理系転生 ~人類を根絶する目的で世界平和を目指す魔王と自身の好奇心を満たす目的で世界を破滅させる勇者の物語~

卜部猫好

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第He章:人類根絶に最適な魔物とは何か

メシマズとメシウマ:戦いに呼ばれても彼女は居留守するだろう

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 自称蝿の女王にして放射能のサキュバス、うじ虫職人綾崎シズクの朝は早い。彼女の朝は、孵化した幼体の仕分けから始まる。ヨーゼフ・メンゲレらの怨霊渦巻く人体実験室と化していた宿屋の一室は、今や蛆の巣窟である。目標である不妊虫の生成数、1日50万匹に届かせるためにはこの1室のみではとても足りず、現在この宿屋は蛆とボウフラの団体客により満室となっていた。

 朝日が登る直前。一斉に孵化した幼体の内、1/4を取り出し、残りはビオトープに戻される。この量は、ビオトープ内のフライモスキートの個体数を変化させないための量として試行錯誤した結果となる。こうして取り出された個体を、1日かけて丁寧に放射線放射を行い、生殖機能を奪っていく。そして、夕方には1日かけて完成した不妊虫を広範囲に散布し、作業を終えればすっかり夜。そのまま蛆とボウフラと共に就寝し、新たな蛆とボウフラの孵化と共に起きるというのが、綾崎シズクとその助手イルマの1日サイクルである。

「いやもうそれ、年頃の女子の体面捨ててるっていうか、人間やめてるだろ。原子爆弾の爆心地に居たやつは今更として、イルマ……は、イルマでホワイトチャペルマーダー見習いだし、やっぱりとっくに人間やめてたのか」
「あ、無能の人」
「誰が無能だ! その呼び方懐かしいなおい!」

 早朝の仕分け作業を終え、所用で一度ギルド本部に顔を出した二人は、寝袋と折りたたまれた蚊帳を抱えたリクと数日ぶりに対面した。

「ていうかお前ら、よくあそこで寝られるよな。俺には無理だよ」
「手塩にかけて育てるとなると、うじ虫も意外とかわいく思えてくるものだよ」
「わからん。まるでわからんが、そうじゃない。お前たち、正直ストレートに言ってしまっていいものか悩むんだが……臭うぞ。かなり」

 季節はすっかり夏。ニューパルマ付近の平均気温は、30℃前後を推移している。そして当然ながらこの世界にはクーラーはおろか扇風機すらない。なお、風鈴ならある。さておき、そんな気温の中、密閉された環境でうじ虫を育てればどうなるのだろうか。考えるまでもない。二人のうじ虫工場は絶望的な腐臭を振りまく迷惑施設となっており、1日のほとんどをそこで過ごす二人は、とても年頃の女子が放ってはいけない悪臭を纏っているのだ。

「ちょっと、女の子に失礼じゃない? そういうこと言うのって」
「デリカシーがありません。リクさんは最低です」
「あなた、最低です」
「せめてその言葉を担保する説得力を持てるくらいの女子力までは回復してほしいなぁ!」

 そう言われた二人はお互いを見合わせ、致し方ないと理解したのか、そのままの足で公衆浴場へと向かった。

 かくしてニューパルマ公衆浴場、テルマエ前。

「いらっしゃ……う゛。ジズグザン……」
「二人分ね。風呂上がりのフルーツ牛乳代も払っとく」
「ゴユ゛ッグリ゛」

 鼻をつまんで全力で不快感をあらわにする番台の無礼を気にすることもなく脱衣室へ向かい、小学生男子かと言わんばかりの速度で全裸へ。平日午前中ながらそこそこの賑わいを見せていたテルマエであったが、二人が浴室内に入った瞬間に奇跡が起きる。海が割れたのである。誰もが全力で鼻をつまみながら距離を取る中、特に気にすることもなくお互いにお湯をかけあい、背中を流しあった後に、二人は主観で1ヶ月振りとなる命の洗濯を満喫した。

