136 / 512
第3章 広がる内面世界
136 誰もいない境内
しおりを挟む
豊川稲荷の総門をくぐると、左手に土産物を売っている屋台が二台出ている。初詣の時は境内にたくさんの屋台が出るが、通年で屋台を出しているのはここだけだ。
子供の頃から気になる店だった。しかし、ここには藤城皐月の欲しいものは何も売っていない。静謐な境内に屋台が点景としていい味を出している。
ここで皐月は筒井美耶に対して入屋千智や及川祐希にしたような案内をするつもりはなかった。美耶の方が自分よりも寺院の造詣が深いので、下手なことを言うと恥をかく。それに、美耶には話したいことよりも、聞きたいことの方がたくさんある。
前に来た時は正面に見える山門をくぐって漱水舎(手水舎)へ行ったが、この日は違う参道を通って大本殿へ行こうと思った。
総門を抜けてすぐに左に曲がると、右手に大きな石造の鳥居がある。豊川稲荷では狛犬の代わりに狛狐が置かれている。ずんぐりとした狛犬と違って、しゅっとした狛狐は格好いい。だが狛犬よりも狛狐の方が妖気を感じて怖い。
「お寺なのに鳥居が残っているんだね。稲荷神社だと宇迦之御魂神が祀られてるんだけど、ここってお寺だよね。本地垂迹だとどうなるんだろう……」
「豊川稲荷の本尊は荼枳尼天だけど、本地垂迹って何?」
「お寺の仏様は神社の神様の化身だっていう話なんだって」
「ヤベぇな……お前、詳し過ぎ。デートの相手は俺じゃなくて、秀真の方が良かったんじゃね?」
「なんでそんなこと言うの!」
学校で美耶にちょっかいを出して怒らせたことは何度もあったが、こんな風に怒った美耶を見るのは初めてだ。
「だって秀真の方が俺よりお寺や神社の知識があるし、話が合いそうじゃん」
皐月は怒る美耶にビビって、卑屈な態度をとってしまった。
「話なんか合わないよ。それに、私なんか全然詳しくないって」
「そんなことねーよ。それに前に修験道の人たちが歩く山道を歩いたとか言ってたじゃん。筒井ってそういう宗教系のこと詳しいのかなって……」
「それはうちのお爺ちゃんが修験道の修業をしてるから、小さい頃からいろいろな話を聞かされてただけだよ。実家に帰った時は、私とお兄ちゃんはお爺ちゃんに連れられて山に入ったりしてたし」
山に入るとか、美耶はアニメの話のようなことをしていた。皐月は美耶の運動神経の良さの秘密がこの時わかった。
「そうそう、そういう話。秀真の奴、筒井に修験道とか山の話を聞きたかったって言ってたよ。また話してあげたら?」
「え~っ、神谷君とあまり話したくないな……」
美耶は露骨に嫌な顔をした。美耶は教室ではいつも明るく、うるさいくらい賑やかだが、皐月は美耶が人を悪く言っているところを見たことがなかった。
「どうして?」
「だって私……神とか仏とか、あまり信じていないから。信仰心がある人と宗教の話はしたくない」
皐月の周囲には宗教を信仰している大人がいない。皐月は宗教のことを軽く考えていた。
「そういうことなら大丈夫だと思うよ。秀真が特に宗教を信じてるっていう話は聞いていないから。たぶんあいつって、不思議なことに興味があるだけだよ」
友人が誤解されていると思い、皐月は神谷秀真のことを弁護した。だが秀真が本当のところ何を考えているのかはよくわからない。仮に秀真が何らかの宗教を信じていても構わないと思っている。
「じゃあ藤城君は?」
「それは俺も同じ。神様とか仏様とかはよくわかんないし、不思議な話とかオカルト話が好きなだけだ。だから秀真と話しているとすごく楽しい」
「……ならいいんだけど」
美耶はやけに宗教に関して敏感に反応する。宗教に関わることで、嫌なことがいろいろあったのかもしれない。
「じゃあ機会があったら秀真に修験道とか大峰山の話でも聞かせてやってよ。なっ?」
「あまり気が進まないけど、藤城君が一緒にいてくれるんだったらいいよ。私が困ったら助けてね」
「いいよ、もちろん。俺だって筒井の話いろいろ聞きたいし」
「私の話なんか、今聞けばいいじゃない」
硬い表情をしていた美耶だったが、やっと柔らかい顔になった。こんな優しい顔をした美耶を皐月は教室で見たことがなかった。
大本殿に行く前に漱水舎で手を洗うことにした。柄杓で水をすくって適当に手を洗っていると、美耶に違うと注意された。皐月は正しい作法を教わって身を清め、濡れた口をTシャツの袖で拭い、手を裾で拭いた。
「ちょっと藤城君、服で拭いちゃダメ! みっともないでしょ」
