藤城皐月物語

音彌

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第3章 広がる内面世界

105 気持ちのいい朝

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 藤城皐月ふじしろさつきは目が覚めると、二階にある自分の部屋から一階に降りた。居間にはまだ誰もいなかった。母の小百合さゆりや朝食を作ってくれる住み込みの及川頼子おいかわよりこは、昨夜遅くまでお座敷に出ていたので、まだ寝ている。
 皐月が一人で日本経済新聞を読みながらテレビで経済ニュースを見ていると、幼馴染の栗林真理くりばやしまりからメッセージが届いた。
 ――ピーチパフェ、食べに来て。
 真理は昨夜コンビニで買ったピーチパフェを食べに来いと言う。真理の母は男の家に泊まっているから、まだ家には帰っていない。

 昨日の夜、皐月は真理の家にいた。真理の母の凛子りんこも皐月の母と同じお座敷に出ていたので、家には真理と皐月しかいなかった。
 凛子は恋人と会うので帰って来ないという。皐月は泊まっていってほしいと真理に言われたが、次の日は学校があるので家に帰らなければならなかった。
 ピーチパフェの消費期限は今日までだ。皐月は明日の朝、真理の家に食べに戻ると約束して、昨夜は真理の家には泊まらずに帰った。
 その場しのぎの約束だった。そんな約束はどうせ有耶無耶になるだろうと高をくくっていたが、それは皐月の思い違いだった。真理が約束を覚えている以上、呼び出しに応じないわけにはいかない。

 皐月は母たちから、今朝は頼子の娘の祐希ゆうきと二人で喫茶店のモーニングを食べてから登校するように言われている。だが、皐月は喫茶店には行かずに真理の家で朝食をとり、そのまま家に戻らず学校へ行かなければならなくなった。
 ランドセルを取りに二階の自分のへ上がると、洗面所で祐希が身だしなみを整えていた。
「おはよう」
「おはよう。テレビ見てたんじゃなかったの?」
「うん。でも出かけなきゃならなくなった」
「こんなに朝早くどこに行くの? 部活があるわけでもないのに」
 祐希が怪訝な顔をした。
「ちょっと真理んに用があってね。祐希さ、悪いけど今日は一人でパピヨンに行ってもらえないかな。俺は真理ん家から直接学校に行くから」
「真理ちゃんと二人で学校に行くの? 青春ドラマみたいだね~」
 祐希のニヤニヤとした顔を見て、皐月はちょっとムッとした。
「まさか。二人ともそれぞれの通学班に分かれて学校に行くよ。祐希みたいに高校生だったら、そんな楽しい学校生活を送れるのにね」
「私は一緒に学校に行く人なんていないよ」
「でも一緒に帰る恋人はいるよね?」

 マンションのオートロックで真理を呼び出し、エントランスを通してもらってエレベーターで上がった。真理の部屋の扉を開けると、玄関で嬉しそうな顔をして待っていた。
「おはよう」
「おはよう。思ったよりも早く着いたね。まだ朝食できてないや」
「何か食べ物あるの? ラッキー! 俺、スイーツしか食えないのかと思ってたよ」
「わざわざ家まで呼んでおいてそんな仕打ちをするわけないじゃない。上がって」
 玄関にランドセルを置いて家に上がると、真理が抱きついてきて、昨夜のようなディープキスをした。真理は皐月の想像以上に貪欲で、舌を絡めるだけでなく吸いついてきた。
 真理は満足するとキッチンに戻り、皐月はリビングに行ってテレビをつけ、経済ニュースの続きを見た。
「お待たせ~」
 昨夜買ったスイーツと2枚のトースト、焼いたウインナーとサラダを運んできた。汚い盛り方だった。
「なんで一枚の皿に全部乗せてくるんだよ。これじゃ食べにくいじゃん」
「だってお皿2枚使ったら、お母さんに誰か来たんじゃないかって勘繰られるでしょ?」
「あ~、りん姐さんならそういう細かいことに気がつきそうだよな。怖い怖い」
「だから皐月が来た痕跡は残したくないの」

 皐月と真理は二人が引き離された理由を、家庭の事情だけでないと思っていた。親たちは二人が仲良くなり過ぎたことを心配したんじゃないかと、真理と二人で考えた。
 小さかった頃は、皐月も真理も親の言うことをそのまま信じていた。だが、大きくなって知恵がつくようになると、親の話すストーリーを疑うようになった。
「もしかして隠しカメラで録画されてたり、盗聴されてたりしていない? このAIスピーカーなんて怪しいよな」
「たぶん大丈夫だと思うけど……。私って普段の行いがいいから信用されてると思うよ」
「まあ勉強しかしていない生活だからな」
「そう。また今日から勉強だけの生活になるの……。受験が終わるまでは仕方がないんだけどね」
 改めてこういう話を聞かされると、皐月は心苦しくなってくる。
「もう皐月とはこんな風に会えなくなるかもね」
「そんなことねーよ。泊まりは無理だけど、俺はいつだって来てやるから」
「ありがとう」

 二人はテーブルの上にパンの粉をぼろぼろと落としながらトーストを食べた。真理の焼き過ぎた目玉焼きは皐月の好みではなかったが、今朝は美味しいと思った。
 ゆっくり味わって食べていると、真理が早く食べろと急かしてくる。一枚の皿に盛ったものを二人で突っついているから食べにくい。早食い気味に食べ終わると、少しの時間も惜しむように真理がキスをしてきた。
 登校前の朝なのに、頭がおかしくなりそうなくらい興奮した。唇を合わせずに舌先だけを絡めていると、真理の息が荒くなってきた。皐月はいつまでもキスをしていたかったが、これから学校へ行かなければならない。
「なあ、学校サボっちゃおうか」
「ダメだよ」
「ずっとキスしてようぜ」
「もうすぐお母さんが帰ってくるからダメ。お皿、片付けるね。皐月は机の上を拭いておいて」
 真理はキッチンへ行ってしまった。皐月がソファーでボ~っとしていると、真理が濡れた布巾ふきんを投げてよこした。皐月は真理のように気持ちが切り替えられないので、もたもたとテーブルを拭きながら余韻に浸っていた。

 丁寧にテーブルを拭き上げ、床に落ちたパンの粉を確かめた。キッチンへ真理の様子を見に行ってみると、もう食器の片付けが終わろうとしていた。
「いつもと同じ。これでバレないと思う。皐月のピーチパフェの空容器は持って帰ってね」
 真理に手渡されたプラスチックの脚付きのカップをランドセルに入れた。皐月は教科書もノートも学校に置いてくるので、ランドセルの中はスカスカに空いている。
「ねえ、皐月。もう少しキスしよ?」
 真理はクラスの女子の中では背の高い方だが、皐月も背が伸びたので身長差はあまり変わらない。立ってキスするのは慣れていないので、体がフラフラする。
「俺たち、どんな顔して教室で会うんだよ」
「いつも通りでいいんじゃない?」
「お前、よく切り替えられるな?」
「皐月は引きずるんだ。かわいいね」
 別れ際にもう一度だけ軽く口づけをして、皐月は真理の家を出た。
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