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第H章:何故倒された魔物はお金を落とすのか

合理と非合理/1:仏様も軌道エレベーター開発に向けてカーボンナノチューブの実用化くらいしてくれとカンダタは愚痴る

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 自分たちにできることはなにもない。そう結論付けたことで、一同がこの街に残る理由はなくなった。夕日もすっかり沈み、あたりは宵闇に包まれている。古くから人がずっと恐れていた夜の闇も、もっと恐れるべき雨という天候と比べてしまえば落ち着いて寝ることのできるやすらぎだった。荷物をまとめ、翌朝に出ることを伝えるべく宿主の元を訪れると、彼は雨に打たれていたシズクが回復したことにほっと安堵したような表情を見せた後で、話を先に切り出した。

「お連れ様が回復されたようで安心しました。しかし、申し訳ありません。明日からお客様達を泊めることはできなくなりました。先に預かっていた1ヶ月分の宿代は返却致しますので、ご容赦いただけますでしょうか?」

 元々、翌朝に旅立つ、払っていた宿代はキャンセル料としてそのまま受け取ってくれというつもりだった一同にとっては渡りに船であり、断る理由もないのだが、しかし。

「あの、何か俺たち、問題を起こしてしまいましたか?」

 特にこいつが、と、小声で付け加えてシズクをにらみつけるが、当の本人は涼しい顔である。ずぶとい。

「いえ、そんなことはありません。実は、商業ギルドがパルマの全市民に対して無利子・返済期限無制限で移住支援金の配布を交付し、同時に、全市民に対する事実上の強制移住を指示しました。翌朝、護衛の騎士団と共に、この街の全市民が東の地へと移住をはじめることになったのです」
「それはまた、急な話ですけど……仕方ないですね」

 元々、雨対策のアーケードを設備する計画をしていたような商業ギルドであるし、そもそも買い手なくして売り手は成り立たないのが商人である。金にがめついからこそ、金の使い所も理解しているのだろう。むしろ、権力者が軍を動員し武力で脅す形となる強制移住や、宗教指導者についての逃避行でないだけ、状況は極めてマシであると言える。

「涙の道ができることも、砂漠を渡って海を開くことも、バイカル湖の氷上を歩くこともなさそうだし、むしろ地獄に仏って感じかな。天から垂れた糸は糸でもきっとカーボンナノチューブ。世が世なら安心して軌道上まで登れるよ。というか、私達もいっしょに移動できるし、安心だね」
「いやでも、この土地と建物への保証は当然ないんですよね……ならせめて、残りの宿代はそのまま受け取ってもらえませんか?」
「えっ!? いや、それはありがたい話ですが……その……」
「いいんですよ! 俺たち、金に困ってませんし、ほら、商人は助け合いみたいなこと言うじゃないですか!」

 シズクは気付いている。この街に来てから購入した大きめの皮財布が、最高価値の貨幣でもう満杯になっていたことを。リクが魔物狩りに行っていたのは、本人曰く戦闘経験を積み、自分たちと安心して旅をするためだと言っていたが、おそらく2日目あたりから彼は魔物狩りそのものが目的となっている。よくいるのだ、このように、途中で手段が目的となる人間は。なお、リクに言わせれば、ストーリーを進めるよりもレベル上げが楽しくなるのはRPGあるあるらしい。

「……ありがとうございます。ですが、お気持ちだけいただきます」
「いやいや、遠慮なんかしないでください! 受け取るのが難しいなら、いつか返すという形でも俺たちはかまいませんから!」
「私どもは商人です。商人の目的は金を稼ぐこと。商人にとって、自分たちで稼いだ金以外の金は不浄の物にして堕落の種。商人だからこそ、そのお金を受け取るわけにはいきません。大丈夫ですよ、確かに建物と土地代の保証はありませんでしたが、新しい街でまた宿屋を開くのに十分な額の融資はギルドに約束されています。いただくことは元より、貸していただくことも不要なのです」

 シズクの瞳孔が軽く開く。彼女は生まれてこの方根っからの勉学と研究漬けであり、アルバイトでスマイルを売ったことはなく、もちろん社会経験もない。彼女のような学徒にとって、商人とは未知の文化。先入観として、労働者を搾取し自分は灯りの確保のためにお金を燃やす資本家と、実現が不可能であるという一点を除けば完璧な計画である共産化を崇拝する労働組合員の印象が強く、そこには宗教従事者へ向けるよりも強い排他と蔑みの感情があったことは恥ずかしながら事実だ。これは、その先入観が粉砕された瞬間だった。彼らには彼らなりの、信念があるのだ。

「そうですか……わかりました」

 少し残念そうに返金を受け取るリクを押しのけ、シズクが前に出る。

「ねぇ、それならさ、より儲かる新しい商売をするための知識だったら、受け取ってくれるよね?」
「え?」
「私達は科学者。あなたはその言葉の意味をまだ知らないかもしれないけど、これは、まだ誰も知らない知識を獲得し、そこから連なる新技術であなた達商人を豊かにする仕事なの。私には、よりお金を稼ぐための商品開発案と、それを効率的に売るための商業戦略案がある。新しい街で新しい商売をはじめる時、私の話を聞いてくれない?」

