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満月の日
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水面に浮かぶ落ち葉が川幅の狭いところで急激に速さを増して過ぎてゆくように、午後になってから時は加速して過ぎていくように感じた。
聖歌塔に入った二人は、すぐに発声練習を始めた。
祈るためにというもっともらしい理由をつけたが、それは部屋を出て聖歌塔に行くための口実のようなものだった。大切な祈りは、朝に図書塔で十分に済ませてある。ともなれば今できることは、二人の努力でどうにかなるところ、すなわち歌声を磨くことしかない。
「そろそろ戻ったほうがよさそうね」
アメジストの言葉に、シトリニアの驚きを含んだ声が答えた。
部分と通しで何回か練習をしたと思ったら、柱時計の針はもう夕時が近いことを示している。
「もうこんな時間?なんだか時が経つのが速すぎるわ」
柱時計に歩み寄ると、いぶかしげに眺める。
「この時計……壊れていないわよね?」
自らの身長よりも高い柱時計に近づき、大きな振り子をいろいろな角度から覗き込むシトリニアに、アメジストは苦笑した。
「軽い発声練習だけにしましょうって言ったのに、結局しっかり歌ってしまったわ。今は喉を休めるときよ。ほら、そろそろ姿を見せないと心配されちゃうわ。行きましょう」
「そうね。わかったわ」
仕方なくといった様子で柱時計から離れると、アメジストの背中を追って振り返ることなく聖歌塔を後にした。
大食堂での夕食は、それは豪華なものだった。
国王のみならず上位の技官たちも同席し、手の込んだ料理の大皿が広いテーブルを埋め尽くさんとばかりに並んだ。にぎやかに杯が交わされ、あらゆる方向から二人を激励する言葉がかけられる。
それらに笑顔で答えながら、姫君たちは味を感じない食事を少しお腹に入れた。
あまり食が進まない二人を気遣い、頃合を見計らってハンナがこっそりと二人を外に出してくれた。フィオナはもう外で待ち受けていた。
「まぁ皆様の気持ちもわかりますけどね。もう少しご配慮頂きたいものですね」
ぷりぷりしているハンナにシトリニアが苦笑した。
「ありがとうハンナ。私たちを励まそうとしてくれているのはよくわかっているから大丈夫よ」
「この食事会は前夜祭のようなものです。明日、泉の水位が戻ったら、お二人を囲んでもっと華々しい宴が開かれますよ」
「そ、そうなのね……」
竜の神殿で歌う、という儀式の本質以外のことにはまったく考えが及んでいなかったが、皆はいろいろと準備をしていたらしい。
「お二人とも、お疲れは出ていませんか?」
気遣わしげなフィオナの言葉に、姫君は異口同音に答える。
「体調はいつもどおりよ。ありがとう」
「少し緊張しているけど、元気いっぱいよ」
「では、そろそろお身体を清めに参りましょうか」
湯殿へと向かう廊下を歩みながらふと窓の外を見れば、とっぷりと暮れた暗い空に、まばらに漂う灰色の雲が見える。
「あ、雲が……」
シトリニアの言葉に、皆が空を仰いだ。
「あんなに曇っていたのに、だんだん晴れていくわね」
「お二人のために、竜が雲を払っているのかも知れませんね」
なんでもないフィオナの言葉を聞いて、シトリニアの脳裏にあの悪夢がよみがえる。
真っ暗な空に浮かぶ、まぶしすぎる満月。猛禽類のような金色の瞳に、ぞろりと並ぶ牙。
朝起きれば自然に頭から消えていく夢も多いのに、その記憶はよどんだ水のようにシトリニアの記憶に留まり続けている。
まぶたの裏で鮮明によみがえる映像を振り払うように、シトリニアは空から目を離した。
聖歌塔に入った二人は、すぐに発声練習を始めた。
祈るためにというもっともらしい理由をつけたが、それは部屋を出て聖歌塔に行くための口実のようなものだった。大切な祈りは、朝に図書塔で十分に済ませてある。ともなれば今できることは、二人の努力でどうにかなるところ、すなわち歌声を磨くことしかない。
「そろそろ戻ったほうがよさそうね」
アメジストの言葉に、シトリニアの驚きを含んだ声が答えた。
部分と通しで何回か練習をしたと思ったら、柱時計の針はもう夕時が近いことを示している。
「もうこんな時間?なんだか時が経つのが速すぎるわ」
柱時計に歩み寄ると、いぶかしげに眺める。
「この時計……壊れていないわよね?」
自らの身長よりも高い柱時計に近づき、大きな振り子をいろいろな角度から覗き込むシトリニアに、アメジストは苦笑した。
「軽い発声練習だけにしましょうって言ったのに、結局しっかり歌ってしまったわ。今は喉を休めるときよ。ほら、そろそろ姿を見せないと心配されちゃうわ。行きましょう」
「そうね。わかったわ」
仕方なくといった様子で柱時計から離れると、アメジストの背中を追って振り返ることなく聖歌塔を後にした。
大食堂での夕食は、それは豪華なものだった。
国王のみならず上位の技官たちも同席し、手の込んだ料理の大皿が広いテーブルを埋め尽くさんとばかりに並んだ。にぎやかに杯が交わされ、あらゆる方向から二人を激励する言葉がかけられる。
それらに笑顔で答えながら、姫君たちは味を感じない食事を少しお腹に入れた。
あまり食が進まない二人を気遣い、頃合を見計らってハンナがこっそりと二人を外に出してくれた。フィオナはもう外で待ち受けていた。
「まぁ皆様の気持ちもわかりますけどね。もう少しご配慮頂きたいものですね」
ぷりぷりしているハンナにシトリニアが苦笑した。
「ありがとうハンナ。私たちを励まそうとしてくれているのはよくわかっているから大丈夫よ」
「この食事会は前夜祭のようなものです。明日、泉の水位が戻ったら、お二人を囲んでもっと華々しい宴が開かれますよ」
「そ、そうなのね……」
竜の神殿で歌う、という儀式の本質以外のことにはまったく考えが及んでいなかったが、皆はいろいろと準備をしていたらしい。
「お二人とも、お疲れは出ていませんか?」
気遣わしげなフィオナの言葉に、姫君は異口同音に答える。
「体調はいつもどおりよ。ありがとう」
「少し緊張しているけど、元気いっぱいよ」
「では、そろそろお身体を清めに参りましょうか」
湯殿へと向かう廊下を歩みながらふと窓の外を見れば、とっぷりと暮れた暗い空に、まばらに漂う灰色の雲が見える。
「あ、雲が……」
シトリニアの言葉に、皆が空を仰いだ。
「あんなに曇っていたのに、だんだん晴れていくわね」
「お二人のために、竜が雲を払っているのかも知れませんね」
なんでもないフィオナの言葉を聞いて、シトリニアの脳裏にあの悪夢がよみがえる。
真っ暗な空に浮かぶ、まぶしすぎる満月。猛禽類のような金色の瞳に、ぞろりと並ぶ牙。
朝起きれば自然に頭から消えていく夢も多いのに、その記憶はよどんだ水のようにシトリニアの記憶に留まり続けている。
まぶたの裏で鮮明によみがえる映像を振り払うように、シトリニアは空から目を離した。
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