「なんだよ、うるさいな~。俺のママかよ。いいじゃん、別に何で拭いたって」
「よくないっ! ハンカチ持ってないの?」
「持ってねーよ。そんなの使わんし」
年下のガールフレンドの入屋千智にハンカチを持つように言われていたのに、この日は忘れていた。
「トイレに行った後どうするの?」
「そんなの、チャーっと手を洗って、パッと服で拭いてるよ」
「一応手は洗うんだ……」
「まあウンコの時しか洗わないけどな」
「学校で大きい方するの?」
「そんなのするわけねーじゃん! 学校でクソしたら一生の恥だわ」
「じゃあ手洗いしないってことじゃない! 汚っ!」
プリプリ怒っている美耶を見て楽しくなってきた。
「それっ! バイ菌だ~」
「うわっ!」
ふざけて美耶を触ろうとしたら、びっくりして後ずさりした。反応が猫のように早い。
「あっ、お前今、本当に俺のこと汚いって思ったろ? ひどいな~」
「そんな急に襲いかかって来られたら、逃げるに決まってるでしょ」
「襲うって人聞きが悪いな。避けられたことで二重で傷つくわ」
美耶は2メートルくらい離れたところまで逃げていた。やっと1学期の頃の美耶に戻ったような気がして嬉しくなってきた。
「もう汚くないから、こっちに来いよ」
不機嫌そうな顔をして美耶が戻って来たので、皐月は美耶の肩に手をかけた。
「あれっ? 逃げないの?」
「だって汚くないもん。さっきお清めしたでしょ」
美耶はもう不機嫌そうな顔をしていなかった。それどころか嬉しそうに笑みを浮かべていた。
平日の夕暮れ時、豊川稲荷の境内には皐月と美耶の他に誰もいなかった。傾き始めた陽の光が美耶をいつもよりかわいく見せている。
今ならこのまま肩を引き寄せてしまえばキスだってできそうだ……そんな不埒な考えが頭をよぎり、皐月の心拍数は急上昇した。
子供の頃から気になる店だった。しかし、ここには藤城皐月の欲しいものは何も売っていない。静謐な境内に屋台が点景としていい味を出している。
ここで皐月は筒井美耶に対して入屋千智や及川祐希にしたような案内をするつもりはなかった。美耶の方が自分よりも寺院の造詣が深いので、下手なことを言うと恥をかく。それに、美耶には話したいことよりも、聞きたいことの方がたくさんある。
前に来た時は正面に見える山門をくぐって漱水舎(手水舎)へ行ったが、この日は違う参道を通って大本殿へ行こうと思った。
総門を抜けてすぐに左に曲がると、右手に大きな石造の鳥居がある。豊川稲荷では狛犬の代わりに狛狐が置かれている。ずんぐりとした狛犬と違って、しゅっとした狛狐は格好いい。だが狛犬よりも狛狐の方が妖気を感じて怖い。
「お寺なのに鳥居が残っているんだね。稲荷神社だと宇迦之御魂神が祀られてるんだけど、ここってお寺だよね。本地垂迹だとどうなるんだろう……」
「豊川稲荷の本尊は荼枳尼天だけど、本地垂迹って何?」
「お寺の仏様は神社の神様の化身だっていう話なんだって」
「ヤベぇな……お前、詳し過ぎ。デートの相手は俺じゃなくて、秀真の方が良かったんじゃね?」
「なんでそんなこと言うの!」
学校で美耶にちょっかいを出して怒らせたことは何度もあったが、こんな風に怒った美耶を見るのは初めてだ。
「だって秀真の方が俺よりお寺や神社の知識があるし、話が合いそうじゃん」
皐月は怒る美耶にビビって、卑屈な態度をとってしまった。
「話なんか合わないよ。それに、私なんか全然詳しくないって」
「そんなことねーよ。それに前に修験道の人たちが歩く山道を歩いたとか言ってたじゃん。筒井ってそういう宗教系のこと詳しいのかなって……」
「それはうちのお爺ちゃんが修験道の修業をしてるから、小さい頃からいろいろな話を聞かされてただけだよ。実家に帰った時は、私とお兄ちゃんはお爺ちゃんに連れられて山に入ったりしてたし」
山に入るとか、美耶はアニメの話のようなことをしていた。皐月は美耶の運動神経の良さの秘密がこの時わかった。
「そうそう、そういう話。秀真の奴、筒井に修験道とか山の話を聞きたかったって言ってたよ。また話してあげたら?」
「え~っ、神谷君とあまり話したくないな……」
美耶は露骨に嫌な顔をした。美耶は教室ではいつも明るく、うるさいくらい賑やかだが、皐月は美耶が人を悪く言っているところを見たことがなかった。
「どうして?」
「だって私……神とか仏とか、あまり信じていないから。信仰心がある人と宗教の話はしたくない」
皐月の周囲には宗教を信仰している大人がいない。皐月は宗教のことを軽く考えていた。
