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第B章:何故異世界飯はうまそうに見えるのか

レベル上げとチート/1:世界を救った人物を勇者と呼ぶなら、少なくとも歴史上そのうちの1人は潜水艦乗りだ

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 結論を明かすのであれば、シズク達は魔王を倒す最後の勇者となる。この世界に二度と魔王が現れることはなく、世界は平和になる。その後で世界が消滅するようなどんでん返しが起きることもない。シズク達の偉業は世界に伝わり、英雄伝説は書籍、彫像と民衆に広く知れ渡ることになる。

 しかし、もしも先にその未来を見ることができたなら、リクは自分の彫像に違和感を覚えるだろう。彼が後に魔王にトドメを刺す際に使用されるオリハルコンの剣はシズクが握っており、その手には別の武器が握られている。その武器は、勇者シズクの道中記において重要な戦いとされる際に彼が使用した武器であり、後世にはこれが道徳的な意味を持って拡大解釈された結果、オリハルコンの剣をシズクに譲り、剣士リクを代表する武器として知られることになるのだ。

 さて。己に嘘をつき、魔物を根絶すると宣言したシズク。ループはとても残念そうな顔をしているが、そこには納得を通り越した諦めが浮かんでいる。改めて、ループは善人である。いや、人ではなく豚玉なので善玉だろうか。しかし、宣言してしまった以上シズクも後には引けない。彼が善玉であること、自分たちと意思疎通がはかれること、そして、自分たちと同じ文化の鎧を身にまとうことという数々の心理的障壁を打ち破り、彼の首を跳ねなければいけない。たとえそれが、またしてもシズクの心に深い傷を残すことになろうとも。一度ついた嘘は、本当にしなければならないのだ。

 この状況で最初に動いた者。それは、名もなきメイドオークだった。彼女は言葉を理解しない。しかし、自分の主が殺されそうになっていることは理解できた。彼女は武器を持たない。だが、武器に出来るものは持っていた。パンを切る目的で持たされていた小さなナイフ。まるで時が止まったかのような部屋の中で、ごくりと息を飲んでから小さなナイフを両手でしっかりと構え、シズクに向かって体を動かした。

 この動きに、シズク、イルマ、リクの3人が同時に気付く。リクの目には、シズクとイルマが彼女に向かって片手をあげようとする様子がスローモーションで見えた。

 時間の流れというものは、実のところ一定ではないことが既に現代科学でも知られている。流れの方向がこの宇宙において不可逆なものであることは曲げられないのだが、その速度は極めて簡単に調整できる。速く進ませたいなら美人とデートをするなり好きなゲームなりをすればよく、遅く進ませたいなら深夜の警備員のバイトをすればいい。人間の脳には、自動的に時間の流れを調整する機能が備わっているという事実は、実際に誰でも観測できる。

 そんな脳の機能を、プロスポーツ選手は超人的に操る。これが俗に言う「ゾーン」というものであり、繊細な体の動作が必要な状況において主観的な時間の進み方を遅くし、より深い思考と正確な体の動作を行うという技術である。このゾーンは、厳しい繰り返し練習と豊富な実戦経験によってのみ会得されるものだが、交通事故の直前で多くのドライバーがゾーンに入ったことを証言しており、生命の危機が自動的にゾーンを開くことも事実として存在している。こういった知識を持つと、高所からの飛び降りや電車への飛び込みの自殺がいかに愚かな行為であるかを理解するかもしれない。足を踏み出してから生命活動が停止するまでの主観的時間は、おそらく想像よりも遥かに長いからだ。

 さておき。リクの脳はこの状況を「危機的状況」と判断し、この瞬間、リクは人生で初めてかもしれないゾーン状態を経験する。まず、イルマが何をしようとしているかは明白。彼女はメイドオークに光の魔法を放ち蒸発させようとしている。この部屋の明度から考えるに、光の凝縮から放射にかかる時間はおそらく3秒以下だろう。イルマがその手をメイドオークに向けて照準を調整する時間を含めても、5秒後にはオークの丸焼きが出来上がることになってしまう。

 問題は一方のシズクだ。咄嗟にこいつは手に持った剣ではなく、イルマと同様に手のひらを向けようとしている。これはつまり、シズクが己の意志で魔法を使用しようとしていることを示している。リクは実際にシズクが魔法を使用した場面を見たことはないが、その魔法がいかなるものなのかは知っている。すなわち、指向性の調整された極めて局所的な核爆発である。

 シズクはその力を破壊に使うことを嫌い、意志によって制限をかけていた。後にリンネから聞いた話では、このバカは目の前で自身の解剖ショーが開催される中でも最後までこの魔法を使用しなかったという。それだけの圧倒的で常軌を逸した精神力が、この魔法の使用に歯止めをかけていたはず。

