレみたいなこと言うんじゃない! 俺にそっちの趣味はない!」

 そんな言い争いに最初はおろおろしていたイルマが割って入る。

「ごめんなさいリクさん! 私が言い出したことなんです!」
「イルマ?」
「実はね……」

 こうして、シズクは太陽が顔を出す前、リクが起きる数時間前の出来事を話し始めた。

「…………」
「シズクさん?」
「あれ? イルマ、眠れないの?」

 最後の火の番をしていたシズクに、イルマが声をかけたのがはじまりだった。

「いえ、私、元々早起きだったので。もうすぐ日の出です」
「そうなんだ。時計がなくとも体内時計はバカにできないね」

 早朝の寒さはまだ厳しく、体を震わせたイルマの様子にシズクが手招きをした。

「冷たくありませんか?」
「大丈夫だよ」

 体を寄せ合いつつ、焚き火に追加の薪をくべる。

「そうは言っても日の出はまだだし、リク君はもう少し寝かせておいてあげようか。それまで少しお話でもしよ。なにか授業をしてあげようか?」
「そうですね……なら、薬草について教えてもらえますか?」
「薬学かぁ……」

 シズクは困った表情を返す。もちろん彼女は、西洋医学が瀉血とお別れしてからの200年で急速に進歩発展させてきた歴史を人並み以上に知ってはいるが、これで役立つ情報、特に、薬草に関する話はほとんどできない。この世界の動植物の生態系が、完全に未知のものだからだ。

 もちろん、シズクの知識にある植物群と比較しての推論は可能であるが、その精度は限りなく低くなるだろうと言わざるを得ない。結局のところ、薬学の発展とは、多くの人間と実験動物の死の上に成り立っているのだ。

「私の世界での薬草類が、どういった使い方をしてきたかの話はできるんだけどね。この世界の薬草類の効能を知りたいなら、結局のとこ、誰かが犠牲にならないと無理かな。とりあえず、ラットを見つけて繁殖させてみるところからかなぁ。古くは人体実験をしていた歴史があるんだけど、それは科学倫理以前に私の感情が……あ」
「どうしました?」

 突然言葉が止まったシズクにイルマが首をかしげたが、直後、シズクはイルマの肩を掴んで、その狂気的な瞳でイルマの眼球を覗き込んだ。

「ねぇ、イルマの魔法って、人に向けて使うと痛みを覚えることもなく即死する?」

 そこから先は想像の通りであった。

「なるほどな……うまいものを探したわけではなく、薬を探していたと……」
「私、常々さ、重力を発見したニュートンよりも、こんにゃくの作り方を発見した名もなき日本人の方が難易度高いことしてると思うんだよね。月が落ちるはずなのに落ちないことからの重力定数発見は納得できるんだけど、食べ物に石灰を入れて混ぜてから煮るって発想は狂気の沙汰だよ。それを納豆やペニシリンと違って意図的にやったのだからもう信じられない」
「それは俺もそう思うが、納豆とペニシリンを並べて語るやつは初めて見た」
「あと、今朝の数時間で既に傷に効く薬草を1つ見つけたんだよ。ほらこれ、すごいよ。葉っぱを湿布みたいに使うと赤血球がすぐに凝固するの」
「あ! お前それ、俺の剣! 血をついた剣の手入れって面倒なんだぞ!」
「ごめん。かなりリストカットに使っちゃった」
「だからやってること完全にメンヘラなんだよ!」
「ちなみに、体から腕を切断した場合、蘇生する時に新しく生えてきて古い腕は残るってのも新発見。これ牛痘みたいに使えないかな」
「その腕を俺に近づけるな! 今度からお前のことトカゲ野郎って呼ぶぞ!」
「同じ尻尾を自切する生き物ならかわいいリスがいい」
「リスは尻尾切ったら一生そのまんまなんだよ!」
「ちなみに服も元に戻るの、なんか雑なご都合主義感あって嫌」
「俺は今ほど神に感謝したことはない!」

 律儀にツッコミを入れつつ、シズクの死後硬直を起こしてない方の腕から自分の剣をひったくる、が。

「痛っ……」

 その際、シズクの条件反射が予測できなかった結果、剣を落とし、リクは足に小さな切り傷を負う。

「ほら早速。これ使うよ」

 そう言ってシズクが足元の草に手を伸ばそうとした時。

「ダメです!」

 イルマの大声がそれを制する。思わずびくりと震えた後に腕が止まり、一度イルマに振り返ってから改めて生えていた草を見たところで、シズクは怯えを感じさせる驚きでひゅんと手を引っ込めた。

「なんだそれ。もしかして植物系の魔物なのか?」
「うーん、ある意味それより厄介かも。軍事利用の可能性が考えられるくらいで」
「まさか……」
「うん。私達の世界にも自生するあれに似てる。遠目だとさっきの薬草とよく似た葉の形なんだけど、近くで見ると全体を覆う刺毛がわかるよ。もちろん神経毒持ち。私、ある程度の効果確認のため、イルマには少なくともすぐに殺さないように指示してたんだけど、これ触った時は30秒持たずにギブアップして殺してもらった。確かにトイレットペーパーに使ったら自殺するしかなくなると思うんだけど、そもそも触った時点でこれなら、お尻まで持っていくのは流石にほら話の類じゃないかなぁ」
「ギンピ・ギンピかよ! ていうかさっきの薬草、どれだけ効果があっても見た目がギンピ・ギンピに似てるって時点で傷口に塩を塗るじゃ済まないぞ! 最悪のデッド・オア・アライブだよ!」
「擬態だよね。生命の神秘」
「お前の異世界生活、本当に楽しそうでなによりだよ!」

 そんな様子を、くすくすと傍から楽しそうに笑われてしまったとあっては、リクも怒りの溜飲を下げざるを得ない。もとい、今回は少々行き過ぎではあったかもしれないが、基本的に綾崎シズクという人間の日常は子供のころから何も変わっておらず、幼馴染として彼女の無茶と大人からの説教に付き合ってきたリクには、ある程度の耐性があった。

「そうだね。確かに異世界生活は楽しい。でも……そうだな……」
「どうした?」
「せっかくだし、私も魔法を覚えたいな」

 くるりと振り返ってシズクがイルマを物欲しそうに見つめる。イルマは困りつつも、少し考えてから答える。

「そうですね……だいぶ感覚的になってしまうかもしれませんが、教えられる、かもしれません」
「本当?」
「できるかどうかはシズクさん次第ですけど。それで、覚えるにしてどんな魔法を覚えたいんですか?」
「そうだな……」

 イルマ曰く、覚えられる魔法の系統は1つだけ。系統の拡張は、それらがすべて同一の現象ではないといけない。姉が至ったこの世界のすべての物理法則の統一理論をまるで理解できなかった自分は、しっかりと考えて見定める必要が生じている。よりその現象を理解しており、同時に、その現象の本質への神聖視を残しているもの。それは、何なのだろうか?

「なにか思いつきますか?」
「すぐには思いつかないな。でも、できることなら……戦うため、壊すためじゃなくて、人を癒やすことができるような、そんな力がいいかな」

 この言葉にリクは一瞬瞳孔を開いた後に、軽く目を伏せた。自分なら絶対に戦うため、壊すための、より強力な魔法を求めるだろうに。こういうところで、自分は絶対に人間的にこの幼馴染に勝てないと実感させられるのだ。なにせ彼は、過去に幼馴染を見限った経験があった。その理由は、幼馴染を見限って結婚する金持ちのお嬢様の方が、強い魔法が覚えられたためである。なお、ゲームの話である。
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