「そういうことなら大丈夫だと思うよ。秀真が特に宗教を信じてるっていう話は聞いていないから。たぶんあいつって、不思議なことに興味があるだけだよ」
友人が誤解されていると思い、皐月は神谷秀真のことを弁護した。だが秀真が本当のところ何を考えているのかはよくわからない。仮に秀真が何らかの宗教を信じていても構わないと思っている。
「じゃあ藤城君は?」
「それは俺も同じ。神様とか仏様とかはよくわかんないし、不思議な話とかオカルト話が好きなだけだ。だから秀真と話しているとすごく楽しい」
「……ならいいんだけど」
美耶はやけに宗教に関して敏感に反応する。宗教に関わることで、嫌なことがいろいろあったのかもしれない。
「じゃあ機会があったら秀真に修験道とか大峰山の話でも聞かせてやってよ。なっ?」
「あまり気が進まないけど、藤城君が一緒にいてくれるんだったらいいよ。私が困ったら助けてね」
「いいよ、もちろん。俺だって筒井の話いろいろ聞きたいし」
「私の話なんか、今聞けばいいじゃない」
硬い表情をしていた美耶だったが、やっと柔らかい顔になった。こんな優しい顔をした美耶を皐月は教室で見たことがなかった。
大本殿に行く前に漱水舎で手を洗うことにした。柄杓で水をすくって適当に手を洗っていると、美耶に違うと注意された。皐月は正しい作法を教わって身を清め、濡れた口をTシャツの袖で拭い、手を裾で拭いた。
「ちょっと藤城君、服で拭いちゃダメ! みっともないでしょ」
「なんだよ、うるさいな~。俺のママかよ。いいじゃん、別に何で拭いたって」
「よくないっ! ハンカチ持ってないの?」
「持ってねーよ。そんなの使わんし」
年下のガールフレンドの入屋千智にハンカチを持つように言われていたのに、この日は忘れていた。
「トイレに行った後どうするの?」
「そんなの、チャーっと手を洗って、パッと服で拭いてるよ」
「一応手は洗うんだ……」
「まあウンコの時しか洗わないけどな」
「学校で大きい方するの?」
「そんなのするわけねーじゃん! 学校でクソしたら一生の恥だわ」
「じゃあ手洗いしないってことじゃない! 汚っ!」
プリプリ怒っている美耶を見て楽しくなってきた。
「それっ! バイ菌だ~」
「うわっ!」
ふざけて美耶を触ろうとしたら、びっくりして後ずさりした。反応が猫のように早い。
「あっ、お前今、本当に俺のこと汚いって思ったろ? ひどいな~」
「そんな急に襲いかかって来られたら、逃げるに決まってるでしょ」
「襲うって人聞きが悪いな。避けられたことで二重で傷つくわ」
美耶は2メートルくらい離れたところまで逃げていた。やっと1学期の頃の美耶に戻ったような気がして嬉しくなってきた。
「もう汚くないから、こっちに来いよ」
不機嫌そうな顔をして美耶が戻って来たので、皐月は美耶の肩に手をかけた。
「あれっ? 逃げないの?」
「だって汚くないもん。さっきお清めしたでしょ」
美耶はもう不機嫌そうな顔をしていなかった。それどころか嬉しそうに笑みを浮かべていた。
平日の夕暮れ時、豊川稲荷の境内には皐月と美耶の他に誰もいなかった。傾き始めた陽の光が美耶をいつもよりかわいく見せている。
今ならこのまま肩を引き寄せてしまえばキスだってできそうだ……そんな不埒な考えが頭をよぎり、皐月の心拍数は急上昇した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
身体だけの関係です‐原田巴について‐
みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子)
彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。
ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。
その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。
毎日19時ごろ更新予定
「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。
良ければそちらもお読みください。
身体だけの関係です‐三崎早月について‐
https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる