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第He章:人類根絶に最適な魔物とは何か

吐き気を催す悪辣外道と目を合わせられない聖人君子/1:ぼろぼろの物理学者は懇願する。どうかそれを石原莞爾閣下の元に届けて欲しいと

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 不妊虫放飼は順調に効果を示しつつあった。マーキング法によるカウントを行うまでもなく、ニューパルマの付近では目に見えてフライモスキートの数が減少していたのだ。当初は半信半疑だったギルド上層部も、今となってはシズクの行動は概ね正しいと認めていた。その波は街全体へと波及しており、住民たちはフライモスキートを殺すのではなく生きたまま捕獲し、シズクの元に届けた。これによりビオトープの規模は拡大し、当初の目的だった1日50万匹の不妊虫製造を突破。夕方の放飼も住民とギルドが協力で請け負う形となり、シズクは1日中うじ虫工場に籠もって放射線放射を行い続けることができるようになった。

 しかし、フライモスキートの数はまだ減少に転じていない。減っているのはあくまでニューパルマ周辺。北の広大な荘園では、既に推定120億を越えたフライモスキートが今なお作物を暴食し、農奴の生き血を吸っているのだ。

「やはり、荘園地帯でも不妊虫放飼を行わない限り、フライモスキートの根絶は不可能」
「わかってた話だな。そして、あの領主様がそれを認めないこともな」
「当然と言えば当然です」

 シズクはギルドを通して何度も領主に懇願を届けている。しかし、領主の返答は常に拒否だった。イルマの言うように、ある意味で当然の反応ではあるのだが、もはやここまで来てはニューパルマ近郊の安定を理由にプロジェクトの完結を宣言することはできない。それはもう、科学者の意地の問題だった。

「もちろん、もういいなんて言わないよね、イルマ」
「当然です。悪の限りの蝿蚊の一族は全滅です」

 力強い宣言にあわせ、サバ折りかと言わんばかりの力強さでシズクがイルマを抱きしめる。世が世なら微笑ましい百合なのかもしれないが、何故かそれを眺めるリクの脳内ではバラバラババンバンと頭の悪い歌が流れていた。なお、それほど気持ち悪いやつではない。

 こうして、今日放射線放射を行う予定だったフライモスキートをすべてビオトープ内に戻し、シズクは旅支度をはじめた。

「それじゃ、始めようか。人類の存亡をかけた、対話を」

「拒否する。お前はとても信用できない」

 領主ブランは、そもそも聞く耳を持たなかった。自身の領地の荘園収入がフライモスキートの虫害による飢饉で絶望的な額になるだろうことが予測できているにも関わらず、いや、予測できているからこそ、その領地にさらにフライモスキートを撒くというシズクの提案は絶対に信じることができなかったのだろう。

「しかし、私達はニューパルマ付近のフライモスキートの減少に成功しています。データもあります」
「ふん。数字は嘘をつかないが商人共は数字を使う。そもそも、それは数が減っているのではなく、群れをこちらの荘園に追いやっているだけではないのかね。しかも、その増殖にわざわざ手を貸してだ!」

 一見すると頭の硬さと己の利権に固執した古典的大勢派の愚かさに思えるかもしれないが、単純にそうとは言えないことをシズクは理解している。実際、そう言われればそう思える程度にはフライモスキートは荘園内で増殖しているのだから、これは思い込みの被害妄想ではなく、非常に合理的な状況分析である。

 そして何より、シズクは知っていた。この領主が、これまで何をしてきたかを。

「あぁ! 領主様! このようなところへ何故!?」
「ふん。我が農奴共が苦しんでいる顔を笑いに来たに決まっておろう。民は生かさず殺さず搾り取る。為政者として当然である。その貧相な食事を見ながらの昼食は、空腹という最高のスパイスがふりかけられた至高の料理となるだろう。さぁ! 食料庫を解き放て! 酒池肉林の大宴会である!」

 と、このように領地を渡り歩いては贅沢三昧の宴会を繰り広げ。

「はぁ、食った食った。もう十分じゃ、残りは捨ておけぇ!」

 こうして大半の食事に手をつけないまま後を去る。結果、この食料がどうなるかは言うまでもなかった。

「どうだ、わかっただろう。絶対者は唯一人、この全能なる領主ブランなのだ! 農奴共はその血の一滴まで私のものだ! 領地は全て我が意志のままにある! 私が領地の法だ、領地の秩序だ! よって当然、貧乏人の苦しみもこの私のものだ! わぁっはっはっはっ!」
「なんて酷い……この、外道領主様! 死ぬまで一生あなたの足にしがみついて離れませんぞ!」
「わぁっはっはっはっ! 貧しき者ほどよく吠えるわ!」