「ぷはぁっ! くぅ~、この一杯のために生きてるって感じがするねぇ」

 腰に手を当て、地下水で冷却されたフルーツ牛乳を一気に喉へと流し込む。この頃には二人と街の人々との間にあったヤマアラシのジレンマも多少距離を戻していたのであるが、それでも誰も彼女らに声をかける者はいなかった。紛いなりにも、この街の救世主であるにも関わらずである。なお、元の服は物凄い表情で嫌がる番台に処分を頼み、新品に着替えていた。そのまま、二人でニューパルマを練り歩き、自分たちのうじ虫工場の前へ戻ってきたところで、ようやくシズクも気付いた。

「臭い」

 確かにこれは迷惑施設である。あまりにも臭すぎる。流石にこんな悪臭には我慢しきれないと気付いたシズクは、現状改善のために走り出した。うじ虫工場に背を向け、その向かいに出来た行列に向かって。

「ちょっと、どういうことですか。この悪臭は」

 カウンターに並んでいた全員と頭にねじりはちまきをつけた店主が、同時にシズクへ振り向いた。

「入ります」

 水場で手を洗い、アルコールで消毒を行った後、許可の言葉も待たずにずけずけと厨房へと乱入。煮えたぎる大釜の前まで近寄り、指でスープを少しだけ舐めてから、店主を睨みつけた。

「破門です」
「そんなぁ!」

 泣き崩れる初代雫家店主。自身の魂の師匠からの一方的な破門宣告に、目の前が真っ暗になりながら店の外へと投げ捨てられた。

 さて。そんな店主が目を覚ました時。雫家の前には、いつもの数十倍の行列ができていた。

「こ、これは一体……なにが……」

 がらがらと店のガラス戸が開き、中からエプロンをつけたイルマが伝票片手に小走りで現れる。

「ご注文は?」
「ハカタ風とんこつラーメン!」
「俺はそれにチャーシュー2枚! あ、俺もこいつも煮玉子無料券な!」
「麺の硬さは?」
「「ハリガネで!」」

 一体何が起きているのか。目の前の光景が信じられない店主がよろよろと立ち上がり、自身の店ののれんをくぐる。そこは確かに自身の店だったはずなのだが、それまでと決定的に違う点が1つだけあった。悪臭がしないのだ。

「これは……一体……」

 厨房の中では、ねじりはちまきをつけたシズクが大釜をかき回し、そして、丁寧にアクをすくっていた。彼女は振り返りもせず作業に集中したまま、店主に声をかけた。

「とんこつラーメンは臭い。それでも美味いから仕方ない。世に溢れた多くのラーメン屋はそう考えていた。しかしこれは、致命的な勘違いであると同時に、自らの怠慢への言い訳。物理的な意味で風上におけないラーメン屋になっているんだよ。ほら見て」

 ゆっくりと大釜を除けば、そこには透き通ったスープが満たされていた。

「適当な下ごしらえとアク取りの不足。それこそが、あのとんこつスープの悪臭の根源。紅生姜でそれを隠そうとしたって無駄。そんな適当なもの作っていたら、絶対に客足は遠のいてしまう。ほら、食べてみて。これが本物の、博多風とんこつラーメンだよ」

 差し出されたそれは、素ラーメンであった。紅生姜も、チャーシューも、煮玉子も、きくらげも、ネギも、ゴマもかかっていない、まさにスープに麺を入れただけのもの。ごまかしの効かないそれは、その一杯に絶対の自信を持つ者にしか提供できない至高であり究極でもあるメニューだ。

「……!」

 震える箸がその麺を口に届けた日。店主ははるか彼方に鳩の姿を見た。一面の大海原には海の水面以外なにも見えない。それまでは当然にあったはずの紅生姜も、チャーシューも、煮玉子も、きくらげも、ネギも、ゴマもない無の世界。そんな世界の中を、オリーブの枝を口に咥えた鳩が空より舞い降りたのだ。神は我を許された。海が大地のすべてを飲み込んだ世界が、再生しようとしている。無言のまま目を見開いた店主は涙していた。その涙の一滴は虹となり、神との新たな契約となる。そして店主の魂は、オーラの道を抜けて海と大地の狭間の世界へと飛んでいった。