 だがこの瞬間、シズクはその制限を解除してしまっている。その脳の中の潜水艦にヴァシーリイ・アルヒーポス艦長は乗り込んでいないらしい。今ここは、まさに1962年のカリブ海だ。まずこれを止めなければ「次」はない。

 どれだけの猶予があるかはわからないが、イルマの攻撃を5秒以内に阻止しなければならない現状において、そのタイムリミットはそちらとほぼ同じか、もしくはもっと短いと考える他ない。その時間でシズクを物理的に止めることは現在位置からでは不可能で、防御も不可能。ならば、自分に使えるのはマッハ1の人類最強の兵器しか存在しない。言葉だ。

 チャンスは1回。選べる言葉はただ一言。それで確実に、シズクを止めなければいけない。「やめろ」ではダメだ。常軌を逸した精神力を持つこいつがそのリミッターを自らの意志で外した以上、自分なんかの静止でこいつが止まるわけがない。当然ながら、小粋なジョークや驚かせるような言葉は選べない。トラウマをえぐることも考えられるが、これは逆効果に繋がり、止められないどころか爆発規模の制御を誤らせる可能性もある。ならば、ここでこいつにかける言葉。それは。

「シズク! 間違えろ!」

 はっ、と目に光がともり、その手の動きが鈍る。どうやら正解だったらしい。こいつはこの瞬間、感情を排除してすべてを合理的に判断し、正しい選択を取ろうとしているはず。ならば、ここで声をかけるなら「間違えるな」というのはシズクの主観で言えば逆効果。こいつはここで、感情によって合理的結論を歪める「間違い」を犯す必要があったのだ。

 これで危機は去ったのか、はたまた猶予が伸びただけなのかはわからないが、少なくとも数十秒は稼げただろう。ならば次に、イルマを止めなければいけない。こちらはこちらでサラエボのラテン橋だ。

 しかし、イルマには同じ武器が通用しない。イルマの正義感は帰来のサイコパス的性質と相まって言葉の威力をゼロにできる。シズクの言葉ならわからないが、少なくとも自分の言葉でイルマを止めることは不可能で、この状況でシズクがイルマを止めるはずがない。ならば、こちらは物理で止めるしかない。

 だがリクの手元に剣はない。相棒は今やシズクの手の中だ。チートによる剣術スキルMAXとはいえ、剣がなければどうしようもない。剣術スキルを支える筋力もこの状況では役に立たない。皿を投げたり、机をひっくり返すという手段でイルマの行動を阻害できる可能性はあるが、それは猶予をわずかに伸ばすにすぎない。なにせ相手の魔法は宇宙一速い。放たれる前にどうにかしなければならないのだ。投げた皿をイルマの頭に当て気を失われるという案も一瞬過ぎったが、残念ながら自分は今までの人生で皿を投げたことがなく、自分のチートは皿投げスキルではない。

 異世界において、危機を乗り越える手段はいつだってチートだ。自分は剣術でこの状況を打破しなければならない。なのに手元に剣がない。ならば、剣になるものを使えば良い。リクの眼球が周辺の空間を一瞬で認識し、それぞれのオブジェクトに対して剣としての代用の可能性を考える中、脳に一件の検索報告が届く。同時に流れたフラッシュバック映像。それは、小学校の掃除の時間だった。

「てやー! あまかけるりゅーのきらめきー!」
「リク君、掃除の時間くらい真面目にやって。煌めきじゃないでしょ」

 その瞬間、自分の手が考えるよりも速く、オークメイドの手から箒と奪った。同時に何故かちりとりも奪っていた。この瞬間、リクは剣士となる。軽く屈んでからの跳躍。イルマがこちらに気付き、その手をこちらに向ける。こいつマジで容赦がない。

 手に次第に光が集まる中、姿勢制御の行えない空中で左手が勝手に動く。数コンマの間を置いて放たれる宇宙最速の魔法攻撃。ある天然パーマは言う。避けられないから事前に避けておくと。その光のビームは、着弾点を予測して事前に構えられていた金属製のちりとりの盾を貫通できなかった。

「このサイコパスがぁ! 大人しくしてもらうぞ! でやぁぁっ! 天翔龍煌!」

 剣術スキルMAX、人間の肉体で実現可能な最速の一閃が、長さ60cmの箒に乗ってイルマをノックアウトさせる。続いての返しの太刀でオークメイドを薙ぎ払い、中間地点に着地して叫ぶ。

「全員動くな! 頭を冷やせ! 停戦だ!」

 リクのゾーンが終了し、再び時の流れが元に戻る。残念ながらどこまでいっても人類は時の流れの方向性を変えることができない。近い将来、ある程度先への跳躍は可能になるだろうが、少なくとも今はまだ不可能である。よって今この瞬間には、リクは将来の自分の英雄像が、どや顔で箒をちりとりを構えていることをまだ知らない。
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