かと思えば。

「もうダメだ……冬を越すどころか、それまで家族を養うこともできない……すまない、娘よ。兄弟たちを活かすため、お前は……」
「なんと、おい、聞いたかポッセス。この家族は、あのような醜女が奴隷として売れると考えているらしいぞ!」
「これは片腹大激痛ですなぁブラン様! あのような醜悪な見た目にやせ細った貧相な体では、どれほど需要のある奴隷市場であっても売れ残りは間違いありませぬ! はぁっはっはっはっ!」
「そのとおりだポッセス! ならばあの愚かな農奴共に、自分たちの主にふさわしいのは誰であるか、奴隷としての価値を教えてやるが良い!」
「来い娘! 貴様ら農奴共では一冬の食料代を足しても買えぬ最高級の絹織物と宝石で、その醜悪な体を着飾り辱めてくれようぞ!」
「ふはははは! なんと醜い姿だ! そのような体に触れた絹など、この高貴な領主ブランの柔肌に触れることすら許されぬ! 捨ておけぇ!」
「酷い……酷すぎますわ……このような辱め……絶対に忘れません! 私、大きくなったら必ず悪徳領主様のハーレムで復讐を果たしてみせます!」
「できんことを口にするな小娘が! 貴様にできることなど、この偉大なる領主ブランのため、畑を耕すことのみであると知れぇ! わぁっはっはっはっ!」

 と、このような悪逆非道で領地を渡り歩く最悪の領主こそ、このブランという男なのだ。領民からの支持率はかの北側独裁国家と同じで100%。その悪評は、当然シズクの耳にも入っている。だからこそ、強引な態度にも出られない。どう切り込んだものか悩みつつちらりと目を落とすと、机の上には書類の山が崩れていた。

「確かに虫害の影響は絶望的に拡大している。でも、虫害される以上の作物を生産できれば問題ない、と。そのために、ギルドを通して遠くの街からも肥料となるだろうリン鉱石と花崗岩を買い漁っている。でも、それじゃダメ。そこまでの知識があるなら、今までそれをしなかった理由、連作障害についての知識もあなたは持っているはず。あと、その農薬のレシピならこちらでもう試して、効果がないことがわかってる」
「む……」
「それ全部、13年前の旅人に教えてもらったんだよね?」
「……その通りだ」
「とてもこの世界の科学技術からは信じられないレベルの農業知識。なにより、聞いてみたらそもそも農奴とか嘘じゃない。どの世界に寺子屋で農耕訓練と読み書きそろばんが習えて医療福祉が無料で受けられる農奴がいるの。どうも被害が少なすぎると思ったらキニーネが全農奴に配布済みとか、いつもお買い上げありがとうございますってタヌ◯チからお礼伝えるように言われたよ。これ、みんな移住を禁じられてるんじゃなくて移住しようなんてとても思わないだけだったなんて、最初知った時耳にユナイテッド・フルーツ社のバナナが詰まってないか確認したもの。ていうか、ただ投票率と支持率がほぼ100%なだけで、形ばかりの選挙をしているんだから、もうこれ君主制ですらない。どうみても近代民主国家です本当にありがとうございましただよ。何ひとり20世紀中年やってるの。道理でこれだけめちゃくちゃな財政還元しても金庫が尽きないと思った。こういうの、チートっていうんだよ、チート。偉大なる同志カール・マルクスに土下座して謝りなさいよこの独裁者」
「私は決して赤化テロルなんかに屈さないんだからな!」
「あー、資本論のバグまで教わってるし」

 はぁ、と露骨に大きくため息をつく横で、リクが脇腹をつつく。

「なぁ、この領主さ。無茶苦茶優秀なんじゃないか?」
「とんでもなく優秀だよ。大方、祭殿を利用しない理由も、魔王の経済支配計画に気付いてるからに決まってる。ほんと最悪。このボスキャラ強すぎる」

 ふん、と鼻息を荒げる姿がどや顔に見えてどうにも苛立たしい。

「つまり、あなたは13年前にこれらの知識をあなたに叩き込んだ旅人を絶対的に信頼している。遠い未来に起こり得る可能性までもを予期して伝えられたその領地経営の完全マニュアルの中には、不妊虫放飼法に関する記載がなかった。だから私の言葉が一見合理的に見えても信用できない。そうでしょう?」
「そのとおりだ」

 うーん、と唸りつつ頭を抱える。もはや論破は不可能であるようにすら感じてしまう。実際問題、不妊虫放飼法とはそれほど成功率が高い方法ではないのだ。どのような切り込みを入れればいいのかシズクが言葉を探す中、イルマが口を開く。

「あの、領主様。お聞きしたいことがあります」
「なんだ小娘」
「どうしたら領主様はシズクさんの言葉を信じてくださいますか?」

 攻略法がわからないなら聞いてしまう。単純すぎて思いつかない発想だった。

「そうだな、ならば……」

 そんなことがあって、シズクは今、領主の館の書庫に籠もっている。13年前、あらゆる未来を予測して書かれた領地経営指南書。これにすべて従っている今より、ただ1点だけ、どのような形でも良いのですぐに成果が見える形で現状を改善せよ。それが領主ブランからのオーダーであった。