 狐につままれたような表情の店主。実際、彼が商人であるなら、このような甘い言葉を受けた経験というのは何度もあるはずで、詐欺を不信がる自己防衛心は当然強く持っているはずだ。だが、そんな店主にとって、この少女はどうにも詐欺師には見えず、ただ、真摯な優しさと、それ以上の数字を重視するリアリティが感じられたのだった。

「ありがとうございます。それでしたら、是非」

 なお、数十年後。この店主は新商品である「らあめん」を主力商品に、この世界初のフランチャイズ経営で回るらあめん専門店、陽高屋のオーナーとなり、巨額の富を手にするのだが、それは別の話である。

 さて。立つ鳥跡を濁さずという言葉もあり、いくら明日にはこの宿屋が放棄され蛻の殻になるとは言え、カビの培養実験が行われた何本もの人間の腕という冒涜的極まりないものを残していくわけにはいかない。1本1本しっかりと証拠隠滅、もとい、焼却処分を行う中で、シズクが1本の腕を手に固まっていた。

「なにやってんだ? 傍目から見るとグロシーンでしかないが」
「うん、ちょっと魔法の練習」
「魔法だって!?」
「大声ださないでよ。まだ集中しないとうまく使えないんだから」

 そういって腕と向き合うが、リクからは何の変化も確認できない。

「それ、うまくいってるのか?」
「どうだろう。イメージはうまくできてると思うんだけど」
「ていうか、何の魔法が使えるんだ? お前は」
「そうだね。回復魔法かな。怪我や病気を治せるの」

 その言葉にリクは首を傾げる。

「いや、確か、イルマの話じゃ、回復魔法ってのは僧侶が祈りで神の力を借りて起こす奇跡の類で、魔法じゃないんだよな? イルマは使えないって言ってたのに、それを教わったのか?」
「うん。イルマの教え方、すごくわかりやすいよ。リク君も時間作って教わりなよ」
「そうだな。お前ができるなら、俺もなんか覚えたいなぁ。こう、剣に稲妻をまとわせて一閃とか、すげぇ憧れるんだよなぁ! やっぱ覚えるなら電撃の魔法かなぁ!」
「液体金属で剣を強化再生成とかもおもしろそうじゃない?」
「あぁ! いいなぁ! それで、大きく分厚く大雑把な鉄塊みたいなの作って、峰の部分にロケット噴射スラスターとかつけて、疾風怒濤の雷光斬りとかやるんだ!」
「おとこのこってほんとそういうの好き。できるといいね」

 そうしてシズクはこの日、リクが寝るまでずっと集中して腕を握りしめ、魔法の鍛錬を行っていた。思えばこの時既に、シズクの思いは決まっていたのだろうと、リクは後になって振り返る。

 そして翌日。まだ街に残っており、歩くことができる人間達600名あまりは、ギルドに雇用された騎士団の先導の元、東への移住の行進を開始する。設立以来100年あまりの歴史を築いた商業都市パルマは、この日をもって潰えることになった。その行進の中には、自分の無力さから来る悔しさに強く歯を噛み合わせていたリクとイルマの姿もある。一方のシズクは、何か物思いにふけっていたが、突然列から飛び出して走り始めた。

「おい君!」

 シズクに護衛の騎士が突き飛ばされるが、リクもすぐに手を伸ばす。

「シズク! どうしたんだ!?」
「忘れ物! 必ず追いつくから、先に行ってて!」
「いや、それなら俺も戻るから!」
「大丈夫! 『約束』するから!」

 その言葉に、リクの体がぴくりと止まる。

「リクさん、いいんですか?」
「…………」

 街へと戻るシズクの背中を、リクは無言で見送る。

「リクさん」
「大丈夫だ。あいつは、約束って言った。あれは昔から、あいつの切り札なんだ」
「切り札とは?」
「イルマもさ、もうあいつが、とんでもなく破天荒で、常識はずれで、わけわかんないことするやつだってのはわかってるだろ」
「そうですね。とても親近感を覚える人です」
「そこはむしろ乖離してほしいんだが、いい。それでもな、あいつは生まれてこの方、一度も嘘をついたことがなくて、一度も約束を破ったことがない。時には不可能だと思うようなことも、あいつは約束をしたら絶対にやってのけてきた。あいつの約束というのは、先延ばしやその場しのぎじゃない。未来に向けての宣言なんだ。そして、それだけ強い意志で持って発せられる言葉、まさに切り札なんだよ」

 その言葉は、とても強い意志を持っているように聞こえた。イルマはリクの横顔から、60%の信頼と、30%の憧れと、残り10%の理解できない思いを見る。

「なら、私達はその約束の手伝いをすべきではないでしょうか。今ならまだ間に合います。シズクさんが何を決心したのかわかりませんが、私達も戻りましょう」
「いや、その必要はない。というか、戻れない。あいつとは、いっしょに行けないんだ」

 その言葉の末尾にあったかすかな震えに、イルマは理解する。理解できなかった最後の10%の思い、それは。

「あいつは、天才だ。人間じゃないんだよ」

 絶対に勝てない。それどころか、競い合うことも、隣で支えることすらできない。そうすっかりわからされている、どうしようもない、絶望的な無力感だった。
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