「確かにあなたの店は繁盛した。でも、あなたはその儲けで何を手に入れたの?」
「力と……狡猾さでした……! それで勝てると……!」

 ふっ、とシズクは笑って。

「私は人を殺しません」

 それまでアク取りに使用していたおたまを両手で掴んで構える。

「その怨念を殺します」

 店主の目から、これまで以上の涙が吹き出す。かくして、悪臭を放っていたラーメン屋は浄化されたのである。

「それにしてもシズクちゃん、まーたわけのわからんことしてるよなぁ。すげぇ匂いだぜ、あの元宿屋」
「そうそう! あんな場所、二度と宿屋には戻れねぇって!」
「けっ、いいってことよ! 生まれ変わった俺はもうこれから麺の道一本で生きてやる! また俺が道を外した時には喝を入れてくだせぇ! 師匠!」

 わいわいと賑わうラーメン屋の中央で、シズクは満足げにスープを撫でていた。

「シズクちゃん、正直俺には、あんたの考えがさっぱりわからねぇ。あの魔物を殺すどころか、懇切丁寧に育てて野に撒いてるんだからな。街じゃシズクちゃんのことを、実は魔王の使いなんじゃないかって言うやつも出てきてる」
「ちなみにそれ言い出したの俺な。だってそうだろう? こいつらは根絶やしにするべきなのに、あんたがやってることはまるで真逆なんだからだよ。でもさ、それでも俺はあんたを止めないぜ」
「そうだよ。あんたは、こんなにうまい飯が作れる。透き通ったスープが出せる。そんなやつが、悪人であるもんか!」
「もちろん街の人は全員、シズクちゃんが文字通り命を貼ってマラリアの薬を作ってくれた恩を忘れちゃいない。そして、絶望の中でパルマを捨てた俺たちに、砂漠でラーメンを振る舞ってくれたこともだ!」
「人間、いろんなやつがいる。儲けに取り憑かれるやつ、権力に取り憑かれるやつ。それで魔物がいるってのに、人間同士の戦争をおっぱじめるバカ野郎だっている。でもさ、うまい飯を食えれば、どんな街の人間でも心を1つにして、同じ思いを共有できるんだ」

 その場に集まった全員がお互いの顔を見合わせ、頷いた後。せーの、の掛け声で、1つのフレーズを叫んだ。

「あぁ、飯がうめぇ、ってな!」

 その日一日、不妊虫放飼は停滞し、シズクはフライモスキートとの戦いで一歩後退した。だが改めて、シズクは戦うための心の芯を強固にした。果たして不妊虫放飼法は成功するのか。元の時代では、成功例はあれどもそれ以上の失敗例があり、また、近年では自然環境に対する人為的遺伝子汚染と、1つの生物種が消えることによるバタフライ効果としての自然環境への予測できない悪影響が不安視されて激しい批難を浴びるその手法。それでも、シズクは走り出した。そして決めたのだ。もう、止まらないと。たとえそれが開いてはいけないパンドラの箱であっても、私はその箱に油性マジックで名前とクラスと出席番号をでかでかと書いて自慢するのだと。お姉ちゃん、この箱、私が開けたんだよ、と。

「お姉ちゃんって、誰」

 嘘はつかないが秘密はある。熱にうなされるシズクが何度も呟いていたその言葉。自分にとっての憧れの人物が、今なお追いかける姉の姿。自身の胸の内に渦巻くもやもやした思い。イルマはその感情の名前を知っていた。人類を縛る7つの大罪がうちの1つ、エンヴィー、嫉妬である。

 じゃぽん、と音をたてて鼻下までを湯船に沈める。言い表せない、言い表すべきではない感情がのぼせる中、改めて思い出したのはシズクのラーメンの味だった。手から無尽蔵にラーメンが出せるにも関わらず、自分の手でラーメンを作る努力も怠らなかったシズクによる、世界にただ1つのオリジナルレシピ。それは、彼女が手から出すどのラーメンよりもまずかったかもしれないが、イルマにとっては最高の一杯だった。

 だから、何も言わずについていこう。何重にも積み重なった死がシズクの精神を犯しつくし、ぐちゃぐちゃに脳をかき回された結果味覚を失ったあの人が、そのレシピを私に押し付けるその日までは。

「バカばっか」

 水色のタイルが並んだテルマエで、誰に向けてでもなく、そう呟いた。
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