「なんか切り口あったかぁ?」

 呑気にイルマと七並べをしながら声をかけるリクの言葉に首をふる。

「こりゃ無理だよ。ノストラダムスも真っ青の予言書だこれ。飢饉の対策どころか、べと病やうどんこ病、大麦黄色矮星の対策方法まで書いてあるの、チートだよチート。そんな感じで人類の農耕史を網羅しかねない内容に加えて、農奴の統治方法と起こりそうな問題と対策までおまけ感覚で書いてあるの。見てよこのページ。将来領地に鉄道が敷設され、それが軍隊によって爆破された際に取るべき対策に1ページ割かれてる」
「今すぐ石原莞爾閣下に届けて差し上げろ。あと、ポッセスさん。そろそろ9を止めるのやめてくれよ」
「はぁっはっはっはっ! これが戦略であるぞリク殿!」
「仕方ありませんね……ジョーカーで爆破します」
「なんと!」
「そっちの柳条湖事件は和やかだねぇ」

 はぁ、と大きくため息をついて再び予言の書へ向かう。その様子をポッセスが、どこか微笑ましそうに眺めていた。

「13年前、私は鼻水をたらして領地を駆け回る小童であった」
「え? ポッセスさんいくつ?」
「今年で24である」
「俺の1個……あいや、えぇと、5個上なの!? 老け顔だよ! 絶対領主と同じ4~50代だと思ってた!」

 リクがオーバーアクションに驚く中、シズクは静かにポッセスの言葉に耳を傾ける。

「どうやら領主様のところに旅人が訪れており、その旅人からかなりの知識を習っているらしい。そんな噂を聞いた私は、一人この館に忍び込んだのだ。だが、その時既に旅人はここを経たれており、残されたのはその本だけだった」
「一体何日でこの本を書き上げたのか。特徴らしい特徴がないとはいえ序盤と後半で筆跡がほぼ変わらないし、悪魔と契約でもしたんじゃないかなその人」

 幸い本のサイズは普通であり、表紙には悪魔も描かれていない。

「私は何の変哲もない農奴の子。父が領主様より授かった畑を私が受け継いで耕し、それをまた子に受け継ぐ人生しか歩めぬとすっかり諦めはついていた。だが……私は。本当は、魔法使いになりたかったのだ」

 無言で続きを待つシズクであったが。

「ポッセスさん、今度は4止めてる」
「ごめんイルマちょっと黙ってて」
「あ、それ俺だ。もう置くしかねぇか」
「いいから早く置いて」

 マイペースな2人にため息をつく。

「忍び込んだ私は不思議とその本に魅了された。しかし、その本には魔法のようなことは書いてあっても、私が知りたいような魔法の使い方は記されておらなかった。それでも、どうにかして魔法使いになりたかった私はある日、ついに領主様に見つかってしまう。叱られると思ったが、その時。領主様は何と言ったと思う?」
「なんだろう。いいから畑を耕せとか?」
「いや……領主様は、こう仰ったのだ」

 すぅ、と息を吸い込み、領主ブランの声真似で叫ぶ。

「どこから忍び込んだこの悪童め! 貴様にその本の価値がわかるはずがないだろう! この私がじっくりと補講をしてくれようぞ! 向こうしばらく家に帰れると思うなよ! 親御さんにはこちらから連絡を送っておいてやる!」

 思わず、唖然とする一同。あのおっさん、本当に根本からのド善人だ。

「それから領主様は、聞きかじりだと言いつつも私に魔法の使い方を教えてくださった。そして私は磁力の魔法を習得し、今では防衛戦の天才などと大仰な評価を受ける身となった。そんな私を領主様は、実の子のように大切に育ててくださった。この恩義、一生領主様に忠誠を誓うことで返す覚悟である」

 何かヒントが聞けると思ったら、ただひたすらにいい話をされてしまい、どうにも情緒がぐちゃぐちゃになる。しかし、そうか。

「それで今はギルド魔道士で、今なおニューパルマの商業ギルドからは高い金で雇われている、と」
「うむ。ギルドとは15年契約。祭殿の利用税とあわせて、十分過ぎる額。仮に荘園すべての作物が不作になろうとも、領主様は10年は戦える」
「なるほどね。つまり、ポッセスさん自体が重要な領地の収入源であり、領地そのものってことだ」

 にやりと笑って、ぱたりと本を閉じるシズク。遠くでは雷鳴が轟き、まもなく夕立が降ろうとしている中、くいっとシズクがその親指を外へと向けた。

「表へ出なよ。七並べなんかじゃない、もっと楽しい遊びを教えてあげる」

 その表情は、もはやリクとイルマにはお馴染みの狂気であった。
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